【柏木 07】柏木、夕霧に事をほのめかして後、死去する

かの衛門督は、かかる御事を聞きたまふに、いとど消え入るやうにしたまひて、むげに頼む方少なうなりたまひにたり。女宮のあはれにおぼえたまへば、ここに渡りたまはむことは、今さらに、軽々《かるがる》しきやうにもあらむを、上《うへ》も大臣《おとど》も、かく、つとそひおはすれば、おのづからとりはづして、見たてまつりたまふやうもあらむにあぢきなしと思して、「かの宮に、とかくしていま一《ひと》たび参《ま》うでむ」とのたまふを、さらにゆるしきこえたまはず。

誰《たれ》にも、この宮の御ことを聞こえつけたまふ。はじめより、母|御息所《みやすどころ》はをさをさ心ゆきたまはざりしを、この大臣《おとど》のゐたちねむごろに聞こえたまひて、心ざし深かりしに負けたまひて、院にも、いかがはせむと思しゆるしけるを、二品《にほん》の宮の御事思ほし乱れけるついでに、「なかなか、この宮は、行く先うしろやすく、まめやかなる後見まうけたまへり」とのたまはすと聞きたまひしを、かたじけなう思ひ出づ。「かくて見棄てたてまつりぬるなめり、と思ふにつけては、さまざまにいとほしけれど、心より外《ほか》なる命なれば、たへぬ契り恨めしうて、思し嘆かれむが心苦しきこと。御心ざしありてとぶらひものせさせたまへ」と、母上にも聞こえたまふ。「いで、あなゆゆし。後《おく》れたてまつりては、いくばく世に経《ふ》べき身とて、かうまで行く先のことをばのたまふ」とて、泣きにのみ泣きたまへば、え聞こえやりたまはず。右大弁の君にぞ、おほかたの事どもはくはしう聞こえたまふ。

心ばへのどかによくおはしつる君なれば、弟の君たちも、まだ、末々の若きは、親とのみ頼みきこえたまへるに、かう心細うのたまふを悲しと思はぬ人なく、殿《との》の内《うち》の人も嘆く。おほやけも惜しみ口惜しがらせたまふ。かく、限りと聞こしめして、にはかに権大納言になさせたまへり。よろこびに思ひおこして、いま一《ひと》たびも参りたまふやうもやあると思しのたまはせけれど、さらにえためらひやりたまはで、苦しき中にもかしこまり申したまふ。大臣も、かく重き御おぼえを見たまふにつけても、いよいよ悲しうあたらしと思しまどふ。

大将の君、常にいと深う思ひ嘆きとぶらひきこえたまふ。御よろこびにも、まづ参《ま》うでたまへり。このおはする対《たい》のほとり、こなたの御門《みかど》は、馬《むま》、車《くるま》たちこみ、人騒がしう騒ぎみちたり。今年《ことし》となりては、起き上がることもをさをさしたまはねば、重々しき御さまに、乱れながらはえ対面《たいめ》したまはで、思ひつつ弱りぬることと思ふに口惜しければ、「なほこなたに入らせたまへ。いとらうがはしきさまにはべる罪は、おのづから思しゆるされなむ」とて、臥《ふ》したまへる枕上《まくらがみ》の方に、僧などしばし出だしたまひて、入れたてまつりたまふ。

早うより、いささか隔てたまふことなう睦《むつ》びかはしたまふ御仲なれば、別れむことの悲しう恋しかるべき嘆き、親はらからの御思ひにも劣らず。今日はよろこびとて、心地よげならましを、と思ふに、いと口惜しうかひなし。「などかく頼もしげなくはなりたまひにける。今日は、かかる御よろこびに、いささかすくよかにもや、とこそ思ひはべりつれ」とて、几帳のつまを引き上げたまへれば、「いと口惜しう、その人にもあらずなりにてはべりや」とて、烏帽子ばかり押し入れて、すこし起き上がらむとしたまへど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾《ふすま》ひきかけて臥《ふ》したまへり。御座《おまし》のあたりもの清げに、けはひ香《かう》ばしう、心にくくぞ住みなしたまへる。うちとけながら用意あり、と見ゆ。重くわづらひたる人は、おのづから髪《かみ》、髭《ひげ》も乱れ、ものむつかしきけはひも添ふわざなるを、痩《や》せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてはかなるさまして、枕をそばだてて、ものなど聞こえたまふけはひいと弱げに、息も絶えつつあはれげなり。

「久しうわづらひたまへるほどよりは、ことにいたうもそこなはれたまはざりけり。常の御|容貌《かたち》よりも、なかなかまさりてなむ見えたまふ」とのたまふものから、涙おし拭《のご》ひて、「後《おく》れ先だつ隔《へだ》てなくとこそ契りきこえしか。いみじうもあるかな。この御心地のさまを、何ごとにて重《おも》りたまふとだに、え聞きわきはべらず。かく親しきほどながら、おぼつかなくのみ」などのたまふに、「心には、重くなるけぢめもおぼえはべらず。そこ所と苦しきこともなければ、たちまちにかうも思ひたまへざりしほどに、月日も経《へ》で弱りはべりにければ、今はうつし心も失《う》せたるやうになん。惜しげなき身をさまざまにひきとどめらるる祈禱《いのり》、願《ぐわん》などの力にや、さすがにかかづらふも、なかなか苦しうはべれば、心もてなん、急ぎたつ心地しはべる。さるは、この世の別れ、避《さ》りがたきことはいと多うなん。親にも仕うまつりさして、今さらに御心どもを悩まし、君に仕うまつることもなかばのほどにて、身をかへりみる方、はた、まして、はかばかしからぬ恨みをとどめつる、おほかたの嘆きをばさるものにて、また心の中《うち》に思ひたまへ乱るることのはべるを、かかるいまはのきざみにて、何かは漏らすべきと思ひはべれど、なほ忍びがたきことを誰《たれ》にかは愁《うれ》へはべらむ。これかれあまたものすれど、さまざまなることにて、さらに、かすめはべらむもあいなしかし。六条院にいささかなる事の違《たが》ひ目ありて、月ごろ、心の中《うち》に、かしこまり申すことなむはべりしを、いと本意《ほい》なう、世の中心細う思ひなりて、病《やまひ》づきぬとおぼえはべしに、召しありて、院の御賀の楽所《がくそ》の試みの日参りて、御気色を賜りしに、なほゆるされぬ御心ばへあるさまに御|眼尻《まじり》を見たてまつりはべりて、いとど世にながらへむことも憚《はばか》り多うおぼえなりはべりて、あぢきなう思ひたまへしに心の騒ぎそめて、かく静まらずなりぬるになん。人数《ひとかず》には思し入れざりけめど、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心のはべりしを、いかなる讒言《ざうげん》などのありけるにかと、これなむこの世の愁《うれ》へにて残りはべるべければ、論《ろん》なう、かの後《のち》の世の妨げにもやと思ひたまふるを、事のついではべらば、御耳とどめて、ようしう明《あき》らめ申させたまへ。亡《な》からむ後《うしろ》にも、この勘事《かうじ》ゆるされたらむなむ、御徳にはべるべき」などのたまふままに、いと苦しげにのみ見えまされば、いみじうて、心の中に思ひあはする事どもあれど、さしてたしかにはえしも推《お》しはからず。

「いかなる御心の鬼にかは。さらにさやうなる御|気色《けしき》もなく、かく重《おも》りたまへるよしをも聞きおどろき嘆きたまふこと、限りなうこそ口惜しがり申したまふめりしか。など、かく思すことあるにては、今まで残いたまひつらん。こなたかなた明《あき》らめ申すべかりけるものを。今は、言ふかひなしや」とて、とり返さまほしう悲しく思さる。「げにいささかも隙《ひま》ありつるをり、聞こえ承《うけたまわ》るべうこそはべりけれ。されど、いとかう今日明日《けふあす》としもやはと、みづからながら知らぬ命のほどを思ひのどめはべりけるもはかなくなむ。この事はさらに御心より漏らしたまふまじ。さるべきついではべらむをりには、御|用意《ようい》加へたまへとて、聞こえおくになん。一条にものしたまふ宮、事にふれてとぶらひきこえたまへ。心苦しきさまにて、院などにも聞こしめされたまはむを、つくろひたまへ」などのたまふ。言はまほしきことは多かるべけれど、心地せむ方なくなりにければ、「出でさせたまひね」と、手かききこえたまふ。加持《かぢ》まゐる僧ども近う参り、上《うへ》、大臣《おとど》などおはし集まりて、人々もたち騒げば、泣く泣く出でたまひぬ。

女御をばさらにも聞こえず、この大将の御方なども、いみじう嘆きたまふ。心おきての、あまねく人の兄心《このかみごころ》にものしたまひければ、右《みぎ》の大殿《おほとの》の北の方も、この君をのみぞ、睦《むつ》ましきものに思ひきこえたまひければ、よろづに思ひ嘆きたまひて、御|祈禱《いのり》などとりわきてせさせたまひけれど、やむ薬《くすり》ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面《たいめ》しきこえたまはで、泡《あわ》の消え入るやうにて亡《う》せたまひぬ。

年ごろ、下《した》の心こそねむごろに深くもなかりしか、おほかたには、いとあらまほしくもてなしかしづききこえて、気《け》なつかしう、心ばへをかしう、うちとけぬさまにて過ぐいたまひければ、つらきふしもことになし。ただかく短《みじか》かりける御身にて、あやしくなべての世すさまじう思ひたまへけるなりけり、と思ひ出でたまふにいみじうて、思し入りたるさまいと心苦し。御息所も、いみじう人わらへに口惜しと、見たてまつり嘆きたまふこと限りなし。

大臣《おとど》、北の方などは、まして言はむ方なく、我こそ先立ため、世のことわりなくつらいことと焦《こが》がれたまへど何のかひなし。

尼宮は、おほけなき心もうたてのみ思されて、世にながかれとしも思さざりしを、かくなむと聞きたまふはさすがにいとあはれなりかし。若君の御事をさぞと思ひたりしも、げにかかるべき契りにてや思ひの外《ほか》に心憂きこともありけむ、と思しよるに、さまざまもの心細うてうち泣かれたまひぬ。

現代語訳

かの衛門督(柏木)は、こうした御事をお聞きになられるにつけ、ますます消え入るようになられて、どうにも回復のみこみが少なくなっていらっしゃる。女宮(落葉の宮)のことを不憫にお思いになるので、(柏木)「こちらにおいでいただくことは、ご身分柄いまさら軽々しいようであるし、母上も父大臣も、こうして私につきっきりでいらっしゃるので、自然と何かのはずみで、宮の御姿を拝見なさることもあろう。それは困る」とお思いになって、(柏木)「あちら宮に、どうにかしてもう一度うかがいたい」とおっしゃるのを、ご両親はまったくお許し申し上げにならない。

衛門督(柏木)は、誰に対しても、この宮(落葉の宮)の御ことをお願い申し上げなさる。結婚のはじめから、母御息所はあまり御気がおのりでいらっしゃらなかったが、この大臣(致仕の大臣)が奔走して、熱心にお望み申されたので、そのお気持ちが深さに根負けなさって、院(朱雀院)も、仕方ないとおぼしめされて、お許しになられたのであるが、院(朱雀院)は、二品の宮(女三の宮)の御ことであれこれお悩みになっておられた折に、(朱雀院)「かえって、この宮(落葉の宮)は、将来が安心できる、誠実で頼りになる後見を得られたものだ」と仰せられたと、衛門督はお聞きになられて、それを畏れ多いこととして思い出すのである。(柏木)「こうして宮(落葉の宮)をお見棄て申し上げることになろうと思うにつけては、さまざまに気の毒ではありますが、思うにままならない命ですので、まっとうすることができなかった夫婦の契りが恨めしくて、宮(落葉の宮)がどうお思い悩かれるだろということが、つろうございまして。どうか御心にかけて、宮をお見舞いください」と、母上にも申し上げられる。(母北の方)「さて、なんと不吉なことを。貴方に先立たれてしまっては、どれほど長らえることのできるわが身だと思って、こうまで遠い将来のことをおっしゃるのですか」といって、ひたすらお泣きになるので、衛門督は、もうこれ以上何も申し上げることがおできにならない。右大弁の君に、だいたいの事はくわしく申し上げなさる。

衛門督(柏木)は、ご気性が落ち着いており、思慮分別がおありになる君なので、弟の君たちも、まだ末々の幼い者は、ひたすら親同然に頼りし申し上げていらっしゃるのに、このように心細くおっしゃるのを悲しまない人はなく、御邸の内にお仕えしている人々も嘆いている。帝も、お惜しみになり残念におぼしめす。このように、今が最期とお耳にされて、にわかに権大納言にご昇進おさせあそばす。衛門督が元気を振るい起こして、もう一度なりとも参内なさることが、あるかもしれないと、帝はおぼしめして、またそう仰せになられたが、衛門督は、病状がいっこうに止まらず、苦しい中にもかしこまってお礼を申し上げなさる。父大臣も、このような帝からの衛門督に対する重い御おぼえを拝見するにつけても、いよいよ悲しく、惜しいこととお思いになり、途方に暮れていらっしゃる。

大将の君(夕霧)は、いつもたいそう深く思い嘆いて、衛門督をお見舞い申し上げなさる。昇進のお祝いにも、真っ先に参上なさった。この衛門督が療養していらっしゃる対のほとり、こちらの御邸は、馬や車がひしめきあって、人が騒がしくそこらじゅうで騒いでいる。今年になってからは、起き上がることもめったになさらないので、大将(夕霧)の重々しいご様子に、見苦しい姿のままでお会いすることもおできにならず、大将にお会いしたいと思いつつ衰えてしまうのかと思うにつけ残念なので、(柏木)「やはりこちらにお入りください。ひどく見苦しい姿でございます罪は、貴方ならおのずから許してくださるでしょうから」といって、横になっていらっしゃる枕上のあたりに、僧などはしばらく外にお出しになられて、大将をお入れ申し上げなさる。

子供の頃から、すこしもお離れになられることなくお互いに親しくしてこられた御仲なので、別れることの悲しく恋しい、その嘆きは、親兄弟の御思いにも劣るものではない。今日はお祝いということで、気分がよくなっていようと思ったのに、ひどく残念で、かいのないことである。(夕霧)「どうしてそんなにも頼りなさそうにしていらっしゃるのです。今日は、こういう御祝い事だから、少しは調子が良くなっているだろうと思いましたのに」といって、几帳の端をお引き上げなさると、(柏木)「ひどく残念なことに、もともとの私ではないようになってしまいましたよ」といって、烏帽子だけを髪を押し込むようにしてかぶって、すこし起き上がろうとなさるが、ひどく苦しそうである。

白い衣の、着慣れて、しなやかなのを、何枚も重ねて、その上に夜具をひきかけて横になっていらっしゃる。御座のあたりはさっぱりと片付いて、薫物の薫りがただよい、奥ゆかしいさまに住みなしていらっしゃる。くつろいだ様子でありながらたしなみがある、と見える。重く患っている人は、自然と、髪や髭も乱れ、なんとなくむさ苦しい気配も加わるというが、この人(柏木)は、痩せ衰えて、かえっていよいよ色白で、気品がある様子で、枕を立てて、ものなどおっしゃる気配はひどく弱々しく、息も絶え絶えで、痛ましいようすである。

(夕霧)「長らくお患いでいらっしゃるにしては、それほどひどく弱ってもいらっしゃいませんよ。いつものお顔よりも、かえって美しさがまさってお見えになるほどです」とおっしゃるものの、涙を拭って、(夕霧)「どちらが後れたり先立ったりという隔てのないようにお約束してまいりましたのに。悲しいことでこざいますよ。この御容態が、何によって重くおなりであるかとさえ、うかがうことができないのです。こんなにも親しい間柄なのに、もどかしく思うばかりです」などとおっしゃると、(柏木)「自分では、病が重くなる理由も思い当たりません。特にここが苦しいこともなかったので、たちまちに、こんなになろうとは思ってもおりませんうちに、月日もたたないで衰弱してしまいましたので、今は生きている心地もしないような有様で。惜しくもないわが身を、さまざまに引き止める祈祷や願などのおかげでしょうか、容態が悪いとはいってもこの世に生きながらえておりますが、それもかえって苦しゅうございますので、心には、後の世にはやく出発したい気がしております。そうはいっても、この世の別れということになりますと、諦めきれないことは、とても多くございます。親にお仕えすることも中途で投げ出し、今さらに両親のお気持ちを悩まし、君にお仕え申し上げることも中途半端な状態で、わが身をかえりみましても、そのほうではまた、それ以上に思いどおりにならなかったという恨みを残してしまいましたが、そうした大方の嘆きはそれはそれといたしまして、それとはまた別に、心の中に思い悩んでいることがございますのを、こうした臨終の際に、どうして打ち明けるべきだろうかとは思いますが、やはり包み隠しておけない、そのことを、貴方の他の誰に打ち明けることができましょう。私にはあちこちに多くの兄弟がいますが、さまざまな事情から、まったく、少しでもこの件について話すことは不都合なのです。私は六条院(源氏)に対して、ちょっとした不都合なことがございまして、ここ幾月か、心の中に、恐れ入り申すことがございましたのを、まったく不本意で、世の中が心細く思われるようになり、そのため病にかかったと思っておりましたところに、院(源氏)のお召がございまして、院(朱雀院)の御賀の楽所《がくそ》の試楽の日に参りまして、院(源氏)のご機嫌をうかがいましたところ、やはりまだお許しいただけない御心具合であるように御目じりを拝見いたしまして、これ以上世に長らえることも憚り多く思うようになりまして、わびしい気持ちになりましたが、それ以来心が騒ぎはじめて、こんなにも静まらなくなったのです。院(源氏)は私のことなど人数にも入らぬものとお思いでしょうが、幼くございました時から、私は院を、深くお頼み申し上げる心がございましたので、どんな讒言があったのかと、この心配が今生の気がかりとして残るようでしたら、言うまでもなく、かの後の世のさまたげにもなるだろうかと思いましたので、事のついでがございましたら、御耳にとどめておかれて、よろしくお取りなしください。私が亡くなった後でも、このお怒りが解けるようでしたら、貴方のおかげとうれそく存ぜられましょう」などとおっしゃるたびに、いよいよひどく苦しそうにばかりお見えになるので、大将(夕霧)は悲しく思い、心の中に思い当たることがいくつかあるが、それほどはっきりとは想像することができない。

(夕霧)「何がそう気がとがめていらっしゃるのでしょうか。院(源氏)は、まったくそのような御様子もなく、貴方がこのように病が重くなっていらっしゃることを聞いて驚いてお嘆きになっていらっしゃるよしで、どこまでも残念だと申していらっしゃるようですよ。どうして、そんなお悩み事がありながら、今まで私に打ち明けてくださらなかったのでしょう。あちらとこちらと、事をはっきりとさせて上げられましたものを。今となってはどうにもならないではありませんか」といって、できることなら昔を取り戻したいと、悲しくお思いになる。(柏木)「いかにも、少しでも元気のあった時、貴方にご相談申し上げて、ご意見をうかがうべきでございました。しかし、まことにこう今日か明日かになろうとは。自分でもわからない命のほどを、悠長なものに思っていたのは、はかないことでした。この事は貴方の御心ひとつにお留めになってください。しかるべき機会がございましたら、御配慮いただきたい思って、申しあげておくのです。一条にお住まいの宮(落葉の宮)を、事にふれて見舞ってあげてくださいますよう。宮がおいたわしくしていらっしゃる有様を、院(朱雀院)などがお耳にされるでしょうが、そのへんよろしくお取り計らいください」などとおっしゃる。言いたいことは多いようであったが、どうしようもない気持ちになったので、(柏木)「お帰りください」などと、手ぶりで申し上げなさる。加持に参っていた僧たちが近く参り、母上、父大臣などが集まっておいでになり、人々もたち騒ぐので、大将(夕霧)は、泣く泣く外にお出になられた。

女御(柏木の妹・弘徽殿女御)はいまさら申すまでもなく、この大将の北の方(雲居雁)なども、たいそうお嘆きになられる。衛門督(柏木)のご気性は円満で、いかにも人の兄といったお気持ちを持っていらしたので、右の大殿の北の方(玉鬘)も、この君だけを、親しいものと存じ上げていらしたので、万事お嘆きになられて、御祈祷など格別におさせになられたが、ききめのあるものではないので、かいのないことであった。女宮(落葉の宮)にもついにお会い申し上げることがおできにならぬまま、泡の消え入るようにお亡くなりになられた。

北の方(落葉の宮)は、長年、内心は衛門督(柏木)にそう深く親しんではいいらっしゃらなかったが、衛門督は、表向きには、まことに理想的に、北の方を大切にお世話申し上げて、気性がやさしく、風情もあり、礼儀もわきまえたお扱いで、これまでお過ごしになられたので、北の方は、別段恨めしいと思われることもない。ただこんなにもご寿命が短かった御方であるから、不思議にも、世間並みの夫婦関係が物足りないとお思いになっておられたのか、とお思い出されるにつけ悲しくて、ふさぎこんでいらっしゃるさまはひどく気の毒である。御息所(一条御息所)も、世間の人のひどい物笑いの種になるのが残念だと、このご様子を拝見して、どこまでもお嘆きになられる。

大臣(致仕大臣)、北の方などは、それにもまして何も言いようがなく、自分こそが先立ちたかったのに、世の中に道理がなく恨めしいこととお気持ちをかきたてられなさるが、何のかいもなかった。

尼宮(女三の宮)は、衛門督(柏木)の分不相応な心を不快にばかりお思いになられて、長生きしてほしいともお思いにならなかったが、こうなりました、とお聞きになられると、さすがにひどく不憫にお思いになるのだった。若君(薫)の御ことを、衛門督が「あれはわが子だ」と思っていたことも、なるほど、こうなるべき前世からの運命で、思いの外につらいこの出来事も、起こったのだろうか、とご想像なさるにつけ、さまざまに何となく心細くて、ついお泣きになられるのだった。

語句

■かかる御事 女三の宮の出家。 ■いとど消え入るやうに 女三の宮が「なほ弱う消え入るやうに」(【柏木 05】)したのと似た表現。 ■女宮 柏木の北の方、女ニの宮=落葉の宮。 ■ここに渡りたまはんことは 「ここ」は父大臣の邸。皇女が臣下の邸を訪ねることはありえない。 ■見たてまつりたまふ たとえ両親でも、落葉の宮が他人の目にふれることは不都合であると柏木は考える。 ■はじめより 落葉の宮の柏木への降嫁の詳細はここで初めて語られる。 ■母御息所 落葉の宮の母。一条御息所。 ■この大臣 柏木の父、致仕の大臣。 ■ゐたち 座ったり立ったり、奔走するさま。 ■院にも 母御息所の一存で決めることはできず父である朱雀院にうかがいを立てた。 ■二品の宮の御こと… 女三の宮の結婚が朱雀院が思ったほどうまくいっていない件。 ■なかなか… 二品の宮(女三の宮)よりも身分の低い落葉の宮のほうが安心できる後見をえたとする。 ■かたじけなう 柏木は、朱雀院が自分を高く評価してくださっていたことを思い出し、恐縮する。 ■ぬるなめり 断定の「ぬる」を使っていることから、自分が死ぬことを前提に喋っていることがわかる。 ■心より外なる命 参考「命だに心にかなふものならばなにか別れのかなしからまし」(古今・離別 白女)。 ■たへぬ契り 結局はまっとうすることができなかった、落葉の宮との夫婦の契り。 ■とぶらひものせさせたまへ 私の死後、落葉の宮を。 ■母上にも 父上にはもちろん。 ■え聞こえやりたまはず 混乱する母を前に、柏木はこれ以上何も言うことができない。 ■右大弁の君 柏木の弟らしい。 ■心ばへのどかによくおはしつる 柏木の、性質がおだやかで思慮分別のあることをいう。 ■権大納言 柏木はこれまで中納言(従三位相当)(【若菜下 25】)。大納言は正三位相当。「権」は臨時に定員を増やしたことをさす。 ■常にいと深う 夕霧と柏木は子供の頃からの親友同士。 ■御よろこび 昇進の祝い。 ■馬車たちこみ 大勢の見舞客が参っている。 ■重々しき御さま 夕霧は大納言で近衛大将を兼任している重々しい立場。それに対して柏木は今の衰弱した自分の姿では畏れ多いという気持ちがある。 ■思ひつつ弱りぬる 夕霧に会いたいと思いながら衰弱してそのまま死んでしまうかもという怖れ。完了の「ぬ」に、柏木が死を確定した近い未来として感じていることが出ている。 ■なほこなたへ 「なほ」は失礼とは思うが、やはりの意。 ■おのづから思しゆるされなん 特に許しを乞わなくても親友のよしみで許してくれるでしょう、の意。 ■几帳のつま 几帳の帷子の端。 ■その人にもあらず 「その人」は柏木本人。もともとの自分ではなくなっているようだの意。 ■烏帽子ばかり押し入れて 乱れた格好ながらも烏帽子だけは被って最低限の礼儀を示す。 ■白き衣ども 下着類。 ■痩せさらぼひたるしも 「しも」は強調。やせ細っていることで、かえって色白くて気品あるようすが際立つ。 ■枕をそばだてて 枕を縦にして身を起こす動作。 ■後れ先だつ 死ぬことが後になったり先になったりせず、同じときに死のうというぐらい親密なさま。 ■何ごとにて重りたまふ 夕霧は柏木の病の原因を知らない。それだけに心配である。 ■けぢめもおぼえはべらず 重症になった原因も思い当たらないの意。 ■そこ所となく はっきりこれといった症状がない。前も「わづらひたまふさまの、むそこはかとなく」(【柏木 02】)とあった。 ■惜しげなき身 前も柏木は「惜しみとどめまほしき身かは」(【柏木 01】)と言っていた。 ■急ぎたつ あの世へ。 ■さるは あの世に急がれる気持ちは、それはそれとして、また一方では生への執着もある。 ■親にも仕うまつりさして 親に先立つ不孝。前も「親たちの御恨みを思ひて」(【同上】)とあった。 ■身をかへりみる方 わが身をかえりみると、その方面では。昇進や結婚についていうのだろう。 ■おほかたの嘆き 親不孝、君に仕えること中途になったこと、わが身のこと。これら三つを一版的な嘆きとする。そして自分にはそれ以外に個人的な嘆きがあると、話をつづける。 ■なほ忍びがたきこと 臨終の場で言うような話ではないが、それでもやはり言わずに我慢できないこと。 ■これかれあまたものすれど 数多くいる兄弟には話しづらく、夕霧にだけ話すのである。 ■事の違い目 密通事件のこと。 ■月ごろ 女三の宮との初めての密通が四月下旬。源氏との対面が十二月初旬。その間の八ヶ月ていどの間。 ■いと本意なう 源氏の目を怖れなくてはならない状況を、不本意といった。 ■院の御賀の楽所の試み。前年十二月初旬 朱雀院五十の賀の試楽の日(【若菜下 38】)。 ■なほゆるされぬ御心ばへ 空酔いした源氏は柏木に痛烈な皮肉を浴びせた(【同上】)。 ■いとど世にながらへんことも 「世の中世の中心細う」なったのが、源氏との関係悪化によって「いとど世にながらへんことも憚り多う」思うようになったのである。 ■御心の鬼 疑心暗鬼。心の中のわだかまり。 ■さやうなる御気色 源氏が柏木を咎め立てする様子。実際にはそれはあったのだが、夕霧は気付かなかった。 ■残いたまひつらん 親友の私にどうして打ち明けてくれなかったのだ、水臭いじゃないかの気持ち。 ■こなたかなた 源氏と柏木の両方の間に立って誤解を解こうとの意。 ■今は、言ふかひなしや 柏木の死が近いことを夕霧も感じている。 ■げに なるほど貴方のおっしゃるとおり。 ■隙 病気の小康状態。 ■はかなくなん 自分の寿命をとても長いものと考え、まさか今日明日の命になろうとは考えていなかった。それが「はかない」考えであったと。 ■一条にものしたまふ君 北の方の落葉の宮。一条に邸があることは初出。 ■事にふれてとぶらひきこえたまへ 柏木は夕霧に落葉の宮への見舞いを頼む。後にこれにより落葉の宮は不幸な運命に追いやられることになる。 ■院などにも 自分が早世することで落葉の宮を不幸にすることを、父朱雀院に対しても申し訳なく思う。 ■手かききこえたまふ 手ぶりで示す。 ■女御 柏木の妹、冷泉院の弘徽殿女御。 ■この大将の御方 夕霧の北の方、雲居雁。 ■心おきての… 前にも「心ばへのどかによくおはしつる君なれば」とあった。 ■右の大殿の北の方 髭黒右大臣の北の方である玉鬘。 ■やむ薬ならねば 「我こそや見ぬ人恋ふる病すれあふひならではやむ薬なし」(拾遺・恋一 読人しらず)によるか。 ■つひにえ対面しきこえたまはで 「必ずまた対面たまはらむ」(【若菜下 39】)との思いが果たせずに終わった感慨をこめる。 ■泡の消え入るやうに 「水の泡の消えでうき身といひながらながれてなほも頼まるるかな」(古今・恋五 紀友則)や、「うきながら消《け》ぬる泡ともなりななむながれてとだに頼まれぬ身は」(同上)に類似。恋に殉じたことを強調。 ■年ごろ 以下、落葉の宮が夫婦生活を回想。 ■下の心こそねむごろに深くもなかりしか 柏木が女三の宮に執心のあまり落葉の宮を顧みなかったようすは以前も語られている(【若菜下 25】)。 ■おほかた 「下の心」に対していう。世間的なこと外面的なこと。 ■うちとけぬさま 礼節を失わない取り扱い。しかし他人行儀で肉親のぬくもりはない。 ■人わらへ 皇女が臣下に降嫁し、しかも未亡人になったことで世間から嘲笑されると母御息所は心配している。前述されているとおり、母御息所は以前から臣下との結婚に乗り気でなかった。 ■まして 落葉の宮や一条御息所にもまして。 ■我こそは先立ため 息子の柏木よりも自分こそが先だとうと。母北の方は前に「遅れたてまつりては、いくばく世に経べき身」といっていた。 ■世のことわりなく 親が亡くなり、次に子がなくなるという世間一般の道理にあわないの意。 ■世にながかれとしも思さざりし 柏木の病気の回復を願うことさえなかったの意。 ■さすがに 柏木が亡くなったときくと、さすがに憐れみの情がわいてくる。 ■若君の御ことを 柏木は猫の夢から、女三の宮が懐妊することを予感しており、それを女三の宮にも語っていたらしい。 ■げにかかるべき契りにて 柏木の考えに「げに」と同意する。

朗読・解説:左大臣光永