【藤裏葉 12】四十歳を前に、源氏、准太上天皇となる

明けむ年四十《よそぢ》になりたまふ、御賀のことを、朝廷《おほやけ》よりはじめたてまつりて、大きなる世のいそぎなり。

その秋、太上天皇《だいじやうてんわう》に准《なずら》ふ御位得たまうて、御封《みふ》加はり、年官年爵《つかさかうぶり》などみな添ひたまふ。かからでも、世の御心にかなはぬことなけれど、なほめづらしかりける昔の例《れい》を改めで、院司《ゐんじ》どもなどなり、さまことにいつくしうなり添ひたまへば、内裏《うち》に参りたまふべきこと難かるべきをぞ、かつは思しける。かくても、なほ飽かず帝は思して、世の中を憚りて位をえ譲りきこえぬことをなむ、朝夕《あさゆふ》の御嘆きぐさなりける。

現代語訳

翌年は大臣(源氏)は四十におなりである。御賀の事を、帝をはじめ申して、世の中は大いに準備をするのである。

その年の秋、大臣は太政天皇に准ずる御位におつきになって、御封が増え、年間年爵などみなお加わりになる。そうでなくても、すでに世にあることで御心のままにならないことはないのだが、やはり滅多にないことであった昔の例を改めることはせず、院に仕える役人たちなども任命され、そのご様子は格別に厳かさがお加わりになるので、今後は参内なさることも難しくなるだろうと、一方では残念にお思いになるのであった。これだけなさっても、帝はやはりまだご満足でなく、世間に遠慮して位をお譲り申し上げることができないのを、朝夕の嘆きの種としていらっしゃるのだった。

語句

■明けむ年四十 源氏は来年四十歳。老境に入る。 ■御賀 四十の賀。さらなる長寿を願う宴会。参考『伊勢物語』二十九段同九十七段。 ■太上天皇 上皇。退位した天皇。源氏は臣下なので天皇にも上皇にもなれないが、上皇並の待遇になるということ。 ■御封 食封《じきふ》。律令制で親王・大臣などに朝廷から与えられる民戸。租の半分、庸調の全部が取り分。 ■年官年爵 官位に叙任する権利。その叙任料が収入となる。 ■かからでも 准太上天皇にならずとも。 ■昔の例 昔の太上天皇の例。宇多上皇など。 ■院司 院(上皇)にまつわる事務を行う役人。それが源氏にもつくのである。 ■内裏に参りたまふべきこと難かるべきを 高い位についたので、これまでのように気軽に参内するわけにもいかない。参内するとなるとそれなりに威儀をととのえなくてはならなくなる。源氏にはそれが残念に思える。 ■位をえ譲りきこえぬことを 冷泉帝は源氏が実の父であることを知って、位を譲ろうと考えた(【薄雲 17】)。しかし世間を憚ってそれはできない。

朗読・解説:左大臣光永