【若菜上 13】二月中旬、六条院に女三の宮を迎える

かくて二月《きさらぎ》の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ。この院にも、御心まうけ世の常ならず。若菜まゐりし西の放出《はなちいで》に、御帳立てて、そなたの一二の対《たい》渡殿かけて、女房の局《つぼね》々まで、こまかにしつらひ磨かせたまへり。内裏《うち》に参りたまふ人の作法《さはふ》をまねびて、かの院よりも御|調度《てうど》など運ばる。渡りたまふ儀式《ぎしき》いへばさらなり。御送りに、上達部などあまた参りたまふ。かの家司《けいし》望みたまひし大納言も、やすからず思ひながらさぶらひたまふ。御車寄せたる所に、院渡りたまひて、おろしたてまつりたまふなども、例には違《たが》ひたる事どもなり。ただ人におはすれば、よろづの事限りありて、内裏《うち》参りにも似ず、婿《むこ》の大君といはむにも事|違《たが》ひて、めづらしき御仲のあはひどもになむ。

三日がほど、かの院よりも、主《あるじ》の院方《ゐんがた》よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。対《たい》の上《うへ》も事にふれて、ただにも思されぬ世のありさまなり。げに、かかるにつけて、こよなく人に劣《おと》り消《け》たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、華《はな》やかに生ひ先遠くあなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、いとらうたげなる御ありさまを、いとどあり難しと思ひきこえたまふ。姫宮は、げにまだいと小さく片なりにおはする中《うち》にも、いといはけなき気色して、ひたみちに若びたまへり。かの紫のゆかり尋ねとりたまへりしをり思し出づるに、かれはざれて言ふかひありしを、これは、いといはけなくのみ見えたまへば、よかめり、憎げにおし立ちたることなどはあるまじかめりと思すものから、いとあまりもののはえなき御さまかなと見たてまつりたまふ。

現代語訳

こうして二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮(女三の宮)は、六条院においでになる。この院(源氏)も、ご準備は並ひととおりではない。若菜を献上した西の放出に、御帳を立てて、そちらの一二の対との間に渡殿をかけて、女房の局々まで、こまかに調えてきれいにさせなさる。参内なさる人の作法をそのままに、あちらの院(朱雀院)からも、御調度類などをお運びになる。女宮がおいでになる儀式は今さら言うまでもなくご立派である。御送りに、上達部など多くお参りになる。例の、姫宮の家司を望んでいらした大納言も、心穏やかでない中にもお仕えなさる。御車を寄せているところに、六条院(源氏)ご自身がおいでになり、御車から女宮をお下ろしなさることなども、ふつうとは違っている事の一つである。六条院(源氏)は臣下でいらっしゃるので、儀式にも万事、限度があって、参内の儀式のようでもなく、婿の親王というのとも違っていて、めずらしいご夫婦のご関係ではある。

三日の間、あちらの朱雀院からも、主人の六条院方からも、仰々しく世にまたとない優雅をお尽くしになる。対の上(紫の上)も何かにつけて、おだやかなお気持ちではいらっしゃれないご夫婦のご様子である。なるほど、このような事になったからとて、まるきりあちらに圧倒されて、ないがしろにされることもないだろうが、ご自分以外に並ぶ人のいないことにこれまでは馴れていらっしゃったところに、華やかで、前途が長く、侮りがたいご様子で女宮(女三の宮)がおいでになったのだから、上(紫の上)は、何となく居心地悪くお思いになるが、ただ何でもないようにふるまって、女宮がおいでになる時も、院とごいっしょに、ちょっとした用事などもお手伝いになり、まことに意地らしげな御ようすを、六条院(源氏)は、いよいよ滅多にないものと思い申しあげなさる。姫宮(女三の宮)は、なるほどまだたいそう小さく未成熟でいらっしゃり、その上まことに幼いごようすで、ひたすら子供っぽくていらっしゃる。かの紫のゆかり(紫の上)を探し出してお迎えになられた折のことをお思い出しになるにつけ、あちら(紫の上)は賢くて相手にしがいがあったのに、こちら(女三の宮)は、まことに幼いばかりお見受けされるので、六条院は、「まあよい、憎らしげに我を押し立てることはなかろう」とお思いになるものの、それにしても、あまりに張り合いのない女宮のご様子ではないかと御覧になられる。

語句

■若菜まゐりし 先日の四十の賀のこと(【若菜上 12】)。 ■西の放出 六条院の寝殿の西側の放出。「放出」は寝殿の母屋の西側の部分か。 ■一二の対 西の対を二つ建てて寝殿に近いほうから一の対、二の対という。 ■女房 女三の宮つきの女房。 ■内裏に参りたまふ人の作法 源氏は准太上天皇なので、六条院を内裏と同等に見る。 ■かの家司望みたまひし大納言 藤大納言(【若菜上 06】)。 ■やすからず 自分が女三の宮と結婚できなかったため。 ■院渡りたまひて 源氏は准太上天皇なので、本来このように直接妻を迎えることはしない。破格の行い。 ■例には違ひたる 准太上天皇として破格であるの意。 ■ただ人におはすれば 源氏は臣下でかつ准太上天皇。歴史上は存在しない虚構の地位。 ■婿の大君 「わいへん(我家)は、とばり帳も、垂れたるを、大君きませ、婿にせむ、み肴に、何よけむ、あはび、さだをか、かせよけむ」(催馬楽・我家)。大君は親王の子。「さだをか」はさざえ。「かせ」はうに。女陰を暗示。 ■三日がほど 婚儀は三日間つづく。 ■げに 前に源氏が「いみじことありとも、御ため、あるより変ることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ」(【若菜上 11】)といったのを受ける。 ■かかるにつけて 「かかる」は女三の宮が六条院に降嫁したこと。 ■つれなく 紫の上は内心の動揺を隠して何でもないようにふるまう。 ■姫宮は 女三の宮十四歳。すでに結婚適齢期にあるが、年齢より幼稚。 ■かの紫のゆかり… 二条院に迎えられた時、紫の上は十歳(【若紫 23】)。 ■憎げにおし立ちたることなどはあるまじかめり 我を張って紫の上と張り合うようなことはないだろう、の意。

朗読・解説:左大臣光永