【若菜上 34】夕霧、女三の宮を紫の上と比較しつつ、拝見することをひそかに期待

大将の君は、この姫宮の御事を思ひ及ぼぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますをいとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべきをりをりに参り馴れ、おのづから御けはひありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋《ひとすぢ》にて、上《うへ》の儀式はいかめしく、世の例《ためし》にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず、女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人《かたちびと》のひたぶるにうち華やぎざればめるはいと多く、数知らぬまで集《つど》ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心の中《うち》のあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、また、まことに心地ゆきげにとどこほりなかるべきにしうちまじれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯《たはぶ》れに心入れたる童べのありさまなど、院はいと目につかず見たまふ事どもあれど、ひとつさまに世の中を思しのたまはぬ御|本性《ほんじやう》なれば、かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめと御覧じゆるしつつ、いましめととのへさせたまはず。正身《さうじみ》の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふにすこしもてつけたまへり。

かやうのことを、大将の君も、げにこそあり難き世なりけれ、紫の御用意、気色の、ここらの年|経《へ》ぬれど、ともかくも漏《も》り出で、見え聞こえたるところなく、しづやかなるを本《もと》として、さすがに心うつくしう、人をも消《け》たず身をもやむごとなく、心にくくもてなしそへたまへること」と、見し面影《おもかげ》も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、言ふかひあり、すぐれたるらうらうじさなどものしたまはぬ人なり。穏《おだ》しきものに、今はと目馴るるに心ゆるびて、なほかくさまざまに集《つど》ひたまへるありさまどものとりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、とりわきたる御けしきにしもあらず、人目の飾《かざ》りばかりにこそ、と見たてまつり知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、見たてまつるをりありなむや、とゆかしく思ひきこえたまひけり。

現代語訳

大将の君(夕霧)は、この姫宮(女三の宮)の御ことが気にならないわけでもなかったので、目に近いところにいらっしゃるのが、とても平静なお気持ちではいられず、ごく一般的な御用向きにつけて、こちら(女三の宮の居所)には、しかるべき折々によく参っており、自然とそのご様子お人柄も見聞きしていらしたが、姫宮(女三の宮)は、たいそう若くおおらかでいらっしゃるばかりで、院(源氏)の姫宮に対する表面上の待遇はご立派で、世間の例となるほどまでに大切にお扱い申し上げていらっしゃるけれど、際立って奥ゆかしい御方とはほとんど見えないし、お付きの女房なども、しっかりした者は少なく、若やいで、容貌ばかりひたすら華やかで、浮ついた者がとても多く、数もわからぬほど集まってお仕えしていて、何の悩みもなさそうなお住まいではあるが、何ごとも穏やかに心を鎮めている人は、心の中がはっきりとは表から見えないものなので、たとえその人に人しれぬ物思いがあったとしても、同じように、心地よげに、いかにも屈託なさそうな人と付き合っていると、傍らにいる人に引かれて、同じ気分やふるまいとなって、協調していくものなので、ただ明け暮れは、幼い遊びや戯れに夢中になっている童たちの様子など、院(源氏)は、それがまことに好ましくないと御覧になる事がたびたびあるが、一律に世の中をお思いになったりおっしゃったりはなさらない御性分なので、こうした事も本人の好きにさせて、「あのようなことがしたいのだろう」といつも見て見ぬふりをなさっては、ご注意なさったり矯正なさったりしようとはなさらない。ただ御本人のお身だしなみのことは、まことによくお教え申し上げなさるので、少しは気を遣って取り繕っていらっしゃる。

こうしたことを、大将の君(夕霧)も、「なるほど難のない女性は滅多にない世の中であるが、紫の上の、御心遣いも、御立ち居振る舞いも、長年お過ごしになっているが、何かと世間に漏れて、人目に触れたり噂に立ったりすることもなく、第一に静かで落ち着いていらっしゃるのに、そうはいってもやはり心優しく、他人をないがしろになさることもなく、御自身をも大事になさって、奥ゆかしく振る舞っていらっしゃることだ」と、以前、上(紫の上)を見た時の面影もひたすら忘れがたく思い出されるのだった。

ご自身の御北の方(雲居雁)も、愛しくお思いになられることは深いのだが、話に出すような長所とか、すぐれて洗練されたところなどは、お持ちでいらっしゃらない人なのだ。おとなしい方であるし、今はすっかりご自分のものになってしまって、見馴れてしまったことに心がゆるんで、やはりこう、さまざまな御方々が六条院に集まっていらっしゃるご様子が、それぞれに心惹かれるのを、御自分のご意思だけで諦めきれないのだが、ましてこの宮(女三の宮)は、御身分を考えても、この上なく格別でいらっしゃるのに、とりわけ大切に扱われているご様子でもなく、世間に見せるための単なるお飾りになってしまっていると拝察する。大将(夕霧)は、べつだん分不相応な気持を起こすわけでもないが、宮(女三の宮)を拝見する折がないかと、ご期待申し上げていらっしゃるのであった。

語句

■大将の君は 朱雀院が女三の宮を夕霧に嫁がせようとほのめかした時、夕霧は心動かされた(【若菜上 03】)。 ■こなた 女三の宮の居所。寝殿の西側。 ■上の儀式はいかめしく 源氏の女三の宮に対する表面上の待遇は立派であるの意。 ■ざればめる 浮ついて中身がない様子。 ■数知らぬまで 『栄花物語』輝く藤壺巻によると、中宮彰子入内のとき付き添った女房は四十人あまりいたと。 ■何ごとものどやかに… このあたり、一派論と具体論が入まじり、暗号文のように読みづらい。悪文の行き過ぎを諫める編集者のような存在が、いかに大切かと実感できる。 ■いはけたる遊び戯れに 女三の宮が「いはけたる遊び戯れ」を好むから、お仕えしている女童たちも自然とそれを好むようになる。 ■目につかず 見て好ましく思わない。 ■ひとつさまに世の中を思しのたまはぬ 前に「今は、世の中を、みなさまざまに思ひなだらめて、とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけり。とりどりにこそ多うはありけれ」(【若菜上 17】)とあった。 ■かかる方をも 「かかる」は「いはけたる遊び戯れ」。 ■正身 女三の宮自身。 ■かやうのこと 女三の宮の性質や、それに対する源氏のふるまい。これまで述べられてきたこと。 ■たまへること 下に「滅多にないことだ」ぐらいの意を補い読む。 ■見し面影 夕霧は、五年前の野分の日、偶然に紫の上の姿を見て(【野分 02】)以来、その美しさが忘れられない。 ■今はと 雲居雁を手に入れてしまった今、以前ほどの執着が無くなった。 ■まして 六条院の他の御方々にもまして。 ■人目の飾りばかり 源氏は女三の宮を形の上では大切に扱うが、それは世間体をおもんぱかってのことで、愛情が深いわけではない。それを夕霧は見抜いている。 ■わざとおほけなき心にしもあらねど 女三の宮と密通しようなどという大それた考えがあるわけではないが、の意。

朗読・解説:左大臣光永