【若菜上 12】玉鬘、若菜を進上 源氏の四十の賀

年も返りぬ。朱雀院には、姫宮、六条院に移ろひたまはむ御いそぎをしたまふ。聞こえたまへる人々、いと口惜しく思し嘆く。内裏《うち》にも御心ばへありて聞こえたまひけるほどに、かかる御定めを聞こしめして、思しとまりにけり。

さるは、今年《ことし》ぞ四十《よそぢ》になりたまひければ、御|賀《が》のこと、おほやけにも聞こしめし過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを、事のわづらひ多くいかめしきことは、昔より好みたまはぬ御心にて、みな返《かへ》さひ申したまふ。

正月二十三日、子《ね》の日なるに、左大将殿の北の方、若菜まゐりたまふ。かねて気色も漏《も》らしたまはで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、え諫《いさ》め返しきこえたまはず。忍びたれど、さばかりの御|勢《いきほひ》ひなれば、渡りたまふ儀式など、いと響きことなり。

南の殿《おとど》の西の放出《はなちいで》に御座《おまし》よそふ。屏風《びやうぶ》、壁代《かべしろ》よりはじめ、新《あらた》しく払《はら》ひしつらはれたり。うるはしく倚子《いし》などは立てず、御|地敷《ぢしき》四十枚、御|褥《しとね》、脇息《けふそく》など、すべてその御|具《ぐ》ども、いときよらにせさせたまへり。螺鈿《らでん》の御厨子《みづし》二具《ふたよろひ》に、御|衣箱《ころもばこ》四つ据ゑて、夏冬の御|装束《さうぞく》、香壺《かうご》、薬の箱、御|硯《すずり》、柑坏《ゆするつき》、掻上《かかげ》の箱などやうのもの、内々きよらを尽くしたまへり。御|挿頭《かざし》の台には、沈《ぢん》、紫檀《したん》を作り、めづらしき文目《あやめ》を尽くし、同じき金《かね》をも、色使ひなしたる、心ばへありいまめかしく、尚侍《かむ》の君、もののみやび深くかどめきたまへる人にて、目馴れぬさまにしなしたまへり。おほかたの事をば、ことさらにことごとしからぬほどなり。

人々参りなどしたまひて、御座《おまし》に出でたまふとて、尚侍《かむ》の君に御|対面《たいめん》あり。御心の中《うち》には、いにしへ思し出つることども、さまざまなりけむかし。いと若くきよらにて、かく御|賀《が》などいふことは、ひが数《かぞ》へにやとおぼゆるさまの、なまめかしく人の親げなくおはしますを、めづらしくて、年月隔てて見たてまつりたまふは、いと恥づかしけれど、なほけざやかなる隔てもなくて、御物語聞こえかはしたまふ。幼き君もいとうつくしくてものしたまふ。尚侍《かむ》の君は、うちつづきても御覧ぜられじとのたまひけるを、大将の、かかるついでにだに御覧ぜさせむとて、二人《ふたり》同じやうに、振分髪《ふりわけがみ》の何心なき直衣姿《なほしすがた》どもにておはす。「過ぐる齢《よはひ》も、みづからの心にはことに思ひとがめられず、ただ昔ながらの若々しきありさまにて、改むることもなきを、かかる末々のもよほしになむ、なまはしたなきまで思ひ知らるるをりもはべりける。中納言のいつしかと儲《まう》けたなるを、ことごとしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。人よりことに数へとりたまひける今日の子《ね》の日こそ、なほうれたけれ。しばしは老を忘れてもはべるべきを」と聞こえたまふ。尚侍《かむ》の君も、いとよくねびまさり、ものものしき気《け》さへ添ひて、見るかひあるさましたまへり。

若葉《わかば》さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根をいのる今日かな

と、せめておとなび聞こえたまふ。沈《ぢん》の折敷《をしき》四つして、御若菜さまばかりまゐれり。御|土器《かはらけ》とりたまひて、

小松原|末《すゑ》のよはひに引かれてや野べの若菜も年をつむべき

など聞こえかはしたまひて、上達部あまた南の廂《ひさし》に着きたまふ。

式部卿宮は参りにくく思しけれど、御|消息《せうそこ》ありけるに、かく親しき御仲らひにて、心あるやうならむも便《びん》なくて、日たけてぞ渡りたまへる。大将の、したり顔にて、かかる御仲らひに、うけばりてものしたまふも、げに心やましげなるわざなめれど、御|孫《むまご》の君たちは、いづ方につけても、おり立ちて雑役《ざふやく》したまふ。籠物四十枝《こものよそえだ》、折櫃物四十《おりびつものよそぢ》、中納言をはじめたてまつりて、さるべきかぎり、とりつづきたまへり。御|土器《かはらけ》くだり、若菜の御|羹《あついもの》まゐる。御前には、沈《ぢん》の懸盤《かけばん》四つ、御坏《おほむつき》どもなつかしくいまめきたるほどにせられたり。

朱雀院の御薬のこと、なほ平《たひら》ぎはてたまはぬにより、楽人《がくにん》などは召さず。御笛など、太政大臣《おほきおとど》の、その方はととのへたまひて、「世の中に、この御賀より、まためづらしくきよら尽くすべき事あらじ」とのたまひて、すぐれたる音《ね》のかぎりを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。とりどりに奉る中に、和琴《わごん》は、かの大臣《おとど》の第一に秘したまひける御|琴《こと》なり。さる物の上手《じやうず》の、心をとどめて弾《ひ》き馴《な》らしたまへる音いと並びなきを、他人《ことひと》は掻きたてにくくしたまへば、衛門督のかたく辞《いな》ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。何ごとも、上手の嗣《つぎ》といひながら、かくしもえ継《つ》がぬわざぞかし、と心にくくあはれに人々思す。調べに従ひて跡《あと》ある手ども、定まれる唐土《もろこし》の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻《か》き合はせたるすが掻《が》きに、よろづの物の音調《ねととの》へられたるは、妙《たへ》におもしろく、あやしきまで響く。父大臣は、琴《こと》の緒《を》もいと緩《ゆる》に張りて、いたう下《くだ》して調べ、響き多く合はせてぞ掻《か》き鳴らしたまふ。これは、いとわららかに上《のぼ》る音《ね》の、なつかしく愛敬《あいぎやう》づきたるを、いとかうしもは聞こえざりしを、と親王《みこ》たちも驚きたまふ。琴《きん》は兵部卿宮弾きたまふ。この御|琴《こと》は、宜陽殿《ぎやうでん》の御|物《もの》にて、代《だい》々に第一の名ありし御|琴《こと》を、故院の末つ方、一品《いつぽん》の宮の好みたまふことにて賜はりたまへりけるを、このをりのきよらを尽くしたまはんとするため、大臣《おとど》の申し賜りたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔の事も恋しく思し出でらる。親王《みこ》も、酔泣《ゑひな》きえとどめたまはず、御気色とりたまひて、琴《きん》は御前《おまへ》に譲りきこえさせたまふ。もののあはれにえ過ぐしたまはで、めづらしき物|一《ひと》つばかり弾きたまふに、ことごとしからねど、限りなくおもしろき夜の御遊びなり。唱歌《さうが》の人々御階《みはし》に召して、すぐれたる声の限り出だして、返り声になる。夜の更《ふ》けゆくままに、物の調べどもなつかしく変りて、青柳《あをやぎ》遊びたまふほど、げにねぐらの鶯《うぐひす》おどろきぬべく、いみじくおもしろし。私事《わたくしごと》のさまにしなしたまひて、禄など、いと警策《きやうぞく》にまうけられたりけり。

暁《あかつき》に、尚侍《かむ》の君帰りたまふ。御|贈物《おくりもの》などありけり。「かう世を棄《す》つるやうにて明かし暮らすほどに、年月の行《ゆ》く方《へ》も知らず顔なるを、かう数へ知らせたまへるにつけては、心細くなむ。時々は、老《おい》やまさると見たまひくらべよかし。かく古めかしき身のところせさに、思ふに従ひて対面《たいめん》なきもいと口惜しくなむ」など聞こえたまひて、あはれにもをかしくも、思ひ出できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく急ぎ渡りたまふを、いと飽かず口惜しくぞ思されける。尚侍《かむ》の君も、実《まこと》の親をばさるべき契りばかりに思ひきこえたまひて、あり難くこまかなりし御心ばえを、年月にそへて、かく世に住みはてたまふにつけても、おろかならず思ひきこえたまひけり。

現代語訳

新しい年になった。朱雀院では、姫宮(女三の宮)が、六条院にお移りになるご準備をなさる。ご降嫁を申しあげておられた方々は、まことに残念で、思い嘆いていらっしゃる。帝も後宮に迎えようというお気持ちがあって入内のことを仰せ入れていらしたが、こうしたご決定をお聞きになり、お思いとどまられた。

そういえば、六条院(源氏)は、今年ちょうど四十におなりなので、御賀のことを、朝廷でもお聞き過ごしにならず、国を挙げての行事として、前々から評判であったのだが、六条院は、面倒事が多く仰々しい事は、昔からお好みにならないご気性なので、みなご辞退申しあげなさる。

正月二十三日、この日は子の日なので、左大将殿(髭黒)の北の方(玉鬘)が、六条院に若菜を献上なさる。前々からはそんなそぶりもお見せにならず、まことにひっそりと忍んでご準備しておられたので、急なことで、六条院(源氏)も、あれこれ言ってご辞退もおできにならない。お忍びとはいっても、女君(玉鬘)はあれほどのご権勢なので、おいでになる際の儀式など、まことにその評判は格別である。

南の御殿の西の放出《はなちいで》に六条院(源氏)の御座をしつらえる。屏風・壁代からはじめて、すっかり新しくものと取替えられた。格式ばって椅子など立てることはせず、御地敷四十枚、御褥、脇息など、すべて御賀のための御調度類を、まことにきれいさっぱりお調えさせになられた。螺鈿の御厨子二そろいに、御衣箱四つを据えて、夏冬の御装束、香壺《こうご》、薬の箱、御硯、柑坏《ゆするつき》、掻上《かかげ》の箱などといったようなものを、内々で綺羅を尽くしてお調えになられる。御挿頭の台は、沈・紫檀で作り、めずらしい模様を尽くして、同じ金具でも、色を使いこなしているのが、趣味があり今風に華やかで、尚侍の君(玉鬘)は、風雅の心深く才気のある方だから、見たこともないように仕上げられたのである。行事は大体においては、ことさら大げさにならぬ程度にしてある。人々が参りなどなさって、六条院が、御座においでになろうとしている時、尚侍の君(玉鬘)にご対面された。お二方とも、御心の中では、昔をお思い出されることの数々が、さまざまにおありであったろう。六条院(源氏)はまことに若く美しげで、このような御賀などということは、年の数え間違いではないかと思われるお姿で、優美で、人の親とも思えないさまでいらっしゃるのを、尚侍の君(玉鬘)は、お見事なことと、年月隔てて拝見なさるのは、まことに恥ずかしいけれど、そうはいっても露骨に他人行儀というわけでもなく、お互いにお話をなさる。幼い御子もまことに可愛らしくていらっしゃる。尚侍の君は、つづけて子を生んだのを院(六条院)にお目にかけたくないと大将(髭黒大将)におっしゃったのだが、大将は、せめてこうした機会にご覧に入れようということで、二人同じように、振分髪の、無邪気な直衣姿でいらっしゃる。

(源氏)「年をとっていくことも、自分自身の気持ちとしてはべつだん気にならず、ただ昔のままの子供っぽいようすで、改まることもないのだが、こうして孫たちができると、なんとなく居心地が悪いほどに年を取ったことを思い知らされる折もございますよ。中納言(夕霧)が早くも子をもうけたそうですが、ことごとしく思い隔てをして、まだ見せないのですよ。貴女が誰よりも私の年を数えてお祝いしてくださった今日の子の日こそ、かえって恨めしいですよ。もうしばらくは老を忘れてもいられましたのに」と申しあげなさる。尚侍の君(玉鬘)も、まことによくご成熟され、おごそかな雰囲気までも加わって、見るにかいあるご様子でいらっしゃる。

(玉鬘)若葉さす……

(若葉の生えてきた野辺の小松…二人の子をひきつれて、昔なじみの岩根…六条院の長寿を祈ることですよ)

と、強いて落ち着いたようすで申しあげなさる。沈の折敷を四つしつらえて、御若菜を形ばかりに召し上がる。院(源氏)は、お盃をお取りになられて、

(源氏)小松原……

(小松原たる孫たちの行く先長い齢にあやかって、野辺の若菜たる私も、長生きすることでしょう)

などお互いに言い交わしなさっていると、上達部が大勢、南の廂にご着席になられる。

式部卿宮は参りづらいとお思いになったが、お誘いがあったのに、こういう親しい御間柄で、心に分け隔てがあるように見えるのも具合が悪いので、日が高くなってからおいでになられた。大将(髭黒)が、とくい顔で、このような間柄なので、わが者顔にしていらっしゃるのも、院(源氏)としては、まことに気に食わないことではあるようだが、御孫の若君たちは、どちらにしても縁つづきなので、労をいとわず懸命に、雑用をつとめていらっしゃる。籠物四十枝、折櫃物四十、中納言(夕霧)をはじめ、しかるべき方々が、順々におさしあげになった。お盃が流れ、若菜の汁物を召し上がる。六条院(源氏)の御前には、沈の懸盤四つ、食器類も、好ましく、華やかな具合に、調えられていた。

朱雀院のご病気が、まだすっかり治ってはいらっしゃらないので、楽人などはお召しにならない。御笛など、太政大臣が、その方面はお調えになられて、(太政大臣)「世の中に、この御賀より、ほかに珍しく綺羅をつくすべき事はありません」とおっしゃって、すぐれた名手ばかりを、前もってご用意なさっておられたので、忍びやかに管弦のお遊びをなさる。それぞれ演奏なさる中に、和琴は、かの太政大臣が第一に秘蔵していらっしゃる御琴である。太政大臣ほどの名人が、しかも心をこめて弾き馴れていらっしゃる音が、まことに並ぶものなく素晴らしい楽器であるので、他の人はこれを弾きにがっていらっしゃるので、院(源氏)は、衛門督(柏木)がかたく辞退するのを強いてお弾かせになると、なるほどとても素晴らしく、ほとんど父太政大臣にも劣らないだろうというほどに弾く。何ごとも、名人の跡を継ぐものとはいえ、こうまで見事に継ぐことはとてもできないと、人々は、奥ゆかしく、しみじみと感じ入っていらつしゃる。

調べに従って習うべき定石がある曲目や、奏法が決まっている中国伝来の曲などは、かえって研究する方法もはっきりしているが、心にまかせて、ただ掻き合わせに弾くすが掻きに、さまざまな楽器の音が一つの調子に調えられていくのは、絶妙で、素晴らしく、優美なまでに響く。父大臣は、琴の緒もまことに緩やかに張って、ひどく落とした調子で弾き、余韻をゆたかに合わせて、掻き鳴らしなさる。こちら(柏木)は、ひどく陽気な上調子で、やさしく心惹かれる感じなので、実際ここまでの上手とは聞いたことがなかったと、親王たちも驚かれる。琴《きん》は、兵部卿宮がお弾きになる。この御琴は、宜陽殿におさめられている御物で、代々に第一の評判であった御琴を、故桐壺院の末ごろ、一品の宮がお好きな道であられたので、下賜されなさったのを、今回の宴において綺羅をお尽くしなさるために、太政大臣がお願い申して頂戴なさった、そのいきさつをお考えになるにつけ、院はしみじみ胸にせまって、昔の事も恋しくお思い出しになられる。兵部卿宮も、酔い泣きを止めることがおできにならない。宮(兵部卿宮)は院(源氏)のお気持ちをお察しになられて、琴《きん》を院の御前にお譲り申しあげなさる。院は、しみじみ胸にせまり、そのまま見過ごしにすることはおできにならず、めずらしい曲目を一つだけお弾きになると、大げさではないが、限りなく風情のある夜の御遊びである。唱歌の人々を御階《みはし》の下に召して、すばらしい声の限りを出して歌い、それが返り声になる。夜が更けゆくにつれて、さまざまな楽器の調べがやさしく変わって、青柳をお歌いになる時は、まさにねぐらの鶯も目を覚ましそうで、たいそう風情がある。今回の宴は私事の形になさって、人々への褒美などは、まことに立派なものをご用意になられるのだった。

夜明け前に、尚侍の君(玉鬘)はお帰りになる。院(源氏)から尚侍の君に御贈り物などがあった。(源氏)「こうして世を棄てたようにして明かし暮らしているうちに、年月の行方も知らないような有様なのですが、こうして年を数えて知らせてくださるにつけては、心細い気にもなります。時々は、お出ましくださって、以前より年老いたかとお見比べください。こうして年取った身の窮屈さで、思うままに人と逢うことができないのもまことに残念なことで」など申しあげなさって、しみじみ胸にせまるとも、情深いとも、お思い出しになられることが、ないわけでもないので、かえって、尚侍の君(玉鬘)が、ほんの少し顔を出されただけで、こんなに急いでお帰りになるのを、六条院(源氏)は、ひどく物足りなく、残念にお思いになるのだった。尚侍の君(玉鬘)も、実の親(太政大臣)のことはしかるべき血縁とだけ思い申しあげていらっしゃり、一方、六条院の、世にもめずらしく、こまやかな御心遣いを、年月がたつにつれて、こうして最終的には他人の妻となっていらっしゃることにつけても、並々ならずお慕い申しあげていらっしゃるのだった。

語句

■年も返りぬ 源氏四十歳。紫の上三十二歳。 ■人々 螢兵部卿宮、柏木、藤大納言など。 ■内裏 冷泉帝。 ■かかる御定め 女三の宮を源氏に降嫁させる決定。 ■御賀 四十の賀。年寿の祝賀。以後、十歳ごとに五十の賀、六十の賀…と行う(伊勢物語九十七段)。 ■おほやけにも 源氏の四十の賀は前年から冷泉帝が準備を進めていた(【藤裏葉 12】)。 ■正月二十三日 正月子の日に小松を引き若菜を摘み、長寿を祝う風習があった(小倉百人一首十五番)。 ■若菜 薊《あざみ》・苣《ちさ》・芹《せり》・蕨《わらび》・薺《なずな》・葵《あおい》・蓬《よもぎ》・水蓼《たで》・水寒《すいかん》・芝《しば》・菘《すずな》・若菜《わかな》の十二種。食べると若返るとされる。 ■かねて気色も漏らしたまはで 源氏が辞退しないように。 ■さばかりの御勢 玉鬘は准太上天皇たる源氏の養女であり、左大将の妻。 ■南の御殿の西の放出 六条院の寝殿の西側の放出。「放出」は寝殿の母屋の西側の部分か。 ■御座 源氏が座るところ。 ■壁代 母屋と廂の間を区切る幕。 ■御地敷 茣蓙《ござ》。 ■御褥 座布団。 ■その御具 御賀の調度品。 ■螺鈿 貝殻のかけらを埋め込んで飾りとしたもの。 ■厨子 調度類を入れる置き戸棚。 ■衣箱四つ 四十の賀だから四つ。 ■香壺 薫物の香を入れる壺。 ■薬の箱 長命のための薬を入れる。 ■柑坏 髪を洗う水を入れる容器。 ■掻上の箱 髪結い道具を入れる箱。 ■御挿頭の台 老いを隠すために髪に差す造花を載せる台。 ■沈 沈香。熱帯産の香木。 ■紫檀 インド原産の香木。赤みがかっている。 ■おほかたの事をば 玉鬘は源氏の好みを知っているので、行事の大方においては簡素にし、内々に工夫をこらした。 ■尚侍の君 女は御賀の席に加われないので別室にいる。源氏が部屋を出たところで顔合わせしたのである。 ■御心の中には 玉鬘は髭黒大将の妻となっているが、源氏はいまだ玉鬘に未練がある(【真木柱 22】)。 ■年月隔てて 玉鬘が結婚して二年目の対面である。 ■けざやかなる隔てもなくて 源氏は玉鬘の養父であるから簾越しでなく直接対面できる。 ■幼き君 髭黒大将と玉鬘の二人の子。上の子は二年前の十一月に生まれた(【真木柱 26】)。よってこの時点で上の子は数え年で三歳、下の子は二歳。「振分髪」に「直衣」は不審。 ■うちつづきても御覧ぜられじ 玉鬘は源氏に心惹かれながら結局髭黒の子を二人生んだ。それを源氏に対して露骨に示すのが恥ずかしい。 ■御覧ぜさせん 髭黒は結婚の成果である二人の子を源氏に見せて自慢したいのである。 ■振分髪 児童の髪型。頭髪を前髪真ん中から分けて垂らし、肩のあたりで切りそろえたもの。参考「くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」(『伊勢物語』二十三段)。 ■過ぐる齢も 参考「ゆく水とすぐるよはひと散る花といづれ待ててふことを聞くらむ」(伊勢物語五十段)。 ■末々のもよほし 孫たち。玉鬘の子らのこと。 ■中納言のいつしかと 夕霧と雲居雁の結婚は去年の四月。すでに子があることは不審。 ■人よりことに 玉鬘がまっさきに若菜を献上してくれた。それはありがたいことだが、かえって自分が年を取ったことを実感させられ、それが恨めしいという理屈。 ■尚侍の君も、いとよくねびまさり 玉鬘二十六歳。 ■若葉さす… 正月の子の日に小松を引き長寿を祈る風習をふまえる。「野辺の小松」は二人の子。「もとの岩根」は源氏。「ひき」は「小松」の縁語。 ■せめて 気恥ずかしいのを抑えて、あえて。 ■折敷 食器を載せる盆。 ■御若菜 若菜の羹《あつもの》など。 ■小松原… 「小松原」は玉鬘の子供。「野べの若菜」は源氏。「引く」は「小松」の縁語。「つむ」は「積む」と「摘む」をかける。 ■式部卿宮 紫の上の父。 ■参りにくく 玉鬘によって式部卿宮の娘は、髭黒と離縁するはめになった。だから式部卿宮は憎き玉鬘が主催する宴席に参加したくなかった。 ■御消息 源氏から招待があった。 ■かく親しき御仲らひ 源氏は式部卿宮の婿。須磨明石から帰京後、源氏は式部卿宮に対して冷淡であったが、式部卿宮の五十の賀を祝ったりもした(【少女 32】)。 ■日たけてぞ ぐずぐずして出発が遅れた。 ■かかる御仲らひ 源氏と髭黒は舅と婿の関係。 ■御孫の君たち 髭黒の前の北の方の子ら(【真木柱 14】)。 ■いづ方につけても この子らにとって髭黒は父、玉鬘は義母、紫の上は叔母にあたる。 ■籠物 籠の中に五菓(柑・橘・栗・柿・梨)を入れ、木の枝につけたもの。 ■四十枝 四十の賀に数をあわせた。 ■折櫃物 檜の板で作った器に、肴類をつめたもの。 ■懸盤 食膳。四脚の上に御敷をのせたもの。 ■御坏 飲食物を入れる容器。 ■御薬のこと 薬を用いること。病気。 ■楽人 専門の楽人。派手になるのを避けた。 ■笛 管楽器の総称。 ■太政大臣 玉鬘の実父。 ■和琴 太政大臣は和琴の名手(【少女 11】【常夏 03】)。 ■さる物の上手 太政大臣のような名人。「物の上手」で一語。 ■弾き馴したまひける 太政大臣がふだんから頻繁に弾いている琴。だから他の人は太政大臣より上手に弾けるはずがなく、とても手が出せないのである。 ■衛門督 太政大臣の長男。柏木。衛門府の長官。 ■げにいとおもしろく 「げに」は源氏が指名するだけあっての意。柏木は和琴の名手(【梅枝 03】【横笛 05】)。 ■跡 手本・型。 ■定まれる唐土の伝へ 楽譜に写して伝来したもの。だから楽譜どおりに演奏すればよいのである。 ■なかなか尋ね知るべき方あらはなる 定石がある曲や楽譜に写して伝わった曲は研究する手立てがあるので身につけるのは難しくないの意。 ■掻き合はせたる 「掻き合はす」は合奏する。 ■すが掻き 和琴の奏法の一つ。詳細不明。 ■よろづの物の音 「ただはかなき同じすが掻きの音に、よろづのものの音籠り通ひて、いふ方もなくこそ響きのぼれ」(【常夏 03】)。 ■わららかに 「笑らか」は陽気なさま。 ■琴 七弦琴。琴柱《ことじ》がない。 ■兵部卿宮 源氏の弟。螢兵部卿宮。諸芸に通じる風流人。 ■宜陽殿 宮中の殿舎の名。ここの納殿《おさめどの》に宮中の宝物を納める。 ■一品の宮 弘徽殿大后腹の女一の宮。 ■このをりの 今回の四十の賀の。 ■昔の琴 桐壺院在世中のこと。 ■親王も、酔泣きえとどめたまはず 絵合巻の宴の場面に「酔泣きにや、院の御事聞こえ出でて、みなうちしほれたまひぬ」(【絵合 10】)とあった。 ■御気色とりたまひて 源氏が昔の事を恋しく思い出しているのを察して。 ■めづらしき物一つ 源氏は「文才(学問)」の他は「琴弾かせたまふことなん一の才にて」(【同上】)とあった。 ■唱歌の人々 殿上人がつとめる。 ■返り声 曲調が律から呂へ、または呂から律へ変わること。 ■青柳 「青柳を、片糸によりて、や、おけや、鶯の、おけや、鶯の、縫ふといふ笠は、おけや、梅の花笠や」(催馬楽・青柳)(【胡蝶 01】)。 ■げに 「青柳」の歌詞のとおり。 ■私事のさまにしなして 公の儀式として行うと与えられる禄にも限界があるので、私事としてよりいっそう多く禄を与えられるようにした。 ■警策 人を驚かすほどりっぱですぐれていること。 ■暁 夜明け前の薄暗い時間帯。朝ぼらけ、朝《あした》とつづく。 ■かう数へ知らせたまへる 玉鬘が源氏の四十の賀を開催したこと。 ■心細くなん 老いが自覚されるので。 ■時々は 時々はご訪問くださいの意。 ■くらべよかし 時々訪問して、前回よりいっそう年老いているかと見比べてくださいの意。 ■かく古めかしき身のところせさ 源氏は准太上天皇という立場上、自由に宮中にも出入りできないし、玉鬘に思うままに会うこともできない。それが窮屈だと(【藤裏葉 12】)。 ■あはれにもをかしくも 源氏は玉鬘に恋慕の情を抱いていたし、今も未練がある(【胡蝶 03】【同 04】【同 06】【同 07】【螢 04】【常夏 02】【篝火 02】)。 ■なかなかにほのかにて 参考「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」(小倉百人一首五十七番 紫式部)。 ■急ぎ渡りたまふ 人妻ゆえ、長居できない。 ■実の親をばさるべき… 玉鬘は実の親である太政大臣よりも源氏に深い気持ちを抱いている。 ■世に住みはてたまふ 人妻として落ち着いたこと。

朗読・解説:左大臣光永