【少女 34】人々、六条院へ移る 紫の上と梅壺女御、春秋の争い 明石の君、遅れて六条院へ

彼岸《ひがん》のころほひ渡りたまふ。一たびに、と定めさせたまひしかど、騒がしきやうなりとて、中宮はすこし延べさせたまふ。例のおいらかに気色《けしき》ばまぬ花散里《はなちるさと》ぞ、その夜添ひて移ろひたまふ。春の御しつらひは、このころにあはねどいと心ことなり。御車十五、御前四位五位がちにて、六位殿上人などは、さるベき限りを選《え》らせたまへり。こちたきほどにはあらず。世の譏《そし》りもやと省きたまへれば、何ごともおどろおどろしういかめしきことはなし。いま一方《ひとかた》の御けしきも、をさをさ落したまはで、侍従《じじゆう》の君添ひて、そなたはもてかしづきたまへば、げにかうもあるべきことなりけりと見えたり。女房の曹司町《さうじまち》ども、あてあてのこまけぞ、おほかたの事よりもめでたかりける。

五六日過ぎて、中宮まかでさせたまふ。この御けしきはたさはいへどいとところせし。御幸ひのすぐれたまへりけるをばさるものにて、御ありさまの心にくく重りかにおはしませば、世に重く思はれたまへることすぐれてなんおはしましける。この町々の中の隔てには、塀《へい》ども廊《らう》などを、とかく行き通はして、け近くをかしき間にしなしたまへり。

九月《ながつき》になれば、紅葉むらむら色づきて、宮の御前《おまえ》えもいはずおもしろし。風うち吹きたる夕暮に、御箱の蓋《ふた》に、いろいろの花紅葉をこきまぜて、こなたに奉らせたまへり。大きやかなる童《わらは》の、濃き衵《あこめ》、紫苑の《しをん》織物重ねて、赤|朽葉《くちば》の羅《うすもの》の汗袗《かざみ》、いといたう馴れて、廊|渡殿《わたどの》の反橋《それはし》を渡りて参る。うるはしき儀式なれど、童のをかしきをなん、え思し棄てざりける。さる所にさぶらひ馴れたれば、もてなしありさま外のには好ましうをかし。御|消息《せうそこ》には、

こころから春まつ苑《その》はわがやどの紅葉を風のつてにだに見よ

若き人々、御使もてはやすさまどもをかし。御返りは、この御箱の蓋に苔敷き、厳などの心ばへして、五葉の枝に、

風に散る紅葉はかろし春のいろを岩ねの松にかけてこそ見め

この岩根の松も、こまかに見れば、えならぬつくりごとどもなりけり。かくとりあへず思ひよりたまへるゆゑゆゑしさなどを、をかしく御覧《ごらん》ず。御前なる人々もめであへり。大臣、「この紅葉《もみぢ》の御|消息《せうそこ》、いとねたげなめり。春の花盛りに、この御|答《いら》へは聞こえたまへ。このころ紅葉を言ひくたさむは、龍田姫《たつたひめ》の思はんこともあるを、さし退《しぞ》きて、花の蔭に立ち隠れてこそ、強き言《こと》は出で来《こ》め」と聞こえたまふも、いと若やかに尽きせぬ御ありさまの見どころ多かるに、いとど思ふやうなる御住まひにて、聞こえ通はしたまふ。

大堰《おほゐ》の御方は、かう方々の御うつろひ定まりて、数ならぬ人は、いつとなく紛らはさむと思して、神無月《かむなづき》になん渡りたまひける。御しつらひ、事のありさま劣らずして、渡したてまつりたまふ。姫君の御ためを思せば、おほかたの作法《さはふ》も、けぢめこよなからず、いとものものしくもてなさせたまへり。

現代語訳

秋の彼岸の頃に六条院にお移りになる。いっせいに移るようにと、お決めになっていらしたが、騒がしいようであるということで、中宮はすこしお先延ばしになられる。

例によっておおらかで気取らない花散里だけが、その夜、対の君(紫の上)に付き添ってお移りになる。

春の御設けは、今の季節にはあはないが、たいそう格別な趣向である。御車十五、御先駆は四位、五位が多く、六位殿上人などは、しかるべき者だけをお選びになっている。

大げさというほどの人数ではない。世間の非難もあるのではと気を遣って、簡素になさったので、何事も仰々しくいかめしいことはない。

もう一方(花散里)の御ようすも、対の上(紫の上)にほとんど劣らず、侍従の君(夕霧)が付き添って、そちらに対してはお世話申し上げるので、まことにこうあるべきことであったのだと、思われた。

女房たちの曹司とする区画も、誰をどこにという細かな割当も、他の何事にもまさってすばらしく思えるのだった。

五六日過ぎて、中宮が宮中から六条院へお下がりになる。この御ようすもまた、簡素にということだったが、盛大なものである。この中宮はご幸運のすぐれていらっしゃることはもちろん、御人柄が奥ゆかしく重々しくていらっしゃるので、世間からひときわすぐれて重く思われていらっしゃるのであった。この町々の境の隔てには、数々の塀や廊などを、いろいろと行き通わして、御方々を親しく好ましい交際ができるようにしていらっしゃる。

九月になれば、紅葉があちらこちら色づいて、中宮の町の庭前はなんとも言えず風情が出てくる。風がさっと吹いた夕暮に、御箱の蓋に、いろいろの花・紅葉をまぜあわせて、こちら(春の町)に差し上げなさる。大柄な女童で、濃い衵に、紫苑の織物を重ね着して、赤朽葉の羅《うすもの》の汗袗を着ているのが、たいそう慣れた物腰で、廊や渡殿の反橋を渡って、こちらへ参る。形式の決まった作法ではあるが、中宮はこの可愛らしい女童を使うことを、捨て難く思われたのだった。しかるべき場所にお仕い馴れていたので、物腰やたたずまいは他の者とは比べようもなく好ましく風情がある。中宮からのお手紙には、

(中宮)こころから…

(ご自身の好みで春を待っているそちらの苑では、今は所在ないでしょうから、せめてわが宿の紅葉を風のたよりにご覧ください)

若い女房たちが、御使をもてはやすようすはたいそうなものだ。お返事は、この御箱の蓋に苔を敷いて、巌などの趣向をこらして、五葉の松の枝に、

(紫の上)風に散る…

(風に散る紅葉など軽いものです。春の色を岩根の松にかけてご覧ください)

この岩根の松も、よく見れば、なんともいえず精巧にこしらえた作り物であったのだ。このようにその場で思いつかれた才覚のさまなどを、中宮はおもしろいとご覧になる。御前にお仕えしている女房たちも褒めあっている。

源氏の大臣は、「この紅葉のお手紙には、たいそうしてやられたようですね。春の花盛りに、この御返事は申しあげなさい。今の季節に紅葉を言いけなすのは、龍田姫が「けしからん」と思うこともあるでしょうから、ここは譲って、春になってから、花の蔭に立ち隠れてこそ、強い言葉も出てくるというものでしょう」と申されるのも、たいそう若々しく、魅力の尽きないご様子で、見どころが多い上に、ここ六条院はまことに理想的な御住まいで、御方々はお互いに連絡を取り合っておられる。

大堰の御方(明石の君)は、こうして御方々のご移転がすんでから、人数にも入らない私などは、いつとなくこっそり移ろうとお思いになって、十月にお移りになった。お住まいの御設け、移転のご様子も他の御方々に劣らず、お移し申しあげなさる。姫君の御ためをお思いになると、源氏の君は、万事の作法も、他の御方々と区別を大きくはつけず、たいそう重々しくお扱いになったのである。

語句

■彼岸のころほひ 彼岸会は旧暦の二月と八月にあるが、これは八月のほう。八月十日前後の七日間。 ■渡りたまふ 二条院から六条院へ。 ■一たびに 御方々いっせいに彼岸のうちに。 ■中宮 梅壺中宮。 ■春の御しつらひ 源氏と紫の上のすまいとなる春の町。六条院東南。 ■御前 先駆の者。ここでは従者一般。 ■こちたき 「言痛し」は大げさである。ぎょうぎょうしい。 ■世の譏りもや 下に「あらむ」を補う。 ■侍従の君 夕霧。源氏の息子。花散里に後見されている。 ■げにかうもあるべきことなり 文意不明。夕霧の花散里へのかしづきぶりを言う説、花散里の夕霧からのかしづかれぶりを言う説、源氏が夕霧に花散里をかしづかせた采配を言う説などがある。 ■曹司 女房の住む局が集まった区画。 ■あてあてのこまけ 誰をどこにという細かな割り当て。「こまけ」は細かく分けること。 ■中宮まかでさせたまふ 宮中から六条院西南の町へ。 ■さはいへど 簡素にしたといっても。 ■ところせし 盛大なさま。 ■御幸 中宮として女性として最高位に上った幸運。 ■御ありさま 御人柄。全体的な人物の印象。 ■この町々の 六条院の四つの町。 ■とかく行き通わして 源氏は四つの町の通行を便利にて、女性たちが相互に仲良く、円満な関係を保てるよう配慮したのである。 ■宮の御前 梅壺中宮の秋の町。六条院西南。 ■御箱の蓋 ものを贈るときに箱の蓋を盆のようにして用いる。 ■こきまぜて 「こきまぜる」は混ぜ合わせる。入り混じらせる。参考「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(古今・春上 素性法師)。 ■濃き衵 濃い紫の衵。衵は童女の着る着物。 ■紫苑 表が紫で裏が青。ほか諸説。 ■織物 模様を織り込んだ絹織。 ■赤朽葉 朽葉(赤みのかかった黄色)のさらに赤よりの色。 ■汗袗 童女が着るうすものの衣服。 ■廊 屋根のある渡り廊下。 ■渡殿 建物をつなぐ廊下。 ■童のをかしき 普通は成人した女房を使者に立てる。 ■さる所に 中宮のおそばで高貴な場所にも出入りし馴れているのである。 ■こころから… 「心から」は心のせいで。自らの好みで。「風のつて」は風の便り。童女のはこぶ文をそう言ったもの。 ■若き人々 紫の上方の若い女房たち。 ■風に散る… 中宮の歌と紫の上の歌で春秋優劣論となっている。春秋優劣論は『万葉集』の額田王の歌などが有名。「かろし」は軽薄で底が浅い。「春のいろ」は苔や五葉の松の緑。「岩ね」は普遍的で永遠なるもののたとえ。「かけて」は託して。 ■ねたげなめり 「ねたげ」はうまくしてやられた感じ。 ■龍田姫 秋の女神。奈良の龍田山にあって紅葉を織りなす。参考「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」(小倉百人一首十七番 在原業平朝臣)。 ■花の蔭に立ち隠れて 春の花を楯に取ってその蔭に隠れて。 ■強い言は出で来め 後に実現される(【胡蝶 02】)。 ■聞こえ通はしたまふ 紫の上、秋好中宮、花散里といった御方々は連絡を交わし合う。 ■数ならぬ人 人数にも入らない人。明石の君の卑下表現で多用される。 ■事のありさま 移転の折の万事の物事の進行。 ■姫君 明石の姫君。母の身分が低いからといって軽んじられないため、源氏は母明石の君にも格式をつけようとするのである。

朗読・解説:左大臣光永

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