【若菜下 40】朱雀院の賀、行われる

御賀は、二十五日になりにけり。かかる時のやむごとなき上達部《かむだちめ》の重くわづらひたまふに、親はらから、あまたの人々、さる高き御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々にとどこほりつることだにあるを、さてやむまじき事なれば、いかでかは思しとどまらむ。女宮の御心の中《うち》をぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。例の五十寺《ごじふじ》の御|誦経《ずきやう》、また、かのおはします御寺にも摩訶毘廬遮那《まかびるさな》の。

現代語訳

御賀は二十五日になったのだった。こういう時にぜひ参加せねばならぬ上達部(柏木)が重くわずらっていらっしゃるので、親兄弟や、多くの人々の、あの高い身分の御方々が嘆き沈んでいらっしゃる時期なので、なんとなく物足りないようであるが、次々と支障が起こってのびのびになっていたことだけでも申し訳ないことなのに、このまま中止するわけにもいかない事なので、どうして断念なさるはずがあろうか。院(源氏)は、女宮(女三の宮)の御心の内を、おいたわしくお思い申される。例によって五十寺の御誦経が行われ、また、院がいらっしゃる御寺にも摩訶毘盧遮那仏のそれが行われた。

語句

■御賀 朱雀院の五十の賀。何度も延期されてようやく日取りが決まった。 ■さる高き御仲らひ 致仕の大臣の一族。 ■女宮 女三の宮。朱雀院の娘として御賀を主催する。その労を源氏は思いやる。 ■例の五十の御誦経 五十歳にちなんで五十箇寺の誦経が行われる。 ■摩訶毘盧遮那 大日如来のこと。この供養には『大毘盧遮那神変加持経』が読誦される。

朗読・解説:左大臣光永