【若菜上 39】柏木、六条院からの帰り道、夕霧に女三の宮への同情を述べる

大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ。「なほこのごろのつれづれには、この院に参りて紛らはすべきなりけり」「今日のやうならむ暇《いとま》の隙《ひま》待ちつけて、花のをり過ぐさず参れ、とのたまひつるを、春惜しみがてら、月の中《うち》に、小弓《こゆみ》持たせて参りたまへ」と語らひ契る。

おのおの別るる道のほど物語したまうて、宮の御事のなほ言はまほしければ、「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。かの御おぼえのことなるなめりかし。この宮いかに思すらん。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで屈《く》したまひにたらむこそ心苦しけれ」と、あいなく言へば、「たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま変りて生《お》ほしたてたまへる睦《むつ》びのけぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」と語りたまへば、「いで、あなかま、たまへ。みな聞きてはべり。いといとほしげなるをりをりあなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。あり難きわざなりや」といとほしがる。

「いかなれば花に木づたふ鶯《うぐひす》の桜をわきてねぐらとはせぬ

春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ。あやしとおぼゆることぞかし」と、口ずさびに言へば、いで、あなあぢきなのものあつかひや、さればよ」と思ふ。

「みやま木にねぐらさだむるはこ鳥もいかでか花の色にあくべき

わりなきこと。ひたおもむきにのみやは」と答《いら》へて、わづらはしければ、ことに言はせずなりぬ。異事《ことごと》に言ひ紛らはして、おのおの別れぬ。

現代語訳

大将の君(夕霧)が衛門督(柏木)と同じ車に乗って、道中、お話をなさる。(柏木)「やはりこのごろの暇な時は、この院に参って気を紛らわせるのがよいですね」(夕霧)「今日のような暇な日を見つけて、花の折を逃さず参れと、大殿(源氏)がおっしゃったので、春を惜しみがてら、今月中に、小弓をお持たせになって参られよ」と話し合って約束する。

お互いに別れる道のあたりまで行く間、お話をなさって、衛門督(柏木)は、宮(女三の宮)の御ことをもっと話したかったので、(柏木)「院(源氏)は、やはり東の対(紫の上の居所)にばかりおいでになられるようですね。上(紫の上)に対するご寵愛が格別なのでしょう。この宮(女三の宮)はどうお思いなのでしょう。朱雀院が二人となく大切な皇女としてお育てになってこられたのに、院(源氏)のお気持ちはそれほどでもなくて、沈みこんでいらっしゃるそうだが、お気の毒だ」とずけずけ言うので、(夕霧)「とんでもない。どうしてそんなことがありましょうか。こちらの対の上(紫の上)は、尋常でない事情があって、大殿が幼少からお育てになられた睦ましさがあるので、そこが違っているというだけでしょう。宮のことも、何かにつけて、とても大切にしていらっしゃるのに」とお語りになると、(柏木)「さてさて、うるさいことを、おっしゃいますな。みな聞いておりますよ。宮(女三の宮)に、ひどくお気の毒な折々が、おありだとか。それにしても、世に滅多になく父院から大切にされていらっしゃいますのに。ありえないことですね」と気の毒がる。

(柏木)「いかなれば……

(どういうわけで、花に木伝う鶯は、桜を他の花々と区別して、自分のねぐらと定めないのでしょうか…なぜ六条院は他の御方々よりも女三の宮を唯一の女性として大切になさらないのでしょうか)

春の鳥が、桜ひとつにとまらぬ心よ。妙に思えることだよ」と、口ずさむようにに言うと、「さて、ひどく無用なおせっかいというものだ。やはり想像していた通りだったよ」と思う。

(夕霧)「みやま木に……

(深山木に寝付いているはこ鳥も、どうして花の色に飽きるだろうか…六条院は隠居しているからといって、女遊びに飽きたわけじやないんだよ)

無理なことだ。一人だけを愛されるということができるものか」と答えて、面倒だったので、別段それ以上は言わせなかった。ほかの事に言い紛らわして、それぞれ別れてしまった。

語句

■大将の君一つ車にて 六条院から、夕霧は三条邸へ、柏木は二条の太政大臣邸に帰る。 ■月の中に 三月中に。 ■この対 紫の上の居所。東南の町の東の対。 ■たいだいしき 「怠怠し」は不都合だ。もっての他だ。とんでもない。 ■さま変わりて 源氏が幼少の紫の上を引き取って親代わりに育てたという特殊な事情をいう。 ■宮をば 夕霧は柏木がいうように、源氏の女三の宮に対する愛情が薄いことは知りながら、柏木をたしなめるために敢えて否定する。 ■いで、あなかま、たまへ 「いで」は軽い否定。「あな」は感動。「かま」は「囂(かま)し(うるさい」の語幹。「たまへ」は命令。 ■いといとほしげなるをりをり 源氏の女三の宮への訪れが途絶えがちであること。 ■人の御おぼえ 朱雀院の女三の宮に対する寵愛。 ■あり難きわざなりや 源氏の女三の宮に対する冷遇は。 ■いかなれば… 「さくら」は女三の宮。「鶯」は源氏。 ■春の鳥の… 「…ぞかし」まで、前の歌とほぼ同じ内容を口ずさんだ。 ■さればよ 想像していた通り、柏木は女三の宮に恋慕していたの意。 ■みやま木に… 「みやま木」は紫の上。「はこ鳥」は源氏。「花」は女三の宮。「はこ鳥」は美しい鳥の意。

朗読・解説:左大臣光永