【柏木 01】柏木、死の近いことを思い感慨にふける
衛門督《ゑもんのかむ》の君、かくのみ悩みわたりたまふことなほおこたらで、年も返りぬ。大臣《おとど》、北の方、思《おぼ》し嘆くさまを見たてまつるに、「強《し》ひてかけ離れなむ命かひなく、罪重かるべきことを思ふ心は心として、また、あながちに、この世に離れがたく惜しみとどめまほしき身かは。いはけなかりしほどより、思ふ心ことにて、何ごとをも人にいま一際《ひときは》まさらむと、公私《おほやけわたくし》の事にふれて、なのめならず思ひのぼりしかど、その心かなひがたかりけりと、一つ二つのふしごとに、身を思ひおとしてしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて、後《のち》の世の行ひに本意《ほい》深くすすみにしを、親たちの御恨みを思ひて、野山《のやま》にもあくがれむ道の重き絆《ほだし》なるべくおぼえしかば、とざまかうざまに紛《まぎ》らはしつつ過ぐしつるを、つひに、なほ世に立ちまふべくもおぼえぬもの思ひの一方《ひとかた》ならず身に添ひにたるは、我より外《ほか》に誰《たれ》かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれ」と思ふに、恨むべき人もなし。「神仏をもかこたむ方《かた》なきは、これみなさるべきにこそはあらめ。誰《たれ》も千歳《ちとせ》の松ならぬ世は、つひにとまるべきにもあらぬを、かく人にもすこしうち偲《しの》ばれぬべきほどにて、なげのあはれをもかけたまふ人あらむをこそは、一《ひと》つ思ひに燃えぬるしるしにはせめ。せめてながらへば、おのづから、あるまじき名をも立ち、我も人も安からぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは、なめしと心おいたまふらんあたりにも、さりとも思しゆるいてむかし。よろづのこと、いまはのとぢめには、みな消えぬべきわざなり。また異《こと》ざまの過ちしなければ、年ごろもののをりふしごとには、まつはしならひたまひにし方のあはれも出で来《き》なん」など、つれづれに思ひつづくるも、うち返しいとあぢきなし。
など、かく、ほどもなくしなしつる身ならんとかきくらし思ひ乱れて、枕も浮きぬばかり人やりならず流し添へつつ、いささか隙《ひま》ありとて人々立ち去りたまへるほどに、かしこに御文奉れたまふ。
「今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもはべらんを、いかがなりぬるとだに御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いとうくもはべるかな」など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふこともみな書きさして、
「いまはとて燃えむけぶりもむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ
あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇にまどはむ道の光にもしはべらむ」と聞こえたまふ。
侍従にも、懲《こ》りずまに、あはれなることどもを言ひおこせたまへり。「みづからも、いま一《ひと》たび言ふべきことなむ」とのたまへれば、この人も、童《わらは》より、さるたよりに参り通ひつつ見たてまつり馴れたる人なれば、おほけなき心こそうたておぼえたまひつれ、いまはと聞くはいと悲しうて、泣く泣く、「なほ、この御返り。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」と聞こゆれば、「我も、今日か明日かの心地してもの心細ければ、おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、いと心憂きことと思ひ懲《こ》りにしかば、いみじうなむつつましき」とて、さらに書いたまはず。
御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御気色のをりをりにまほならぬがいと恐ろしうわびしきなるべし。されど御|硯《すずり》などまかなひて責めきこゆれば、しぶしぶに書いたまふ。とりて、忍びて、宵《よひ》の紛れにかしこに参りぬ。
大臣《おとど》は、かしこき行者《おこなひびと》、葛城山《かづらきやま》より請《さう》じ出でたる、待ちうけたまひて、加持《かぢ》まゐらせむとしたまふ。御|修法《ずほふ》、読経《どきやう》などもいとおどろおどうしう騒ぎたり。人の申すままに、さまざま聖《ひじり》だつ験者《げんざ》などの、をさをさ世にも聞こえず深き山に籠《こも》りたるなどをも、弟の君たちをつかはしつつ、尋ね、召すに、けにくく心づきなき山伏《やまぶし》どもなどもいと多く参る。わづらひたまふさまの、そこはかとなくものを心細く思ひて、音《ね》をのみ時々泣きたまふ。陰陽師《をむやうじ》なども、多くは、女の霊《りやう》とのみ占《うらな》ひ申しければ、さることもやと思せど、さらに物《もの》の怪《け》のあらはれ出で来るもなきに思ほしわづらひて、かかる隈々《くまぐま》をも尋ねたまふなりけり。
この聖も、丈《たけ》高やかに、まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどうしく陀羅尼《だらに》読むを、「いであな憎《にく》や。罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の声高きはいとけ恐ろしくて、いよいよ死ぬべくこそおぼゆれ」とて、やをらすべり出でて、この侍従と語らひたまふ。
現代語訳
衛門督(柏木)の君は、こうしてひたすらご気分が悪くしつづけていらっしゃって、やはり回復のきざしがないままに、年も改まった。大臣・北の方が思い嘆かれるのを御覧になられるにつけ、(柏木)「強いてこの世を後にするのは命のかいがなく、親に先立つ罪は重いだろうと、それを気に病む気持ちは気持ちとして、その一方で、わざわざこの世に未練を抱いて、惜しみとどまっていたいほどのわが身であろうか。幼い頃から、私は格別に理想が強く、何ごとにおいても人にもう一歩抜きん出ようと、公私の事にわたって、並々ならず高い気位を持ってきたが、その望みもなかなうまくいかないものだったのだと、一つ二つの機会のたびに、わが身に失望してからというもの、世の中全般をつまらなく思うようになって、後世を願っての仏道修行に強く心惹かれるようになったのだが、親たちがお悲しみになることを考えると、野山にもさまよい出る道においても、親たちの存在が、それを引き留める重い縁となるだろうと思ったので、とにもかくにも紛らわしながら年月を過ごしてきたのだが、結局、やはり世間とは関わりを持てそうにも思えない物思いが、なみなみならずわが身に取り付いてしまったのは、自分自身の他に誰を恨むことができようか。わが心から過ちを犯してしまったのだ」と思うと、恨むべき人もない。「また神仏に恨み言を言っても仕方がないのは、これはみなこうなるべき運命であったのだろう。『誰も千歳の松ならぬ』この世には、結局はいつまでもとどまっていられるものではないのだから、このように人からも少し惜しんでもらえるだろう時に最期をむかえて、かりそめの憐れみなりともかけてくださる人がいらっしゃることだけを、ひたすら思いを燃やした証拠としたいものだ。強いて生きながらえていれば、自然と、あるまじき評判も立ってこようし、双方にとって、安心できない混乱が生じてくるようなこともあろう。いやそれよりも、私のことを不届きな者と思っていらっしゃるだろう御方(源氏)にも、私が死んだとあっては、いくらなんでも許していただけるだろう。万事は、命が失われてしまう最期の時には、みな消えてしまうことである。私はこの一件の他には何の過ちもないのだから、長年、なにかの折節ごとには、なにかと私を身辺近くに置いてくださった方(源氏)の憐れみも、また出てくるかもしれない」など、所在なきままに思いつづけるのも、考えれば考えるほど、ひどく情けないことである。
語句
■かくのみ悩みわたり 「かく」は前巻の「やうやう物に引き入るる」(【若菜下 39】)といった状態。 ■年も返りぬ 源氏四十八歳、柏木三十ニ、三歳。 ■大臣北の方 柏木の父母。 ■強いてかけ離れなん 自死すること。 ■命かひなく あえて自ら死を選ぶのは命のかいがないとする。 ■思ふ心ことにて 朱雀院の柏木を評した台詞に「高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ…」(【若菜上 06】)とあった。 ■一つ二つのふしごとに 女三の宮との結婚がならなかったことが筆頭にあげられよう。 ■身を思ひおとして 卑下すること。「おほかたの我が身ひとつの憂きからになべての世をも恨みつるかな」(拾遺・恋五 貫之)を引く。 ■後の世の行ひに… 柏木に出家願望があったことは初出。 ■親たちの御恨み 柏木は致仕大臣家の長男として、親から強く期待されていた(【若菜下 39】)。 ■野山にもあくがれむ… 「いづくにか世をば厭はむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ」(古今・雑下 素性)を引く。「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今・雑下 物部吉名)が響く。 ■神仏をも 「人」につづけて「神仏」がくる。 ■これみなさるべき すべては運命によるとする(【若菜下 27】)。 ■誰も千歳の松ならぬ世 「憂くも世に思ふ心にかなはぬか誰も千歳の松ならなくに」(古今六帖四)を引く。 ■かく人にもすこしうち偲ばれぬべきほど 今死んだら女三の宮が恋ゆえだと同情してくれるという期待。何の過失もなく犯された女三の宮への憐憫や謝罪の情は見えない。 ■一つ思ひに… 「夏虫の身をいたづらになすこともひとつ思ひによりてなりけり」(古今・恋一 読人しらず)を引く。「思ひ」に「火」をかける。 ■あるまじき名 密通が露呈して世間から叩かれることを恐れる。 ■よりは 「あらむ」までの文脈を受けて、さらに論を重ねていく。 ■さりとも 自分が死んだら。 ■いまはのとぢめ 臨終の時。 ■また異ざまの過ちしなければ 自分は女三の宮との密通の件以外、六条院に対する過失はないとする。 ■まつはしならひたまひにし 源氏が柏木を親しく側においていたさまは繰り返し語られてきた(【若菜下 33】)。