【胡蝶 04】源氏、玉鬘に寄せられた懸想文を審査し、右近に注意する

更衣《ころもがへ》の今めかしう改まれるころほひ、空のけしきなどさへあやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊びにて過ぐしたまふに、対《たい》の御方に、人々の御文しげくなりゆくを、思ひしことと、をかしう思いて、ともすれば渡りたまひつつ御覧じ、さるべきには御返りそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけず苦しいことに思いたり。

兵部卿宮の、ほどなく焦《い》られがましきわび言《ごと》どもを書き集めたまへる御文を御覧じつけて、こまやかに笑ひたまふ。「はやうより隔つることなう、あまたの親王《みこ》たちの御中に、この君をなん、かたみにとり分きて思ひしに、ただかやうの筋のことなむ、いみじう隔て思うたまひてやみにしを、世の末に、かく、すきたまへる心ばへを見るが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ御返りなど聞こえたまへ。すこしも故あらむ女の、かの親王《みこ》より外《ほか》に、また言の葉をかはすべき人こそ世におぼえね。いと気色ある人の御さまぞや」と、若き人はめでたまひぬべく聞こえ知らせたまへど、つつましくのみ思いたり。

右大将の、いとまめやかにことごとしきさましたる人の、恋の山には孔子《くじ》の倒《たふ》れまねびつべき気色に愁《うれ》へたるも、さる方にをかしと、みな見くらべたまるふ中に、唐《から》の縹《はなだ》の紙の、いとなつかしうしみ深う匂《にほ》へるを、いと細く小さく結びたるあり。「これはいかなれば、かく結ぼほれたるにか」とて、ひきあけたまへり。手いとをかしうて、

思ふとも君は知らじなわきかへり岩漏る水に色し見えねば

書きざま今めかしうそほれたり。「これはいかなるぞ」と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。

右近召し出でて、「かやうに訪《おとづ》れきこえん人をば、人選《ひとえ》りして答《いら》へなどはせさせよ。すきずきしうあざれがましき今やうの人の、便《びん》ないことし出でなどする、男の咎《とが》にしもあらぬことなり。我にて思ひしにも、あな情《なさけ》な、恨めしうもと、そのをりにこそ無心なるにや、もしはめざましかるべき際《きは》は、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花|蝶《てふ》につけたるたより言《ごと》は、心|妬《ねた》うもてないたる、なかなか心だつやうにもあり。またさて忘れぬるは、何《なに》の咎《とが》かはあらむ。もののたよりばかりのなほざり言《ごと》に、口|疾《と》う心得たるも、さらでありぬべかりける、後《のち》の難《なん》とありぬべきわざなり。すべて女のものづつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしき事をも見知らんなん、そのつもりあぢきなかるべきを、宮、大将は、おほなおほななほざりごとをうち出でたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知らぬやうならんも、御ありさまに違《たが》へり。その際《きは》より下《しも》は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをも分きたまへ。労《らう》をも数へたまへ」など聞こえたまへば、君はうち背きておはする、側目《そばめ》いとをかしげなり。撫子《なでしこ》の細長《ほそなが》に、このごろの花の色なる御|小袿《こうちき》、あはひけ近う今めきて、もてなしなども、さはいへど、田舎《ゐなか》びたまへりしなごりこそ、ただありにおほどかなる方にのみは見えたまひけれ、人のありさまをも見知りたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧《けさう》なども心してしてつけたまヘれば、いとど飽かぬところなく、華やかにうつくしげなり。他人《ことひと》と見なさむは、いと口惜《くちを》しかべう思さる。右近もうち笑みつつ見たてまつりて、「親と聞こえんには、似げなう若くおはしますめり。さし並びたまへらんはしも、あはひめでたしかし」と思ひゐたり。「さらに人の御|消息《せうそこ》などは聞こえ伝ふることはべらず。さきざきも知ろしめし御覧じたる三つ四つは、ひき返しはしたなめきこえむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどしはべるめれど、御返りはさらに。聞こえさせたまふをりばかりなむ。それをだに、苦しいことに思いたる」と聞こゆ。「さてこの若やかに結ぼほれたるは誰《た》がぞ。いといたう書いたる気色《けしき》かな」と、ほほ笑みて御覧ずれば、「かれは、執念《しふね》うとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿《おほいどの》の中将の、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知りたまへりける伝へにてはべりける。また見入るる人もはべらざりしにこそ」と聞こゆれば、「いとらうたきことかな。下臈《げらふ》なりとも、かの主《ぬし》たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿《くぎやう》といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さる中にもいと静まりたる人なり。おのづから思ひあはする世もこそあれ。掲焉《けちえん》にはあらでこそ言ひ紛《まぎ》らはさめ。見どころある文書《ふみか》きかな」など、とみにもうち置きたまはず。

現代語訳

衣更の時期で、当世風に華やかに衣が改まった頃、空のけしきなどまで不思議にどことなく風情がある中、源氏の君はのんびりしておられたので、さまざまな管弦のお遊びをしてお過ごしになっていらっしゃるが、西の対の御方(玉鬘)に、人々からのお手紙が多くなってきたことを、「狙いどおり」と、おもしろくお思いになって、どうかすると御自ら西の対においでになっては、姫君(玉鬘)へのお手紙をご覧になり、しかるべきお手紙にはお返事をするようおすすめ申し上げなさるのを、姫君は、心をゆるさず、辛いことにお思いになっていらっしゃる。

兵部卿宮が、はやばやと、苛ついた感じの多くの恨み言を書き集めていらっしゃるお手紙をお見つけになって、源氏の君はにこやかにお笑いになる。

「昔から心置きなく、多くの親王たちの中では、この君をお互いにとりわけ仲良く思ってきたのですが、ただあの御方はこうした色めいた筋のことでは、ひどくそっけないやり方で通していらしたのですが、あの御年になって、こうして色めいたお心を見るのが、おかしくも、おいたわしくも思いますよ。やはりお返事などは差し上げなさい。すこしでも嗜みある女であれば、あの親王より他に言葉を交わすべき相手は、一人として世間に思い浮かびませんよ。たいそう面白みのあるお人柄なのですから」と、若い人ならお喜びになりそうなことをお聞かせなさるが、姫君(玉鬘)は、遠慮すべきこととばかりお思いになっていらっしゃる。

右大将で、たいそうまじめで、肩肘張った感じである人が、「恋の山には孔子も倒れる」ということをまねしそうな様子に心乱しているのも、これはこれで面白いと、ぜんぶの御文を見比べなさる中に、唐来の縹色の髪で、たいそう好ましく香をたきしめて深く匂っているのを、とても細く小さく結び文にしているのがある。(源氏)「これはどういうわけで、こんなにしょんぼりと結んであるのか」といって、お引き開けになる。たいそう見事な筆跡で、

(柏木)思ふとも…

(私がどんなに貴女を思っても、貴女はわからないでしょうね。さかんに湧いて岩からあふれる水は透明で、色は見えないのですから)

書きようは、今ふうで洒落ている。(源氏)「これはどういうお手紙ですか」とご質問になるが、姫君ははきはきともお答えにならない。

源氏の君は右近を召し出して、(源氏)「このように手紙を送ってくる人を、人を選んで返事などはさせよ。好色めいて軽薄なことをするような当世風な男が、具合の悪いことをし出したりするのは、必ずしも男の落ち度というわけではない。私の経験からいっても、ああ冷淡だ、恨めしいと思って、返事がなくじれったい時には、私に気がないのだろうかとか、もしくは相手が目について格下の身分である場合は、不愉快な、などとも感じたものだが、男はそんなことをいつまで覚えてはいないのだから、とくに深い思いがあるわけではない、花や蝶にことよせた、懸想文でもないふつうの文に対しては、あまり返事をせずに男を焦らせると、かえって男の気持を掻き立てるようなこともある。またそのように女から返事がないからといって、男がそのまま忘れてしまうなら、何の落ち度が女にあろうか。なにかのついでにすぎない通り一遍の言葉に、さっそく心得顔で返事するのも、それはやってはまずいことで、後の災難を招くに違いないことである。すべて女が慎みを忘れ、思いのままに、ものの情緒も知り顔をして、風情のある事も見知っているようなのは、そういうことが積もり積もれば嫌気がさすにちがいないが、兵部卿宮や大将は、前後の見さかいなくいい加減なことを口にお出しになるお方でもないし、またあまりものの程度を知らぬようであるのも、姫君のありようとして似合わしくありません。この二人より下の身分の人に対しては、心のたけの程度に従って、切ない気持もわかっておあげなさい。心づくしの労をも認めておあげなさい」などと申し上げなさるので、姫君は後ろを向いていらっしゃるが、横顔がまことに美しげである。撫子襲の細長に、この季節の色である卯の花襲の御小袿と、調和した色あいでまとめてあるのが当世風に華やかで、身のこなしなども、そうはいっても以前は、田舎じみていらした名残で、平凡でおっとりしてばかりお見えになったが、その後、人の有様をも見知りなさるにつれて、まことに物腰もよく、ものやわらかで、化粧なども気を配っていらっしゃるので、まことに悪いところがなく、華やかで美しげである。赤の他人としてしまうことは、ひどく残念であろうと源氏の君はお思いになる。右近もにっこりしつつお二人を拝見して、「親と申し上げるには、似合わしくないほどお若くていらっしゃるようだ。ご夫婦として並んでいらっしゃると、結構なことだろうに」と思っている。

(右近)「他の人のお手紙などは姫君にお取次ぎ申し上げたことはございません。以前もお知らせしてご覧になった三通四通だけは、そのまま突き返して相手にきまりの悪い思いをさせるのもどうだろうと、お手紙だけは私以外の女房が受け取りなどはしたようですが、お返事はまったくお書きになりません。殿がおすすめになる時だけでございます。それさえ、姫君は辛いことにお思いでいらっしゃいます」と申し上げる。

(源氏)「ではこの若々しい感じに結んだままの手紙は誰のだね。とてもよく書いてある様子だね」と、ほほ笑んで御覧になると、(右近)「それは、使いのものがしつこく言って置いていってしまったので…。内大臣の中将(柏木)が、こちらの御殿にお仕えしている侍女の「みるこ」を、前々から見知ってございまして、それが取り次いだものでございます。他には目をとめる人もいなかったのでございましょう」と申し上げると、(源氏)「まことに意地らしいことではないか。今はまだ身分が低いといっても、あの内大臣のご子息たちを、どうしてそう粗略に扱えよう。公卿といえど、この人(柏木)の世間の評判に、必ずしも並ぶまいということが多いのだ。そういう中でも、(柏木は)たいそう落ち着きのある人物だ。貴女が実の姉であることについては、自然とわかってくる時もあるだろう。はっきりとは言わないでごまかしておきなさい。見どころのある筆跡であることよ」など、すぐには文をお置きにならない。

語句

■更衣 四月一日 調度品や衣類を夏の装いに改める。 ■のどやかにおはしませば 太政大臣には具体的な職務内容がなく一種の名誉職。だからヒマ。 ■思ひしこと 源氏は若者たちが玉鬘に言い寄ることを期待していた(【玉鬘 15】)。 ■焦られがましき 返事がないので焦れったい気持。 ■こまやかに笑ひたまふ 源氏は若君たちの中でも玉鬘に求婚するにふさわしい相手として兵部卿宮を想定していた(【同上】)。その狙い通りに事が運んでいるので、思わずほほえむ。 ■あまたの親王たち 桐壺院の皇子はここまで朱雀院・源氏・兵部卿宮・四の皇子・冷泉帝(実は源氏の子)が、この後、帥宮が、宇治十帖に式部卿宮と八の宮が登場するが、物語に登場しない皇子もふくめて、多くいるらしい。 ■かたみにとり分きて 兵部卿宮は源氏が失脚し須磨に下向と決まったとき、訪問して慰めた(【須磨 03】)。 ■かやうの筋 恋愛沙汰。 ■右大将 承香殿女御(朱雀院の后)の兄。東宮の叔父。 ■縹 薄藍色。 ■結びたる 結び文。文をたたんで結びつけたもの。玉鬘は弟柏木からの懸想文だから開かずにそのままにしておいた。 ■結ぼほれたる 手紙の状態と、差出人の心理の両方を言う。 ■思ふとも… 「わきかへる」は「岩漏る水」の縁語。「かへる」はさかんに…する。この歌により柏木を「岩漏る中将」とも称す。 ■そぼれたり 「戯《そぼ》る」は、たわむれる。ふざける。しゃれる。 ■はかばかしうも聞こえたまはず 実弟からの文なので言葉につまる。 ■右近 夕顔にかつて仕えており今は玉鬘に仕える。 ■あざれがましき 「狂《あざ》る・戯る」は軽薄なふるまいをする。ふざける。 ■男の咎にしもあらぬ 女のほうにも責任があるの意。 ■あな情けな… このあたり源氏の実体験をふまえ語り口が生き生きしている。 ■恨めしうもと 下に「思ひて」を補って読む。 ■そのをり 女からの返事がない時。 ■無心 気がないこと。分別がないこと。 ■けやけう 「けやけし」は、他と際立っていること。ここでは不快である。 ■おぼえけれ 下に「男はそんなこと覚えていないのだから、いちいち返事をしなくてもよい」の意を補って読む。 ■花蝶につけたるたより言 恋文ではない時節の挨拶などの文。 ■心妬くもてないたる 返事を出さないで男を焦らすのは。 ■なかなか心だつやうにもあり 下に「だから返事をせよ」の意を補って読む。 ■後の難とありぬべきわざなり 下に「だから返事をするな」の意を補って読む。 ■おほなおほな 前後の見さかいなく。精一杯に。 ■もののほど知らぬやう 懸想文に絶対に返信しないような、かたくな態度。 ■御ありさまに違へり 六条院の姫君として似合わしくないの意。 ■その際より下 兵部卿宮や大将より下の身分の者。 ■労 玉鬘に懸想している者たちが、さまざまに贈り物などを送ってくる。そのことを朝廷における功労に見立てた。 ■撫子 表紅梅、裏青。 ■このごろの花 四月の花。卯の花襲(表白、裏萌黄)。 ■あはひけ近う 撫子襲と卯の花襲の調和した色彩でまとめられていること。 ■ただありに 「ただあり」は平凡なさま。 ■人のありさま 六条院に住む女性たち。その洗練された容姿や服装立ち居振る舞いを間近に暮らして、田舎育ちの玉鬘も垢抜けてきたのである。 ■もてつけたまへれば 「もてつく」はつくろう。 ■飽かぬ 「飽く」はいやになる。いとわしくなる。「ぬ」は完了の助動詞。「飽かぬところなく」は「いやになるところがない」=欠点がない。 ■他人と見なさむは 玉鬘を他人の妻とするのは。源氏は玉鬘に若者たちが言い寄ることを望みつつ、一方では自分自身が玉鬘を妻にしたい思いも捨てていない。 ■親と聞こえんには 源氏三十六歳。玉鬘二十二歳。 ■さきざきも知ろしめし御覧じたる三つ四つ 源氏が見た、兵部卿宮と右大将の手紙。 ■取り入れなど 「取り入れ」るのは右近以外の女房。 ■御返りはさらに 下に「したまはず」などを補って読む。 ■聞こえさせたまふをりばかりなむ 下に「書かせたてまつる」を補って読む。 ■執念う 「執念く」の音便。 ■みるこ 玉鬘付きの女童。名前が「みるこ」らしい。 ■もとより 玉鬘にみるこがお仕えする以前から。 ■らうたきことかな 源氏は柏木を子供扱いしている。 ■下臈なりとも… 以下の台詞は、源氏が柏木の人柄を高く買っていることがうかがえる。 ■かの主たち 内大臣の子息たち。柏木は長男。 ■さははしたなめむ 「さ」は「ひき返し」を受ける。 ■公卿 公(摂政・関白・大臣)と卿(大・中納言・三位以上および四位の参議)の総称。 ■さる中にも 名門の子息でありながらまだ低い身分にとどまっている者。 ■おのづから思ひあはする 玉鬘が柏木の実の姉であることを。 ■掲焉 はっきりと示すこと。 ■こそ言い紛らはさめ 「こそ…め」は相手に勧める言い方。 

朗読・解説:左大臣光永

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