【真木柱 22】源氏、玉鬘に未練 歌の贈答

原文

二月にもなりぬ。大殿は、さてもつれなきわざなりや、いとかう際々《きはぎは》しうとしも思はでたゆめられたる妬《ねた》さを、人わろく、すべて御心にかからぬをりなく、恋しう思ひ出でられたまふ。宿世《すくせ》などいふものおろかならぬことなれど、わがあまりなる心にて、かく人やりならぬものは思ふぞかし、と起き臥《ふ》し面影《おもかげ》にぞ見えたまふ。大将の、をかしやかにわららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、はかなき戯《たはぶ》れ言《ごと》もつつましうあいなく思されて、念じたまふを、雨いたう降りていとのどやかなるころ、かやうのつれづれも紛らはし所に渡りたまひて、語らひたまひしさまなどの、いみじう恋しければ、御文奉りたまふ。右近がもとに忍びてつかはすも、かつは思はむことを思すに、何ごともえつづけたまはで、ただ思はせたることどもぞありける。

「かきたれてのどけきころの春雨《はるさめ》にふるさと人をいかに忍ぶや

つれづれに添へても、恨めしう思ひ出でらるること多うはベるを、いかでかは聞こゆべからむ」などあり。

隙《ひま》に忍びて見せたてまつれば、うち泣きて、わが心にもほど経《ふ》るままに思ひ出でられたまふ御さまを、まほに、「恋しや、いかで見たてまつらん」などはえのたまはぬ親にて、げに、いかでかは対面《たいめ》もあらむとあはれなり。時々むつかしかりし御気色を、心づきなう思ひきこえしなどは、この人にも知らせたまはぬことなれば、心ひとつに思しつづくれど、右近はほの気色見けり。いかなりけることならむとは、今に心得がたく思ひける。御返り、「聞こゆるも恥づかしけれど、おぼつかなくやは」とて書きたまふ。

ながめする軒《のき》のしづくに袖ぬれてうたかた人をしのばざらめや

ほどふるころは、げにことなるつれづれもまさりはべりけり。あなかしこ」とゐやゐやしく書きなしたまへり。

ひきひろげて、玉水《たまみず》のこぼるるやうに思さるるを、人も見ばうたてあるべしとつれなくもてなしたまへど、胸に満つ心地して、かの昔の、尚侍《かむ》の君を朱雀院の后《きさき》の切《せち》にとり籠《こ》めたまひしをりなど思し出づれど、さし当たりたることなればにや、これは世づかずぞあはれなりける。「すいたる人は、心からやすかるまじきわざなりけり、今は何につけてか心をも乱らまし、似《に》げなき恋のつまなりや、とさましわびたまひて、御琴掻き鳴らして、なつかしう弾《ひ》きなしたまひし爪音《つまおと》思ひ出でられたまふ。あづまの調べをすが掻《が》きて、「玉藻《たまも》はな刈りそ」とうたひすさびたまふも、恋しき人に見せたらば、あはれ過ぐすまじき御さまなり。

現代語訳

二月にもなった。大殿(源氏)は、「それにしても大将のなんと無情な仕打ちではないか、こうまできっぱりと女君(玉鬘)を手にいれてしまうとは思わないで、油断していたのを出し抜かれたのが恨めしい」。その恨みを、人前に体裁わるいほど、万事、女君のことがお心にかからぬ折とてなく、恋しくお思い出しなさる。人の運命などというものはおろそかにできないものだが、自身のうかつさによって、こうして自業自得の物思いに沈むことになるのだと、起きても寝ても女君のことが面影にお見えになる。大将(髭黒)のような、趣味もなく、おもしろげもない人と一緒になっているのでは、ちょっとした冗談言さえも遠慮されて、そぐわないこととお思いになって、我慢していらしたが、雨がひどく降ってまことにのんびりしている頃、こうした折の所在なさの紛らわし所として、女君のいらした御部屋においでになって、女君がお語らいになったさまなどが、たいそう恋しかったので、御文をさしあげなさる。右近のもとにお忍びで遣わすのだが、それも右近が勘ぐるだろうとご心配なさり、何ごとも詳しくはお書きつづけなれず、万事、女君が察するにまかせて多くのことをお書きになられた。

(源氏)「かきたれて……

(雨がふりつづけて、のどかな今日このごろの春雨に、貴女はふるさと人である私をどのように思い出してくださっておりましょうか)

所在なさに加えても、恨めしく思い出されることが多くございますのを、今となってはそれを、どうやって申し上げたらよろしいのでしょう」などとある。

右近が人のいないすきにこっそり御目にかけると、女君(玉鬘)は泣いて、こちらの気持ちとしても、月日がたつにしたがって、お思い出しになられる殿(源氏)のお姿を、まともに、「ああ恋しい、どうやって拝見したらよいのだろう」などとおっしゃることは、養い親という立場上、おできにならないので、いかにも、どうやって対面ができようかと心をお痛めになる。時々はわずらわしいこともあった殿のご様子を、気に食わないことに存じ上げたことなどは、この人(右近)にもお知らせになっていらっしゃらないことなので、ご自分の胸の内ひとつで思いつづけていらっしゃるが、右近はそれとなく雰囲気を察しているのだ。どのようなご関係だったのだろうとは、今も腑に落ちないと思っているのだ。ご返事として、(玉鬘)「申し上げるのも畏れ多いですが、申し上げないでは気がかりでしょうから」といって、お書きになる。

(玉鬘)「ながめする……

(長雨がふる軒のしづくに袖がぬれて、ぼんやり物思いに沈んでおりますと、ほんのしばらくの間でも貴方を思い出さぬはずがございましょうか)

長雨とともに時が過ぎていきますと、仰せのとおり、格別な所在なさもまさってまいります。あなかしこ」と、たいそう礼儀正しくお書きになっていらっしゃる。

殿(源氏)は、この御文をひきひろげて、玉水のように涙がこぼれる思いになられるが、人が見ていれば具合が悪いだろうと、何でもないように取り繕いなさるけれど、胸に思いが満ちるお気持ちがして、あの昔の、尚侍の君(朧月夜)を朱雀院の母后がひたむきに隠しておしまいになった折などをお思い出しになられるが、そんな遠い昔のことでなくて、今回は差し当たって直面なさっている問題だからだろうか、世にまたとないほどに切実にお心にお響きになるのであった。
(源氏)「色好みの人は、自ら求めて心脅かされようとするものであったのだ。だが今さら何につけて心を乱そうというのか。私には似つかわしくない恋の相手であったのに」と、お気持ちの高ぶりをしずめようとなさるけれど、おできにならず、御琴をかきならして、女君がやさしくお弾きになられた爪音をお思い出しになられる。和琴の調べをすが掻きにして、(源氏)「玉藻はな刈りそ」と、たわむれにお歌いになるのも、恋しいあの人に見せたら、きっとしみじみ胸打たれるにちがいないご様子である。

語句

■妬さを… 直話法からそのまま間接話法につながる。 ■雨いたう降りて 春雨は源氏の鬱屈した気分を暗示する。『源氏物語』では天候は単なる気象現象ではなく、登場人物の心理とかさなる。 ■右近 玉鬘つきの女房。 ■ただ思はせたることども ずばり核心をついたことは書かず、相手の推量にまかせた書きぶり。 ■かきたれて… 「春雨にふる」に「ふるさと人」をかける。「ふるさと人」は源氏。 ■隙に忍びて 右近が、髭黒のいないすきに源氏の手紙を玉鬘にこっそりとお目にかける。 ■えのたまはぬ親 実の父娘でないことが世間にはっきりしているので、表立って会うわけにはいかなくなった。 ■むつかしかりし御気色 源氏の玉鬘への懸想。 ■ながめする 「ながめ」は「長雨」と「眺め(物思い)」をかける。「しづく」「ぬれ」「うたかた(飛沫)」は縁語。参考「思ひ川たえず流るる水の泡のうたかた人にあはで消えめや」(後撰・恋一 伊勢)・「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(小倉百人一首九番 小野小町)。 ■ほどふるころは 前の歌の「長雨」の縁で「降る」と「経る」をかける。 ■げにことなるつれづれも 源氏の文の「つれづれに添えても」を受けていう。 ■あなかしこ 恐れ多く存じます、の意。手紙の結びの言葉。 ■玉水 玉鬘の歌の「軒のしづく」からの縁。 ■胸に満つ 「玉水のこぼるる」からの縁。 ■かの昔の、尚侍の君 朧月夜。 ■すいたる人 いわゆる「色好み」。風流や色恋の道に没頭する人。 ■心から 他から強制されるのではなく、自らすすんで。 ■今は何につけてか すでに玉鬘は髭黒の妻となってるのに。 ■御琴掻き鳴らして かつて玉鬘が和琴を掻き鳴らしたこと(【常夏 03】)を思い出している。 ■すが掻きて 「すが掻き」は和琴の奏法。詳細不明。 ■玉藻はな刈りそ 「鴛鴦《をし》、鰖《たかべ》、鴨さへ来居る、蕃良《はら》の池の、や、玉藻は真根《まね》な刈りそや、生《お》ひも継ぐがに、や、生ひも継ぐがに」(風俗歌・鴛鴦)。

朗読・解説:左大臣光永