【若菜下 05】髭黒・玉鬘夫婦の仲 式部卿宮、真木柱の婿選びを考える

左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君をば、なほ昔のままに、うとからず思ひきこえたまへり。心ばへのかどかどしくけ近くおはする君にて、対面《たいめん》したまふ時々も、こまやかに隔《へだ》てたる気色なくもてなしたまへれば、大将も、淑景舎《しげいさ》などのうとうとしく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異《こと》なる御|睦《むつ》びにて、思ひかはしたまへり。

男君、今は、まして、かのはじめの北の方をももて離れはてて、並びなくもてかしづききこえたまふ。この御腹には、男君達《をとこきむだち》のかぎりなれば、さうざうしとて、かの真木柱《まきばしら》の姫君を得てかしづかまほしくしたまへど、祖父宮《おほぢみや》など、さらにゆるしたまはず、「この君をだに、人笑へならぬさまにて見む」と思しのたまふ。

親王《みこ》の御おぼえいとやむごとなく、内裏《うち》にも、この宮の御心寄せいとこよなくて、この事、と奏したまふことをばえ背きたまはず、心苦しきものに思ひきこえたまへり。おほかたも、いまめかしくおはする宮にて、この院、大殿にさしつぎたてまつりては、人も参り仕うまつり、世人《よひと》も重く思ひきこえけり。大将も、さる世の重しとなりたまふべき下形《したかた》なれば、姫君の御おぼえ、などてかは軽《かろ》くはあらむ。聞こえ出づる人々事にふれて多かれど、思しも定めず。衛門督を、さも気色ばまば、と思すべかめれど、猫には思ひおとしたてまつるにや、かけても思ひよらぬぞ口惜しかりける。母君の、あやしくなほひがめる人にて、世の常のありさまにもあらずもて消《け》ちたまへるを口惜しきものに思して、継母《ままはは》の御あたりをば、心つけてゆかしく思ひて、いまめきたる御心ざまにぞものしたまひける。

現代語訳

左大将殿(髭黒)の北の方(玉鬘)は、大殿(太政大臣)の君たちよりも、右大将の君(夕霧)を、今もやはり昔のままに、親しみ深いものと思い申されていた。北の方(玉鬘)はご気性に才気があり、それでいて親しみのもてる方であって、人と対面なさる時々も、こまごまと隔てをおくような様子もなくおもてなしなさるので、大将(夕霧)も、淑景舎(桐壷女御)などの他人行儀な御心具合が、あまりに近づきがたい感じなので、それとは様子が異なる気軽なご関係として、大将(夕霧)と北の方(玉鬘)とは、ご交際しておられた。

男君(髭黒)は、今は、以前にもまして、あの、最初の北の方をすっかり遠ざけてしまい、今の北の方(玉鬘)を、並びなく大事にしていらっしゃる。こちら(玉鬘)の御腹からお生まれになったのは男の君達だけなので、物さびしく感じて、あの真木柱の姫君を手に入れて大切に育てたいと、男君(髭黒)はお思いになるが、祖父の式部卿宮などは、まったくお許しにならない。(式部卿宮)「せめてこの姫君だけは、人の物笑いの種にならぬようにお育てしたい」とお思いになり、そうおっしゃる。

親王(式部卿宮)の世間からの御おぼえは大変なもので、帝にあらせられても、この式部卿宮へのご信頼はたいそう深く、宮が「この事」と奏上なさることには反対なさらず、お断りしてはお気の毒だとまでお思いあそばす。いったいに時流に敏感でいらっしゃる宮であるので、六条院(源氏)、大殿(太政大臣)に次いで、人々も参ってお仕えし、世間の人も重く存じ上げているのだった。大将(髭黒)も、しかるべき政界の重鎮とおなりになるべき候補者であるので、姫君(真木柱)の御声望も、どうして軽いことがあろうか。婿になろうと申し出る人々が何かにつけて多かったが、式部卿宮は、ご決めにはならない。衛門督(柏木)を、もしそうしたそぶりを見せれば、とお思いになっていらっしゃるようだが、御本人は、姫君は猫よりは劣るとお思い申し上げているのだろうか、少しもご興味をしめさないのが、残念なことであった。姫君(真木柱)は、実の母君が、今なお妙に偏屈な人で、世間並のようすでもなく、世間との交渉が絶えているのを、残念なものにお思いになって、むしろ継母(玉鬘)のおそばを、心から好ましいものに思って、今風の御気性でいらっしゃるのだった。

語句

■大殿の君たち 「大殿」は太政大臣。「君たち」は柏木はじめ玉鬘の実弟たち。 ■昔のままに 玉鬘は六条院で養育され、夕霧からは実姉と思われていた。その頃のままに。 ■かどかどしく 玉鬘を特徴ずける語。前も「かどめきたまへる人」(【若菜上 12】)とあった。 ■淑景舎 明石の女御。桐壷女御。実姉ながら他人行儀で近づきがたい感じが、玉鬘と対照的。 ■かの真木柱の姫君 真木柱は髭黒と前の北の方との間に生まれた娘。髭黒は真木柱を引き取ろうとするが、式部卿宮が許さなかった(【真木柱 25】)。 ■祖父宮 式部卿宮。髭黒の前の北の方の実父。紫の上の実父でもある。 ■この君をだに 式部卿宮は実娘が髭黒により恥を受けたので、せめて孫の真木柱だけは物笑いにならないようにと思っている。 ■親王 式部卿宮。 ■内裏にも 式部卿宮は冷泉帝の母方の叔父。 ■いまめかしく 時流に敏感で常に時の権力者に寄り添うの意。 ■大将 髭黒が将来の国家の重鎮として期待されていることは以前から語られている(【藤袴 06】)。 ■聞こえ出づる人々 真木柱に求婚する人々。 ■思しも定めず 式部卿宮は真木柱の結婚について考えがあり容易には決めない。 ■あやしくなほひがめる 真木柱の実母は神経の病がつづいている。「あやしう執念き御物の怪にわづらひたまひて、この年ごろ人にも似たまはず」(【真木柱 05】)。 ■継母の御あたり 真木柱は以前から継母玉鬘に憧れを抱いていた(【真木柱 25】)。

朗読・解説:左大臣光永