【若菜上 04】柏木、東宮を促し猫を借り受ける

春宮《とうぐう》に参りたまひて、論《ろ》なう通ひたまへるところあらんかし、と目とどめて見たてまつるに、にほひやかになどはあらぬ御|容貌《かたち》なれど、さばかりの御ありさま、はた、いとことにて、あてになまめかしくおはします。

内裏《うち》の御猫の、あまた引き連れたりけるはらからどもの所どころに散《あか》れて、この宮にも参れるが、いとをかしげにて歩《あり》くを見るに、まづ思ひ出でらるれば、「六条院の姫宮の御方にはべる猫こそ、いと見えぬやうなる顔してをかしうはべしか。はつかになむ見たまへし」と啓《けい》したまへば、猫わざとらうたくせさせたまふ御心にて、くはしく問はせたまふ。

「唐猫《からねこ》の、ここのに違《たが》へるさましてなむはべりし。同じやうなるものなれど、心をかしく人馴れたるはあやしくなつかしきものになむはべる」など、ゆかしく思さるばかり聞こえなしたまふ。

聞こしめしおきて、桐壺の御方より伝へて聞こえさせたまひければ、まゐらせたまへり。「げに、いとうつくしげなる猫なりけり」と人々興ずるを、衛門督は、尋ねんと思したりきと御気色を見おきて、日ごろ経て参りたまへり。童《わらは》なりしより、朱雀院のとり分きて思し使はせたまひしかば、御山住《みやまず》みに後《おく》れきこえては、またこの宮にも親しう参り、心寄せきこえたり。御|琴《こと》など教へきこえたまふとて、「御猫どもあまた集《つど》ひはべりにけり。いづら、この見し人は」と尋ねて見つけたまへり。いとらうたくおぼえてかき撫《な》でてゐたり。宮も、「げにをかしきさましたりけり。心なむまだなつき難きは、見馴れぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫どもことに劣らずかし」とのたまへば、「これは、さるわきまへ心もをさをさはべらぬものなれど、その中にも心|賢《かしこ》きは、おのづから魂《たましひ》はべらむかし」など聞こえて、「まさるどもさぶらふめるを、これはしばし賜りあづからむ」と申したまふ。心の中《うち》に、あながちにをこがましく、かつはおぼゆ。

つひにこれを尋ねとりて、夜《よる》もあたり近く臥せたまふ。明けたてば、猫のかしづきをして、撫《な》で養ひたまふ。人げ遠かりし心もいとよく馴れて、ともすれば衣《きぬ》の裾《すそ》にまつはれ、寄り臥し、睦《むつ》るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたくながめて、端《はし》近く寄り臥したまへるに、来て、ねうねう、といとらうたげになけば、かき撫でて、うたてもすすむかな、とほほ笑まる。

「恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とてなく音なるらん

これも昔の契りにや」と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげになくを、懐《ふところ》に入れてながめゐたまへり。御達《ごたち》などは、「あやしくにはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」ととがめけり。宮より召すにもまゐらせず、とり籠《こ》めてこれを語らひたまふ。

現代語訳

衛門督は東宮に参上なさって、当然ながら東宮は、宮(女三の宮)と似ていらっしゃるところがあるだろうと、注意して拝見するにつけ、美しさがあふれている、などということではない御顔立ちだが、さすがにたいそうご立派なご様子で、また、世間の人とまったく違っていて、上品で、優美でいらっしゃる。

宮中の御猫が産んで、多くひき連れていた子猫たちが、あちこちに別々にもらわれていって、この東宮にも参っているのだが、その猫がたいそう可愛らしく歩くのを見るにつけ、まずあの唐猫のことが思い出されるので、(柏木)「六条院の姫君(女三の宮)の御方にございます猫は、まったく見ないような顔をして可愛らしゅうございましたよ。ほんの少し拝見しました」と申し上げなさると、東宮は、猫を格別に可愛く思われる御性分なので、くわしくお尋ねあそばす。

(柏木)「唐猫で、こちらさまの猫と違うようすをしてございました。猫はどれも同じようなものですが、気立てがよく人になついたのは、妙に可愛いものでございます」など、わざと東宮がご興味を抱かれるように申し上げなさる。

東宮は、これをお聞きになっておぼえておられて、桐壷の御方(明石の女御)から宮(女三の宮)にお伝え申し上げなさると、宮のもとから東宮へ、件の猫をお遣わしになられた。「ほんとうに、とても可愛らしい猫ですね」と女房たちが興じているところに、衛門督(柏木)は、「東宮はあの猫を探し出そうとのお考えでいらした」と、そのご様子を察知して、何日か経ってから東宮に参上なさった。

童であった頃から、朱雀院が格別に御心をおかけになり召し使っていらしたので、衛門督は、院が御山住みになられた後も、またこの東宮にも親しく参って、お仕え申し上げていたのである。御琴などを教え申し上げることにかこつけて、(柏木)「多くの御猫が集まってございますな。どこでしょう。私が見たあの人は」と、あたりを見回してお見つけになられた。たいそう可愛らしく思ってかき撫でている。宮(東宮)も、「本当に可愛らしいようすをしているね。むこうからはまだ懐いてくれないようなのは、見馴れない人がいるのをわかっているからだろうか。ここにいる猫たちも別段劣らないのだが」と仰せになると、(柏木)「猫というものは、そのように人を見分ける心はほとんどございませものですが、その中でも賢いのは、自然と魂がございますのでしょう」などと申し上げて、(柏木)「これより優れた猫がこちらさまには多くございますようですから、これはしばらく私がお預かりいたしましょう」と申し上げなさる。心の中では、ひどくばかげたことをしていると、一方では思う。

衛門督は、ついにこの猫を迎え取って、夜も御自身の御そば近くにお寝かせになる。夜が明けるやいなや、猫の世話をして、撫でて、大事にお育てになる。人に懐かなかった猫の性質もたいそうよく馴れて、どうかすると衣の裾にまとわりつき、すり寄って横になり、甘えるのを、本当に可愛らしいと思う。衛門督がたいそう物思いに沈んで、部屋の端近くで物に寄りかかって横になっていらっしゃると、来て、「にゅうにゅう」と、とても可愛らしく鳴くので、かき撫でて、「いやに急かすやつだな」と、つい苦笑がもれる。

(柏木)「恋ひわぶる……

(せつなく恋い慕うあの人の形見と思って手馴らしてみれば、お前、何といって鳴いているのか)

これも前世からの因縁だろうか」と猫の顔を見るたびにおっしゃっていると、いよいよ可愛らしく鳴く。それを懐に入れてぼんやり物思いにふけっておられる。女房たちなどは、「妙なことに猫が急に幅をきかせること。このようなものに今まで没頭なさるようなご性分ではなかったのに」と、不審がった。東宮から返すようご催促があってもお返し申し上げず、この猫を囲い込んで、お語らいになっていらっしゃる。

語句

■通ひたまへる 東宮と女三の宮は兄妹なので、当然顔立ちも似ているだろうの意。 ■にほひやかになどはあらぬ 源氏の「にほひやかにきよら」(【若菜上 38】)との比較。 ■さばかりの御ありさま 高貴な身分ならではの立派さ。 ■あてになまめかしく 女三の宮の「あてにらうたげ」(【若菜上 37】)と響きあう。 ■まづ思ひ出でらるれば 女三の宮を垣間見るきっかけとなった唐猫(【同上】)のことが。 ■くわしく問はせたまふ 柏木の目論見どおり、猫好きの東宮は興味をしめす。 ■ゆかしく思さるばかり 柏木の目論見は、猫好きの東宮を動かし女三の宮の猫を借り受けて、その養育を自分が引き受けること。 ■桐壷の御方より伝へて 東宮の意向を、桐壷女御(明石の女御)から女三の宮に伝えてもらった。柏木は女三の宮の猫を「盗み出す」ことが無理とわかると、東宮→桐壷女御→女三の宮の線で手に入れようとする。 ■げに 猫に対する柏木の評価が、女房たちの間に広まっていたため「げに」という。 ■思したりき 推量でなく断定している。柏木の強い意思、自信のあらわれ。 ■日ごろ経て 猫が東宮に届けられるまで、日数をやりすごしていた。 ■御琴など 柏木は琴の上手。 ■見し人は 柏木は猫を人間として見ている。女三の宮を重ね合わせてもいるため。 ■らうたくおぼえて 女三の宮を垣間見た時の「あてにらうたげ」(【同上】)と響き合う。 ■げにをかしきさましたりけり 前の柏木の「をかしうはべしか」を受けて「げに」と言う。 ■心なんまだなつき難きは 前の柏木の言葉「心ををかしく人馴れたる」を受ける。 ■魂 前の「わきまへ心」とほぼ同意。 ■まさるども 東宮は件の唐猫もよいがここにいる猫たちもよいと言う。柏木はその意見を持ち上げて、ならばこの猫は私が預かりましょうと話を持っていく。 ■かつはおぼゆ 女三の宮の猫をもらい受けるなどという計画に夢中になりながら、一方でそれをばかげたふるまいだと認識してもいる。 ■あたり近く 女三の宮のかわりとして「かたはらさびしき慰め」(【若菜下 02】)にする。 ■恋ひわぶる… 「恋ひわぶる人」は女三の宮。下の句の「な」音の繰り返しに切々たる想いが出る。 ■昔の契り 自分と女三の宮は前世からの宿命的な縁であると見る。 ■顔を見つつ 猫を女三の宮として見ている。 ■らうたげに 「らうたげ」は女三の宮を特徴づける語。 ■語らひたまふ 前に「思ふこと語らふべくはあらねど」(【若菜下 02】)とあったが、今や柏木は猫と本気で語らっている。

朗読・解説:左大臣光永