【柏木 05】朱雀院、女三の宮を心配して下山 女三の宮、出家
山の帝《みかど》は、めづらしき御事たひらかなりと聞こしめして、あはれにゆかしう思《おも》ほすに、かく悩みたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにかと、御行ひも乱れて思しけり。
さばかり弱りたまへる人の物を聞こしめさで日ごろ経たまへば、いと頼もしげなくなりたまひて、年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、「またも見たてまつらずなりぬるにや」といたう泣いたまふ。かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いとたへがたう悲しと思して、あるまじき事とは思しめしながら、夜《よ》に隠れて出でさせたまへり。
かねてさる御|消息《せうそこ》もなくて、にはかに、かく、渡りおはしまいたれば、主《あるじ》の院驚きかしこまりきこえたまふ。「世の中を、かへり見すまじう思ひはべりしかど、なほ、まどひさめがたきものはこの道の闇になむはべりければ、行ひも懈怠《けだい》して、もし後《おく》れ先だつ道の道理《だうり》のままならで別れなば、やがてこの恨みもやかたみに残らむとあぢきなさに、この世の譏《そし》りをば知らで、かくものしはべる」と聞こえたまふ。御|容貌《かたち》異《こと》にても、なまめかしうなつかしきさまにうち忍びやつれたまひて、うるはしき御|法服《ほふぶく》ならず、墨染《すみぞめ》の御姿あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。例の、まづ涙落としたまふ。「わづらひたまふ御さま、ことなる御悩みにもはべらず、ただ月ごろ弱りたまへる御ありさまに、はかばかしう物などもまゐらぬつもりにや、かくものしたまふにこそ」など聞こえたまふ。
「かたはらいたき御座《おまし》なれども」とて、御帳の前に、御|褥《しとね》まゐりて入れたてまつりたまふ。宮をも、とかう人々つくろひきこえて、床《ゆか》の下《しも》におろしたてまつる。御几帳すこし押しやらせたまひて、「夜居《よゐ》の加持《かぢ》の僧などの心地すれど、まだ験《げん》つくばかりの行ひにもあらねばかたはらいたけれど、ただ、おぼつかなくおぼえたまふらむさまを、さながら見たまふべきなり」とて、御目おし拭《のご》はせたまふ。宮も、いと弱げに泣いたまひて、「生《い》くべうもおぼえはべらぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせたまひてよ」と聞こえたまふ。「さる御|本意《ほい》あらば、いと尊《たふと》きことなるを、さすがに限らぬ命のほどにて、行く末遠き人は、かへりて事の乱れあり、世の人に譏《そし》らるるやうありぬべきことになん、なほ憚《はばか》りぬべき」などのたまはせて、大殿《おとど》の君に、「かくなむ進みのたまふを、今は限りのさまならば、片時《かたとき》のほどにても、その助けあるべきさまにて、となむ思ひたまふる」とのたまへば、「日ごろもかくなむのたまへど、邪気《ざけ》なんどの人の心たぶろかして、かかる方にすすむるやうもはべなるをとて、聞きも入れはべらぬなり」と聞こえたまふ。「物《もの》の怪《け》の教《をしへ》にても、それに負けぬとて、あしかるべきことならばこそ憚らめ、弱りにたる人の、限りとてものしたまはむことを聞き過ぐさむは、後《のち》の悔心苦しうや」とのたまふ。
御心の中《うち》、「限りなううしろやすく譲りおきし御事を承《う》けとりたまひて、さしも心ざし深からず、わが思ふやうにはあらぬ御気色を、事にふれつつ、年ごろ聞こしめし思しつめけること、色に出でて恨みきこえたまふべきにもあらねば、世の人の思ひ言ふらむところも口惜しう思しわたるに、かかるをりにもて離れなむも、何かは、人わらへに世を恨みたるけしきならで、さもあらざらむ。おほかたの後見には、なほ頼まれぬべき御おきてなるを、ただ預けおきたてまつりししるしには思ひなして、憎《にく》げに背《そむ》くさまにはあらずとも、御|処分《そうぶん》に、広くおもしろき宮賜りたまへるを繕《つくろ》ひて住ませたてまつらむ。わがおはします世に、さる方にても、うしろめたからず聞きおき、また、かの大殿《おとど》も、さ言ふとも、いとおろかにはよも思ひ放ちたまはじ。その心ばへをも見はてむ」と思ほしとりて、「さらば、かくものしたるついでに、忌むこと受けたまはむをだに結縁《けちえん》にせむかし」とのたまはす。
大殿《おとど》の君、うしと思す方も忘れて、こはいかなるべきことぞと悲しく口惜しければ、えたへたまはず、内に入りて、「などか、いくばくもはべるまじき身をふり棄てて、かうは思しなりにける。なほ、しばし心を静めたまひて、御湯まゐり、物などをも聞こしめせ。尊きことなりとも、御身弱うては行ひもしたまひてんや。かつはつくろひたまひてこそ」と聞こえたまへど、頭《かしら》ふりて、いとつらうのたまふ、と思したり。つれなくて、恨めしと思すこともありけるにや、と見たてまつりたまふに、いとほしうあはれなり。
とかく聞こえ返さひ思しやすらふほどに、夜明け方になりぬ。帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべしと急がせたまひて、御|祈禱《いのり》にさぶらふ中に、やむごとなう尊きかぎり召し入れて、御髪《みぐし》おろさせたまふ。いとさかりにきよらなる御髪をそぎ棄てて、忌むこと受けたまふ作法《さほふ》悲しう口惜しければ、大殿《おとど》はえ忍びあへたまはず、いみじう泣いたまふ。院、はた、もとより、とり分きてやむごとなく、人よりもすぐれて見たてまつらむと思ししを、この世にはかひなきやうにないたてまつるも飽かず悲しければ、うちしほたれたまふ。「かくても、たひらかにて、同じうは念誦《ねんず》をも勤めたまへ」と聞こえおきたまひて、明けはてぬるに急ぎて出でさせたまひぬ。
宮は、なほ弱う消え入るやうにしたまひて、はかばかしうもえ見たてまつらず、ものなども聞こえたまはず。大殿《おとど》も、「夢のやうに思ひたまへ乱るる心まどひに、かう昔おぼえたる御幸《みゆき》のかしこまりをも、え御覧ぜられぬらうがはしさは、ことさらに参りはべりてなむ」と聞こえたまふ。御送りに人々参らせたまふ。「世の中の、今日《けふ》か明日《あす》かにおぼえはべりしほどに、また知る人もなくてただよはむことのあはれに避《さ》りがたうおぼえはべしかば、御|本意《ほい》にはあらざりけめど、かく聞こえつけて、年ごろは心やすく思ひたまへつるを、もしも生きとまりはべらば、さま異《こと》に変りて、人繁《しげ》き住まひはつきなかるべきを、さるべき山里などにかけ離れたらむありさまも、また、さすがに心細かるべくや。さまに従ひて、なほ、思し放つまじく」など聞こえたまへば、「さらに、かくまで仰せらるるなむ、かへりて恥づかしう思ひたまへらるる。乱り心地とかく乱れはべりて、何ごともえわきまへはべらず」とて、げにいとたへがたげに思したり。
現代語訳
山の帝(朱雀院)は、宮(女三の宮)の、はじめてのご出産が無事におすみになったとお耳にされて、しみじみ宮に会いたいとお思いになっておられると、このように産後のご体調が悪くていらっしゃることばかり聞こえてくるので、どうなられるのだろうかと、仏事の御行いも手につかず御気が乱れていらした。
それほどまでに弱っていらっしゃる人(女三の宮)が、何も召し上がらないで何日もお過ごしになったので、まったく衰弱してしまわれて、これまで何年もお会い申し上げていらっしゃらなかった間よりも、院がとても恋しくお思いになられるので、(女三の宮)「もうお会い申し上げることができなくなるのでしょうか」とひどくお泣きになられる。このように宮(女三の宮)が院(源氏)に対して申し上げていらっしゃる事情を、しかるべき人を介して院(朱雀院)に奏上してお伝えになったので、院(朱雀院)は、ひどく耐え難く悲しくお思いになられて、出家の身にあるまじき事とはお思いになられながら、夜の闇に紛れて山をお出になられた。
前もってそのようなご連絡もなく、急に、こうして、院(朱雀院)がおいでになられたので、主の院(源氏)は、驚いてご恐縮なさる。(朱雀院)「俗世のことを、顧みるまいと思っていましたが、やはり、迷いがなくならないことは子を思う道の闇というものでございました。そのため、仏事の行いも怠りがちで、もし親が子よりも先立つ道理に反して、子のほうが先立って別れでもしてしまったら、会わずに死に別れる恨みも、そのままお互いに残ってしまうだろうと、それが無念なので、この世の譏りをも顧みず、こうして下山してまいったのです」と申し上げなさる。ご出家姿でいらっしゃるとはいっても、優美で、魅力的なようすで、人目を避けるために御身をおやつしになられて、立派な御法服ではなく、墨染の御姿でいらっしゃるのが、かえって好ましく、美しげであることも、主の院(源氏)は、うらやましく拝見なさる。いつものように、まず涙をお落としなる。(源氏)「宮(女三の宮)の患っていらっしゃるご様子は、これといったご病気でもございませんで、ただここ幾月か衰弱していらっしゃるご様子であるところに、さっぱりお食事なども召し上がらないことが積み重なったためでしょうか、このような状態になっていらっしゃるのです」などと申し上げなさる。
(源氏)「お恥ずかしい御座ではございますが」といって、御帳の前に、御褥を用意して、院(朱雀院)をお入れ申し上げなさる。宮(女三の宮)をも、あれこれと女房たちが身繕いをおさせ申して、床の下におろしてさしあげる。御几帳をすこし押しやらさせて、(朱雀院)「夜直の加持の僧などの気分がしますが、まだ霊験があるほどの行いもできませんので気が引けますが、ただ、貴女が会いたがっていらっしゃる私の姿を、目の当たり拝見なさってください」とおっしゃって、御目をおし拭いなさる。宮も、ひどく弱々しげにお泣きになられて、(女三の宮)「これ以上生きられそうにも思えませんので、こうしておいでになられた機会に、私を尼にさせてくださいまし」と申し上げなさる。(朱雀院)「そういうお志があるなら、とても尊いことですが、いくら病とはいってもすぐに命が絶えてしまうわけでもないのですから、ご将来が長い人は、出家するとかえって後から面倒なことが起こって、世間の人に非難されることがあるだろうことですから、やはり今出家はやめておくべきでしょう」などとおっしゃって、大殿の君(源氏)に、(朱雀院)「このように、宮が自ら進んでおっしゃるので、今が最期のようすですから、ほんの少しの間とはいっても、その功徳があるようにしてやりたいと存じます」とおっしゃると、(源氏)「宮は、ここ数日そのようなことをおっしゃっていますが、物の怪などが人の心をたぶらかして、そういう方面にすすめるようなこともあると聞いておりますから、と言って、今まで聞き入れてもいなかったのです」と申し上げなさる。(朱雀院)「物の怪の勧めだとしても、それに負けてしまったといって、悪いようなことであれば憚りもしましょうが、弱っている人が、もうこれきりと思っておっしゃっていることを聞き過ごしてしまっては、後悔して心苦しいことになるのではないでしょうか」とおっしゃる。
御心の中では、「この上もなく安心に思って娘を譲りおいた御事をお受けになられて、しかしそれほどご愛情は深くはなく、私が思っていたのとはちがうご夫婦関係を、事にふれるたびに、長年耳にして深く恨みに思っていたことは、表に出して恨み言を申し上げるようなことでもないので、世間の人が思ったり言ったりすることも残念なことだとずっと思っていたが、こうした折に宮が俗世を離れるなら、世間の物笑いの種となるような、夫婦仲を恨んでいるようすではなく、もっとすんなりとした形で出家させられるなら、どうしてそれが悪いことがあろうか。生活全般の世話には、やはりこれからも頼みになりそうなご様子なのだから、ただその世話をしてもらえることだけが、娘をお預け申し上げた成果だと思うようにして、あてつけがましく世を背いたような形ではないようにして、私が父院(桐壺院)から相続している広く風情のある御殿を修繕して、宮(女三の宮)を住ませてさしあげよう。私が存命の間に、尼としてではあっても、安心できるようにしておきたいし、また、あの大殿(源氏)も、そうは言っても、宮のことをそこまで疎遠にしてお見捨てにはなられまい。その心意気も、最後まで見届けるとしよう」とご判断なさって、(朱雀院)「それならば、こうして山を下りた機会に、戒をお授けすることで、せめても仏との御縁を結びましょう」と仰せになられる。
大殿の君は、憎く思っていたあの一件のことも忘れて、これはどうしたらよいのかと悲しく、残念にお思いになられたので、こらえることがおできにならず、御帳の内に入って、(源氏)「どうして、余命いくばくもないだろう私を見棄てて、こうお決めになられたのです。やはり、しばらく心をお静めになられて、御薬湯を召し上がって、食べ物を召し上がってください。出家は尊いことではありますが、御身が弱くては、行いもじゅうぶんにできますまい。とにかくご養生なさってこそのことです」と申し上げなさるが、宮は頭をふって、「ひどく辛いことをおっしゃる」とお思いになっておられる。「表にはお出しにならないで、私を恨めしいとお思いになることもあったのだろうか」とお察しなさるにつけ、気の毒で不憫である。
あれこれ申し上げて反対し、ぐずぐずとためらっていらっしゃるうちに、夜明け方になった。院(朱雀院)が山にお帰りになられるにつけ、道中も昼は具合が悪いに違いないとお急がせなさって、御祈祷を捧げるために集まっている僧たちの中に、身分高く徳の高い者だけを召し入れて、宮の御髪をおろさせなさる。まことに今が盛りの美しい御髪をそぎ棄てて、戒をお受けになられる、その儀式が悲しく残念であったので、大殿(源氏)は、こらえることがおできにならず、たいそうお泣きになる。院(朱雀院)は、また、もともと、宮(女三の宮)を、皇女たちの中でもとりわけ大切に、誰よりもしあわせになるようにしてさしあげようとお思いになっておられたのに、この世においてはかいのないような御姿にし申し上げることが、どこまでも悲しかったので、涙にくれていらっしゃる。(朱雀院)「こうして尼になっても、安心して、同じ出家したのであれば、せめて念誦をお勤めください」と申し置きなさって、すっかり夜が明けてしまったので、院(朱雀院)は、急いでお立ちになられた。
宮(女三の宮)は、やはり弱く消え入るようにしていらして、しっかりと父院を拝見することもおできにならず、ものなども申し上げることがおでにならない。大殿(源氏)も、
語句
■めづらしき御事 女三の宮の初出産。 ■かく悩みたまふ 女三の宮の産後の病気。 ■御行ひも乱れて 朱雀院は女三の宮が心配で仏事の行いどころではない。 ■年ごろ見たてまつらざりしほど 昨年暮れの朱雀院五十の賀で、降嫁以来はじめて対面した。「ほど」はその会わないでいた七年間。 ■院のいと恋しく 対面後はかえって院と会いたい気持ちがつのった。 ■あるまじき事 俗世を捨てて出家した者が肉親への情から山を出ることが「あるまじき事」である。 ■この道の闇 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■行ひも懈怠して 前の「御行ひも乱れて思しけり」と対応。 ■御容貌異 僧形であること。 ■うるはしき御法服ならず 法皇としての立派な服装ではなく一般の僧侶のように墨染の衣をまとっている。 ■うらやましく 源氏は前々から出家したいと思っている。 ■まづ涙落したまふ 言葉よりも先に涙が落ちる。 ■御帳の前に 女三の宮と対面させるため、その御帳の前に案内した。 ■床の下に 御帳台から板敷の上におろす。 ■夜居の加持の僧 夜通し加持祈祷する僧。 ■まだ験つくばかりの行ひにもあらねば 朱雀院は謙遜してこう言っていらしいが、修行そっちのけでわが娘かわいさに山を下りてくる支離滅裂な行動を見るに、「そりゃ功徳はないだろう」と思える。 ■おぼつかなくおぼえたまふらん 父親としての偽りない気持ちだが、出家者としてはあまりに身勝手。 ■宮も 「も」に朱雀院と女三の宮の共依存関係が如実にあらわれている。 ■ついでに 法皇である父院を導き手として出家したいと思う。 ■なほ憚りぬべき 出家を認め難い気持ち。 ■物の怪の教にても… たとえ物の怪の勧めだとしても、それに従って出家したからといって悪いことはなかろう。もはや親バカを通り越して支離滅裂。 ■聞き過ぐさむ 女三の宮が万一死んだ場合を想定している。 ■限りなくうしろやすく… 以下、朱雀院の源氏に対する不満。源氏にいちばん出来の悪い女三の宮をおしつけたことの迷惑さについては一切顧みない。 ■さしも心ざし深からず 朱雀院が希望するほどには源氏は女三の宮を大切に扱わなかった。そのことについての不満。 ■思しつめける 「思しつむ」は「思ひつむ」(深く恨みに思う)の自敬表現。 ■かかるをりに もともと朱雀院は女三の宮と源氏の夫婦関係に希望を持っていなかったので、いっそこの機会に女三の宮を出家させてしまおうと思う。 ■何かは 「さもあらざらん」にかかる。 ■世を恨みたるけしき 女三の宮が源氏との夫婦仲に不満をもっていて、当てつけとして出家したように世間から思われることを朱雀院は危惧している。いらぬ心配としか。 ■おほかたの後見には… 出家後も、源氏が女三の宮の生活の世話を見てくれるだろうことを朱雀院は期待しいる。あさましき下心。 ■思ひなして あえて思うように自分で自分を説得するニュアンス。 ■憎げに背くさまにはあらずとも 源氏に対するあてつけで家を出たようではなく病により出家したという形にすれば。 ■御処分に… 朱雀院が、父桐壺院から相続した御殿のこと。そこに女三の宮を住ませてやろうと。 ■思ほしとりて いろいろ考えた結果、その考えを選び取ってのニュアンス。 ■かくものしたるついでに 前の「かくおはしまいたるついでに…」に対応。 ■忌むこと受けたまはん 受戒すること。 ■結縁 仏縁に結ばれること。 ■うしと思す方 女三の宮と柏木の密通事件。 ■内に入りて 女三の宮のいる御帳の内に入って。 ■なほ、しばし心を静めたまひて 前も「なほ、強く思しなれ」(【柏木 04】)とあった。 ■かつはつくろひたまひてこそ まずは静養が第一で出家はそれからだと説得する。 ■