【須磨 16】寂しき須磨の秋 源氏と人々、都を思い涙する

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平《ゆきひら》の中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、夜《よる》々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。

御前にいと人|少《ずく》なにて、うち休みわたれるに、独り目をさまして、枕をそばだてて四方《よも》の嵐を聞きたまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに枕浮くばかりになりにけり。琴《きん》をすこし掻き鳴らしたまへるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさしたまひて、

恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん

とうたひたまへるに人々おどろきて、めでたうおぼゆるに忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。げにいかに思ふらむ、わが身ひとつにより、親|兄弟《はらから》、片時たち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かくまどひあへると思すに、いみじくて、いとかく思ひ沈むさまを心細しと思ふらむと思せば、昼は何くれと戯《たはぶ》れ言《ごと》うちのたまひ紛らはし、つれづれなるままに、いろいろの紙を継ぎつつ、手習をしたまひ、めづらしきさまなる唐《から》の綾《あや》などに、さまざまの絵どもを書きすさびたまへる、屏風の面《おもて》どもなど、いとめでたく見どころあり。人々の語りきこえし海山《うみやま》のありさまを、はるかに思しやりしを、御目に近くては、げに及ばぬ磯のたたずまひ、二《に》なく書き集めたまへり。「このごろの上手にすめる千枝《ちえだ》、常則《つねのり》などを召|して、作り絵仕うまつらせばや」と、心もとながりあへり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近う馴れ仕うまつるをうれしきことにて、四五人ばかりぞつとさぶらひける。

前栽《せんざい》の花いろいろ咲き乱れ、おもしろき夕暮に、海見やらるる廊《らう》に出でたまひて、たたずみたまふさまの、ゆゆしうきよらなること、所がらはましてこの世のものと見えたまはず。白き綾のなよよかなる、紫苑《しをん》色などたてまつりて、こまやかなる御|直衣《なほし》、帯しどけなくうち乱れたまへる御さまにて、「釈迦牟尼仏弟子《さかむにぶつのでし》」と名のりて、ゆるるかに誦《よ》みたまへる、また世に知らず聞こゆ。沖より舟どものうたひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、ただ小さき鳥の浮べると見やらるるも、心細げなるに、雁の連ねて鳴く声楫《かぢ》の音にまがヘるを、うちながめたまひて、涙のこぼるるをかき払ひたまヘる御手つき黒き御|数珠《ずず》に映《は》えたまへる、古里の女恋しき人々、心みな慰みにけり。

初雁は恋しき人のつらなれやたびのそらとぶ声の悲しき

とのたまへば、良清《よしきよ》、

かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世のともならねども、

民部大輔《みんぶのたいふ》、

心から常世《とこよ》をすててなく雁をくものよそにもおもひけるかな

前右近将監《さきのうこんのぞう》、

「常世《とこよ》いでてたびのそらなるかりがねも列《つら》におくれぬほどぞなぐさむ

友まどはしては、いかにはべらまし」と言ふ。親の常陸《ひたち》になりて下りしにも誘はれで、参れるなりけり。下《した》には思ひくだくべかめれど、誇りかにもてなして、つれなきさまにしありく。

月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけり、と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、所どころながめたまふらむかしと、思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。「二千里外故人心《じせんりのほかこじんのこころ》」と誦《ず》じたまへる、例の涙もとどめられず。入道の宮の、「霧やへだつる」とのたまはせしほどいはむ方なく恋しく、をりをりの事思ひ出でたまふに、よよと泣かれたまふ。「夜更けはべりぬ」と聞こゆれど、なほ入りたまはず。

見るほどぞしばしなぐさむめぐりあはん月の都は遙かなれども

その夜、上のいとなつかしう昔物語などしたまひし御さまの、院に似たてまつりたまへりしも、恋しく思ひ出できこえたまひて、「恩賜《おんし》の御衣《ぎょい》は今|此《ここ》に在《あ》り」と誦《ず》じつつ入りたまひぬ。御|衣《ぞ》はまことに身をはなたず、傍《かたはら》に置きたまへり。

うしとのみひとへにものはおもほえでひだりみぎにもぬるる袖かな

現代語訳

須磨には、ひとしお物思いをさせる秋風が吹いて、海はすこし遠いが、行平の中納言が、「関吹き越ゆると言った浦波が、なるほど毎夜、たいそう近くに聞こえて、格別に心にしみるものは、こうした所の秋なのであった。

源氏の君の御前には人が少なくなって、誰もが皆寝静まっている中を、君は独り目をさまして、枕から頭をもたげて四方の激しい風の音をお聞きになると、波が本当にすぐ近くにうち寄せてくるように思われて、涙が落ちると自覚もないままに枕が浮くほどにまでになってしまうのだった。

琴をすこし掻き鳴らしなさるが、我ながらたいそう心細い音色に聞こえるので、途中で弾くのをおやめになり、

(源氏)恋ひわびて…

(恋しさに苦しみ悩んで泣く声と聞き違える浦波の音は、私を思う人たちがいる都の方角から風が吹いているから、そう聞こえるのだろうか)

とお歌いになっていると人々は目をさまして、素晴らしいと感嘆するにつけても、悲しみを抑えることができず、わけもなく起きて座っては、鼻をそっとあちこちでかんでいる。

(源氏)「まったく、この人々は、どう思っていることだろう。私の身ひとつのために、親兄弟や、片時も離れがたいと身分の程度に応じて愛しく思っているだろう家を離れて、こうして一緒に悲しい思いをしてくれていることよ」とお思いになられるにつけ、たまらないお気持ちになられて、「私がこうして消沈している有様を見たら、この者たちは心細く思うだろう」とお思いになるので、昼は何かと戯れ言をおっしゃって気を紛らわし、所在のなさにまかせて、いろとりどりの紙を継ぎ合わせては、遊び書きをなさり、珍しい地の唐の綾などに、さまざまの絵をすさび書きなさる、屏風の面の絵などは、たいそう見事なものである。

それまでは人々がお話し申し上げた海山のありさまを、はるかにご想像なさっていたが、御目近くにご覧になっては、いかにもこれまでは思いも及ばなかった磯のたたずまいを、またとなくたくさんお描きになられる。

(供人)「このごろの名人と評判の千枝、常則などをお召しになって、君の絵に作り絵を描かせたいものだ」と、みなもどかしがっている。

源氏の君のやさしく、美しいお姿に、人々は世のもの思いを忘れて、お側近くにお仕えするのがうれしくて、四五人ほどがいつもお側に控え申しているのだった。

植込みの木が色とりどりに咲き乱れ、風情ある夕暮に、海が見渡せる廊にお出でになって、たたずんでいらっしゃるご様子の、不吉なほど美しいことは、場所が場所だけあっていっそうこの世のものともお見えにならない。

白い綾の柔らかい下着、紫苑色の指貫などをお召しになって、色の濃い御直衣に、帯をゆったりとくだけた感じでつけていらっしゃる御姿で、「釈迦牟尼仏弟子《しゃかむにぶつのでし》」と名乗って、ゆるやかに経文をお読みになるのは、世にまたとなく素晴らしく聞こえる。

沖を通って多くの舟が大声で歌いながら漕いで行くのなども聞こえる。舟の影がかすかで、ただ小さい鳥が浮かんでいるのかと見えるのも、心細い感じである上に、雁が列を作って鳴く声が舟の楫の音と聞き違えそうなのをお眺めになって、涙のこぼれるのをかき払いなさる御手つきが、黒い御数珠との対照で見映えされるのは、故郷の女が恋しい人々も、心がすっかり慰められるのだった。

(源氏)初雁は…

(初雁は恋しい人の仲間なのだろうか。旅の空を飛ぶその声の悲しいことよ)

と仰せになると、良清、

かきつらね…

(次々と昔のことが思い出されます。雁はその当時の友ではないけれど)

民部大輔、

心から…

(自らすすんで故郷である常世の国を出て鳴いている雁を、これまでは雲の外のことと思っていたことだなあ)

前右近将監、

「常世いでて…

(故郷の常世の国を出て、旅の空にある雁も、仲間に遅れず着いていっている限りは、心が慰められます)

友にはぐれては、どうなりますでしょうか」と言う。この前右近将監は親が常陸介になって下ったのにもついて行かず、源氏の君のもとに参ったのだった。

内々には悩みも多かろうが、表面には誇らしげにして、いつも平気なふうにふるまっている。

月がたいそう華やかに出ているので、源氏の君は「今宵は十五夜であったな」と思い出されて、殿上の管弦の御遊びが恋しく、今頃はどなたも月を眺めていらっしゃるだろうと思いやりなさるにつけても、月の面ばかりじっと見つめないではいらっしゃられない。

「二千里外故人心」と口ずさみなさるのも、例によって人々は涙をとどめることができない。

入道の宮(藤壺)が、「霧やへだつる」と仰せになったあの時が、いいようもなく恋しく、折々の事を思い出しなさるにつけ、ついさめざめとお泣きになられる。

「夜が更けてしまいました」と申し上げるが、それでもなお君は奥にお入りにならない。

(源氏)見るほどぞ…

(月を見ている間は少し慰められる。いつか巡り合う月の都=京ははるか離れているとしても)

あの夜、帝がたいそうなつかしく昔物語などをなさった御ようすが、故院に似ていらしたのも、恋しく思い出されなさって、「恩賜の御衣は今此に在り」と口ずさみつつお部屋にお入りになった。

御衣は実際、身をはなたず、傍らに置いていらっしゃる。

(源氏)うしとのみ…

(一方的に辛いとのみ思われるわけではなくて、左右の袖が、それぞれの涙で濡れることよ)

語句

■いとど心づくしの秋風に 「木の間よりもれくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり」(古今・秋上 読人しらず)。このあたり名文として名高い。松尾芭蕉『笈の小文』などに効果的に引用されている。 ■関吹きこゆる 「旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風」(続古今・羇旅 在原行平)。 ■海はすこし遠けれど 前に「海づらはやや入りて」とあった(【須磨 10】)。 ■夜々は 「夜」に「寄る」をかける。「波」の縁語。 ■げに なるほど「関吹き越ゆる」といった通り。 ■枕をそばだてて 「遺愛寺ノ鐘ハ枕ヲ欹テテ聴ク香炉峰ノ雪ハ簾ヲ撥《かか》ゲテ看ル」(白氏文集巻十六・律詩・香炉峰下新卜山居草堂初成偶東壁)。「枕を欹てる」は枕から頭をもたげる。 ■枕浮く 「独り寝の床にたまれる涙には石の枕も浮きぬべらなり」(古今六帖五 人麿)。「涙川水まさればやしきたへの枕の浮きて止まらざるらむ」(拾遺・雑恋 読人しらず)。 ■恋ひわびて… 都に残してきた人々が私を恋しく思って泣いている。浦波をその泣き声と聞き違うという趣向。「浪たたば沖の玉藻も寄りくべく思ふ方より風は吹かなむ」(玉葉集・雑ニ 躬恒)。 ■あいなう ただわけもなく。 ■手習ひ 興にまかせて遊び書きすること。 ■唐の綾 渡来の綾織物。 ■屏風の面 屏風の表面にはる絵。 ■人々の語りきこえし 人々が源氏に諸国の海山を語る場面は若紫巻にあった。「「富士の山、なにがしの獄《たけ》」など語りきこゆるもあり。また西国《にしくに》のおもしろき浦々、磯《いそ》のうへを言ひつづくるもありて、よろづに紛らはしきこゆ」(【若紫 03】)。 ■げに及ばぬ 若紫巻で人々が諸国の海山を語ったことを受けて。 ■及ばぬ 想像も及ばぬ。 ■千枝、常則 千枝は村上天皇の時代の画工。常則もその頃の人と思われる。 ■作り絵 墨の線で描いた絵に色を塗ること(【帚木 05】)。 ■心もとながり 都から画工を呼ぶわけにはいかないため。 ■ゆゆしうきよら あまりに美しいものは神に魅入られて命を取られてしまうという考えがあった。「神など、空にめでつべき容貌《かたち》かな。うたてゆゆし」(【紅葉賀 01】)。 ■白き綾 白い綾の単衣(下着)。 ■紫苑色 表薄紫、裏萌黄ほか諸説。 ■こまやかなる御直衣 縹色の濃い直衣。縹色は薄い藍色。 ■帯 直衣の帯。 ■釈迦牟尼仏弟子 願書などの冒頭に入れる言葉。 ■沖より 沖を通って。 ■うたひののしりて 舟歌を大声で歌っている。 ■初雁は… 「初雁」はその年はじめて飛来する雁。「つら」は「列」と仲間の意。雁の縁語。 ■友まどはす 友を見失う。 ■親の常陸になりて 「親」は帚木・空蝉巻に「伊予介」として登場した人。空蝉の夫。 ■月のいとはなやかに… 以下、名文として名高い。紫式部が石山寺に滞在した時、八月十五日夜、琵琶湖に映る月を見て『源氏物語』の着想を得て、須磨巻から書き始めたという縁起が残る。真偽のほどは不明。 ■今宵は十五夜なりけり 「けり」は今気づいたという詠嘆。 ■ニ千里外故人心 八月十五夜に、遠く離れている友人、元九のことを思いやっている白楽天の詩より。「三五夜中新月ノ色 二千里ノ外故人ノ心」(白氏文集巻十四・八月十五夜禁中独直対憶元九)。 ■霧やへだつる 藤壺宮が詠んだ歌「ここのへに霧やへだつる雲の上の月をはるかに思ひやるかな」(【賢木 24】)。 ■見るほどぞ… 「月の都」に「京の都」をかける。 ■その夜 藤壺宮が「霧やへだつる」と詠んだ夜。源氏がお別れの挨拶を述べに参内した夜。 ■恩賜の御衣は今此に在り 菅原道真が左遷されて大宰府にありながら、昨年醍醐天皇から賜った御衣を大切に捧げ持っている詩
。「去年ノ今夜清涼ニ侍ス 秋思ノ詩篇独リ断腸 恩賜ノ御衣今此ニ在リ 棒持シテ毎日余香ヲ拝ス」(菅家後集・九月十日)。 ■御衣はまことに身をはなたず この「御衣」は源氏が朱雀帝から拝領したもの。物語中にその場面はない。 ■うしとのみ 片方の袖は帝の恩賜により、片方の袖は罪を被って侘住居していることの悲しみにより濡れている。「ひとへ」「袖」は「衣」の縁語。

朗読・解説:左大臣光永

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