【胡蝶 07】源氏、玉鬘に胸の内を告白 玉鬘、困惑

原文

心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。雨のうち降りたるなごりの、いとものしめやかなるタつ方、御前の若楓《わかかへで》柏木《かしはぎ》などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を見出だしたまひて、「和して且《また》清し」とうち誦《ず》じたまうて、まづこの姫君の御さまのにほひやかげさを思し出でられて、例の忍びやかに渡りたまへり。手習《てならひ》などして、うちとけたまへりけるを、起き上りたまひて、恥ぢらひたまへる顔の色あひいとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、「見そめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるるをりをりこそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに、昔ざまのにほひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ」とて、涙ぐみたまへり。箱の蓋《ふた》なる御くだものの中に、橘《たちばな》のあるをまさぐりて、

「橘のかをりし袖によそふればかはれる身ともおもほえぬかな

世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かくて見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思しうとむなよ」とて、御手をとらへたまへれば、女かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。

袖の香をよそふるからに橘《たちばな》のみさへはかなくなりもこそすれ

むつかしと思ひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥《こ》えたまへる、身なり肌つきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地したまて、今日はすこし思ふこと聞こえ知らせたまひける。女は心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるる気色もしるけれど、「何か、かくうとましとは思いたる。いとよくもて隠して、人に咎《とが》めらるべくもあらぬ心のほどぞよ。さりげなくてをもて隠したまへ。浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なんするを。このおとづれきこゆる人々には、思しおとすべくやはある。いとかう深き心ある人は世にあり難《がた》かるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」とのたまふ。いとさかしらなる御親心なりかし。

雨はやみて、風の竹に鳴るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜《よ》のさまもしめやかなるに、人々は、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、け近くもさぶらはず。常に見たてまつりたまふ御仲なれど、かくよきをりしもあり難ければ、言《こと》に出でたまへるついでの御ひたぶる心にや、なつかしいほどなる御衣《おんぞ》どものけはひは、いとよう紛らはしすベしたまひて、近やかに臥したまへば、いと心憂く、人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ。実の親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまのうきことはあらましや、と悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御気色なれば、「かう思すこそつらけれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、みなゆるすわざなめるを、かく年経ぬる睦《むつ》ましさに、かばかり見えたてまつるや、何のうとましかるべきぞ。これよりあながちなる心は、よも見せたてまつらじ。おぼろけに忍ぶるにあまるほどを、慰むるぞや」とて、あはれげになつかしう聞こえたまふこと多かり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。わが御心ながらも、ゆくりかにあはつけきことと思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜もふかさで出でたまひぬ。「思ひうとみたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限りなく底《そこ》ひ知らぬ心ざしなれば、人の咎《とが》むべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しき慰めに、はかなきことをも聞こえん。同じ心に答《いら》へなどしたまへ」と、いとこまかに聞こえたまへど、我にもあらぬさまして、いといとうしと思《おぼ》いたれば、「いとさばかりには見たてまつらぬ御心ばへを。いとこよなくも憎みたまふべかめるかな」と、嘆きたまひて、「ゆめ気色なくてを」とて出でたまひぬ。

女君も、御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、世の中を知りたまはぬ中にも、すこしうち世馴《よな》れたる人のありさまをだに見知りたまはねば、これよりけ近きさまにも思し寄らず、思ひのほかにもありける世かな、と嘆かしきに、いと気色もあしければ、人々、御心地悩ましげに見えたまふ、ともてなやみきこゆ。「殿の御気色のこまやかに、かたじけなくもおはしますかな。実《まこと》の御親と聞こゆとも、さらにかばかり思し寄らぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」など、兵部なども忍びて聞こゆるにつけて、いとど思はずに、心づきなき御心のありさまを、うとましう思ひはてたまふにも、身ぞ心憂かりける。

またの朝《あした》、御文とくあり。悩ましがりて臥《ふ》したまへれど、人々御視などまゐりて、「御返り疾《と》く」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。「たぐひなかりし御気色こそ、つらきしも忘れがたう。いかに人見たてまつりけむ。

うちとけてねもみぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ

幼くこそものしたまひけれ」と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥国紙《みちのくにがみ》に、ただ、「承りぬ。乱り心地のあしうはべれば、聞こえさせぬ」とのみあるに、かやうの気色はさすがにすくよかなり、とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふも、うたてある心かな。

現代語訳

源氏の君は気がかりなまま、しばしば姫君(玉鬘)の御殿においでになって、お世話申し上げなさる。雨がさっと降った後の、まことにしんみりした夕方、お庭前の若楓や柏木などが、青々と茂りあっているのが、何となく心地よげな空を、部屋の中から御覧になって、(源氏)「和して且清し」と口ずさみなさって、何よりもこの姫君(玉鬘)のご様子の、つややかな美しさをお思い出されて、いつものようにお忍びでおいでになった。

姫君はすさび書きなどして、くつろいでいらっしゃったが、お起き上がりになって、恥じらっていらっしゃる顔の色具合はとても美しい。源氏の君は、姫君のなごやかな気配に、つい昔の人(夕顔)が思い出されるにつけても堪えられなくなって、(源氏)「初めてお会いした時は、本当にここまで似てはいらっしゃらないだろうと思ったのですが、不思議に今は、まさにその方(夕顔)と見間違えてしまう折々さえございます。しみじみと心打たれることですよ。中将の君(夕霧)が、まったく、亡くなった母親(葵の上)の美しさを残していると見えないことに馴れておりましたので、親子というのはたいして似ないものだと思っていましたが、貴女のような方もいらっしゃったのですね」といって、涙ぐまれる。箱の蓋に載せたお菓子類の中に、橘があるのをもてあそびながら、

(源氏)「橘の…

(橘の香る袖…昔の夕顔に貴女を比べてみると、別人とも思えないことですよ)

いつもいつも心にかけて忘れられないのに、その心が慰められることがないまま何年も過ごしてきましたが、今こうして貴女をお世話して差し上げるのは、夢だろうかとばかり思ってもみますが、夢と思ってみてもやはり、堪えられないことですよ。私のことを嫌がらないでくださいまし」といって御手をお取りになると、女(玉鬘)はこのように扱われることに馴れていらっしゃらなかったので、ひどく嫌に思ったが、おっとりした様子でお返事をなさる。

(玉鬘)袖の香を…

(橘の袖の香…亡き母と比較するからといって、橘の実…今の私までも死んでしったらどうしましょう)

気味が悪いと思ってうつぶしていらっしゃるさまは、たいそう心惹かれるもので、手つきがふっくらと肥えていらっしゃって、身なり、肌つきがきめ細かに可愛らしいので、源氏の君は、かえって恋慕の情が加わるお気持ちになられて、今日はすこし思っていることをお知らせになった。
女は残念で、どうしようかと思って、自然と震え出す様子もはっきり見て取れるので、(源氏)「どうして、こんなにいやがられるのですか。上手に隠して、人に見咎められないように用心しているのですよ。貴女も何気ないふりをして隠していらっしゃい。貴女のことを浅からず存じ上げております親心に、また別の思いが加わるわけですから、世間に滅多になかろうという気がするのですよ。貴女に文をお贈りしてくる方々と比較して、私のことを低く見てよいものでしょうか。本当にここまで深い心のある者は世間に滅多いないはずですから、貴女のことが心配なのですよ」とおっしゃる。実におせっかいな御親心というものである。

雨はやんで、風が竹に当たって鳴っている折から、見事にさし出た月影に、風情ある夜のさまもしんみりしている中、女房たちは、お二人がこまごまとお語らいになっていらっしゃることに遠慮申して、おそば近くにも控えてはいない。

いつもお逢いになっていらっしゃる御仲ではあるが、このような絶好の機会は滅多にないので、お気持を告白なさったついでの、抑えきれない一途なお気持ちであろうか、肌にぴったりと着ていらっしゃるお召し物の衣擦れの音はとてもよくごまかしてお脱ぎになって、女君の近くに横になられると、女君はまことに辛く、人がどう思うだろうと、あまりに心外なことで、何ともたまらないお気持ちである。実の親の御膝下であったら、いい加減に放置さなるとしても、このような嫌なことはあるまい、と悲しいので、抑えようとしても涙がこぼれてきて、まことに痛々しいご様子なので、(源氏)「貴女がこう思われるのは辛いことですよ。まったくの他人であっても、世の道理として、みなこのようなことは許すようですのに。まして私たちはこうして長年、仲のよい交わりを重ねてきたのですから、これくらいのことをお見せ申し上げるのが、何のいやなことがございましょう。これより強引な気持は、けしてお見せ申し上げますまい。一方ならず我慢しても我慢しきれない私の気持を、慰めたいのですよ」といって、しみじみと情深く心惹かれるようすで、いろいろなことをお話しになられる。なおさら、このような気配は、ひたすら昔に返ったような思いになって、ひどく胸かき乱されるのだ。源氏の君は、我ながら唐突で、浮ついたこととだとご自覚なさるので、まことによくご自制なさって、女房たちもあやしむと思ったので、それほど夜が更けないうちにご退出なさった。

(源氏)「私のことをお嫌いになったのであれば、ひどく残念なことですよ。他の人は、ここまで恋に没頭したりはしないものですよ。限りもなく底しれぬ私の気持の深さなのですから、人が咎めるようなことはけしてしないでしょう。ただ昔の人が恋しいことの慰めとして、とりとめもないことも貴女に申し上げたいのです。貴女も同じ気持になって答えなどなさってください」と、まことにこまごまとお話し申し上げなさるが、女君(玉鬘)は正気を失いそうなご様子で、ひどく嫌に思っていらっしゃるので、(源氏)「まったくそこまで私をお嫌いであったとは存じませんでした。ますますひどくお憎みなさるようですね」と、ため息をおつきになって、(源氏)「けして人に気づかれぬように…」といってご退出になられた。

女君も、御年こそ重ねていらっしゃるが、男女の間をご存知でない仲にも、すこし経験があるような人のありさまさえお見知りにならないので、これ以上親密な関係を持つことなど想像もおできにならず、「思いもしないこともある世の中であるよ」と嘆かわしく、ひどく不快のご様子なので、女房たちは、「ご気分が悪いようにお見うけされるど」と、どうして差し上げてよいかわからず困っている。

(兵部の君)「殿のお心ざしが細々と行き届いて、もったいないほどでいらっしゃいますこと。実の御親と申し上げても、まったく、これほどまでにお気遣いしてくださることはございますまい」など、兵部なども、こっそりと申し上げるにつけて、女君(玉鬘)は、思いがけずいやらしい源氏の君のお心のありさまを、厭わしくお思いになられてからは、わが身を情けなく思うのだった。

翌朝、お手紙が早くにあった。姫君は気分が悪いといって横になっていらしたが、女房たちが御硯などを持って参って、「お返事を早く」と申し上げるので、しぶしぶ御覧になる。白い紙の、表面はおおらかに、そっけない紙に、たいそう美しくお書きになっていらっしゃる。

(源氏)「たぐいなく大切な貴女がご機嫌ななめでございますことが、私には辛いのですが、そのことでかえって貴女のことが忘れがたくもなるのです。女房たちはどんなふうに昨夜の貴女を拝見したのでしょうか。

うちとけて…

(心をゆるし合って寝たわけではないのに、どうして貴女は若草がしぼんでいるように、事あり顔でふさぎこんでいるのでしょう)

大人げなくていらっしゃることですね」と、それでもやはり親ぶっている御言葉も、ひどく憎いと御覧になるが、お返事を差し上げないのも、人目に変に思われるので、ふっくらした陸奥国紙に、ただ、(玉鬘)「お手紙は拝見いたしました。気分が悪うございますので、お返事はいたしません」とだけあるので、源氏の君は、こうしう所は、いくらよく出来た娘とはいっても、やはり無愛想だな、とほほ笑まれて、恨めしいお気持ちがわいてくるのも、こまった心ではある。

語句

■心にかかれるままに 前段末で源氏は自分の好色心を反省していたが、それでもなお、玉鬘に心惹かれるのである。 ■渡りたまひつつ 玉鬘の居所へ。玉鬘の居所は、花散里のすむ六条院丑寅の町(夏の町)の西の対。「涼しげなる泉ありて、夏の蔭によれり」(【少女33】)。 ■若楓柏木などの 若楓(青紅葉)は卯月の風物。「卯月ばかりの若楓すべて万の花紅葉にもまさりてめでたきものなり」(徒然草・百三十九段)。 ■和して且清し 「四月ノ天気ハ和シテ且ツ清シ 緑槐ノ陰合シテ沙堤ハ平カナリ」(白氏文集巻十九・贈駕部呉郎中七兄)の冒頭。 ■にほひやかげさ 「にほひやか」はつやつやして美しい。もともと美しい玉鬘の顔立ちが、恥じらいのために赤らんでいっそう美しいさま。 ■昔思し出でらるる 玉鬘の母夕顔について「人のけはひ、いとあさましく柔らかに、おほどきて、もの深く重き方はおくれて、ひたぶるに若びたる」とあった(【夕顔 09】)。 ■見そめたてまつりしは 源氏が玉鬘と初めて会った時の印象は「げにとおぼゆる五まみの恥づかしげさなり」(【玉鬘 15】)。 ■箱の蓋 箱の蓋を器として用いた。 ■橘の… 「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今・夏 読人しらず)。ここから花橘は「昔の人(恋人)」を思い出すよすがされる。【少女 33】にも「昔おぼゆる花橘」とあった。「橘のかをりし袖」は夕顔。「身」に「実」をかける。 ■世とともの 世の移り変わりとともに。いつもいつも。 ■御手をとらへたまへれば 源氏はかつてやはり養女である斎宮の女御(秋好中将)にも好き心を抱いていたが、直接行動は控えた(【薄雲 19】)。 ■女 恋愛の場面では「男」「女」という呼称になる。 ■橘の… 「袖の香」は夕顔。「橘の実」は玉鬘。「からに」は…だからといって。「み」は「実」と「身」をかける。「もこそ」は悪い結果を心配する言い方。 ■つぶつぶと ふっくらと。【空蝉 02】に、軒端荻の姿を描写して「いと白うをかしげにつぶつぶと肥えて」とあった。 ■身なり 夏衣は薄いので肌が透けて見える。 ■たまて 「たまひて」とする本が多い。 ■今日はすこし 少し前に「思すさまのことはまばゆければ、えうち出でたまはず」と(【胡蝶 05】)。 ■思ふこと 玉鬘への恋心。 ■さりげなくてを 「を」は強調の間投助詞。 ■また添ふべければ 親心に恋人としての気持が加わるの意。 ■おとづれきこゆる人々 兵部卿宮・髭黒大将・柏木など。 ■思しおとすべくやはある 自分こそが貴女を一番想ってますの意。 ■うしろめたくのみこそ 私ほど貴女を深く想っている男と結ばれないで、他の、並大抵のつまらない男と結婚するのは貴女のためにならない。貴女のために私は心配しているのですの意。 ■いとさかしらなる 草子文。筆者の感想。 ■雨はやみて 前に「雨のうち降りたるなごりの…」とあった。時間経過とともに登場人物の心理や関係性の変化も暗示する。 ■風の竹に鳴るほど 「風ノ竹ニ生ズル夜ハ窓間ニ臥ス月ノ松ヲ照ラスノ時ハ台上ニ行ク」(白氏文集巻第十九・贈駕部呉郎中七兄)。「竹」は前述の呉竹。 ■人々 玉鬘つきの女房たち。まさか養父である源氏が玉鬘に言い寄っているとは思いもよらない。 ■御物語にかしこまりおきて 女房たちは源氏と玉鬘の親子水入らずの語らいを邪魔するまいと気を遣っている。 ■言に出でたまへる 源氏が、玉鬘への恋心を打ち明けたこと。 ■なつかしいほどなる 着ならして衣が肌にぴったり馴染んでいる状態。 ■実の親 内大臣。 ■おろかには見放ち玉符とも 玉鬘は母の身分が低いので内大臣家にあって冷遇されるおそれがある。 ■かくざまのこと 源氏に添い寝され、関係を迫られていることを言う。 ■かく年経ぬる 源氏が玉鬘と会ってから六ヶ月しか経っていないが誇張して言ったもの。 ■おぼろけに 「おぼろけならず」と同意。 ■忍ぶるにあまる 「忍ぶ」は我慢する、昔をなつかしむ、の両義。 ■まして 目の前の玉鬘の態度に、ますます夕顔の姿が重なる思いがする。 ■昔の心地 夕顔と逢った昔の気持ち。 ■ゆくりかに 「ゆくりか」は唐突で思いがけないさま。養い親である自分が玉鬘に関係を迫るなどとは。源氏の親心と好き心の葛藤が見て取れる。 ■ほけぼれしう 「ほれぼれし」は恋に放心しているさま。 ■昔恋しき 夕顔との昔の思い出が。 ■ゆめ景色なく 源氏は玉鬘の放心した態度があやしまれて、事が露呈するのではないかと危惧している。 ■御年 玉鬘は二十ニ歳。当時の女子の結婚適齢期は十四歳。 ■うち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねば 玉鬘は九州で乳母夫婦に大切に育てられた。情事の経験を積んだ女房に教えを受けるすきはなかった。だから源氏が行ったこと(衣を脱ぐ、添い寝)の意味もわかっていない。 ■これより 手を握ったり添い寝するより次の段階があることを玉鬘はまったく知らない。 ■思しよらぬことなくは、もてなしきこえたまはじ =思しよせては、もてなしきこえたまはじ。二重否定は肯定として訳す。 ■身ぞ心憂かりける 実父に会うには源氏を頼みにするほかなく、そうすると源氏に言い寄られる。それを相談する相手もいない。玉鬘の八方塞がりな気持ち。 ■御文とくあり 源氏からの文。行為はなかったので後朝の文というわけではないが、それになぞらえて送る。ここで源氏と玉鬘の関係は、『伊勢物語』六十九段における「男」と「伊勢の斎宮」の関係を思わせる。 ■白き紙の 後朝の文はふつうもっと色気のある紙を使うものだが、源氏は実子への手紙らしく、そっけなくつくろっている。 ■うちとけて 『伊勢物語』四十九段の、兄と妹の歌のやり取り「うら若み寝よげに見ゆる若草をひとの結ばむことをしぞ思ふ」「初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなく物を思ひけるかな」による。「ね」に「寝」と「根」をかける。「根」は「若草」の縁語。「若草」は玉鬘のこと。 ■さすがに 昨夜のようなことをしておきながら、それでもやはり。 ■陸奥国紙 檀紙。厚ぼったい。事務的な用途に使い恋文などには向かない。 ■かやうの気色 むきになった態度。 ■さすがに いくら出来た娘だからといって、やはり。 ■すくよかなり 「健よか」は、無愛想だ。事務的だ。そっけない。無骨だ。本来的には心がしっかりして気丈であるの意。 ■うたてある心かな 草子文。源氏は相手が冷淡であるほど恋心を燃やす性質がある。

朗読・解説:左大臣光永