【篝火 02】初秋、源氏と玉鬘、篝火の歌の贈答

秋になりぬ。初風涼しく吹き出でて、背子《せこ》が衣もうらさびしき心地したまふに、忍びかねつつ、いとしばしば渡りたまひて、おはしまし暮らし、御琴なども習はしきこえたまふ。五六日《いつかむゆか》の夕月夜《ゆふづくよ》はとく入りて、すこし雲隠るるけしき、荻《をぎ》の音もやうやうあはれなるほどになりにけり。御琴を枕にて、もろともに添ひ臥《ふ》したまへり。かかるたぐひあらむや、とうち嘆きがちにて夜ふかしたまふも、人の咎《とが》めたてまつらむことを思せば、渡りたまひなむとて、御前《おまへ》の篝火《かがりび》のすこし消え方《がた》なるを、御供なる右近大夫《うこんのたいふ》を召して、点《とも》しつけさせたまふ。

いと涼しげなる遣水《やりみづ》のほとりに、けしきことに広ごり伏《ふ》したる檀《まゆみ》の木の下《した》に、打松《うちまつ》おどろおどろしからぬほどに置きて、さし退《しりぞ》きて点《とも》したれば、御前の方は、いと涼しくをかしきほどなる光に、女の御さま見るにかひあり。御髪《みぐし》の手当りなど、いと冷やかにあてはかなる心地して、うちとけぬさまにものをつつましと思したる気色、いとらうたげなり。帰りうく思しやすらふ。「絶えず人さぶらひて点《とも》しつけよ。夏の、月なきほどは、庭の光なき、いとものむつかしく、おぼつかなしや」とのたまふ。

「篝火《かがりび》にたちそふ恋の煙《けぶり》こそ世には絶えせぬほのほなりけれ

いつまでとかや。ふすぶるならでも、苦しき下燃《したも》えなりけり」と聞こえたまふ。女君、あやしのありさまや、と思すに、

「行《ゆ》く方《へ》なき空に消《け》ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙《けぶり》とならば

人のあやしと思ひはべらむこと」と、わびたまへば、「くはや」とて出でたまふに、東《ひむがし》の対の方に、おもしろき笛の音《ね》、箏《さう》に吹きあはせたり。「中将の、例の、あたり離れぬどち、遊ぶにぞあなる。頭中将にこそあなれ。いとわざとも吹きなる音《ね》かな」とて、立ちとまりたまふ。

現代語訳

秋になった。初風が涼しく吹き出して、源氏の殿は、なんとなく寂しいお気持ちになられるので、こらえきれなくなっては、足繁く姫君(玉鬘)のもとにおいでになって、一日中いらっしゃって、御琴などもお教えになられる。五日六日の夕月ははやくに山の端に入って、すこし雲に隠れているけしき、荻の風音もしだいに情緒深くなる時分となったのである。殿と姫君は、御琴の近くで、ご一緒に、物によりかかって横になっていらした。殿は「こんな例があるのだろうか」と、ため息をつきがちに夜をお更かしになるが、それも人が見咎め申し上げることを考えると、お帰りになろうということで、お庭前の篝火がすこし消えかかっているのを、お供の右近大夫を召して、火を灯させなさる。

まことに涼しげな遣水のほとりに、格別な風情で横に広がって垂れている壇《まゆみ》の木の下に、割り木を大げさでない程度に置いて、ちょっとさがって火を点したので、御座所のほうは、まことに涼しく、ほどよい風情の光に、女君(玉鬘)のご様子は見映えがする美しさである。

御髪の手触りなど、たいそうひんやりして上品な感じがして、打ち解けない感じでつつましやかにしていらっしゃるようすが、とても可愛らしい。源氏の殿は、帰りたくないとお思いになってぐずぐずしていらっしゃる。(源氏)「いつも誰か控えていて火を点しつけよ。夏の、月のない頃は、庭に光がないのが、ひどく殺風景で、心もとないものだから」とおっしゃる。

(源氏)「篝火に…

(篝火といっしょに立ち上る恋の煙こそ、いつまでも絶えることのない炎だったのですよ)

いつまで待てとおっしゃるのですか。くすぶっているわけではないが、苦しい下燃えなのですよ」と申し上げなさる。女君は、不思議なありさまだこと、とお思いになるにつけ、

(玉鬘)「行く方なき…

(行方も知らない空でお消しになってください。篝火と一緒にたちのぼる煙というならば)

人が変に思いますでしょう」と、お困りでいらっしゃるので、(源氏)「これはこれは」といってご退出なさると、東の対の方から、風情のある笛の音を、箏と合わせて吹いている。(源氏)「中将(夕霧)が、例によって、いつも一緒の友達と、遊んでいるらしい。頭中将(柏木)らしいね。ひどくことさらに吹いている音であるよ」といって、お立ちどまりになる。

語句

■初風涼しく 「わがせこが衣のすそを吹き返しうらめづらしき秋の初風」(古今・秋上 読人しらず)を引く。 ■背子が衣 「うらさびしき」の序。「うら」は「衣」の縁語。 ■御琴なども 源氏は玉鬘に前々から和琴を教えていた(【常夏 03】【同 04】)。 ■五日六日の夕月夜 五日六日の夕月。はやく沈む。 ■かかるたぐひあらむや 好きな女と添い寝しながら何もしないということが。 ■人の咎めたてまつらむこと 女房たちは、源氏と玉鬘を実の父娘と思っているから。 ■右近大夫 右近衛将監(六位相当)で、五位に叙せられた者。源氏の家人。 ■遣水 「北の東は、涼しげなる泉ありて、夏の蔭によれり」(【少女 33】)。 ■壇 ニシキギ科の落葉低木・小高木。この木で弓を作るのでマユミという。 ■打松 篝火の火種となる松の割木。 ■篝火に… 「恋」の「ひ」に「火」をかける。 ■いつまでとかや いつまで待てというのかの意。「夏なれば宿にふすぶる蚊遣火のいつまでわが身下燃えをせむ」(古今・恋一 読人らず)を引く。 ■ふるぶるならでも そう取り乱しているわけではありませんが。なんとか平成を保ってはいますがといった意。 ■あやし 養父が娘に恋をするなどとは。 ■くはや 驚いたときに発する語。 ■箏 中国渡来の十三絃の琴。 ■あたり離れぬどち 内大臣の息子たち。 ■あなる 「あるなる」の撥音無表記。 ■頭中将 柏木。内大臣の長男。蔵人頭兼中将。 ■吹きなる音 「吹きたる音」の誤表記という説がある。 

朗読・解説:左大臣光永

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