【玉鬘 15】源氏、玉鬘を訪れ、その好ましき有様に満足 世話をしたい意欲を紫の上に語る

その夜《よ》、やがて、大臣の君渡りたまへり。昔、光る源氏などいふ御名は聞きわたりたてまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油《おほとなぶら》に、御几帳《みきちやう》の綻《ほころ》びより、はつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞおぼゆるや。渡りたまふ方《かた》の戸を、右近かい放てば、「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ」と笑ひたまひて、廂《ひさし》なる御座《おまし》についゐたまひて、「灯《ひ》こそいと懸想《けさう》びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け、さも思さぬか」とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ、側《そば》みておはする様体《やうだい》など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、「いますこし光見せむや。あまり心にくし」とのたまへば、右近かかげてすこし寄す。「面《おも》なの人や」とすこし笑ひたまふ。げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも他人《ことひと》と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、「年ごろ御行《ゆ》く方《へ》を知らで、心にかけぬ隙《ひま》なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ、聞こえられざりける」とて、御目おし拭《のご》ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。御年のほど数へたまひて、「親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじものを、契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく若びたまふべき御ほどにもあらじを、年ごろの御物語なども、聞こえまほしきに、などかおぼつかなくは」と恨みたまふに、聞こえむこともなく恥づかしければ、「脚《あし》立たず沈みそめはべりにける後《のち》、何ごともあるかなきかになむ」と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人《むかしびと》にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、「沈みたまへりけるを。あはれとも、今はまた誰かは」とて、心ばへ言ふかひなくはあらぬ御|答《いら》へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。

めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。「さる山がつの中に年経たれば、いかにいとほしげならんと侮《あなづ》りしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかるものありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》などの、この籬《まがき》の内《うち》好ましうしたまふ心乱りにしがな。すき者どもの、いとうるはしだちてのみこのわたりに見ゆるも、かかるもののくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬ人の気色見あつめむ」とのたまへば、「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」とのたまふ。「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心《むじん》にしなしてしわざぞかし」とて、笑ひたまふに、面《おもて》赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯《すずり》ひき寄せたまうて、手習に、

「恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ

あはれ」とやがて独りごちたまへば、げに深く思しける人のなごりなめり、と見たまふ。

現代語訳

その夜、すぐに大臣の君(源氏)は、姫君(玉鬘)のもとにおいでになった。

姫君(玉鬘)は、昔から、光源氏などという御名はずっとうかがっていたが、長年遠い世界のことだったので、それほどとは存じ上げなかったのだが、わずかな燈火に照らされて、御几帳のすきまから、ちらりと拝見するその御姿は、たいそう恐ろしくまで思えるほどすばらしいのである。

おいでになる方の戸を右近が押し開くと、(源氏)「この戸口に入れる人は、格別な気持がするね」とお笑いになって、廂の間にある御座に膝をついてお座りになって、(源氏)「この燈火はたいそう色めいた感じがするね。親の顔はみたいものと聞いているが、そうはお思いになりませぬか」といって、几帳をすこし押しやりなさる。

たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃるお姿など、たいそう好ましく見えるので、源氏の殿は嬉しくて、「もうすこし光を見せてくれ。これでは奥ゆかしすぎるというものだ」とおっしゃるので、右近は燈火を掲げて少し寄せる。(源氏)「無遠慮な人だな」とすこしお笑いになる。

なるほどと思われるお顔立ちの、こちらが気後れするほどの美しさである。源氏の殿はすこしも他人行儀なようにはおっしゃらず、まことに親らしく、「長年、御行方がわからず、気にかからぬ時もなく嘆いてございましたのを、こうして拝見するにつけても、夢のような心地がして、過去のいろいろなことまで思い出されて、こらえられなくなりますので、何も申し上げることができないのですよ」といつて御目の涙をお拭いになる。まことに源氏の殿は、それらのことを悲しくお思い出しになる。姫君(玉鬘)の御年のほどをお数えになって、(源氏)「親子の仲で、こんなにも長い間隔たって暮らす例はないでしょうから、前世からの宿縁が辛くもあることですよ。今は、うぶに、幼くしていらっしゃることのできる御年でもないのですから、長年のお話なども申しあげたく思っているのですが、どうして私に打ち解けてくださらないのでしょう」と恨み言をおっしゃるが、姫君(玉鬘)は申し上げることもなく恥ずかしいので、(玉鬘)「あの神話にある蛭子のように、脚が立たず田舎に流れていきましてからは、何事もあるかなきかのはかないありさまで」と、かすかに申しあげなさる声は、昔人(夕顔)にとてもよく似て、若々しい。源氏の殿は微笑んで、「辛い御身の上でいらしたのですね。今は、それをお気の毒だと、私以外の誰が、貴女を思ってさしあげられましょうか」といって、気立ても悪くない姫君のお返事だとお思いになる。源氏の殿は、右近に、やるべきことをお命じつけになって、お帰りになった。

姫君が感じよくていらっしゃるのを、源氏の殿は、うれしくお思いになって、上(紫の上)にもお話申し上げる。(源氏)「あのような山賤の中で長年過ごしていれば、どれほど気の毒なかんじになているだろうと軽く見ておりましたが、かえってこちらが気後れするほどすばらしく見えました。こういう姫君がいると、どうにかして人に知らせて、兵部卿宮などの、この邸の内を気に入っている方々が、心乱れるところを見たいものですね。好き者たちが、このあたりではたいそうお行儀よくしてばかりに見えるのも、こうした心をかき乱すような魅力的な娘がいないからです。ねんごろにお世話したいものですよ。とりすましていても、やはり一皮むけば色めいたことに夢中になる、人の本性をすっかり見たいものです」とおっしゃると、(紫の上)「おかしな人の親ですこと。まず人の心わそそのかすことを先にお考えになるなんて。よくないことです」とおっしゃる。

(源氏)「本当に、貴女をこそ、今の気持であったなら、そのようにお世話してみたかったものですよ。ひどく無難なことをしてしまったものですね」といってお笑いになるので、上(紫の上)は顔を赤らめていらっしゃる。そのさまは、たいそう若々しくお美しい。源氏の殿は硯をお引き寄せになって、いたずら書きに、

(源氏)「恋ひわたる…

(亡くなった夕顔のことをずっと恋しいと思い続けてきた、わが身は昔のままだが、あの娘(玉鬘)はどんな筋をたどって私を尋ねてきたのだろうか)

心打たれることよ」とそのまま独り言をおっしゃるので、上(紫の上)は、なるほど深く愛しておられた方の忘れ形見であるようだ、とご覧になる。

語句

■渡りたまへり 丑寅の町の西の対の玉鬘のもとに。もとの文殿。 ■さしも 源氏がそれほど美しいとは。 ■綻び 几帳の帷子は五枚の布が垂れた状態になっていて、その五枚の布同士の縫い合わせていない部分を綻びという。 ■ついゐる 膝をついて座る。 ■懸想びたる いかにも恋人のもとに通う時のような色めいた感じであると。 ■親の顔はゆかしきもの 女房たちに、玉鬘が自分の実子であるように思わせようとしてこう言う。 ■あまりに心にくし 奥ゆかしいにもほどがある。奥ゆかしさが度をこしている。暗くて顔が見えないのを冗談めかして言った。 ■げに 右近が語ったように。 ■他人と 他人として。 ■思し出でらむ 夕顔在世中のことも。 ■御年のほど 玉鬘二十一歳。 ■親子の仲の 源氏はあくまで玉鬘の父親としてふるまう。 ■などかおぼつかなくは 下に「したまふ」を補って読む。 ■脚立たず 「かぞいろはいかにあはれと思ふらむみとせになりぬ足たたずして」(和漢朗詠集 大江朝綱。日本紀竟宴和歌では第ニ・三句「あはれと見ずや蛭の子は」)。伊弉諾尊と伊邪那美尊が子(蛭子)が三歳になっても足が立たなかったので舟に乗せて海に流した神話をふまえる(【明石 20】)。「かぞいろ」は父母。玉鬘は三歳で母と死別して四歳で筑紫にくだった。その境遇を蛭子と重ね合わせる。 ■あるかなきか 生きているのか死んでいるのかわからないような頼りない状態。 ■なむ 下に「はべりし」を補って読む。 ■あはれとも 前述の「かぞいろは」の歌をふまえる。 ■誰かは 下に「思はむ」を補って読む。自分以外の誰が貴女を思いやれるだろう。自分が一番貴女を思いやれるのだの意。 ■あるべきこと 玉鬘に対してしてやるべきこと。 ■さる山がつの 右近の報告に「あやしき山里になむ」とあった(【玉鬘 11】)。 ■かかるものありと 六条院に玉鬘のような魅力的な娘がいると。前に源氏は「すき者どもの心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」と右近に語らった(【玉鬘 22-12】)。 ■兵部卿宮 源氏の弟。螢兵部卿宮。 ■籬の内 六条院の内。籬は芝などを編んだ垣根。謙譲表現。 ■うるはしだちて 行儀よくふるまって。源氏は若い公達が色恋に狂わないのがおもしろくない。 ■このわたり 六条院。 ■かかるもののくさはひ 心を乱す材料。魅力的な女性のこと。 ■君をこそ 貴女に多くの公達を言い寄らせてみたかったの意。こう言う源氏は実は妻に対する独占欲がかなり強いさまは、後の女三の宮への態度からもうかがえる。 ■無心に 普通に妻にしてしまったの意。その実、紫の上に心から満足しているからこそ言える冗談だろう。 ■恋ひわたる… 「いづくとて尋ね来つらむ玉かづらわれは昔のわれならなくに」(後撰・雑四 源善朝臣)をふまえる。「かづら」は蔓草。また蔓草を編んだ冠。「すぢ」の序。「玉」は美称の接頭語。この歌により巻名と姫君の名を玉鬘と称す。 ■なごり 忘れ形見。

朗読・解説:左大臣光永

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