【賢木 15】源氏と朧月夜の密会 藤少将、現場を目撃

帝は、院の御遺言《ゆいごん》たがへず、あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心なよびたる方に過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし、母后《ははさきき》、祖父大臣《おほぢおとど》とりどりにしたまふことは、え背かせたまはず、世の政《まつりごと》、御心にかなはぬやうなり。

わづらはしさのみまされど、尚侍《かむ》の君は、人知れぬ御心し通へば、わりなくてもおぼつかなくはあらず。五壇《ごだん》の御修法《みずほふ》のはじめにて、つつしみおはします隙《ひま》をうかがひて、例の夢のやうに聞こえたまふ。かの昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君紛らはして入れたてまつる。人目もしげきころなれば、常よりも端近《はしぢか》なる、そら恐ろしうおぼゆ。朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、ましてめづらしきほどにのみある御対面《たいめ》の、いかでかはおろかならむ。女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる、重りかなる方はいかがあらむ、をかしうなまめき若びたる心地して、見まほしき御けはひなり。

ほどなく明けゆくにやとおぼゆるに、ただここにしも、「宿直《とのゐ》申しさぶらふ」と声《こわ》づくるなり。「またこのわたりに隠ろ

現代語訳

帝(朱雀帝)は、院の御遺言を違えず、源氏の君を大切に思っていらっしゃるが、若くいらっしゃるだけでなく、御気性がおやさしすぎて、強いところがあられぬのであろう、母后、祖父右大臣があれこれなさることには、背くことがおできにならず、世の政は御心にかなわぬようである。

源氏の君は、気詰まりなことばかりが増えるが、尚侍《かん》の君(朧月夜)には、人知れず御心が通っているので、無理をなさりつつも逢瀬がなくなってしまうわけではない。

五壇の御修法のはじめで、帝がご謹慎あそばす隙をうかがって、例によって夢のようなお気持ちでお逢いになられる。

あの昔が思い出される細殿の局に、中納言の君がうまく紛らわして源氏の君をお入れ申し上げる。

人目も多いころなので、いつもより建物の端近くでお逢いするのが、なんとなく恐ろしく思われる。

朝に夕に拝見する人でさえ、源氏の君は見飽きないほどすばらしい御姿であるので、まして稀にしかかなわない御対面の、どうして並々の逢瀬と思われようか。

女(朧月夜)の御姿も、まったく素晴らしい女盛りである。重々しい方面はどうかわからないが、美しくなよやかで、若々しい感じで、もっともっと見ていたい御姿である。

まもなく夜が明けていくと思われる時分に、なんとこんな近くで、「宿直申しでございます」と声を立てるのが聞こえる。

(源氏)「自分のほかにも、このあたりに隠れている近衛司がいるにちがいない。意地が悪い仲間が教えて、こちらに来られるのだろう」と、大将はお聞きになられる。

語句

■院の御遺言 何事につけても源氏の君を頼れといった桐壺院の御遺言(【10-08.html】)。 ■うちにも ~という事情はもちろん、さらにそれに加えて。 ■なよびたる方 「なよぶ」は物腰がなよなよしている。しとやかである。ここでは朱雀帝の強くご主張できない性質をさす。 ■五壇の御修法 国家の重大事にともない行われる密教の修法。中央および東西南北に壇を設けて、それぞれ不動・降三世・大威徳・軍荼利夜叉・金剛夜叉の明王を祀り祈祷する。 ■つつしみおはします 五壇の御修法を行っている間、帝は行いを慎む。 ■細殿の局 源氏と朧月夜がはじめて逢った場所(【花宴 02】)。弘徽殿の細殿。 ■中納言の君 朧月夜つきの女房。 ■人目もしげきころなれば 御修法の期間であるので。 ■朝夕に見たてまつる人だに… このあたり、源氏・朧月夜、双方の若々しい生命力、みなぎる美しさが、見事に描写されている。 ■ただここにしも まさかこんなところで!という意外性をふくむ。 ■宿直申しさぶらふ 宮中で宿直する者が、定刻に上司に自分の姓名を名乗ること。宿直申《とのゐもうし》とも名対面《なだいめん》とも。戌の刻から子の刻まで(午後8時-午前0時ごろ)を左近衛府が、丑の刻から卯の刻(午前2時-6時ごろ)までを右近衛府が担当する。ここでは後者の。源氏は右近衛大将なので、彼ら右近衛府の宿直人の長官である。 ■声づくる わざと相手に聞かせようという意図で声を上げる。

朗読・解説:左大臣光永

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