【少女 33】六条院の完成 四季の町それぞれの風情

八月にぞ、六条院造りはてて渡りたまふ。未申《ひつじさる》の町は、中宮の御|旧宮《ふるみや》なれば、やがておはしますべし。辰巳《たつみ》は、殿のおはすべき町なり。丑寅《うしとら》は、東《ひむがし》の院に住みたまふ対《たい》の御方、戌亥《いぬゐ》の町は、明石の御方と思しおきてさせたまへり。もとありける池山をも、便《びん》なき所なるをば崩しかへて、水のおもむき、山のおきてをあらためて、さまざまに、御方々の御願ひの心ばへを造らせたまへり。

南の東は山高く、春の花の木、数を尽くして植ゑ、池のさまおもしろくすぐれて、御前近き前栽《せんざい》、五葉《ごえふ》、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅《いはつつじ》などやうの、春のもてあそびをわざとは植ゑで、秋の前栽をばむらむらほのかにまぜたり。中宮の御町をば、もとの山に、紅葉の色濃かるべき植木どもをそへて、泉の水遠くすまし、遣水の音まさるべき厳《いはほ》たて加へ、滝落して、秋の野を遙《はる》かに作りたる、そのころにあひて、盛りに咲き乱れたり。嵯峨《さが》の大堰《おほゐ》のわたりの野山、むとくにけおされたる秋なり。北の東《ひむがし》は、涼しげなる泉ありて、夏の蔭《かげ》によれり。前近き前栽《せんざい》、呉竹《くれたけ》、下風《したかぜ》涼しかるべく、木《こ》高き森のやうなる木ども木《こ》深くおもしろく、山里めきて、卵花《うのはな》の垣根《かきね》ことさらにしわたして、昔おぼゆる花橘《はなたちばな》、撫子《なでしこ》、薔薇《さうび》、くたになどやうの花くさぐさを植ゑて、春秋の木草、その中にうちまぜたり。東面《ひむがしおもて》は、分けて馬場殿《むまばのおとど》つくり、埒《らち》結ひて、五月《さつき》の御遊び所にて、水のほとりに菖蒲《さうぶ》植ゑしげらせて、むかひに御廐《みまや》して、世になき上馬《じやうめ》どもをととのヘ立てさせたまへり。西の町は、北面《きたておもて》築《つ》きわけて、御倉町《みくらまち》なり。隔ての垣に松の木しげく、雪をもてあそばんたよりによせたり。冬のはじめの朝霜むすぶべき菊の籬《まがき》、我は顔なる柞原《ははそはら》、をさをさ名も知らぬ深山木《みやまぎ》どもの、木深きなどを移し植ゑたり。

現代語訳

八月に、六条院の造営が終わって、人々はそちらにお移りになる。西南の町は、梅壺中宮が御相続された御邸なので、そのままそこにお住まいになる。東南は、源氏の殿がお住まいになることになる町である。東北は、東の院にお住まいの対の御方(花散里)、西北の町は、明石の御方と思い定めていらっしゃる。もとからあった池や山も、不都合な所であるのを崩しかえて、水のおもむき、山のたたずまいを改めて、さまざまに御方々の御意向にそうような風情をお造りになられた。

東南の御邸は築山を高く築いて、春の花の木を、数を尽くして植え、池のようすはすばらしく風情があつて、御前近い植え込みには、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などといったような、春に鑑賞する草花ばかりを植えるのではなく、秋の草花の植え込みを一むらずつ、ほんの少しまぜている。

中宮(梅壺中宮)のお住まいは、もとからあった築山に、紅葉の色が濃くなるだろう多くの植木を添えて、きれいな泉の水を遠くに流し、遣水の音がさらによく響くだろう岩を立て加えて、滝を落として、秋の野のさまをはるか向うまで作っている、今がさまに秋なので、今を盛りと秋草が咲き乱れている。

嵯峨の大堰のあたりの野山も、まるで問題にならず気圧されるような秋の風情である。

北東のおすまいは、涼しげな泉があって、夏の木陰に重点が置かれている。庭前に近い植え込みには、呉竹を、葉末を吹き通る下風が涼しくなるように植えて、高い木が森のように重なり茂っていて風情があり、山里めいて、卯の花の垣根をわざわざ引き渡して、昔をしのばせる花橘、撫子、薔薇、くたになどといったようなさまざまな草を植えて、春秋の木草を、その中にまぜている。

その東面には、敷地の一部を割いて馬場殿をつくり、柵をめぐらして、五月の御遊び所にして、水のほとりに菖蒲を植え茂らせて、その対岸に廐を建てて、世にまたとない優れた多くの馬を調えておつなぎになる。

西北のお住まいは、北面の敷地を築地で区切り分けて、御倉を建て並べた町としてある。境となる垣根には松の木を茂らせ、雪を鑑賞するのに都合よくしてある。冬のはじめに朝霜がむすぶだろう菊の籬、わが者顔である柞原《ははそはら》、あまり名も知らない多くの深山木の、鬱蒼としているのなどを移し植えてある。

語句

■八月にぞ 昨年の秋の司召の後着工して、約一年で完成した。 ■未申 西南の一角。 ■中宮 梅壺中宮。母六条御息所から相続した御邸。 ■辰巳 東南の一角。源氏と紫の上が住む。 ■丑寅 東北の一角。花散里が住む。 ■戌亥 西北の一角。明石の君が住む。 ■水のおもむき 遣水の流れの風情。 ■山のおきて 築山のたたずまい。「おきて」は意識的な配置。 ■御方々 その町に入る女性。梅壺女御、紫の上、花散里、明石の君など。 ■南の東 東南の町。源氏と紫の上が住む。 ■春のもてあそび 春に鑑賞する草花。 ■わざとは植ゑで 春の草花だけを植えるのではなく。 ■中宮の御町 梅壺中宮の西南の区画。 ■そのころにあひて 八月は秋のさなか。 ■むとく 「無徳」。見るかいのないこと。 ■北の東 北東の区画。花散里のすまい。 ■よれり 「よる」はその方向に重点が置かれていること。特化していること。 ■呉竹 竹の一種。淡竹(はちく)。葉が細く節が多い。参考「くれ竹のかけひの水はかはれどもなほすみあかぬみやの中かな」(平家物語巻七・経政都落)。 ■卯花 うつぎの花。夏のもの。参考「卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて…」(おくのほそ道・白河の関)。 ■昔おぼゆる花橘 「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今・夏/伊勢物語六十段 読人しらず)。(【花散里 03】)。 ■くたに 詳細不明。 ■東面 東北の町の東面。 ■埒 柵。 ■西の町 西北の区画。明石の君がすむ。 ■築きわけて 築地を築いて敷地を区切る。 ■御倉町 倉が立ち並ぶ区画。 ■柞 ははそ。楢、槲(かしわ)などの別名。明石の君が「母」であることにもかけるか。

朗読・解説:左大臣光永

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