【柏木 01】夕霧、一条宮を訪問、御息所と亡き柏木を語る

一条宮には、まして、おぼつかなくて別れたまひにし恨みさへ添ひて、日ごろ経《ふ》るままに、広き宮の内人げ少なう心細げにて、親しく使ひ馴らしたまひし人は、なほ参りとぶらひきこゆ。好みたまひし鷹《たか》、馬《むま》など、その方の預りどもも、みな属《つ》く所なう思ひ倦《う》じて、かすかに出で入るを見たまふも、事にふれてあはれは尽きぬものになむありける。もて使ひたまひし御|調度《てうど》ども、常に弾《ひ》きたまひし琵琶《びは》、和琴《わごん》などの緒《を》もとり放ちやつされて音《ね》をたてぬも、いと埋《むも》れいたきわざなりや。

御前《おまへ》の木立《こだち》いたうけぶりて、花は時を忘れぬけしきなるをながめつつ、もの悲しく、さぶらふ人々も鈍色《にびいろ》にやつれつつ、さびしうつれづれなる昼つ方、前駆《さき》はなやかに追ふ音してここにとまりぬる人あり。「あはれ、故殿の御けはひとこそ、うち忘れては思ひつれ」とて泣くもあり。大将殿のおはしたるなりけり。御|消息《せうそこ》聞こえ入れたまへり。例の、弁の君、宰相《さいしやう》などのおはしたる、と思しつるを、いと恥づかしげにきよらなるもてなしにて入りたまへり。

母屋《もや》の廂《ひさし》に御座《おまし》よそひて入れたてまつる。おしなべたるやうに人々のあへしらひきこえむは、かたじけなきさまのしたまへれば、御息所《みやすどころ》ぞ対面《たいめ》したまへる。「いみじきことを思ひたまへ嘆く心は、さるべき人々にも越えてはべれど、限りあれば聞こえさせやる方なうて、世の常になりはべりにけり。いまはのほどにも、のたまひおくことはべりしかば、おろかならずなむ。誰《たれ》ものどめがたき世なれど、後《おく》れ先だつほどのけぢめには、思ひたまへ及ばむに従ひて深き心のほどをも御覧ぜられにしがなとなむ。神事《かむわざ》などの繁《しげ》きころほひ、私《わたくし》の心ざしにまかせて、つくづくと籠《こも》りゐはべらむも例ならぬことなりければ、立ちながら、はた、なかなかに飽かず思ひたまへらるべうてなむ、日ごろを過ぐしはべりにける。大臣《おとど》などの心を乱りたまふさま見聞きはべるにつけても、親子の道の闇をばさるものにて、かかる御仲らひの、深く思ひとどめたまひけむほどを推《お》しはかりきこえさするに、いと尽きせずなむ」とて、しばしばおし拭《のご》ひ鼻うちかみたまふ。あざやかに気《け》高きものから、なつかしうなまめいたり。

御息所も鼻声になりたまひて、「あはれなることは、その常なき世のさがにこそは。いみじとても、また、たぐひなきことにやはと、年つもりぬる人はしひて心強うさましはべるを、さらに思し入りたるさまのいとゆゆしきまで、しばしもたち後《おく》れたまふまじきやうに見えはべれば、すべていと心憂かりける身の、今までながらへはべりて、かくかたがたにはかなき世の末のありさまを見たまへ過ぐすべきにや、といと静心《しづごころ》なくなむ。おのづから近き御仲らひにて、聞き及ばせたまふやうもはべりけん。はじめつ方《かた》より、をさをさ承《う》け引ききこえざりし御事を、大臣《おとど》の御心むけも心苦しう、院にもよろしきやうに思しゆるいたる御気色などのはべりしかば、さらばみづからの心おきての及ばぬなりけりと思ひたまへなしてなむ見たてまつりつるを、かく夢のやうなることを見たまふるに思ひたまへあはすれば、はかなきみづからの心のほどなん、同じうは強うもあらがひきこえましを、と思ひはべるに、なほいと悔《くや》しう。それはかやうにしも思ひよりはべらざりきかし。皇女《みこ》たちは、おぼろけのことならで、あしくもよくも、かやうに世づきたまふことは、心にくからぬことなりと、古めき心には思ひはべりしを、いづ方にもよらず、中空《なかぞら》にうき御|宿世《すくせ》なりければ、何かは、かかるついでに煙《けぶり》にも紛れたまひなむは、この御身のための人聞きなどはことに口惜しかるまじけれど、さりとても、しかすくよかにえ思ひ静むまじう、悲しう見たてまつりはべるに、いとうれしう浅からぬ御とぶらひのたびたびになりはべるめるを、あり難うも、と聞こえはべるも、さらばかの御契りありけるにこそはと、思ふやうにしも見えざりし御心ばへなれど、いまはとてこれかれにつけおきたまひける御|遺言《ゆいごん》のあはれなるになん、うきにもうれしき瀬はまじりはべりける」とて、いといたう泣いたまふけはひなり。

大将も、とみにえためらひたまはず。「あやしう、いとこよなくおよすけたまへりし人の、かかるべうてや、この二三年《にさんねん》のこなたなむ、いたうしめりてもの心細げに見えたまひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、もの深うなりぬる人の、すみ過ぎて、かかる例《ためし》、心うつくしからず、かへりてはあざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなん、常にはかばかしからぬ心に諌めきこえしかば、心浅しと思ひたまへりし。よろづよりも、人にまさりて、げにかの思し嘆くらむ御心の中《うち》の、かたじけなけれど、いと心苦しうもはべるかな」など、なつかしうこまやかに聞こえたまひて、ややほど経《へ》てぞ出でたまふ。

かの君は、五六年のほどの年長《このかみ》なりしかど、なほいと若やかになまめき、あいだれてものしたまひし。これは、いとすくよかに重々しく、男《ほ》々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。若き人々は、もの悲しさも少し紛れて見出だしたてまつる。御前《おまへ》近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」とうちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、「あひ見むことは」と口ずさびて、

時しあればかはらぬ色ににほひけり片枝《かたへ》枯れにし宿の桜も

わざとならず誦《ず》じなして立ちたまふに、いととう、

この春は柳のめにぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば

と聞こえたまふ。いと深きよしにはあらねど、いまめかしうかどありとは言はれたまひし更衣《かうい》なりけり。げにめやすきほどの用意なめりと見たまふ。

現代語訳

一条の御邸においては、落葉の宮は、なおそらのこと、臨終にもお逢いになれず衛門督(柏木)とお別れになられた恨めしさまでも加わって、何日も経つにつれて、広い御邸の内に人気が少なく心細げであるが、衛門督が親しく使い馴れていらした人々は、やはり今でも参ってお見舞い申し上げる。衛門督が好まれた鷹、馬など、その係の者たちも、今では皆、頼り所がなく気落ちして、しょんぼりと出入りしているのをご覧になられるにつけても、なにかにつけて悲しみは尽きぬものであったのだ。衛門督がお使いになっていらした御道具類、いつも弾いていらした琵琶、和琴などの緒もとりはずされて音を立てないのも、ひどく沈んでいて痛々しいことである。

御庭前の木立がよく芽吹いて、花は咲くべき時を忘れぬようすである。それをぼんやりと物思いに沈んでながめつつ、なんとなく悲しい気持ちになり、お仕えしている女房たちも鈍色の衣にやつれてさびしく所在なく過ごしている、そんな昼ごろ、前駆のにぎやかに先払いする声がして、この御邸の前にとまった人がある。「ああ何という…故殿(柏木)の御気配だと、もうお亡くなりになられたことも忘れてそう思ってしまいました」といって泣く者もある。大将殿(夕霧)がいらしたのであった。御邸の内へ、御案内をお申し入れになられた。御邸では、いつものように弁の君か宰相などがいらした、と思っていたところ、大将(夕霧)が、周囲を圧倒するほど立派に、さっぱりとしていでたちで、入っていらした。

母屋の庇の間に、お席を設けて大将殿をお入れ申し上げる。大方の客人のように女房たちがお相手申し上げるのでは、畏れ多いようすでいらっしゃるので、御息所(一条御息所)が直接ご対面なさる。(夕霧)「今回のご不幸を思いまして嘆く気持ちは、しかるべき肉親の方々よりもまさってございますが、私は血縁でないがゆえの限界がございますので、お悔やみ申し上げようもなくて、並ひととおりのことになってしまいました。しかし衛門督(柏木)がご臨終の際にも、ご遺言されたことがございましたので、こちらを疎遠にしてはならぬと存じまして。誰も長くとどまっていることはできない世の中ではありますが、柏木が先になり、私が後になりましたので、残りの短い間は、私の考えが及びます限りは、こちらに対して深い志のほどをご覧に入れたいと存じます。宮中で神事などの多い時期ですので、個人的な思いのままに、ひたすら自邸に籠っておりますのも普通でないことでしたから、それにまた、立ったままお見舞いするということになれば、また、かえってそちらがご不満にお思いだろうということで、ここ数日を過ごしていたのです。大臣(致仕の大臣)などが心を乱していらっしゃるご様子を見聞きいたしますにつけても、親が子を思う心の闇というものは、それはそれとして、こうしたご夫婦の間柄では、深く思いを残していらっしゃることをお察し申し上げますにつけ、どこまでも思いが尽きません」と、しばしば涙を拭って鼻をおかみになられる。そのご様子は華やかで気高くはあるが、一方、やさしく艶やかでもある。

御息所も鼻声になられて、「しみじみ悲しいことは、その、無常の世のならいというものです。悲しいことだといっても、また、世間に例のないことではあるまいと、私のような年寄りは、強いて心強くして諦めるのでございますが、宮(落葉の宮)は、いっそう思いつめておいでのご様子が、ひどく不吉と思えるまでに、すこしも故人に立ち遅れたくはないと思っていらっしゃるように見えますので、すべてひどく悲しく辛かったこの身が、今まで生き長らえてきまして、こうして母、娘、娘婿それぞれに、はかない世の末の様子を見て過ごさなければならないのだろうかと、心をかきたてられておりまして。貴方さまは衛門督(柏木)とは近しい御関係でしたから、おのづと、聞き及んでいらっしゃることもおありでございましょう。この結婚のはじめから、私はあまり賛成申し上げることがなかったのですが、大臣(致仕の大臣)のご所望の向きもおいたましく、院(朱雀院)にあらせられても、衛門督(柏木)を、悪くはない結婚相手としてお許しになられたご様子などがございましたので、それならば私の判断が至らなかったのだと思うようにして、あの方をお迎え申したのですが、こんな夢のようなことを拝見するにつき思い合わせてみますと、つまらない私個人の気持ちとはいっても、どうせ同じことならもっと強く反対申し上げればよかったと思いますにつけ、やはりひどく悔やまれまして。でもそれは、こんなことになるなんて、思いもしなかったのですよ。皇女というものは、よほどのことでなくては、悪くもよくも、こういう世間並みの結婚をすることは、慎みのないことなのだと、私は古臭い心に思ってございましたのに。宮(落葉の宮)は、どっちつかずで、空中に浮かんでいるような悲しいご運命であったので、このような機会に、煙に紛れてなって亡くなってしまうなら、この宮(落葉の宮)の御身のためには、どうして世間体などは別段残念なことになりましたでしょうか。そうはいっても、そのようにさっぱりと諦めてしまうこともできず、悲しく存じ上げておりましたところ、実に嬉しいことに、貴方さまからの御親切なお見舞いを、たびたびいただきましたようで、滅多にないことと感謝申し上げておりましたが、それならば亡き衛門督とのお約束があったからなのだと、衛門督(柏木)は、宮(落葉の宮)を、それほど深く思っているようにも見えなかった御心ぐあいでしたが、衛門督(柏木)が、今が最期とあちこちにお言い残しになられた御遺言が、しみじみ身にしみていらっしゃるようですので、悲しい中にも嬉しい筋はまじっていたのでございました」と、御簾の向こうで、まことにひどくお泣きになっているご様子である。

大将(夕霧)も、すぐには涙をとめることがおできにならない。「まことに人ができて立派でいらした人でしたが、結局はこうなる運命だったのでしょうか、ここニ三年の間、妙なことに、たいそうふざぎ込んで、なんとなく心細そうにお見えでしたので、あまりにも世間の道理を思い知り、思慮深くなった人は、悟りすぎてしまい、世間でこういう場合の例として、心がねじけて、はつらつとした気持ちが薄らぐものらしいと、私はいつも至らない考えながら、衛門督(柏木)をお諌め申し上げておりましたが、衛門督はそんな私のことを、考えが浅いとお思いでした。そんなことよりも、人よりまさって、おっしゃるとおり、宮(落葉の宮)がああして思い嘆いていらっしゃる御心の内が、私などがご心配するのは畏れ多いことですが、ひどく心苦しゅうございます」など、優しくこまやかに申し上げなさって、しばらく時間が経ってからお帰りになる。

あの君(柏木)は、五六歳ほど大将(夕霧)より年上であったが、それでもなお、まことに若々しく優美で、人なつこくていらっしゃった。こちらの君(夕霧)は、ひどく格式ばって重々しく、男らしいようすで、顔だけがまことに若くさっぱりと美しいことは、人よりもすぐれていらっしゃる。

若い女房たちは、もの悲しさも少し紛れて、大将をお見送り申し上げる。お庭先の桜が実に美しく咲いているのをごらんになられて、(夕霧)「今年ばかりは」とお思いになられたのだが、縁起でもないことであったので、「あひ見むことは」と口ずさんで、

(夕霧)時しあれば……

(毎年春がめぐってくれば変わらぬ色に美しく咲くのだなあ。片方の枝が枯れてしまった宿の桜も)

大将がさりげなく唱えてお立ちになられるのに対して、御息所は、まことにすばやく、

(御息所)この春は……

(今年の春は柳の芽に露の玉を抜くように、目に涙を流しています。いつ花が咲いて散っていくのか、そのゆくえさえ知らないので)

とお答え申される。けして風情が深いというわけではないが、華やかで才気があると評判でいらした更衣だけのことはある。なるほど悪くない程度のお心遣いがおありのようだと大将はお思いになる。

語句

■一条宮 柏木の北の方・落葉の宮の実家。柏木は夕霧に「一条にものしたまふ宮、事にふれてとぶらひきこえたまへ」(【柏木 07】)と遺言した。 ■おぼつかなくて別れたまひにし 柏木の臨終に、落葉の宮は立ち会えなかった(【同上】)。 ■みな属く所なう 柏木の生前は趣味方面の相手をつとめた者たちが今はやることがなくなった。 ■けぶりて 梢が芽吹いてきたようす。 ■花は時を忘れぬ 花は散っても季節がめぐればまた咲く。しかし死んだ者は二度ともどってこない、という感慨をこめる。 ■故殿の御けはひ 柏木がもう亡くなったことも忘れて、殿が帰ってきたかと一瞬期待するのである。 ■例の 柏木の弟たちが頻繁に一条宮を訪ねているのは故人の遺言によるのだろう(【同上】)。夕霧も同じように柏木から頼まれた(【同上】)。 ■御息所 落葉の宮の母。一条御息所。 ■いみじきこと 親友を失った悲嘆。 ■さるべき人々 当然悲しむべき、血縁の人たち。 ■限りあれば 自分は柏木の肉親ではないので、すぐに訪ねるわけにいかなかったの意。 ■のたまひおくこと 臨終の間際に柏木が「一条にものしたまふ宮、事にふれてとぶらひきこえたまへ」(【同上】)と夕霧に頼んだこと。 ■神事 二月は宮中で神事が多い。 ■私の心ざし 親友の死を悼む気持ち。 ■立ちながら 公の神事に参加する身としては死の穢れを避けなければならない。だからこちらに見舞いに来たとしても立ったまますぐに帰らなければならない。それではこちらが満足しないだろうから今日まで先延ばしになってしまったの意。 ■親子の道の闇 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■深く思ひとどめたまひけん 後に残された落葉の宮の心情を夕霧は思いやる。 ■その常なき世のさがにこそは 夕霧の「誰ものどめ難き世なれど」に対応。 ■すべていと心憂かりける身 朱雀院の更衣として過ごした日々のことも念頭にあろう。 ■かくかたがたに 娘婿の柏木は早世し、娘の落葉の宮は意気消沈している。自身も朱雀院の出家により孤独な晩年を過ごしている。 ■はじめつ方より 前の「はじめより、母御息所はをさをさ心ゆきたまはざりしを…」(【同上】)とほぼ同じ内容。 ■かく夢のやうなること 娘婿の柏木は早世し、娘の落葉の宮は意気消沈している。自身も朱雀院の出家により孤独な晩年を過ごしている。 ■それはかやうにしも思ひよりはべらざりきかし 御息所は、まさか娘婿の柏木が早世するとは思わなかった。 ■皇女たちは 皇女は生涯未婚を貫くのが通例。前も朱雀院の言葉に「皇女たちは、独りおはしますこそは例のことなれど」(【若菜上 05】)とあった。 ■おぼろけ 「おぼろけならず」と同意。 ■あしくもよくも その結婚が幸福であろうと不幸であろうと。 ■世づきたまふ 皇女の結婚は多く臣下に降ることになる。 ■古めき心 皇女は生涯未婚であるべきという旧弊な考えをもった自分を、御息所は自嘲ぎみに言う。 ■煙にも 亡夫を焼いた煙とともに煙になってしまったらという仮定。 ■人聞き 御息所は世間体を強く気にしている。前も「いみじう人わらへに口惜し」(【柏木 07】)とあった。 ■さりともて 娘がいっそ亡くなってしまえば世間から悪く言われることもないと思う一方、親の情としては娘に生き続けてほしい。 ■御とぶらひ 夕霧自身が見舞うのは今回が初めてだが、使者を何度か見舞いによこしたのだろう。 ■うきにもうれしき瀬 参考「うれしきも憂きも心はひとつにて分かれぬものは涙なりけり」(後撰・雑ニ 読人しらず)。 ■けはひなり 夕霧は御簾を隔てて御息所の気配を感じる。 ■よろづよりも 話題を転ずる。 ■げに 一条御息所の台詞を受けて「貴女がおっしゃるとおり…」。 ■かたじけなけれど 自分のような取るに足らない者が皇女の御身を心配することなど畏れ多いのですが、の意。 ■五六年ほどの 柏木が夕霧より五六歳年上ということは初出。 ■あいだれて 「愛垂る」はおっとり甘えてみえる。 ■いとすくよかに重々しく 以前も内大臣(現致仕大臣)による同じような夕霧評があった(【藤裏葉 04】)。 ■御前近き桜 前に「御前の木立いたうけぶりて、…」とあった。 ■今年ばかりは 「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今・哀傷 上野岑雄)による。 ■いまいましき筋なれば 歌の内容的に不吉なので。 ■あひ見むことは 「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり」(古今・春下 読人しらず)。 ■時しあれば… 「片枝枯れにし宿の桜」は夫柏木を失い未亡人となった落葉の宮をさす。 ■この春は… 「芽」と「目」をかける。「あさみどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か」(古今・春上 遍昭)、「よりあはせて泣くなる声を糸にしてわが涙をば玉にぬかなむ」(伊勢集)のニ首の風情をただよわせる。

朗読・解説:左大臣光永

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