【若菜上 05】乳母、兄に源氏への仲介を依頼

この御後見どもの中に、重々しき御乳母のせうと、左中弁なる、かの院の親しき人にて年ごろ仕うまつるありけり。この宮にも心寄せことにてさぶらへば、参りたるに会ひて物語するついでに、「上《うへ》なむ、しかじか御気色《みけしき》ありて聞こえたまひしを、かの院に、をりあらば、漏《も》らしきこえさせたまへ。皇女《みこ》たちは、独りおはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心寄せたてまつり、何ごとにつけても御|後見《うしろみ》したまふ人あるは頼もしげなり。上をおきたてまつりて、また真心《まごころ》に思ひきこえたまふべき人もなければ、おのらは仕うまつるとても、何ばかりの宮仕《みやづかへ》にかあらむ。わが心ひとつにしもあらで、おのづから思ひの外《ほか》のこともおはしまし、軽々《かるがる》しき聞こえもあらむ時には、いかさまにかはわづらはしからむ。御覧ずる世に、ともかくもこの御事定まりたらば、仕うまつりよくなむあるべき。かしこき筋と聞こゆれど、女はいと宿世《すくせ》定めがたくおはしますものなれば、よろづに嘆かしく、かくあまたの御中に、とり分ききこえさせたまふにつけても、人のそねみあべかめるを、いかで塵《ちり》も据《す》ゑたてまつらじ」と語らふに、弁、「いかなるべき御ことにかあらむ。院は、あやしきまで御心ながく、仮にても見そめたまへる人は、御心とまりたるを、またさしも深からざりけるをも、方々《かたがた》につけて尋ねとりたまひつつ、あまた集《つど》へきこえたまへれど、やむごとなく思したるは、限りありて、一方なめれば、それに事よりて、かひなげなる住まひしたまふ方々《かたがた》こそは多かめるを、御|宿世《すくせ》ありて、もしさやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞こゆとも、立ち並びておし立ちたまふことはえあらじ、とこそは推《お》しはからるれど、なほいかがと憚らるることありてなむおぼゆる。さるは、この世の栄え、末の世に過ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬこともある、となん、常に内《うち》々のすさび言《ごと》にも思しのたまはすなる。げにおのれらが見たてまつるにもさなむおはします。方々につけて御|蔭《かげ》に隠したまへる人、みなその人ならず立ち下《くだ》れる際《きは》にはものしたまはねど、限りあるただ人どもにて、院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやはおはすめる。それに、同じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」と語らふを、乳母、また事のついでに、「しかじかなむ、なにがしの朝臣にほのめかしはべりしかば、かの院には必ず承《う》け引き申させたまひてむ、年ごろの御|本意《ほい》かなひて思しぬべきことなるを、こなたの御ゆるしまことにありぬべくは、伝へきこえむ、となむ申しはべりしを、いかなるべきことにかははべらむ。ほどほどにつけて、人の際々《きはぎは》思しわきまへつつ、あり難《がた》き御心ざまにものしたまふなれど、ただ人だに、またかかづらひ思ふ人立ち並びたることは、人の飽かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ。御後見望みたまふ人々はあまたものしたまふめり。よく思しめし定めてこそよくはべらめ。限りなき人と聞こゆれど、今の世のやうとては、みなほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたまひつべきもおはしますべかめるを、姫宮は、あさましくおぼつかなく心もとなくのみ見えさせたまふに、さぶらふ人々は、仕うまつる限りこそはべらめ。おほかたの御心おきてに従ひきこえて、さかしき下人《しもびと》もなびきさぶらふこそ、たよりあることにはべらめ。とりたてたる御後見ものしたまはざらむは、なほ心細きわざになむはべるべき」と聞こゆ。

現代語訳

この女宮(女三の宮)のお世話役の女房たちの中に、地位の高い御乳母の兄で、左中弁である人で、かの六条院(源氏)に親しい家臣として、長年お仕え申し上げている人があった。その人が、この女宮(女三の宮)にも、格別に心を寄せてお仕え申し上げているので、乳母は、この人が参上した時に会って話をするついでに、(乳母)「院(朱雀院)は、これこれのお心積りがあって仰せになられましたが、かの六条院(源氏)に、折があればお漏らし申し上げてください。皇女さま方は、独り身でいらっしゃることが世の常のことですが、さまざまなことにつけて心をお寄せ申し上げ、何ごとにつけてもお世話なさる人があることは頼もしそうなことです。件の姫宮(女三の宮)は、院(朱雀院)をおのぞき申し上げては、他に真心から思いをお寄せ申し上げる人もないのですから、私たちがお仕え申し上げているといっても、どれほどの宮仕えができましょうか。それに私の一存ではどうにもならず、自然と、思いもかけない間違いもおこってくるでしょうし、軽薄な世評でも立った時には、どんなにか面倒なことになりましょう。院が姫宮をご覧になっていらっしゃる間に、とにかくこの御ことが決まれば、私もお仕えしやすくなるに違いありません。畏れ多いお血筋と申し上げても、女はまことに運命を予測しがたくていらっしゃるのですから、万事において嘆かわしく、こうして多くの皇女方の御中に、院が格別に大切になさっていらっしゃることにつけても、人の妬みがあるでしょうから、どうにかして少しのけちもつかないようにして差し上げたいのです」と相談すると、弁、「これはどうしたらよいのでしょうか。六条院(源氏)は、不思議なまでにお気が長く、仮にもお見初めになった方には、御心をそそがれる方でも、またそれほどお気持ちが深くはない方でも、それぞれに応じて尋ねだして迎え取っては、多くの御方々を御邸にお集め申し上げていらっしゃいますが、それでも格別にお思いになっておられる方には限りがあって、お一方(紫の上)だけであるそうですから、そちらにだけ院のご愛顧がかたよって、生きがいもなさそうに暮らしていらっしゃる方々が多いようですが、もしご宿縁があって姫宮(女三の宮)が、六条院に迎えられなさることでもなれば、いくら大変な御方(紫の上)と申し上げても、まさか姫宮とご同列にお立ちになるられることはできないだろうと推測されますが、それでもやはり、どうだろうかと憚られることもあると思われます。そうはいっても、六条院は『私はこの世の栄えにおいては、末の世には過分なほどで、身に不満はないのだが、女の方面だけは、人から非難されもしたし、わが心としても物足りないことがある』といつも内輪の冗談にお思いになりそうおっしゃっているということです。実際私どもが拝見してもそのようでいらっしゃいます。六条院の庇護を受けていらっしゃる方々はそれぞれ、みなそうした人として釣り合ったご身分でいらっしゃいますが、それでも皆臣下の地位であるという点では限界があり、六条院の御ありさまと並ぶほどの世のほまれを備えた御方はいらっしゃいません。そこへ、同じことなら、ほんとうに姫君がお輿入れということになられたら、どれほどお似合いのご関係でございましょう」と語らうのを、乳母は、また事のついでに、(乳母)「これこれであると、なにがしの朝臣にそれとなく打診いたしましたが、『かの六条院(源氏)は必ずお引き受け申されるでしょう、長年のご念願がかなったとお喜びになるでしょうから、朱雀院の御ゆるしが本当に得られるなら、六条院にこの件をお伝え申し上げましょう』と申してございましたが、どうするべきでございましょうか。六条院は、その人に応じて、それぞれの身分をお考えわきまえなさっては、滅多にないお心遣いをなさるそうですが、ふつうの身分の者でさえ、自分のほかに夫の情けを受けている人が隣に並んでいることは、気に食わないことに思うようですし、姫宮ご降嫁ということになれば、心外な不愉快なことも起こってくるのではないでしょうか。姫宮のお世話をお望みになられる人々は多くいらっしゃることでしょうし。よくお考えになって、お決めになるのがようございましょう。限りなく高貴な御方と申し上げましても、今の世のありようとしては、皆思うままに、望ましいようにして、世の中を御心のままにお過ごしなれる方もいらっしゃるようですが、姫宮(女三の宮)は、驚くほどしっかりせず、心配だとばかりお見受けなされますので、お仕えする人々は、ご奉仕申し上げるにも限界がございますでしょう。御邸全体のご方針に従い申し上げて、しっかりした下々の者たちも言われるままにお仕えしていることこそが、頼りになることでございましょう。とり立てて御後見がいらっしゃらないのは、やはり心細いことでございますでしょう」と申しあげる。

語句

■重々しき御乳母 二三人いる中でとくに役割の重い乳母。 ■左中弁 太政官の官。左大弁の下。正五位上相当。 ■皇女たちは… 藤原時代は藤原氏の娘が天皇后となる一方、内親王は一生独身を通すことが多かった。 ■何ばかりの宮仕にかあらむ 大した働きができないの意。 ■わが心ひとつにしもあらで 乳母個人の考えで事が運べるわけではないから、おのづと不測の事態も起こってくるの意。 ■かは 「か」は疑問。「は」は強意。 ■御覧ずる世に 朱雀院が女三の宮を御覧になっている世に。朱雀院ご存命の間に、の意。 ■塵も据ゑたてまつらじ 「塵をだにすゑじとぞ思ふさきしより妹とわがぬる常夏の花」(古今・夏 躬恒)によるか。すこしのけちもつけられないようにしようの意。 ■いかなるべき御ことにか… 以下、弁の台詞は論旨が二転三転して非常に読みづらい。弁も判断に迷って結論を出しかねているのである。 ■御心とまりたる 紫の上・明石の君など。 ■さしも深からざりける 末摘花・花散里など。 ■事よりて 万事がそこにかたよって。紫の上に威光が集中するさま。 ■かひなげなる 末摘花・明石の君・花散里などのこと。 ■さやうに 女三の宮が六条院に迎えられることになれば。 ■おし立ちたまふことは いかに紫の上が源氏の愛を受けているからといって、皇女である女三の宮と対等に張り合うことはできまい、というのである。 ■なほいかが 弁は結論を出しかねている。 ■人のもどき 源氏が、女関係でだらしないと世間から非難されること。六条の御息所や朧月夜の件をいう。 ■限りあるただ人ども 臣下の身分ではおのずと限界がある。 ■たぐひたる御あはひ 源氏と女三の宮がお似合いであると。女三の宮降嫁によって六条院では騒動が起こるに決まっているのに無責任なことである。 ■となん申しはべりしを 乳母は弁が不安を表明したことなどは言わない。都合のいいところだけ話をつなぎあわせる。 ■めざましきこと たとえば紫の上が女三の宮に嫉妬してきつく当たるなどが想定される。前の朱雀院も「あまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも」と心配していた(【若菜上 04】)。 ■あるべかしくて 「あるべかし」は適当である。望ましい。 ■姫宮は 前も弁が「なほいかがと憚らるることありて」と心配していた。その具体的内容が示される。 ■さぶろふ人々は 乳母や女房たちがいかに熱心に仕えても女三の宮はフォローしきれないと。 ■おほかたの御心おきてに従ひて… 主人が家全体の方針を決め、下々の者はそれに従って女三の宮に奉仕するのが適切であろうというのである。 ■

朗読・解説:左大臣光永