【横笛 05】夕霧、一条宮を訪れ、落葉の宮と贈答 御息所より柏木遺愛の笛を授かる

秋の夕《ゆふべ》のものあはれなるに、一条宮を思ひやりきこえたまひて渡りたまへり。うちとけしめやかに御|琴《こと》どもなど弾《ひ》きたまふほどなるべし。深くもえとりやらで、やがてその南の廂《ひさし》に入れたてまつりたまへり。端《はし》つ方《かた》なりける人のゐざり入りつるけはひどもしるく、衣《きぬ》の音《おと》なひも、おほかたの匂ひ香《かう》ばしく、心にくきほどなり。例の、御息所《みやすどころ》対面《たいめん》したまひて、昔の物語ども聞こえかはしたまふ。わが御|殿《との》の、明け暮れ人|繁《しげ》くてもの騒がしく、幼き君たちなどすだきあわてたまふにならひたまひて、いと静かにものあはれなり。うち荒れたる心地すれど、あてに気《け》高く住みなしたまひて、前栽《せんざい》の花ども、虫の音《ね》しげき野辺《のべ》と乱れたる夕映《ゆふば》えを見わたしたまふ。

和琴《わごん》を引き寄せたまへれば、律《りち》に調べられて、いとよく弾きならしたる、人香《ひとが》にしみてなつかしうおぼゆ。「かやうなるあたりに、思ひのままなるすき心ある人は、静むることなくて、さまあしきけはひをもあらはし、さるまじき名をも立《た》つるぞかし」など、思ひつづけつつ掻き鳴らしたまふ。故君《こぎみ》の常に弾きたまひし琴《こと》なりけり。をかしき手ひとつなど、すこし弾きたまひて、「あはれ、いとめづらかなる音《ね》に掻《か》き鳴らしたまひしはや。この御琴にも籠《こも》りてはべらんかし。うけたまはりあらはしてしがな」とのたまへば、「琴の緒《を》絶えにし後《のち》より、昔の御|童《わらは》遊びのなごりをだに思ひ出でたまはずなんなりにてはべめる。院の御前《おまへ》にて、女宮たちのとりどりの御琴ども試《こころ》みきこえたまひしにも、かやうの方《かた》はおぼめかしからずものしたまふとなむ定めきこえたまふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりて、ながめ過ぐしたまふめれば、世のうきつまに、といふやうになむ見たまふる」と聞こえたまへば、「いとことわりの御思ひなりや。限りだにある」とうちながめて、琴は押しやりたまへれば、「かれ、なほ、さらば、声に伝はることもやと、聞きわくばかり鳴らさせたまへ。ものむつかしう思うたまへ沈める耳をだに明らめはべらん」と聞こえたまふを、「しか伝はる中《なか》の緒《を》はことにこそははべらめ。それをこそうけたまはらむとは聞こえつれ」とて、御簾《みす》のもと近く押し寄せたまへど、とみにしも承《う》け引きたまふまじきことなれば、強《し》ひても聞こえたまはず。

月さし出でて曇りなき空に、羽翼《はね》うちかはす雁《かり》がねも列《つら》を離れぬ、うらやましく聞きたまふらんかし。風|肌《はだ》寒く、ものあはれなるにさそはれて、箏《さう》の琴《こと》をいとほのかに掻き鳴らしたまへるも奥深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかなかに思ほゆれば、琵琶《びは》を取り寄せて、いとなつかしき音《ね》に想夫恋《さうふれん》を弾きたまふ。「思ひおよび顔なるはかたはらいたけれど、これは言《こと》問はせたまふべくや」とて、切《せち》に簾《す》の内をそそのかしきこえたまへど、ましてつつましきさし答《いら》へなれば、宮はただものをのみあはれと思しつづけたるに、

言《こと》に出でていはぬもいふにまさるとは人に恥ぢたるけしきをぞ見る

と聞こえたまふに、ただ末つ方をいささか弾きたまふ。

ふかき夜のあはればかりは聞きわけどことよりほかにえやは言ひける

飽かずをかしきほどに、さるおほどかなる物の音《ね》がらに、古き人の心しめて弾き伝へける、同じ調べのものといへど、あはれに心すごきものの、かたはしを掻き鳴らしてやみたまひぬれば、恨めしきまでおぼゆれど、「すきずきしさを、さまざまに弾き出でても御覧ぜられぬるかな。秋の夜《よ》ふかしはべらんも昔の咎めやと憚りてなむ、まかではべりぬべかめる。また、ことさらに心してなむさぶらふべきを、この御琴どもの調べ変へず待たせたまはんや。ひき違《たが》ふることもはべりぬべき世なれば、うしろめたくこそ」など、まほにはあらねど、うちにほはしおきて出でたまふ。

「今宵《こよひ》の御すきには、人ゆるしきこえつべくなむありける。そこはかとなきいにしへ語りにのみ紛らはさせたまひて、玉の緒《を》にせむ心地もしはべらぬ、残り多くなん」とて、御贈物に笛を添へて奉りたまふ。「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおきはべりしを、かかる蓬生《よもぎふ》に埋もるるもあはれに見たまふるを、御|先駆《さき》に競《きほ》はん声なむ、よそながらもいぶかしうはべる」と聞こえたまへば、「似つかはしからぬ随身《ずいじん》にこそははべるべけれ」とて、見たまふに、これも、げに、世とともに身に添へてもて遊びつつ、「みづからもさらにこれが音《ね》の限りはえ吹き通さず。思はん人にいかで伝へてしがな」と、をりをり聞こえごちたまひしを思ひ出でたまふに、いますこしあはれ多く添ひて、試みに吹き鳴らす。盤渉調《ばんしきてう》のなからばかり吹きさして、「昔を忍ぶ独りごとは、さても罪ゆるされはべりけり。これはまばゆくなむ」とて出でたまふに、

露しげきむぐらの宿にいにしへの秋にかはらぬ虫の声かな

と聞こえ出だしたまへり。

横笛のしらべはことにかはらぬをむなしくなりし音こそつきせね

出でがてにやすらひたまふに、夜もいたく更けにけり。

現代語訳

秋の夕べのなんとなく風情がある時に、大将(夕霧)は、一条宮をお思いやりになって、おいでになられた。くつろいで、しんみりと、御琴など弾いていらっしゃる頃であったらしい。楽器を奥のほうに片付けることもできず、すぐにその南廂に大将をお入れ申し上げになる。端のほうにいた女房たちが奥にいざり入った気配がはっきりわかり、衣擦れの音も、あたり一帯の香ばしい匂いも、奥ゆかしい時分である。いつものように、御息所がご対面されて、昔の話などをお互いにお話なさる。大将(夕霧)は、御自邸が、明け暮れ人の出入りが多くて、なんとなく騒がしく、幼い君たちなどが集まってあわただしくしていらっしゃることとに慣れておいでであるから、まことに静かでしみじみ心惹かれるのであった。荒れた感じがするが、上品で気高く住んでいらして、植え込みの花々が、「虫の音しげき野辺」の言葉どおりに、夕映えの中に乱れ咲いているのを、お見渡しになる。

大将が和琴をお引き寄せになると、律の音に調整されていて、まことによく弾き慣らしていて、女の移り香もしみこんで、心惹かれるものがある。(夕霧)「このような所に、心まかせのすき心のある人は、自制することもできず、みっともないふるまいを人に見せて、立ててはならない宮の悪い評判をも、立てたりするものだ」など、思いつづけながらお掻き鳴らしになる。故君(柏木)がいつもお弾きになっていらした楽器なのであった。風情のある曲を一曲ニ曲、少しお弾きになって、(夕霧)「ああ何とも。まことに結構な音に、衛門督(柏木)はお掻き鳴らしになられたものでしたね。この御琴にも衛門督(柏木)の想いはこもってございましょう。はっきりとお聞かせいただきたいものです」とおっしゃると、(御息所)「琴の緒が絶えてからというもの、宮(落葉の宮)は、子供の御遊びに琴を弾いた名残さえお思い出しにならなくなっていらっしゃるようでございます。院(朱雀院)の御前で、女宮たちが思い思いの琴を試み申し上げた時にも、このようなことには、宮は、並大抵でなく心得ていらっしゃると、院はご判定申されたようでございますのに、今ではうってかわって、ぼんやりとしてしまって、物思いに暮れて日々を過ごしていらっしゃるようですから、それも故人の悲しい思い出ゆえとというように拝見しております」と申し上げられると、(夕霧)「しごく当然のお気持ちですよ。故人を恋い慕うお気持ちにはどこまでも限りがないでしょうから」とぼんやり物思いに沈んで、琴は脇に押しやられると、(御息所)「その琴を、やはり、それならば、声に故人の想いが伝わることもあるかと、私が聞き分けるほどにお弾きください。気分が晴れず塞ぎ込んでいる耳だけでも、明るくいたしましょう」と申し上げなさるのを、(夕霧)「そのように伝わっているご夫婦の中の緒こそ格別なのでございましょう。それをこそお聴きしたいと申し上げましたのに」といって、和琴を御簾のもと近くに押し寄せなさるが、宮(落葉の宮)は、にわかにお引き受けになられることはなかろうから、大将は、むりにお求めにはならない。

月がさし出て晴れ渡った空に、羽を交わすつがいの雁も列を離れずにいる。宮(落葉の宮)はさぞうらやましくお耳にされていらっしゃるだろう。風が肌寒く、なんとなく風情があるのにさそわれて、筝の琴をほんのささやかに掻き鳴らしていらっしゃるのも奥ゆかしい音色なので、いっそう心惹かれて、ほんの少しだけ聞かせられてはかえってご不満なので、琵琶をとり寄せて、まことに好ましい音色で想夫恋をお弾きになる。(夕霧)「いかにもわかっているふうな顔をするのは気が引けるのですが、これは貴女になにか話しかけていただきたいからです」といって、熱心に簾の内にお促しになるが、いっそう返事をすることがはばかられるので、宮(落葉の宮)はただなんとなく深い感慨にひたっていらっしゃるばかりなので、

(夕霧)言に出でて……

(言葉に出して言わないのも言うにまさるといいますが、貴女が私に対して恥ずかしがっている様子を見ますとそう思えます)

と申し上げられると、宮はただ曲の終わりのほうを少しお弾きになる。

(落葉の宮)ふかき夜の……

(深い夜にお弾きになったその風情だけはわかりますが、それ以上に私に何が言えましょうか)

大将はいつまでも聞いていたいお気持ちであるのに、そうした大らかな楽器の音ながら昔の人が心をこめて弾き伝えた曲は、同じ調べの楽器とはいっても、ぞっとするほどしみじみした風情があるのだか、それを宮は、ほんの一部を掻き鳴らして止めてしまわれたので、恨めしいとまで思われたのだが、(夕霧)「もの好きなところを、さまざまに弾き出してご覧に入れてしまいましたね。こうして秋に夜ふかしをしていると故人が咎めるだろうか、と遠慮されますから、おいとまするのがよろしいようですね。また別の機会に、あらためてそのつもりになっておうかがいしましょうから、この御琴どもの調律を今と変えず、私をお待ちくださいましょうか。あてがはずれることもありうる世の中ですから、心配で」など、はっきりとではないが、ほのめかして言い残して、お出になる。

(御息所)「今宵のご風流には、故人もおゆるし申し上げるだろうと思われます。なんということもない昔語りばかりにお紛らわせになって、玉の緒の命を延べるよすがにもならない気がするのが、心残りが多いことでございました」といって、御贈物に笛を添えてお差し上げになられる。(御息所)「これにこそ、本当に古い由緒も伝っているよう聞いておりますが、このような蓬生に埋もれているのも痛ましいことに存じますので、御先駆と競い合うように貴方がこれを吹かれる音色を、よそながらもお聞きしたいものでございます」と申し上げられるので、(夕霧)「私なぞには不似合いな随身になりそうですね」といって、ご覧になると、この笛も、なるほど、何かにつけて肌身離さず持って吹き鳴らしては、(柏木)「私自身もまったくこの笛の音の限りは吹きつくすことができない。これに執心ある人に、ぜひ伝えたいものだ」と、折々聞こえよがしにおっしゃっていたのをお思い出されるにつけ、いますこし胸に迫るお気持ちがまして、試みに吹き鳴らす。盤捗調《ばんしきちょう》の中程で吹きやめて、(夕霧)「昔の人をしのぶ琴の独奏は、不調法でも許していただけましたが、この笛は決まりが悪うございます」とお立ち出でなさるにつけ、

(御息所)露しげき……

(露が多い雑草の生い茂った宿に、昔とかわらぬ虫の声が響きますこと)

と御簾の中から申し上げられた。

(夕霧)横笛の……

(横笛のしらべは別段昔と変わっていませんので、故人の吹いた音の調子は、後々の世まで伝わっていくでしょう)

ご出発まぎわにぐずぐずしていらっしゃるうちに、夜もたいそう更けてしまった。

語句

■秋の夕の… 季節が秋に移る。 ■深くもえとりやらで 楽器を、奥に片付けることもできずに。 ■端つ方なりける人 御邸にお仕えしている女房たちだろう。 ■おほかたの匂ひ あたり一面にそれとなくたちこめている匂い。 ■例の いつも大将には御息所が応対する(【柏木 10】【柏木 12】)。 ■昔の物語 柏木の思い出話。 ■わが御殿 夕霧の自邸。三条邸。 ■明け暮れ 夕霧は大納言兼左近衛大将。立場上、人の出入りが激しくなる。 ■すだきあわてたまふ 「すだく」は集まる。群がる。 ■虫の音しげき野辺 前に、夕霧が四月ごろに一条宮を訪問したとき「…虫の音添はん秋思ひやらるるより、…」(【柏木 12】)とあった。「君が植ゑしひとむら薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(古今・哀傷 御春有助)。 ■夕映え 夕暮れの光の中にひとしお見事に見えること。 ■律 音楽の調子の名。雅楽における十ニ律のうち陽に属するもの。 ■人香 体臭。落葉の宮のそれと夕霧は推測する。 ■かやうなるあたりに 夕霧は「すき心ある人」について言っているが、自分自身を理性で抑制している状態である。 ■故君の常に弾きたまひし… 柏木は和琴の名手だった(【若菜上 12】)。 ■この御琴にも 落葉の宮の弾く琴の音にも柏木の想いはこもっているだろうの意。なんとか落葉の宮に琴を弾いてもらえるよう話を持っていく。 ■琴の緒絶えにし後… 「伯牙、善ク琴ヲ鼓シ、鍾子期、善ク聴ケリ。…子期死シテ、伯牙ハ弦を絶テリ。音ヲ知ル者無キヲ以テナリ」(列子・湯問う)。「なき人はおとづれもせで琴の緒を絶ちし月日ぞかへりきにける」(蜻蛉日記上・康保ニ年の条、後拾遺雑一)。 ■昔の御童遊のなごり 童遊で琴を弾いた記憶。 ■院の御前にて 朱雀院には皇女が四人いる(【若菜上 01】)。 ■試みきこえたまひし それぞれ得意の楽器を演奏して朱雀院の判定を受けた。作中にこの場面はない。 ■かやうの方 弦楽器の演奏。 ■世のうきつまに 引用歌があるようだが不明。 ■限りだにある 「恋しさの限りだにある世なりせば年へてものは思はざらまし」(古今六帖五 坂上是則)。 ■さらば 琴の音に故人が宿るのであれば。 ■明らめはべらん 「仙楽ヲ聴クガ如ク耳暫ク明(す)ム」(琵琶行 白楽天)。 ■しか伝わる 「しか」は「声に伝はることもや」を受ける。 ■中の緒 夫婦仲を言う言葉と、琴の弦のうちの一本をかけるのだろう。しかしどの弦が中の緒かは諸説。 ■うけたまはらむとは 前の「うけたまはりあらはしてしがな」に対応。 ■御簾 落葉の宮が向こうにいる。 ■とみにしも 女は特別のことでなければ男の前で楽器を奏でたりしないもの。 ■羽翼うちかはす雁がね 比翼の鳥。「天ニ在(あ)リテハ願ハクハ比翼(ひよく)ノ鳥トナリ…」(長恨歌 白楽天)。 ■なかなかに思ほゆれば まったく聞かないならあきらめもつくが、少し聞かされてはいっそう聞きたいという欲求が出てくる。 ■想夫恋 雅楽の曲名。もと相府蓮で、晋の王倹が大臣として家に蓮を植えたことにちなむ(徒然草・二百十四段/平家物語・小督)。 ■これは言問はせたまふべくや 亡き夫を偲ぶ歌をきっかけに、落葉の宮に言葉をかけてほしいともちかける。 ■ましてつつましきさし答えなれば 夕霧の弾奏が想夫恋であるだけに落葉の宮はいっそう反応に慎重になる。 ■言に出でて 「心にはしたゆく水のわきかへり言はで思ふぞいふにまされる」(古今六帖五 人麿)を弾く。「言」に「琴」をかける。 ■ただ末つ方をいささか弾きたまふ 何も返答しないと「いはぬもいふにまさる」という夕霧の言葉を肯定したことになるのでわずかに弾いて否認した。 ■ふかき夜の… 「琴」と「言」をかける。言わないでいるのは言うにまさるという夕霧の解釈を迷惑なものとして退けた。 ■飽かずをかしきほどに 「かたはしを…」につづく。 ■さるおほどかなる 以下、「心すごきものの」のまで、和琴の音色についての挿入句。和琴の特色は【常夏 03】【若菜上 12】に述べられている。 ■古き人 この歌を伝授した昔の人説、柏木説、作曲者である晋の王倹説などがある。 ■心すごきものの 閑散とした一条宮で和琴を演奏すると、ぞっとするような風情がある。 ■さまざまに弾き出でても 和琴・琵琶を弾いたこと。 ■ひき違ふる 上の「調べ変えず」と響き合う表現。琴の調律を変えるの意に、期待を裏切るの意をかける。「ひき」は「琴」の縁語。 ■人ゆるしきこえつべく 前の夕霧の台詞「昔の咎めや」に対応。 ■いにしへ語りにのみ 前に「例の、御息所対面したまひて、昔の物語ども聞こえかはしたまふ」とあった。 ■紛らはさせたまひて 昔話ばかりして琴をあまり楽器を弾奏しなかったからの意。 ■玉の緒にせむ 「片糸をこなたかなたに縒りかけてあはずはなにも玉の緒にせむ」(古今・恋一 読人しらず)。 ■御贈物 普通は女の装束などを贈る。 ■まことに 前に「この御琴にも籠りてはべらんかし」とあったのに対応。 ■蓬生 荒廃した一条宮をさす。女性は笛を吹かないのでただ置いておかられるだけとなる。 ■御先駆に競はん声なむ 夕霧の吹く笛の音が先駆の「はなやかに追ふ音」(【柏木 10】)と競い合うように聞こえるのを。 ■似つかはしからぬ随身 笛を随身に見立てて、風雅の心得のない私は主人としてふさわしくないと謙遜する。 ■これも 和琴とともにこの笛も。 ■げに 「古きことも伝はるべく」という御息所の言うとおり。 ■これが音の限り この笛が備えている可能性のすべて。ポテンシャル。 ■聞こえごちたまひし 「聞こえごつ」は相手に聞こえるように言う。 ■盤渉調 曲調の名称。律の調。 ■昔を忍ぶ独りごと 「独り言」と「琴」をかけた。 ■露しげき… 「むぐらの宿」は一条宮。さきの「蓬生」と響き合う。「虫の声」は笛の音をたとえる。「いにしえの」は柏木生前のこと。 ■横笛の… 「むなしくなりし音」は生前柏木が吹いた笛の音と解する。

朗読・解説:左大臣光永