【玉鬘 01】源氏と右近、夕顔を追慕

原文

年月|隔《へだ》たりぬれど、飽《あ》かざりし夕顔《ゆふがほ》を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、あらましかばと、あはれに口惜しくのみ思し出づ。右近《うこん》は、何《なに》の人数《ひとかず》ならねど、なほその形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨《すま》の御移ろひのほどに、対《たい》の上《うへ》の御方《おほむかた》に、みな人々聞こえわたしたまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに女君《をむなぎみ》も思したれど、心の中《うち》には、「故君《こぎみ》ものしたまはましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落しあぶさず取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列《つら》にこそあらざらめ、この御|殿移《とのうつ》りの数の中にはまじらひたまひなまし」と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。

現代語訳

あれから長い年月が経ってしまったけれど、どこまでも想いの尽きない夕顔を、源氏の君は、少しもお忘れにならず、さまざまなご性格の女君たちのご様子を、数多くご覧になるにつけても、夕顔が生きていたらと、しみじみいとおしく、残念にばかりお思い出しになる。

右近は、何ということもない者だが、それでもやはり夕顔の形見とご覧になって、愛しいものとお思いになっていらっしゃるので、右近は、長年二条院の女房たちの数に入ってお仕えしている。

須磨への御移りの時に、対の上の御方(紫の上)に、女房たちを皆おまかせになられた時以来、そちらにお仕えしている。気立てがよく控えめな者と女君(紫の上)もお思いであったが、右近の心の中には、(右近)「故姫君(夕顔)がご存命でいらしたら、明石の御方ていどのおぼえにはお劣りなさることはなかったろうに。源氏の君は、それほど深く御心を寄せてもいらっしゃらなかった方でさえ、落ちぶれさせることなく、きちんと形をつけておあげになられる、いつまでも変わらぬ御心でいらっしゃったのだから、まして、姫君(夕顔)には、あれほど御心を寄せていらしたのだから、ご立派な御方々と同列というわけにはいかぬとしても、今回のお引っ越しの人数の中にはきっと入っていたであろうに」と思うにつけ、悲しさがこみ上げる

語句

■年月隔たりぬれど 夕顔巻より。夕顔が死去したのは源氏十七歳の八月。現在まで十七年が経過。 ■飽かざりし どこまでも愛情が尽きない。 ■つゆ忘れたまはず 夕顔の縁で「つゆ」という。 ■右近 夕顔の乳母子で侍女。 ■その形見 夕顔のことを思い出す種。 ■古人の数に 「古人」は二条院に昔からお仕えしている女房。 ■須磨の御移ろひのほどに… 「さぶらふ人々よりはじめ、よろづのこと、みな西の対に聞こえわたしたまふ」(【須磨 05】)。 ■かいひそめたる 「掻い潜む」はひっそりと静まっていること。ここでは控えめな性格をいう。 ■明石の御方ばかりの… 夕顔の父は三位中将。明石の君の父入道は受領。夕顔のほうが明石の君より血筋はよい。 ■あぶさず 「あぶす」は落ちぶれさせる。 ■やむごとなき列 紫の上と秋好中宮は、皇族出身。

朗読・解説:左大臣光永

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