【柏木 02】柏木、小侍従を介して女三の宮と歌の贈答

など、かく、ほどもなくしなしつる身ならんとかきくらし思ひ乱れて、枕も浮きぬばかり人やりならず流し添へつつ、いささか隙《ひま》ありとて人々立ち去りたまへるほどに、かしこに御文奉れたまふ。

「今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもはべらんを、いかがなりぬるとだに御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いとうくもはべるかな」など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふこともみな書きさして、

「いまはとて燃えむけぶりもむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ

あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇にまどはむ道の光にもしはべらむ」と聞こえたまふ。

侍従にも、懲《こ》りずまに、あはれなることどもを言ひおこせたまへり。「みづからも、いま一《ひと》たび言ふべきことなむ」とのたまへれば、この人も、童《わらは》より、さるたよりに参り通ひつつ見たてまつり馴れたる人なれば、おほけなき心こそうたておぼえたまひつれ、いまはと聞くはいと悲しうて、泣く泣く、「なほ、この御返り。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」と聞こゆれば、「我も、今日か明日かの心地してもの心細ければ、おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、いと心憂きことと思ひ懲《こ》りにしかば、いみじうなむつつましき」とて、さらに書いたまはず。

御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御気色のをりをりにまほならぬがいと恐ろしうわびしきなるべし。されど御|硯《すずり》などまかなひて責めきこゆれば、しぶしぶに書いたまふ。とりて、忍びて、宵《よひ》の紛れにかしこに参りぬ。

大臣《おとど》は、かしこき行者《おこなひびと》、葛城山《かづらきやま》より請《さう》じ出でたる、待ちうけたまひて、加持《かぢ》まゐらせむとしたまふ。御|修法《ずほふ》、読経《どきやう》などもいとおどろおどうしう騒ぎたり。人の申すままに、さまざま聖《ひじり》だつ験者《げんざ》などの、をさをさ世にも聞こえず深き山に籠《こも》りたるなどをも、弟の君たちをつかはしつつ、尋ね、召すに、けにくく心づきなき山伏《やまぶし》どもなどもいと多く参る。わづらひたまふさまの、そこはかとなくものを心細く思ひて、音《ね》をのみ時々泣きたまふ。陰陽師《をむやうじ》なども、多くは、女の霊《りやう》とのみ占《うらな》ひ申しければ、さることもやと思せど、さらに物《もの》の怪《け》のあらはれ出で来るもなきに思ほしわづらひて、かかる隈々《くまぐま》をも尋ねたまふなりけり。

この聖も、丈《たけ》高やかに、まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどうしく陀羅尼《だらに》読むを、「いであな憎《にく》や。罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の声高きはいとけ恐ろしくて、いよいよ死ぬべくこそおぼゆれ」とて、やをらすべり出でて、この侍従と語らひたまふ。

大臣《おとど》は、さも知りたまはず、うちやすみたると人々して申させたまへば、さ思して、忍びやかにこの聖と物語したまふ。おとなびたまへれど、なほはなやぎたるところつきてもの笑ひしたまふ大臣の、かかる者どもと対《むか》ひゐて、このわづらひそめたまひしありさま、何ともなくうちたゆみつつ重《おも》りたまへること、「まことにこの物の怪あらはるべう念じたまへ」など、こまやかに語らひたまふもいとあはれなり。

「あれ聞きたまへ。何の罪とも思しよらぬに。占ひよりけむ女の霊《りやう》こそ、まことにさる御|執《しふ》の身にそひたるならば、厭《いと》はしき身をひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ。さてもおほけなき心ありて、さるまじき過《あやま》ちを引き出でて、人の御名をも立て、身をもかへり見ぬたぐひ、昔の世にもなくやはありける、と思ひなほすに、なほけはひわづらはしう、かの御心にかかる咎《とが》を知られたてまつりて、世にながらへむこともいとまばゆくおぼゆるは、げにことなる御|光《ひかり》なるべし。深き過ちもなきに、見あはせたてまつりし夕《ゆふべ》のほどより、やがてかき乱り、まどひそめにし魂《たましひ》の、身にも還《かへ》らずなりにしを、かの院の内にあくがれ歩《あり》かば、結びとどめたまへよ」など、いと弱げに、殻《から》のやうなるさまして泣きみ笑ひみ語らひたまふ。

宮も、ものをのみ恥づかしうつつまし、と思したるさまを語る。さてうちしめり、面痩《おもや》せたまへらむ御さまの、面影《おもかげ》に見たてまつる心地して思ひやられたまへば、げにあくがるらむ魂《たま》や行《ゆ》き通《かよ》ふらむなど、いとどしき心地も乱るれば、「今さらに、この御ことよ、かけても聞こえじ。この世は、かう、はかなくて過ぎぬるを、長き世の絆《ほだし》にもこそと思ふなむ、いといとほしき。心苦しき御事を、たひらかにとだにいかで聞きおいたてまつらむ。見し夢を、心ひとつに思ひあはせて、また語る人もなきが、いみじういぶせくもあるかな」など、とり集め思ひしみたまへるさまの深きを、かつはいとうたて恐ろしう思へど、あはれ、はた、え忍ばず、この人もいみじう泣く。

紙燭《しそく》召して御返り見たまへば、御手もなほいとはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、「心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推《お》しはかり。残らむ、とあるは、

立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙《けぶり》くらべに

後《おく》るべうやは」とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。

「いでや、この煙ばかりこそはこの世の思ひ出《いで》ならめ。はかなくもありけるかな」と、いとど泣きまさりたまひて、御返り、臥《ふ》しながらうち休みつつ書いたまふ。言の葉のつづきもなう、あやしき鳥の跡《あと》のやうにて、

「行《ゆ》く方《へ》なき空のけぶりとなりぬとも思ふあたりを立ちははなれじ

夕《ゆふべ》はわきてながめさせたまへ。咎《とが》めきこえさせたまはむ人目をも、今は心やすく思しなりて、かひなきあはれをだにも絶えずかけさせたまへ」など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、「よし。いたう更《ふ》けぬさきに、帰り参りたまひて、かく限りのさまになんとも聞こえたまへ。今さらに、人あやしと思ひあはせむを、わが世の後《のち》さへ思ふこそ苦しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかることしも心にしみけむ」と、泣く泣くゐざり入りたまひぬれば、例は、無期《むご》に対《むか》へ据《す》ゑて、すずろ言《ごと》をさへ言はせまほしうしたまふを、言少《ことずく》なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。

御ありさまを乳母《めのと》も語りていみじく泣きまどふ。大臣《おとど》などの思したる気色ぞいみじきや。「昨日今日《きのふけふ》すこしよろしかりつるを、などかいと弱げには見えたまふ」と騒ぎたまふ。「何か。なほとまりはべるまじきなめり」と聞こえたまひて、みづからも泣いたまふ。

現代語訳

どうしてこう、命を縮めるようなことをしでかしたのだろうと、目の前が真っ暗になるように思い悩んで、枕も浮くほど、自ら招いたことなので人に訴えようもなく涙を流し続けているが、すこし病状がよくなったといって、人々がおそばを立ち去られたすきに、そちら(女三の宮方)に御文をさしあげなさる。

(柏木)「今は最期ということになっております私のようすは、自然とお耳になさるようもございますでしょうが、どうなったのですかと、せめてそれだけでもお気をおとめくださいませんのも、当然とはいえ、ひどく残念でございますよ」など申し上げるが、ひどく手が震えてきたので、思うことも皆言い尽くさずに途中でやめてしまい、

(柏木)「いまはとて……

(これを最期と、私を焼く煙も燃えくすぶって、それでも絶えない思いだけが残るのでしょう)

せめて「可愛そう」とだけでもおっしゃってください。それによって心を安めて、みずから求めてさまよう闇路の光としましょう」と申し上げなさる。

侍従にも、懲りもせず、しみじみとした言葉の数々をお書き送りになる。(柏木)「私自身からも、もう一度言うべきことがある」とおっしゃるので、この人(侍従)も、童のころから、しかるべき縁で衛門督(柏木)のもとに参り通っては、いつも拝見していた者なので、衛門督の分不相応な心こそ疎ましくは存じ上げるものの、今が最期と聞くことはひどく悲しくて、泣く泣く、(小侍従)「やはり、この御返事はお書きあそばせ。本当に、これが最後ともなりましょうから」と申し上げると、(女三の宮)「私も、今日か明日かという気持ちでなんとなく心細いので、ひととおりの情だけは実感されるけれど、とても情けないことと思って懲りているので、ひどく気が引けることです」といって、少しもお書きにならない。

もともとのご気性が強く落ち着いていらっしゃるというわけではないが、こちらが気後れするほどおごそかな人(源氏)が、時々ご機嫌がお悪いのがひどく恐ろしく辛いようだ。それでも御硯などの用意をして、強いて書かせようとすると、しぶしぶお書きになられる。小侍従はその手紙をとって、こっそりと、宵にまぎれて衛門督のもとに参上した。

大臣(致仕の大臣)は、すぐれた行者を葛城山から招いていたのを、お迎えになられて、加持を行わせようとなさる。御修法、読経なども、とても仰々しく大騒ぎしている。人の申すにまかせて、いろいろと聖めいた修験者などで、めったに世にもその評判が聞こえず深い山に籠もっている者などをも、弟の君たちを遣わしては、尋ねて、召し出すので、なくなとく憎たらしく無愛想な山伏たちがまことに多く参る。衛門督のご病状は、どこが悪いというわけではないのだがもの心細く思って、時々は声を立ててお泣きになられる。陰陽師なども、多くは、女の霊とだけ占い申し上げるので、そういうこともあるかもしれないとお思いになられるが、まったく物の怪が現れ出ないので、どうしたものかと困り果てて、こうした人知れない山奥までも行者をお探しになられるのだった。

この聖も、背が高く、目つきがけわしく、荒々しく仰々しく陀羅尼を読むのを、(柏木)「さあひどく憎いことよ。罪深い身だからであろうか。陀羅尼の声の高いのは、ひどく恐ろしく感じられて、いよいよ死んでしまうように思われる」といって、そっと外にすべり出して、この侍従とご相談になられる。

大臣(致仕大臣)は、そのような事情はご存じでなく、衛門督が女房たちを介して「休んでいるところです」と申し上げなさっているので、そうなのだとお思いになられて、静かにこの聖とお話される。

お年を召されたとはいえ、今でもやはり華やいだところがあってよくお笑いになる大臣が、こうした卑しい者たちと対面して、衛門督がはじめに病にかかられたようすや、何の病ということもないまま、ぐずぐずと病状が重くなっていかれることについて、(致仕の大臣)「ほんとうに、物の怪が姿をあらわすよう祈祷してください」など、真剣にお頼みになられるのも、ひどく感慨深い。

(柏木)「あれをお聞きください。父大臣は私がどういう罪を犯したかもお思い寄りにもならないのですが、占いによる判断では女の霊ということで。実際にそんな強いご執着がわが身にとりついているなら、厭わしいわが身も一転して、尊いものになるかもしれませんね。いったい分不相応な心を抱いて、とんでもない過ちをしでかして、相手の悪い評判をも立て、わが身を顧みることもない例は、昔の世にもないわけではない、と思いなおしてみるのですが、それでもやはり何となく不安で、かの院(源氏)の御心にこうした咎を知られてしまったからには、この世で生きながらえることも面目ないことに思えるのは、まことに普通とは異なる「光源氏」の御光であるようです。私はそれほど深い過ちを犯したわけでもないのですが、目をお合わせ申し上げた夕べのあの時から、そのまま気分が悪くなって、さまよい出ていった魂が、体に戻ることもなってしまったのですが、かの六条院の中にさまよい歩くなら、紐を結んでその魂をお引き止めになってください」など、ひどく弱々しく、抜け殻のようなようすをして泣いたり笑ったり、小侍従にお語らいになる。

小侍従は、宮(女三の宮)も、何となく恥ずかしくて気が引ける、とお思いになっていらっしゃることを語る。その通り宮が沈み込んで、面痩せていらっしゃるだろう御様子を、衛門督は目の当たりに拝見する気持ちがして思いやられるので、なるほど、さまよい出た魂があちらに行き通うのだろうかなどと、ますます気持ちも乱れるので、(柏木)「今さら、この御ことは、けして申し上げまい。私の一生は、こんなふうにはかなく過ぎてしまったが、この思いが、長い後の世に往生することへの妨げともなろうと思うにつけ、実に悲しく思える。気がかりなあの御事(懐妊の事)を、せめて無事にすまされたとだけは、どうにかしてお聞きしておきたい。以前見たあの夢を、自分の心の中だけに思いあわせて、他に語る人もいないのが、ひどく気が晴れないことであるよ」など、さまざまの思いを集めて深く沈みこんでいらっしゃるのを、小侍従は、一方ではひどく嫌で恐ろしく思うが、やはり意地らしく思う気持ちを抑えることができず、この人(小侍従)も、たいそう泣くのである。

紙燭を召して宮からの御返事を御覧になると、御手跡もやはりひどくはかなげに、見事なまでにお書きになられていて、(女三の宮)「貴方のことをおいたわしく聞いてはおりますが、だからといって、私にできることがございましょうか。ただお察し申し上げるばかりです。お歌に『残らん』とあるのは、

立ちそひて……

(私も貴方を焼く煙といっしょに消えてしまいたいほどです。悲しさに思い乱れて煙は消え残るとおっしゃる貴方と同じくらい、私も苦しいのですから)

貴方に死に遅れるようなことがございましょうか」とだけ書いてあるのを、衛門督(柏木)は、しみじみ愛おしく、もったいないと思う。

(柏木)「さあ、この『煙』というお言葉だけが、この世に生きた思い出となろうよ。はかないことであるよ」と、いよいよ激しくお泣きになられて、御返事を、横になったまま休み休み、お書きになられる。文字のつづり方も、妙な鳥の足跡のようにおぼつかなくて、

(柏木)「行く方なき……

(行方も知らない空の煙となったとしても、私の魂は恋しいと思う貴女のまわりを離れないでしょうよ)

夕べにはとくに空をお眺めになってください。私のことをお咎めになられる院の御目も、今はご心配にならないで、今さらかいのないことですが、私に対する憐れみを、せめて、おかけください」など乱れ書くと、いっそう苦しい気持ちがつのったので、(柏木)「まあよい。ひどく夜が更ける前に、宮(女三の宮)のもとにお帰り参られて、このように私が死の間際であることも申し上げなさってください。今さら、世間の人が変に考えあわせるかもしれないと、私が死んだ後のことまでも心配しているのが心苦しいことで。どのような前世からの契りで、こうしたことが、ひどく心に染み付いたのだろうか」と、衛門督は、泣く泣くいざって部屋の中に入っていかれたので、いつもはずっと向かい合って小侍従を座らせて、とりとめもない話までもお聞きになろうとなさるのに、今はお言葉も少なくてと思うと、おいたわしくて、すぐに立ち去ることもできない。

乳母も、衛門督(柏木)のご容態を小侍従に語って、ひどくお泣きなさる。父大臣などのご心配されるご様子は大変なものだ。(致仕の大臣)「昨日今日はすこし体調がよくなっていたのに、どうしてひどく弱々しくお見えになるのだろう」とお騒ぎになられる。

(柏木)「いいえ、やはり現世にとどまっていることはできそうにありません」と申し上げなさって、ご自身もお泣きになる。

語句

■枕も浮きぬ 「涙川涙ながるめうき寝には夢もさだかに見えずぞありける」(古今・恋一 読人しらず)による。 ■隙ありとて 病が小康状態になったとき。 ■いかがなりぬる この期におよんで女三の宮から同情を引き出そうとする。 ■ことわりなれど 「理」をいうなら女三の宮に一切連絡しないまま死んでいくことこそが「理」であろう。柏木の甘ったれた価値観には嫌悪を抱かざるを得ない。 ■いみじうわななけば 衰弱して手が震える。 ■いまはとて… 「思ひ」に「火」をかける。自分が火葬にされた後もその火がくすぶって、貴女への思いを断ち切ることができないとする。参考「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」(小倉百人一首五十一番 藤原実方朝臣)。 ■あはれとだにのたまはせよ 柏木は密通する際にも「あはれ、とだにのたまはせば」(【若菜下 26】)。 ■まほならぬ それとなく密通事件のことをほのめかし女三の宮を雰囲気で追い詰めていくさま。 ■責めきこゆ 小侍従が女三の宮に強いて文を書かせる。 ■葛城山 修験道の霊地。 ■人の申すままに 真偽も確かめず周囲に言われるままに行者をまねく、致仕大臣のなりふり構わぬさま。 ■籠もりたるをも 有名で高名な僧を招くのはもちろん、そうでない怪しい民間僧まで招くの意。 ■そこはかとなく はっきりこの病気とわからないさま。 ■この聖 葛城山から招いた行者。 ■まぶしつべたましくて 語義未詳。「まぶし」は目、「つべたまし」は恐ろしいの意とする古注によりいちおう解釈しておく。 ■陀羅尼 真言密教におけるマントラ。サンスクリット語の章句のうちとくに長文のもの。 ■さも 柏木が小侍従と語らうことも。 ■人々して 柏木が女房たちに命じて父大臣に「柏木は休んでいる」と言わせる。 ■忍びやかに 病人の安静を妨げまいとして。 ■この聖 葛城山の聖。 ■かかる者どもと ふだんはこのようなみすぼらしい連中と対することは無い大臣が、わが子恋しさのゆえに真剣に頼み込んでいるさまが、あはれを誘うというのである。 ■何ともなくうちたゆみ 前の「そこはかとなく」と同様の容態。 ■あれ聞きたまへ 「あれ」は父大臣と行者との会話。柏木が小侍従に呼びかけている。 ■何の罪とも思しよらぬに 父大臣はご想像もつかないだろうが、私は密通の罪を犯したのだ、の気持ち。 ■占ひよりけん 前の陰陽師たちの判断についていう。 ■女の霊 女三の宮の生霊が想定されるが、柏木はなお信じられない。 ■御執 強い執着。「御」は女三の宮に対する敬意。 ■昔の世にも 『伊勢物語』にある在原業平と二条后藤原高子の密通を想定しているか。 ■まばゆくおぼゆる 最初の密会の後「世にあらむことこそまばゆくなりぬれ」(【若菜下 27】)とあり、その気持が繰り返し語られてきた。 ■げにことなる御光 「光源氏」の威光はなるほど、並々ではないの意。 ■深き過ちもなきに 柏木は女三の宮との密通を重罪にあたるとは思っていない(【同上】、【若菜下 33】)。 ■見あはせたてまつりし夕 久しぶりに六条院に召された時のこと(【若菜下 38】)。 ■魂の… 最初の密会のとき、「魂は、まことに身を離れてとまりぬる心地す」(【若菜下 26】)とあった。 ■結びとどめ 「思ひあまりいでにし魂のあるならむ夜ぶかく見えば魂結びせよ」(伊勢物語百十段)による。下着の紐を結ぶと魂がもとにもどると信じられていた。 ■ものをのみ恥づかしう… 前の「我も…つつましき」などの女三の宮の言葉を小侍従が柏木に伝える。 ■さてうちしめり 「さ」は「ものをのみ…さま」。 ■面影 女三の宮の姿が眼前にうかぶ。 ■げにあくがるらむ… 「まどひそめにし魂の…なりにし」を受ける。 ■この世 自分の人生と、女三の宮との関係をかける。 ■はかなくて 女三の宮との逢瀬が少なかったことをさす。 ■長き世の絆 女三の宮への執着が往生の妨げとなる、の意。 ■心苦しき御こと 女三の宮の懐妊。 ■たひらかにとだに 無事出産したという知らせをせめて生きているうちにそれだけを聞きたいの気持ち。 ■見し夢 女三の宮と密通の直後に見た猫の夢(【若菜下 26】)。 ■こよりに油をしみ込ませた灯火。 ■残らん 前の柏木の歌より。 ■立ちそひて… 貴方を焼く煙とともにわが身も消えてしまいたい。「煙くらべ」は貴方は思いが残って煙が消えないというが、私の苦悩も負けないくらいひどいのですよの気持ち。 ■この煙ばかり 宮からの「煙」の歌を一生の記念にしようの気持ち。 ■はかなくもありけるかな 前に「この世は、かう、はかなくて過ぎぬるを」とあった。 ■行く方なき… 女三の宮への強い執着をこめた歌。 ■人目 源氏の「目」を柏木はずっと怖れていた。 ■今は心やすく 自分の死後は源氏の目を恐れることもなかろう、の気持ち。 ■かひなきあはれ 死んだ後で憐れみをかけてもらってもかいのないことだが、それでも憐れみをかけてほしいの気持ち。 ■いかなる昔の契り 柏木は女三の宮との悲劇的な顛末を前世からの定めと見る。 ■乳母 柏木の乳母。小侍従の叔母。

朗読・解説:左大臣光永