【常夏 02】源氏、若君たちを引き連れ西の対を訪れ、玉鬘の反応を見る

黄昏時《たそかれどき》のおぼおぼしきに、同じ直衣《なほし》どもなれば、何ともわきまへられぬに、大臣、姫君を、「すこし、外《と》出でたまへ」とて、忍びて、「少将、侍従などゐて参《ま》うで来たり。いと翔《かけ》り来まほしげに思へるを、中将のいと実法《じほふ》の人にてゐて来《こ》ぬ、無心《むじん》なめりかし。この人々は、みな思ふ心なきならじ。なほなほしき際《きは》をだに、窓の内なるほどは、ほどに従ひて、ゆかしく思ふべかめるわざなれば、この家のおぼえ、内《うち》々のくだくだしきほどよりは、いと世に過ぎて、ことごとしくなむ言ひ思ひなすべかめる。方々《かたがた》ものすめれど、さすがに人のすき事言ひ寄らむにつきなしかし。かくてものしたまふは、いかでさやうならむ人の気色《けしき》の、深さ浅さをも見むなど、さうざうしきままに願ひ思ひしを、本意《ほい》なむかなふ心地しける」など、ささめきつつ聞こえたまふ。

御前《おまへ》に、乱れがはしき前栽《せんざい》なども植ゑさせたまはず、撫子《なでしこ》の色をととのへたる、唐《から》の、大和《やまと》の、籬《ませ》いとなつかしく結《ゆ》ひなして、咲き乱れたる夕映《ゆふば》えいみじく見ゆ。みな立ち寄りて心のままにも折り取らぬを飽かず思ひつつやすらふ。「有職《ゆうそく》どもなりな。心もちゐなども、とりどりにつけてこそめやすけれ。右の中将は、ましてすこししづまりて、心恥づかしき気《け》まさりたり。いかにぞや、おとづれきこゆや。はしたなくも、なさし放ちたまひそ」などのたまふ。中将の君は、かくよき中に、すぐれてをかしげになまめきたまへり。「中将を厭《いと》ひたまふこそ、大臣は本意なけれ。まじりものなく、きらきらしかめる中に、大君《おほきみ》だつ筋にて、かたくななりとにや」とのたまへば、「来まさばといふ人もはべりけるを」と聞こえたまふ。「いで、その御肴《みさかな》もてはやされんさまは願はしからず。ただ幼きどちの結《むす》びおきけん心も解けず、歳月《としつき》隔てたまふ心むけのつらきなり。まだ下臈《げらふ》なり、世の聞き耳|軽《かろ》しと思はれば、知らず顔にてここに委《まか》せたまへらむに、うしろめたくはありなましや」など、呻《うめ》きたまふ。さは、かかる御心の隔てある御仲なりけり、と聞きたまふにも、親に知られたてまつらむ事のいつとなきは、あはれにいぶせく思す。

現代語訳

黄昏時の薄暗い時分に、みな同じ直衣なので、誰が誰と区別もつかない中、源氏の大臣は、姫君(玉鬘)を、「すこし、外に出ていらっしゃい」といって、物陰でこっそりと、(源氏)「弁少将、藤侍従などを連れて参っております。まことにこちらに飛んできたそうにしているのを、中将(夕霧)が実にきまじめな人で、彼らを連れてこなかったのは、思いやりがないというものでしょう。この人々(弁少将・藤侍従ら)は、みな貴女に思いがおありなのです。つまらない身分の女に対してさえ、深い窓の内にいる間は、男はその女の程度に応じて、興味が惹かれるものでしょうから、ましてこの家の評判は、内々のごたごたしたものよりは、まったくそれ以上に、大げさに言ったり思ったりしているようです。御方々がいらっしゃるにしても、やはり人が色めいたことを言い寄る相手としては似つかわしくありません。こうして貴女(玉鬘)がいらっしゃるのは、どうにかしてそうした人たちの気持の、深さ浅さをも見ようなどと、私は退屈にまかせて願っていたのですが、その願いがかなう気がします」などと、ささやきつつ申し上げなさる。

お庭先に、ごたごたした植え込みなども植えさせなさらず、撫子の色をととのえたので、唐のや大和のを、垣根を実に上品に作って咲き乱れているのが夕暮れの光のなか際立っているのは、見事な景色である。君達はみな立ち寄って思いのままに折り取ることができないのを物足りなく思いながら、そこを立ち去らないでいる。

(源氏)「あれは学識ある人たちですよ。心遣いなども、それぞれに深くて、無難ですよ。右の中将(柏木)は、彼らよりもやや思慮深くで、こちらが気詰まりするほど人柄がすぐれています。いかがですか。お便りはございますか。相手に決まりの悪い思いをさせて、ほったらかしにしてはなりませんよ」などとおっしゃる。

中将の君は、こうしてすばらしい人が多くいらっしゃる中に、格別に心惹かれるご様子で、優美でいらっしゃる。(源氏)「中将をお厭いになられることは、内大臣の心外なところですよ。他の血がまじらず、まばゆいほどであろう一族(皇族)の中にあって、皇孫めいた血筋である中将を、だから偏屈だとでも内大臣は思っていらっしゃるのでしょうか」とおっしゃると、(玉鬘)「皇孫めいたといえば、それこそ『来まさば』という人もございますのに」と申し上げなさる。

(源氏)「さあどうでしょうか。その「御肴」でもって歓迎されるさまは、願い下げです。ただ幼い者同士が約束しあっていた気持も晴れないままに、内大臣が長い年月にわたって二人を引き離しているお心が恨めしいのです。まだ中将(夕霧)の身分が低い、世間の評判が軽いとお思いであれば、二人の関係については知らぬふりをして、こちらにまかせてくださったところで、何の心配なことがありましょうか」などと、呻くようにおっしゃる。さては、このように御心に隔てのある両大臣の御仲なのであるなと、お聞きになられるにつけても、親に知っていただくことがいつになるかわからないのは、たまらなくやるせないお気持ちになられる。

語句

■同じ直衣 二藍。紅花と藍で染めたもの。 ■外 母屋の外。廂の間。 ■実法 きまじめであること。 ■無心 思いやりがないこと。 ■窓の内なるほどは 「養ハレテ深閨ニ在リ人未ダ識ラズ」(長恨歌 白楽天)。 ■この家のおぼえ 六条院に対する世間の評判。 ■方々 秋好中宮、明石の姫君。 ■好き事言ひ寄らむにはつきなしかし 秋好中宮は身分が高すぎ、明石の姫君はまだ幼いので。 ■さやうならむ 「さ」は「すき事言ひ寄らむ」をさす。 ■本意なむかなふ 「かかるものありと、いかで人に知らせて…」(【玉鬘 15】)。 ■撫子の 「昔おぼゆる花橘、撫子、薔薇、くたになどやうの花くさぐさを植ゑて…」(【少女 33】)。 ■唐の大和の 撫子は大和撫子と観賞用の唐撫子がある(【帚木 08】)。 ■籬 垣根。植え込みを囲う柵。 ■夕映え 夕暮の光の中、物の形がはっきりと際立つこと。 ■みな立ち寄りて 「みな」は弁少将や藤侍従。 ■折り取らぬ 撫子を。玉鬘を暗示。 ■なさし放ちたまひそ 源氏は前々から玉鬘の手紙の返し方について指導している(【胡蝶 04】)。 ■中将を厭ひたまふ 内大臣が、夕霧と雲居雁の間を裂いたこと。 ■まじりものなく 源氏は元皇族であり、藤原氏よりも高貴であると見なされる。 ■来まさば 「わいへん(我が家)は、とばり帳(御帳台のカーテン)も、垂れたるを、大君きませ、婿にせむ、み肴に、何よけむ、あはび、さだをか、かせよけむ」(催馬楽・我家(わいへん))による。「さだをか」はさざえ。「かせ」はうに。女性器を暗示。玉鬘は源氏の「大君だつ」を受けて、催馬楽の前半だけを引用して、後半の卑猥な意味は無視した。「来まさばといふ人」は、大宮。内大臣は夕霧と雲居雁に反対していたが、大宮は乗り気だった。 ■御肴 前述の催馬楽の後半を受けて卑猥な意味をただよわせる。 ■幼きどちの結びおきけん心 【少女 10】。 ■歳月隔てたまふ 内大臣が夕霧と雲居雁の間を裂いてから三年が経過している。 ■下臈 当時、夕霧は、雲居雁の乳母から「六位宿世」といわれ官位が低いことをばかにされた(【少女 21】)。そのことを夕霧は今でも屈辱に思っている。 ■ここに委せたまへらむに 夕霧の官位は今に上がっていくから、こちらに任せてくれてもいいのにの意。 ■親に知られたてまつらむ事のいつとなき 玉鬘は、源氏の取りなしがなければ自分が内大臣に会うことは難しいと考えている。その源氏と内大臣が不仲となると、いよいよ内大臣に引き合われるのはいつになるかわからないと、玉鬘は悲観する。 

朗読・解説:左大臣光永

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