【若菜上 06】朱雀院、女三の宮の身の振り方について延々と悩み続ける

「しか思ひたどるによりなむ。皇女《みこ》たちの世づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際《きは》といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、悔《くや》しげなることも、めざましき思ひもおのづからうちまじるわざなめれど、かつは心苦しく思ひ乱るるを、またさるべき人に立ち後《おく》れて、頼む蔭《かげ》どもに別れぬる後《のち》、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は人の心たひらかにて、世にゆるさるまじきほどのことをば、思ひ及ばぬものとならひたりけむ、今の世には、すきずきしく乱りがはしきことも、類にふれて聞こゆめりかし。昨日《きのふ》まで高き親の家にあがめられかしづかれし人のむすめの、今日はなほなほしく下れる際《きは》のすき者どもに名を立ち、あざむかれて、亡《な》き親の面《おもて》を伏せ、影を辱《は》づかしむるたぐひ多く聞こゆる、言ひもてゆけば、みな同じことなり。ほどほどにつけて、宿世《すくせ》などいふなることは知りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなん。すべてあしくもよくも、さるべき人の心にゆるしおきたるままにて世の中を過ぐすは、宿世宿世にて、後《のち》の世に衰《おとろ》へある時も、みづからの過《あやま》ちにはならず。あり経《へ》てこよなき幸ひあり、めやすきことになるをりは、かくてもあしからざりけりと見ゆれど、なほたちまちふとうち聞きつけたるほどは、親に知られず、さるべき人もゆるさぬに、心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはますことなき疵《きず》とおぼゆるわざなる。なほなほしきただ人の仲らひにてだに、あはつけく心づきなきことなり。みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを、思ふ心より外《ほか》に人にも見え、宿世のほど定められんなむ、いと軽々《かるがる》しく、身のもてなしありさま推《お》しはからるることなるを。あやしくものはかなき心ざまにやと見ゆめる御さまなるを、これかれの心にまかせてもてなしきこゆる、さやうなることの世に漏《も》り出でむこと、いとうきことなり」など、見棄てたてまつりたまはむ後《のち》の世をうしろめたげに思ひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしく思ひあへり。

「いますこしものをも思ひ知りたまふほどまで見過ぐさむとこそは、年ごろ念じつるを、深き本意《ほい》も遂《と》げずなりぬべき心地のするに思ひもよほされてなむ。かの六条の大殿《おとど》は、げに、さりともものの心えて、うしろやすき方《かた》はこよなかりなむを、方々《かたがた》にあまたものせらるべき人々を、知るべきにもあらずかし。とてもかくても人の心からなり。のどかに落ちゐて、おほかたの世の例《ためし》とも、うしろやすき方は並びなくものせらるる人なり。さらで、よろしかるべき人、誰《たれ》ばかりかはあらむ。兵部卿宮、人柄《ひとがら》はめやすしかし、同じき筋にて、他人《ことひと》とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、重き方おくれて、すこし軽《かろ》びたるおぼえや進みにたらむ。なほさる人はいと頼もしげなくなむある。また大納言の朝臣《あそむ》の、家司《いへづかさ》望むなる、さる方にものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたる際《きは》は、なほめざましくなむあるべき。昔も、かうやうなる選びには、何ごとも人に異なるおぼえあるに、事よりてこそありけれ。ただひとへにまたなく用ゐん方ばかりを、かしこきことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ。右衛門督《うゑもんのかみ》の下にわぶなるよし、尚侍《ないしのかみ》のものせられし、その人ばかりなむ、位などいますこしものめかしきほどになりなば、などかはとも思ひよりぬべきを、まだ年いと若くて、むげに軽《かろ》びたるほどなり。高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひあがれる気色人には抜けて、才《ざえ》などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末も頼もしけれど、なほまたこのためにと思ひはてむには限りぞあるや」と、よろづに思しわづらひたり。

かうやうにも思しよらぬ姉宮たちをば、かけても聞こえ悩ましたまふ人もなし。あやしく、内《うち》々にのたまはする御ささめき言《ごと》どもの、おのづから広ごりて、心を尽くす人々多かりけり。

現代語訳

(朱雀院)「私もそのように思い悩み続けているので…。皇女たちが誰かの妻になっているさまは、ひどく軽薄なようでもあり、また高い身分だといっても、女は男と結婚するにつけ、後悔したくなるようなことも、目を覆いたくなるような思いも、自然と出でくることであるようなので、一方では姫宮(女三の宮)を結婚させる事を心苦しく思い悩んでいるのだが、また一方ではしかるべき人々に先立たれて、頼みとしている人たちに別れた後、自分で決めて世の中を生きていこうとしても、昔は人の心がおだやかで、世にゆるされないような事は、思いつきもしない習いであったが、今の世には、好色で、みだらな事も、何かのかかわりで、耳に入ってくるようだ。昨日まで身分高い親の家であがめられ大切にされていた人の娘が、今日は世間並みの低い身分の好色な者どもとの浮名が立ち、もてあそばれて、亡き親の面目をつぶし、その影を辱める類の話が多く聞こえるが、結局は、結婚させるのも、独身で通させるのも、心配であることは変わらない。身分身分に応じて、前世からの宿縁などというということは知り難いことであるので、万事心配なのだ。すべて良くも悪くも、しかるべき人の指図のままに世の中を過ごすのは、それぞれの運命によって、後になって落ちぶれるような時も、本人の過失にはならない。先々になって、とても幸せになり、望ましいことになった折は、こうするのも悪くはなかったのだ、と見えるけれど、やはり、いきなりふと耳に入れた当座は、親に知られず、しかるべき後見人も許さないのに、自分の心ひとつにまかせてこっそりと関係を持つのは、女の身にはこの上ない疵《きず》と感じられることだ。そうした自分勝手な結婚の仕方は、それほどでもない臣下の身分の人の間でさえ、軽薄で感心しないことである。自らの心から離れて事がすすんでいいわけもないのに、心外な相手と結ばれて、前世から宿縁はこのていどであったかと人から値踏みされるのは、ひどく軽薄で、日頃の行いや心の持ちようまで推し量られることであるのに…。女宮(女三の宮)は妙にはかないご気性であろうかと見えるようなご様子であるのを、誰も彼も心にまかせて取り扱い申し上げているが、そうした女宮のはかない気性のことが世の噂にでもなったら、まことに辛いことである」など、ご自身が先立たれた後の世のことを心配そうに思い申されていると、乳母・女房たちは朱雀院のそうしたご心配を、いよいよ面倒なと思いあっている。

院は「もう少し宮(女三の宮)がものの分別がおできになるまで見届けようとばかり、長年我慢していたのだが、それでは深い念願も遂げずじまいになってしまいそうな気がするので、急かされてね。あの六条の大殿(源氏)は、なるほど、ああした人ではあるが、そうはいっても物の道理がわかっていて、安心できるという点では格別であろうから、あちこちに多くお住まいでいらっしゃるだろう人々を、気にする必要もないだろう。とにかく本人の心がけしだいなのだ。あの大殿は、のんびりと落ち着いた暮らしをしていらして、世間一般に対する模範としても、行く末が安心できるという点では、並びなくていらっしゃる方なのだ。ほかに、まあ悪くはないというような人は、誰あたりであろうか。兵部卿宮、これは人柄は無難だろう。同じ皇族であるから、他人のように見て貶してはいけないが、あまりになよなよして、気取っているので、重重しいということでは劣っており、すこし軽薄な感じが強いようだ。やはりそういう人はあまり頼もしげのないものだ。また大納言の朝臣が、こちらの家司として仕えたいと望んでいるそうだが、そうした方面のきまじめさはあるだろうが、これを婿とすることはさすがにどんなものだろうか。そのようなありふれた身分の者は、やはり心外であるだろう。昔も、こうした婿選びは、何ごとにおいても人と違う評判がある者に、結局は落ち着いたものであった。ただひたすらに唯一のものとして妻を大切にするという点だけを、とりえとして思い定めるには、ひどく物足りなく残念なことがあるだろう。右衛門督(柏木)が内々気をもんでいるということを、尚侍(朧月夜)が伝えてくれたが、あの人物だけは、位などがもうすこし人並み程度になったら、どうして婿として不足があろうと思うだろうが、まだ年がまことに若くて、ひどく軽々しい身分である。右衛門督は、高貴な方を嫁にほしいという気持ちが深くて、長く独身で過ごしながらも、まことに落ち着いて、気位の高い風流人の中ではずば抜けており、学才などもたいしたもので、行く行くは世の重鎮となるにちがいない人なので、将来も頼もしいが、やはりまたこの姫宮の婿として決めてしまうには、そこまでは達していないのだ」と、万事思い悩んでいらっしゃる。

このように院がご心配にならない他の姉宮たちに対しては、誰ひとり院のお耳を悩ませ申し上げなさる人もいない。不思議なことに、内々でお話なさった内緒話のあれこれが、自然と広がって、この女宮(女三の宮)に対して恋慕の気持ちを尽くす人々が多いのだった。

語句

■よりなん 下に「やはり結婚させようと考えている」の意を補って読む。 ■皇女たちの世づきたる… この時代、皇女は独身を貫くことが多かった。前も乳母の台詞に「皇女たちは、独りおはしますこそは例のこと」とあった(【若菜上 05】)。 ■さるべき人 親や兄弟などの後見人。 ■心を立てて みずからの意思で。主に独身を貫くことをいう。 ■世にゆるさるまじきほどの事 身分違いの懸想。臣下が皇女に懸想するなど。参考『伊勢物語』六十九段。 ■類にふれて 親類縁者をたどって。 ■みな同じことなり 結婚させるのも、独身を貫かせるのも。このあたりの朱雀院の独白は結論がみえず、結婚と独身の間をフラフラして、実に読みづらい。 ■さるべき人 親や兄弟など。 ■宿世宿世にて 幸不幸は人それぞれだろうがいずれにしても。 ■みづからの過ちにはならず つまり人生において結婚などの重要な判断は親にしたがつておけと。後々、その結婚が失敗に終わったとしても親の過失であって本人の過失にはならないから。 ■かくてもあしからざりけり 自分の判断で結婚したのは悪くはなかった。 ■なほなほしきだ人の仲らひにてだに 本人の心のままの結婚は。 ■みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを 「親の指示どおり結婚するのがよい」という主張と矛盾するようだが、本人の好き勝手にふるまった結果、かえって望まない相手と結ばれることを想定し、それを批判する。 ■思ふ心より外に人にも見え 以下、召使いなどの手引でつまらぬ相手と結婚する場合を想定。 ■身のもてなしありさま ふだんのふるまいや考え。 ■あやしくものはかなき心ざま 女三の宮は一種の知的障害なのだろう。それゆえ朱雀院の心配も並々でない。 ■これかれ 女三の宮を世話する乳母や女房たち。 ■わづらはしく 朱雀院の心配がいつ自分たちの世話ぶりに対する非難に転じるかわからぬのでビクビクしている。また乳母女房たちも、よくここまでくどくどねちねち鬱陶しく悩みつづけられるものと呆れているのだろう。 ■ものをも思ひ知りたまふほど 物の分別がおつきになるまで。女三の宮この時十三、四歳。 ■深き本意 出家の志。 ■思ひもよほされて 朱雀院は自分の寿命も長くないと察して焦っている。 ■げに 前の乳母の台詞「人の際々思しわきまへつつ、あり難き御心ざまにものしたまふなれど」(【若菜上 05】)を受ける。 ■ものの心えて 源氏はいくら愛妾を多く持っていても相互に波風が立たないように調整していけるだろうと、源氏の調整能力への期待。 ■人の心からなり 女三の宮の考え次第であると。ただし女三の宮にそのような思考力はない。朱雀院は都合の悪いことは考えまいとする。 ■兵部卿宮 螢兵部卿宮。源氏と朱雀院の異腹弟。 ■人柄 性格・身分など。前に源氏の兵部卿宮への評価として「人よりはこよなくものしたまふかな。容貌などはすぐれねど、用意気色などよしあり、愛敬づきたる君なり」(【螢 08】)とあった。 ■同じき筋 女三の宮も兵部卿宮も同じ皇族であることをいう。 ■他人とわきまへおとしむべきにはあらねど 朱雀院と兵部卿宮は異母兄弟。 ■あまりいたくなよびよしめく 前に「何ごとももの好みし、艶がりおはする親王」(【梅枝 08】)とあった。 ■大納言の朝臣 初出。朱雀院の別当。後に「別当大納言」とよばれている(【若菜上 10】)。 ■家司望む 女三の宮との結婚を望んでいることを暗に言った。「家司」は親王・摂関家・三位以上の家の業務を行う者。 ■さすがにいかにぞや 女三の宮の婿としては身分が低く不服だというのである。 ■おしなべたる際 大納言は身分が低いのだろう。また大納言風情では皇女の結婚相手としては釣り合わない。 ■昔も 皇女が臣下に降嫁した例として、『河海抄』は嵯峨天皇皇女源潔姫が藤原良房に、醍醐天皇皇女康子内親王が藤原師輔に嫁した例を引く。 ■またなく用ゐん方ばかりを… ひたすら妻を大切にするだけの愛妻家ではダメというのである。あれこれ条件を吊り上げさんざん人のダメ出しをしているが、女三の宮というハズレを押し付けられるほうはたまったものではない。 ■右衛門督 柏木が女三の宮に求婚している件は初出。 ■尚侍 朧月夜。柏木の母(右大臣家の四の君)の妹。 ■位などいますこし 柏木は参議兼右衛門督(正四位相当)。 ■などかは 下に「似げなからむ」などを補って読む。 ■年いと若くて 柏木二十三、四歳。世間的にはもう「若い」という年ではない。 ■思ひあがれる 気位の高い。よい意味。 ■限りあるぞや 女三の宮の婿としてはまだ基準に満たないというのである。 ■姉宮たち 女一の宮・女二の宮。女二の宮は後に柏木と結婚する。 ■心を尽くす 女三の宮に恋慕の思いをいだき、婿になろうとすること。ここまで朱雀院の悩み延々と長く、くどく、しつこく語られた。「はかない」わが子を誰に嫁がせるか、親としては当然の悩みであるが、物語の一節としては、あまりに冗長である。朱雀院が長い悩みを述べる間、物語の進行は完全にストップしている。「まとめてから喋れ」というほかない。

朗読・解説:左大臣光永