【胡蝶 05】源氏、玉鬘に妻のありようについて訓戒する

「かう何やかやと聞こゆるをも、思すところやあらむとややましきを、かの大臣に知られたてまつりたまはむことも、まだ若々しう何となきほどに、ここら年|経《へ》たまへる御仲にさし出でたまはむことはいかが、と思ひめぐらしはべる。なほ世の人のあめる方に定まりてこそは、人々《ひとびと》しう、さるべきついでもものしたまはめと思ふを。宮は、独りものしたまふやうなれど、人柄《ひとがら》いといたうあだめいて、通ひたまふ所あまた聞こえ、召人《めしうど》とか、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞こゆる。さやうならむことは、憎げなうて見直いたまはむ人は、いとようなだらかにもて消《け》ちてむ。すこし心に癖《くせ》ありては、人に飽《あ》かれぬべき事なむ、おのづから出で来ぬべきを、その御心づかひなむあべき。大将は、年経たる人の、いたうねびすぎたるを厭《いと》ひがてに、と求むなれど、それも人々わづらはしがるなり。さもあべいことなれば、さまざまになむ人知れず思ひ定めかねはべる。かうざまのことは、親などにも、さはやかに、わが思ふさまとて、語り出でがたきことなれど、さばかりの御|齢《よはひ》にもあらず、今はなどか何ごとをも、御心に分《わ》いたまはざらむ。まろを、昔ざまになずらへて、母君と思ひないたまへ。御心に飽かざらむことは心苦しく」など、いとまめやかにて聞こえたまへば、苦しうて御|答《いら》へ聞こえむともおぼえたまはず。いと若々しきもうたておぼえて、「何ごとも思ひ知りはべらざりけるほどより、親などは見ぬものにならひはべりて、ともかくも思うたまへられずなむ」と、聞こえたまふさまのいとおいらかなれば、げにと思いて、「さらば世の譬《たとひ》の、後の親をそれと思《おぼ》いて、おろかならぬ心ざしのほども、見あらはしはてたまひてむや」など、うち語らひたまふ。思すさまのことはまばゆければ、えうち出でたまはず。気色ある言葉は時々まぜたまへど、見知らぬさまなれば、すずろにうち嘆かれて渡りたまふ。

御前近き呉竹《くれたけ》の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまりたまうて、

「ませのうちに根深くうゑし竹の子のおのが世々にや生ひわかるべき

思へば恨めしかべいことぞかし」と、御簾《みす》をひき上げて聞こえたまへば、ゐざり出でて、

「今さらにいかならむ世かわか竹のおひはじめけむ根をばたづねん

なかなかにこそはべらめ」と聞こえたまふを、いとあはれと思しけり。さるは心の中《うち》にはさも思はずかし。いかならむをり聞こえ出でむとすらむと、心もとなくあはれなれど、この大臣《おとど》の御心ばへのいとあり難きを、親と聞こゆとも、もとより見馴れたまはぬは、えかうしもこまやかならずやと、昔物語を見たまふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知りたまへば、いとつつましう、心と知られたてまつらむことは難《かた》かるべう思す。

現代語訳

(源氏)「こんなふうにあれこれ申し上げるのも、貴女がどう思うだろうかと気がかりですが、あの内大臣に貴女をご存知になっていただくにしても、まだ若々しく、これといって御身のお振り方もお決まりでない時に、最近まで音信不通の御仲であった親兄弟の間に、お名乗り出なさることはどんなものだろうかと、思案を巡らしているのです。やはり、世間の人がそうするような形に落ち着いてこそ、人並みに、しかるべき機会にも恵まれなさるだろうと思うのですが。兵部卿宮は、独身でいらっしゃるようですが、人柄はたいそう浮気ぽくて、お通いになっていらっしゃる所も多く噂になっていて、召人とか、好ましからぬ名乗りをする女たちが、数多くいると聴いています。そのような関係については、妻として夫から憎まれるような言動を避け、そのうち夫の気持が妻にもどってくることを信じてお待ちになるような人なら、とても上手に穏便に事をおさめられるでしょう。すこし心に癖があると、夫に飽きられるようなことが、自然と出てくるに違いないので、そこは御心遣いが必要です。大将は、長年連れ添ってきた北の方が、たいそう年老いているのを嫌っていることもあって、貴女に求婚しているということですが、それも人々が困っているそうです。それは困るのも当然ですから、さまざまに私は、人知れず気持を決めかねているのですよ。こうしたことは、親などにも、はっきりと、自分はこう思うといって、話し出すことが難しいことですが、貴女はもうそのような御年でもないのだから、今はどうして何事も、ご自分で判断がおできないことがございましょうか。私を、昔のお方(母親)になぞらえて、母君と思うようになさってください。貴女がご不満を抱かれることは、私は辛いのです」など、とても真剣に申し上げなさると、姫君(玉鬘)は、困ってしまって、お返事を申し上げようもないとお思いになる。だからといってそんなに子供っぽく黙っているのも見苦しいことに思って、(玉鬘)「何事も存じませんでした幼い頃から、親などというものは無いものと考える癖がついておりますので、どうにも思いようがございません」と、申し上げなさるようすが、たいそうおっとりしているので、源氏の君は、なるほどとお思いになって、(源氏)「ならば世の譬えに言うように、後の親を今の親とお思いになって、いい加減でない私の心ざしのほども、お見届けになってほしいものですね」などと、お語り出しになる。

お心の内にお思いになっていることは、はばかり多いようなことなので、源氏の君は、とても口にはお出しになれない。それを匂わせるような言葉は時々おまぜになるのだが、姫君(玉鬘)は見知らぬさまなので、源氏の君は、わけもなくついため息が出て、お帰りになる。

お庭前に近い呉竹が、たいそう青々と成長して、風になびいているさまに心惹かれるので、君は立ち止まりなさって、

(源氏)「ませのうちに…

(御殿の内に根深く植えた竹の子も、それぞれの行く先に落ち着いて、ここから別れていくのだろう)

思えば恨めしくもなるはずであるよ」と、御簾をひき上げて申し上げなさると、姫君(玉鬘)は座ったまま進み出てきて、

(玉鬘)「今さらに…

(今さら、どんな折に、若竹が生い初めた根…生みの親を訪ねていきましょうか)

かえって決まりの悪いことでございましょう」と申し上げなさるのを、源氏の君は、まことに意地らしいとお思いになった。そうはいっても姫君は心の中ではそう諦めてもいらっしゃらないのである。どういう折にお知らせしようとするのだろうと、心配で、気が気でないが、この源氏の大臣の御心遣いが、まことに世に類なく親切であるのを、内大臣を親と申し上げても、子供の頃から見馴れていらっしゃらない方は、とてもここまで細やかに世話してはくれまいと、昔物語をご覧になるにつけても、だんだんと人情や世間のありさまをお見知りなさっているので、たいそう遠慮がちに、こちらから進んで内大臣に知っていただくことは難しいだろうとお思いになる。

語句

■ここら年経たまへる 玉鬘は一歳から十二歳の今日まで父内大臣と会っていない。 ■いかが 玉鬘の母夕顔は身分が低いので、内大臣に名乗り出たところで冷遇されるのではないかと源氏は心配している。 ■なほ世の人のあめる方に定まりてこそは 玉鬘がそれなりの男性と結婚していれば、内大臣も冷遇しないだろうという源氏の考え。 ■召人とか 殿方に女房として仕えながら愛されている者。 ■さやうならむこと 「さ」は「通ひたまふ所…数あまた聞こゆる」を受ける。 ■憎げなうて 嫉妬して夫から憎まれるような言動をすることなく。 ■見直いたまはむ 夫の気持が自分にもどってくることを信じて待つこと。 ■すこし心に癖ある人 嫉妬にかられて夫を問い詰めたりする態度。 ■大将 承香殿女御の兄。東宮の伯父。 ■年経たる人 大将の北の方。紫の上の異母姉(【藤袴 06】)。 ■人々 北の方と縁のある人々。大将の北の方の縁は冷え切っていることがうかがえる。 ■さもあべいこと 「さ」は「人々わずらはしがるなり」を受ける。 ■かうざまのこと 結婚のこと。 ■さばかりの 「さ」は「かうざまのことは、親などにも、さはやかに、わが思ふさまとて、語り出でがき」を受ける。 ■御齢 当時の結婚適齢期は十四、五歳。玉鬘は二十二歳。年齢を考えても、「早く相手を決めてやらねば」という焦りが源氏にはあるのだろう。 ■今はなどか何ごとをも… 兵部卿宮か、大将か、どちらにするか決めなさいと源氏は玉鬘に迫っている。 ■御心に飽かざらむこと 玉鬘が結婚において不満を抱くこと。 ■苦しうて 玉鬘は当面結婚など考えてもいないから。 ■いと若々しきもうたておぼえて 返事しないで黙っていることも。 ■何ごとも思ひ知りはべらざりけるほど 玉鬘は一歳で父内大臣(当時は頭中将)と別れ、三歳で母夕顔と死別。 ■後の親をそれと そういうことわざがあったらしい。「生みの親より育ての親」の類。 ■思すさまのこと 源氏は玉鬘の良縁を望みながら、また一方では自分自身が玉鬘に恋心を抱いている。 ■まばゆければ 「まばゆし」は恥ずかしい。決まりが悪い。 ■気色ある言葉 自分が玉鬘に恋心を抱いていることを匂わせるような言葉。 ■御前 玉鬘の居所。歌の贈答は帰り際のこと。 ■呉竹 中国渡来の竹。葉が細く節が多い。源氏は若い頃、夕顔と五条の家で呉竹を眺めたこと(【夕顔 10】)を思い出す。玉鬘と夕顔のイメージが重なる。 ■ませのうちに… 「ませ」は六条院。「竹の子」は玉鬘。「世(男女の仲)」と「節(竹の節)」をかける。「節」は「竹」の縁語。 ■かべい 「かるべき」の撥音便無表記。 ■御簾 簀子と廂の間の御簾。 ■ゐざり出でて 母屋から廂の間に座ったまま膝を進めてきた。 ■今さらに… 「わか竹のおひはじめけむ根」は内大臣。源氏の前の歌は、玉鬘が誰かの妻になってよそに行ってしまうのだろうか、の意だが、玉鬘はそれを内大臣のもとに行くのだろうかの意と取って、いいえ、内大臣のもとには行きません。貴方を「後の親」として慕い続けますよの意で返した。玉鬘は空とぼけているのではなく、源氏の恋心をまったく察知していないのである。 ■なかなかに 内大臣家に移っても冷遇されるだろうことを言う。 ■さも思はずかし 「さ」は前の歌を受ける。 ■もとより 生まれた時から。 ■昔物語を見たまふにも 物語が女子の教育の一環であったことは『更級日記』にも見える。 ■つつましう 源氏に対して「実の父である内大臣に会わせてください」とはとても言えない。

朗読・解説:左大臣光永

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