【常夏 03】源氏、和琴を弾き、玉鬘と唱和

月もなきころなれば、燈籠《とうろ》に大殿油《おほとなぶら》まゐれり。「なほけ近くて暑かはしや、篝火《かがりび》こそよけれ」とて、人召して、「篝火の台《だい》一つ、こなたに」と召す。をかしげなる和琴《わごん》のある、ひき寄せたまひて、掻《か》き鳴らしたまへば、律《りち》にいとよく調ベられたり。音《ね》もいとよく鳴れば、すこし弾《ひ》きたまひて、「かやうのことは御心に入らぬ筋にやと、月ごろ思ひおとしきこえけるかな。秋の夜の月影涼しきほど、いと奥深くはあらで、虫の声に掻《か》き鳴らし合はせたるほど、け近く今めかしき物の音《ね》なり。ことごとしき調べもてなし、しどけなしや。

この物よ、さながら多くの遊び物の音《ね》、拍子《はうし》をととのへとりたるなむいとかしこき。大和琴《やまとごと》とはかなく見せて、際《きは》もなくしおきたることなり。広く異国《ことくに》のことを知らぬ女のためとなむおぼゆる。同じくは、心とどめて物などに掻き合はせてならひたまへ。深き心とて、何ばかりもあらずながら、またまことに弾きうることは難《かた》きにやあらん。ただ今はこの内大臣《うちのおとど》になずらふ人なしかし。ただはかなき同じすが掻《が》きの音《ね》に、よろづのものの音籠《ねごも》り通ひて、いふ方もなくこそ響きのぼれ」と語りたまへば、ほのぼの心えて、いかでと思すことなれば、いとどいぶかしくて、「このわたりにてさりぬべき御遊びのをりなどに、聞きはべりなんや。あやしき山がつなどの中にも、まねぶものあまたはべるなることなれば、おしなべて心やすくやとこそ思ひたまへつれ。さは、すぐれたるはさまことにやはべらむ」と、ゆかしげに、切《せち》に心に入れて思ひたまへれば、「さかし。あづまとぞ名も立ち下《くだ》りたるやうなれど、御前《ごぜん》の御遊びにも、まづ書司《ふむのつかさ》を召すは、他《ひと》の国は知らず、ここにはこれを物の親としたるにこそあめれ。その中にも、親としつべき御手より弾きとりたまへらむは、心ことなりなむかし。ここになども、さるべからむをりにはものしたまひなむを、この琴《こと》に、手惜《てを》しまずなど、あきらかに掻き鳴らしたまはむことや難《かた》からむ。物の上手は、いづれの道も心やすからずのみぞあめる。さりともつひには聞きたまひてむかし」とて、調べすこし弾きたまふ。ことつひいと二《に》なく、今めかしくをかし。「これにもまされる音《ね》や出づらむ」と、親の御ゆかしさたち添ひて、この事にてさへ、「いかならむ世に、さてうちとけ弾きたまはむを聞かむ」など思ひゐたまへり。

「貫河《ぬきがは》の瀬々《せぜ》のやはらた」と、いとなつかしくうたひたまふ。「親|避《さ》くるつま」は、すこしうち笑ひつつ、わざともなく掻《か》きなしたまひたるすが掻《が》きのほど、いひ知らずおもしろく聞こゆ。「いで弾きたまへ。才《ざえ》は人になむ恥ぢぬ。想夫恋《さうふれん》ばかりこそ、心の中《うち》に思ひて、紛らはす人もありけめ、面《おも》なくて、かれこれに合はせつるなむよき」と、切《せち》に聞こえたまへど、さる田舎《ゐなか》の隈《くま》にて、ほのかに京人《きやうひと》と名のりける古大君女《ふるおほきみをむな》の教へきこえければ、ひが事《こと》にもやとつつましくて手触れたまはず。「しばしも弾きたまはなむ。聞きとる事もや」と心もとなきに、この御ことによりぞ、近くゐざり寄りて、「いかなる風の吹き添ひて、かくは響きはべるぞとよ」とて、うち傾《かたぶ》きたまへるさま、灯影《ほかげ》にいとうつくしげなり。笑ひたまひて、「耳|固《かた》からぬ人のためには、身にしむ風も吹き添ふかし」とて、押しやりたまふ。いと心やまし。

人々近くさぶらへば、例の戯《たはぶ》れ言《ごと》もえ聞こえたまはで、「撫子《なでしこ》を飽かでもこの人々の立ち去りぬるかな。いかで、大臣《おとど》にも、この花園《はなぞの》見せたてまつらむ。世もいと常なきを、と思ふに。いにしへも、物のついでに語り出でたまへりしも、ただ今のこととぞおぼゆる」とて、すこしのたまひ出でたるにも、いとあはれなり。

「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人やたづねむ

この事のわづらはしさにこそ、繭《まゆ》ごもりも心苦しう思ひきこゆれ」とのたまふ。君うち泣きて、

山がつの垣ほに生ひしなでしこのもとの根ざしをたれかたづねん

はかなげに聞こえないたまへるさま、げにいとなつかしく若やかなり。「来《こ》ざらましかば」とうち誦《ず》じたまひて、いとどしき御心は、苦しきまで、なほえ忍びはつまじく思さる。

現代語訳

月もない頃なので、灯籠に灯りをおつけした。(源氏)「やはり火の気が近くて暑苦しいね。篝火がいちばんよい」といって人を召して、「篝火の台を一つ、こちらへ」と召す。風情ある和琴があるのを、お引き寄せになって、掻き鳴らしなさると、律の音がよく調整されている。音もとてもよく鳴るので、すこしお弾きになって、(源氏)「このようなこと(和琴)にはご興味がないことなのかと、長年お見くびり申し上げてきたことですよ。秋の夜の月影が涼しい時に、そう山の奥深くではないところで、虫の声に掻き鳴らし合わせている時は、親しみ深く、今風の楽器の音です。本格的な曲や演奏には、しまりがないと思われるでしょう。しかしこの楽器(和琴)は、多くの楽器の音を、そっくりそのままそなえているのが、とてもすばらしいのです。その名も大和琴などと、ささやかなものに見せていますが、際限もなく巧妙に作ってあるのです。広く外国のことを知らない女のためだと思います。どうせ習うなら、心をこめて他の楽器などと合奏してお習いなさい。深い風情といって、どれほどもないようですが、また一方で、本当に弾きこなすことは難しいのではないでしょうか。当今ではこの内大臣に並び立つ和琴の名手はいないのですよ。ただほんのちょっとした同じすが掻きの音に、あらゆる楽器の音が籠もって通っていて、いいようもなく高い趣のある響きなのですよ」とお語りになると、姫君は、ほんの少しは和琴の心得があるし、どうかして今より上手くなりたいとお思いになっていらっしゃるので、たいそうお話がききたくて、(玉鬘)「このあたりでしかるべき御遊びの折などに、お聞きすることができましょうか。卑しい山賤などの中にも、見よう見まねで和琴を奏でる者は多くございましたので、大方は簡単なのかと存じてございましたが。それでは、すぐれた方の演奏は格別なのでございましょうね」と、興味ありげに、熱心に心に入れて思っていらっしゃるので、(源氏)「そうなのです。東琴《あずまごと》という名は下品であるようですが、帝の御前の御遊びにも、真っ先に和琴を召すのは、外国のことはともかく、わが国においては、和琴を楽器の親として位置づけるからなのです。その中にも、第一人者たる内大臣の御手からお習いになったとしたら、貴女は抜群にご上達されるでしょう。内大臣はこちら(六条院)などにも、しかるべき折にはいらっしゃるでしょうが、和琴に関して、持てる技のすべてを惜しまず、すっかり掻き鳴らしていただくことは難しいでしょう。名人というものは、どの道でも、そう気安く技を披露しないもののようですから。そうはいっても貴女も内大臣の技を、最終的にはお聞きになるでしょう」と、一曲をすこしお弾きになる。まことに類ない見事さで、華やかでおもしろい。(玉鬘)「これよりもすぐれた音が出るのだろうか」と、親にお会いしたいお気持が加わって、このこと(和琴の演奏)につけてもまた、「いつになったら、父上がこうしてくつろいで弾いていらっしゃるのを聞けるのだろう」などと姫君(玉鬘)は思っていらっしゃる。

(源氏)「貫河の世々のやはらた」と、たいそう魅力的にお歌いになる。「親避くるつま」のところは、すこし笑いつつ、力まずに軽くお弾きになっているすが掻きの風情は、いいようもなくおもしろく聞こえる。(源氏)「さあお弾きなさい。芸事は人に恥じないものです。想夫恋だけは、心の中に思って、外に出さない人もあったようですが、遠慮なく、誰彼となく合奏するのがよいのです」と熱心におすすめなさるが、姫君は、あのような片田舎で、なんとなく京の人と名乗っていた王族の老女が教え申したものなので、間違っているところもあるのではないかと気が引けて、手もお触れにならない。

(玉鬘)「もう少しお弾きになられたらよろしいのに。そうすれば聞きおぼえる事もできましょこうに」と姫君は気が気でないので、この和琴のことを学びたいばかりに、殿の近くにいざり寄って、(玉鬘)「どんな風が吹き加わって、このように素晴らしく響きますのでしょうか」といって、首を傾けていらっしゃるご様子は、燈火の下、とても可憐に見える。

殿はお笑いになって、「耳が固くもない誰かさん(玉鬘)のために、私のほうには身にしみる冷たい風が吹き加っているようですよ」といって、和琴を押しやりなさる。姫君(玉鬘)はそう言われて、ひどくいやなお気持ちである。

女房たちが近くに控えているので、殿(源氏)はいつものように冗談も申されないで、(源氏)「撫子を十分に見ないうちに、あの人々が立ち去ったことですよ。どうにかして、内大臣にも、この花園をお見せ申し上げなくては。世も中も、まったく無常なことよと、思いますにつけても。昔も、内大臣が物のついでに貴女のことを話し出しなさったことも、ただ今のことのように思えます」といって、すこし言い出されるにつけても、そのご様子はまことにお美しい。

(源氏)なでしこの…

(撫子(貴女)の、いつまでも心惹かれる美しさを見ていると、人(内大臣)は、その素性を探し求めるでしょう)

この事がわずらわしいので、貴女をかくまっているのですが、気の毒に存じ上げます」とおっしゃる。姫君は泣いて、

(玉鬘)山がつの…

(山賤の家の垣根に生えた撫子の素性なんて、誰が探したりするでしょうか)

わざと何でもないように申し上げていらっしゃるさまは、まことにたいそう心惹かれるほど初々しい。殿は、「来ざらましかば」とお口ずさみになって、ますますかきたてられる御心は苦しいほどで、やはりこのまま我慢し通すことはできないようにお思いになる。

語句

■灯籠 釣燈籠。軒端から垂らす。 ■和琴 日本古来の琴。六弦。「あづまごと」「やまとごと」とも。 ■律 律の音階。短調。呂の音階は長調。 ■かやうのこと 和琴。 ■大和琴 日本固有のものより中国渡来のものが格上と見られていた。 ■ただ今はこの内大臣 内大臣が母大宮と和琴を弾きながら語る場面があった(【少女 11】)。 ■すが掻き 琴の演奏法。未詳。文脈からは手遊びに弾く簡素な弾き方らしい(【若紫 22】)。 ■このわたり 六条院。 ■あやしき山がつなども 玉鬘は和琴は誰でも奏でる世間並の楽器と思っていた。しかし名人の演奏は格別と知って、興味をおぼえる。 ■あづまとぞ 和琴を東琴という。東は東国。都人は低く見ていた。 ■書司 朝廷の楽器や道具類を扱う役所。ここでは和琴の異称。 ■親としつべき 第一人者の意に内大臣が玉鬘の親であることをかけた。 ■ここなども、さるべからむをりには… 玉鬘が「このわたりにてさりぬべき御遊のをりなどに」と言ったのを受ける。 ■つひには聞きたまひてむかし 源氏が玉鬘を最終的には内大臣に引き合わせるつもりがあることを示している。ただそれは今すぐではない。源氏は一方で玉鬘を妻としたい色気もあり、玉鬘への思いは複雑である。 ■ことつひいと二なく 「ことつひいと二なく」の解釈未詳。本によって異同が多い。 ■貫河の世々のやはらた 「貫河《ぬきがは》の瀬々の、やはら手枕、やはらかに、ぬる夜はなくて、親さくる夫《つま》」(催馬楽・貫河)(【花宴 05】)。親に仲を裂かれた男女の掛け合いからなる。これは女の歌詞。玉鬘と夫婦になれないことの嘆きをこめる。 ■親避くるつま 前述の催馬楽を引く。催馬楽では「親が引き離す妻」の意だが、これを「親を避ける妻」の意に取って、玉鬘が源氏を避けていることを揶揄した。 ■才は人になむ恥ぢぬ 芸能事が上達するには人に恥じていてはならないということ。参考「能をつかんとする人…」(徒然草・百五十段)。 ■想夫恋 本来は「相府蓮」で晋の王倹が蓮の花を歌ったもの。「想夫恋」「想夫憐」の字を当てて、夫を想う妻の曲として解されてきた。(『徒然草』二百十四段)。参考『平家物語』「小督」。 ■ありけめ 当時、そういう故事や伝説があったか。 ■さる田舎の隈 肥前国。 ■古大君女 王族(二世以下の皇胤)の老女。 ■ひが事にもや 下に「弾き出でん」などを補って読む。 ■聞きとる事もや 下に「あらむ」を補って読む。 ■この御ことによりぞ 「こと」は「事」と「琴」をかける。 ■いかなる風の 「琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒よりしらべそめけむ」(拾遺・雑上 斎宮女御)によるか。 ■耳固からぬ人 玉鬘が和琴の音をよく聞き分けることが源氏にはわかった。それで、玉鬘が自分の求婚をしりぞけているのは「耳が固い」=聞こえない、のではなく、故意に耳を塞いで聞くまいとしていることがわかったと。そういう皮肉を、源氏は冗談めかして言うのである。 ■いと心やまし 源氏の皮肉を理解したから。 ■人々 玉鬘つきの女房たち。 ■この人々 弁少将や藤侍従たち。 ■この花園 花園の中には撫子(玉鬘)が咲いている。玉鬘を内大臣に引き合わせようの意。 ■いにしへも 雨夜の品定めで内大臣(頭中将)が撫子(玉鬘)について語ったこと(【帚木 08】)。 ■なでしこの… 「なでしこ」は玉鬘。「とこなつ」は「床」と「常夏(撫子)」をかける。「もとの垣根」は素性。「人」は内大臣。玉鬘があまりにも魅力的なので、どういう素性の者かと内大臣は詮索するでしょう。そうすればいずれ、貴女が内大臣の実子であることはわかってしまいますの意。この歌と次の歌は内大臣(頭中将)と夕顔の歌の贈答をふまえる(同上)。 ■繭ごもり 「たらちねの親のかふこの繭ごもりいぶせくもあるか妹にあはずて」(拾遺・恋四 人麿)による。玉鬘が親に会えず引きこもっていること。 ■はかなげに 何でもないふうに。玉鬘は、父のことは一番の関心事なのだが、あえて何でもないそぶりで歌を読んだ。それが源氏にはわかるので、ますます玉鬘が意地らしく思えるのである。 ■げにいとなつかしく 「げに」は源氏の歌の「とこなつかしき」を受ける。 ■来ざらましかば 引歌未詳。

朗読・解説:左大臣光永

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