【若菜上 40】柏木、女三の宮への恋慕をつのらせ、小侍従に文を持たせる

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督《かむ》の君は、なほ大殿《おほいどの》の東《ひむがし》の対《たい》に、独《ひと》り住みにてぞものしたまひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細きをりをりあれど、わが身かばかりにてなどか思ふことかなはざらむ、とのみ心おごりをするに、この夕《ゆふべ》より屈しいたく、もの思はしくて、「いかならむをりに、またさばかりにてもほのかなる御ありさまをだに見む。ともかくもかき紛れたる際《きは》の人こそ、かりそめにも、たはやすき物忌《ものいみ》、方違《かたたが》への移ろひも軽々《かろがろ》しきに、おのづから、ともかくもものの隙《ひま》をうかがひつくるやうもあれ」など思ひやる方《かた》なく、深き窓の内《うち》に、何ばかりの事につけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき、と胸いたくいぶせければ、小侍従がり例の文やりたまふ。「一日《ひとひ》、風にさそはれて御垣《みかき》の原を分け入りてはべしに、いとどいかに見おとしたまひけむ。その夕《ゆふべ》より乱り心地かきくらし、あやなく今日はながめ暮らしはべる」など書きて、

よそに見て折らぬなげきはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ

とあれど、一日《ひとひ》の心も知らねば、ただ世の常のながめにこそは、と思ふ。

御前《おまへ》に人|繁《しげ》からぬほどなれば、この文を持《も》て参りて、「この人の、かくのみ忘れぬものに言問《ことと》ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも、見たまへあまる心もや添ひはべらんと、みづからの心ながら知りがたくなむ」と、うち笑ひて聞こゆれば、「いとうたてあることをも言ふかな」と何心もなげにのたまひて、文ひろげたるを御覧ず。「見もせぬ」と言ひたるところを、あさましかりし御簾《みす》のつまを思しあはせらるるに、御|面《おもて》赤みて、大殿《おとど》の、さばかり言《こと》のついでごとに、「大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」と、いましめきこえたまふを思し出づるに、大将の、さる事のありし、と語りきこえたらん時、いかにあはめたまはむと、人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ憚《はばか》りきこえたまふ心の中《うち》ぞ幼かりける。

常よりも御《おほむ》さしらへなければ、すさまじく、強《し》ひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて例の書く。「一日《ひとひ》はつれなし顔をなむ。めざましう、とゆるしきこえざりしを、見ずもあらぬやいかに。あなかけかけし」と、はやりかに走り書きて、

「いまさらに色にな出でそ山ざくらおよばぬ枝に心かけきと

かひなきことを」とあり。

現代語訳

督の君(柏木)は、今もやはり大殿(太政大臣)の御邸の東の対に、独り住みしていらっしゃるのであった。思うところがあって、長年こうして独身暮らしをしているのだが、自ら望んでのこととはいえ、物足りなく心細い折々はあるのだが、わが身はこんなにも立派なのに、どうして思うことが叶わないことがあろうか、とばかり心驕りをしていたところ、この夕方から、ひどく落ち込んで、物思いに沈みがちになり、「どんな折に、もう一度、せめてあれくらい少しでも、御姿を見たい。何をするにしても人目に立たない身分の者なら、ほんの一時的にでも、気軽な物忌、方違えで場所を移るにも身軽で、おのずから、何かのすきを狙って、うまくゆくこともあろうが」などと、物思いをどこに持っていきようもなく、深い窓の内におられる御方に、どんなことをきっかけにして、こんなにも深い心で貴女を思っておりますと、せめて知っていただけるだろうかと、ひどく胸が晴れなかったので、小侍従のもとに、例によって手紙をお遣わしになる。

柏木「先日、風にさそわれて御垣の原を分け入りましたが、どれほどひどく私のことをお見損ないになられましたでしょう。あの夕方から心は乱れて暗くなり、わけもわからず今日はぼんやり物思いに暮れております」などと書いて、

(柏木)よそに見て……

(よそながら見るばかりで、それを手折らない投げ木は茂っているけれど、夕陽に映えていた花の姿の、その名残の恋しいことよ…貴女の御姿をよそながら見るだけなのは嘆かわしいが、あの夕方、御姿を拝見したことは忘れられない)

とあるが、小侍従は「先日」の事情も知らないので、ただ世間によくある一般的な物思いだろうな、と思う。

宮(女三の宮)の御前に女房が少ない時分であったので、この手紙を持って参って、(小侍従)「この人が、こうしてひたすら忘れられないものとして連絡してこられるのが、煩わしゅうございます。心苦しげなようすを拝見するにつけ、お見捨てにできない気持が私に起こるのではないかと、自分の心とはいえ、どうなるかわかりがたく思えます」と笑って申しあげると、(女三の宮)「ひどく嫌なことを言うものね」と何の気もなさそうにおっしゃって、手紙を広げてあるのをご覧になる。「見もせぬ」の歌が書いてあるところをご覧になって、あの思いもよらなかった御簾の端の一件を、自然と考え合わせられるので、御顔が赤らんで、大殿(源氏)が、あれほど何かおっしゃるたびごとに、「大将(夕霧)にお姿をお見せなさるな。貴女は幼いところがおありのようなので、ついうっかりして、大将が貴女の御姿を拝見するようなこともあるでしょうから」と、ご注意申されたのをお思い出されるにつけ、大将(夕霧)が、「こういう事がありました」と大殿(源氏)にご報告申し上げるような機会があれば、大殿は、どれほどご自分のことを疎くしくお思いになられるだろうと、他人がご自分の御姿を拝見したことなどはお考えにならずに、まず殿に気兼ねをなさる心の中の、なんと幼いことよ。

いつもにまして御返事はなかったので、興ざめで、これ以上とくに申しあげることはないので、小侍従はそっと忍んで、いつものように返事を書く。(小侍従)「先日は、知らぬ顔をなさったのですね。今までの貴方のご希望も宮さまに失礼だと思って、お許し申し上げませんでしたが、『見ずもあらず』とはどういうことですか。なんとまあ色めいたことを」と、そそくさと走り書きして、

(小侍従)「いまさらに……

(いまさら色にお出しになられますな。及びもつかない山桜の枝に心をかけたのだと)

かいのないことを」をと書いてある。

語句

■大殿 柏木の父、太政大臣。 ■思ふ心 並大抵の北の方を迎えまいという心。女三の宮に対する思い。 ■かかる住まい 独身生活。 ■人やりならず 他人に強制されたのではなく、自ら望んでのこと。 ■わが身かばかりにて 地位な器量がすぐれているという自負。 ■この夕 六条院で女三の宮の姿をかいま見た夕方。 ■さばりにても 御簾の隙間から見たていどでも。 ■ともかくもかき紛れたる際の人こそ 身分の低い人なら物忌の方違えのといって出かけることもあろうが、女三の宮はそういうことはないので、うかつに近づく機会がないの意。 ■隙をうかがひつくるやうもあれ 下に、女三の宮の姿をうかがうことは容易ではないの意を補い読む。 ■深き窓の内に 参考「養ハレテ深閨ニ在リ人未ダ識ラズ」(長恨歌 白楽天)。 ■かく深き心ありけりと 柏木は女三の宮に、自分がどれほど深く思っているか知らせたいと思う。 ■小侍従 女三の宮の乳母子。 ■御垣の原 六条院をさす。 ■いかに見おとしたまひけん 卑下する言葉。 ■あやなく 「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮さむ」(古今・恋一 業平、伊勢物語九十九段)による。 ■よそに見て 「なげき」に「嘆き」と「投げ木」をかける。「折る」と「しげる」は「木」の縁語。「花」は女三の宮。 ■一日の心も知らねば 小侍従は「先日」の事情を知らない。 ■世の常のながめにこそ… 世間並みの軽い恋慕と思う。 ■見たまへあまる心もや添ひはべらん 自分の中に柏木に同情する気持が起こって、宮と柏木の仲立ちをするのではないか、の意。 ■見もせぬ 柏木の手紙の引歌の語句。 ■あさましかりし 猫が御簾を引き開けてしまった件。この時女三の宮は、夕霧の咳払いで柏木に姿を見られたことを知った。 ■大将に見えたまふな 源氏は自分が義母である藤壺と通じたので、夕霧が自分の妻に近付くことを警戒している。 ■いましめきこえたまふ 前に「正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふ」(【若菜上 34】)とあった。 ■さる事のありし 柏木に女三の宮の姿を見られたと。 ■あはめたまはむ 「淡む」は疎んじる。 ■幼かりける 夕霧が女三の宮の姿を柏木に見られたことを源氏に報告するはずはないのに、それに考えがおよばず無闇に心配していることの幼さを言う。作者のコメント。 ■御さしらへ 「さしらへ」は「さしいら(答)へ」の約。 ■例の書く 「例の」とあるから普段から柏木との文通があったとわかる。 ■一日はつれなし顔を この一文、解読不能。先日は女三の宮は貴方に見られてもなんでもない顔をしていたの意か。 ■めざましう 柏木は以前から小侍従に女三の宮への仲立ちを頼んでいた(【若菜上 35】)。 ■見ずもあらぬやいかに 「見ずもあらず」という古歌を引いて女三の宮を見ないわけでもないと色めいたことを言うのはどういうわけかの意。 ■いまさらに… 「山桜」は女三の宮。

朗読・解説:左大臣光永

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