【真木柱 26】玉鬘、髭黒の子を生む

原文

その年の十一月に、いとをかしき児《ちご》をさへ抱《いだ》き出でたまへれば、大将も、思ふやうにめでたしと、もてかしづきたまふこと限りなし。そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし。父大臣も、おのづから思ふやうなる御|宿世《すくせ》と思したり。わざとかしづきたまふ君達《きむだち》にも、御|容貌《かたち》などは劣りたまはず。頭《とうの》中将も、この尚侍《かむ》の君をいとなつかしきはらからにて、睦《むつ》びきこえたまふものから、さすがなる気色うちまぜつつ、宮仕にかひありてものしたまはましものをと、この若君のうつくしきにつけても、「今まで皇子《みこ》たちのおはせぬ嘆きを見たてまつるに、いかに面目《めいぼく》あらまし」と、あまり事をぞ思ひてのたまふ。公事《おほやけごと》はあるべきさまに知りなどしつつ、参りたまふことぞ、やがてかくてやみぬべかめる。さてもありぬべきことなりかし。

現代語訳

その年の十一月に、尚侍の君(玉鬘)は、まことに可愛いお子をさえご出産になられたので、大将(髭黒)も、念願かなってすばらしいと、どこまでも大切になさる。その頃のありさまは、言わずともご想像しうることでございましょう。父内大臣も、おのずと、わが思い通りになった女君のご運命であると、ご満足でいらっしゃる。お子は、内大臣が特別にかわいがっていらっしゃる君達にも、お顔立ちなどはお劣りにならない。頭中将(柏木)も、この尚侍の君(玉鬘)を、まことに好ましい姉弟として、お親しみ申し上げるのだが、それでもやはり懸想していた頃のお気持ちが時々まじって、宮仕えの結果、そのかいあって帝の御子を宿してご出産なさったらよかったのにと、この若君が可愛らしいのにつけても、(柏木)「今まで皇子たちのいらっしゃらない帝の嘆きを拝見するに、もしこの子が皇子であったら、どんなに名誉なことだったろう」と、あまりに身勝手な事を思ったり口に出したりしていらっしゃる。こうして尚侍としての公務はしかるべきさまに務めなどしながら、参内なさることは、そのままこうして沙汰止みになってしまうようである。それも仕方のないことなのだろう。

語句

■児をさへ 玉鬘と結婚できただけでも嬉しいのに、その上に子まで生まれてさらにうれしいの意。 ■思ふやうなる 内大臣は髭黒と玉鬘の結婚を望んでいた(【真木柱 02】)。 ■わざとかしづきたまふ君達 弘徽殿女御などをさす。 ■頭中将 柏木。かつては玉鬘に懸想していたか実の姉とわかってからは髭黒のサポートにまわった。 ■宮仕にかひありて 宮仕えをして帝から寵愛されて、宮を生んだのだと仮定すると、たいへんな名誉だろうの意。 ■公事は 尚侍としての公務は自邸で行い、宮中に出仕はしないのである。

朗読・解説:左大臣光永