【柏木 06】六条御息所の死霊、またもあらわる

後夜《ごや》の御|加持《かぢ》に、御|物《もの》の怪《け》出で来て、「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、いと妬《ねた》かりしかば、このわたりにさりげなくてなむ日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」とてうち笑ふ。いとあさましう、さは、この物の怪のここにも離れざりけるにやあらむ、と思すに、いとほしう悔《くや》しう思さる。宮、すこし生き出でたまふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人々も、いと言ふかひなうおぼゆれど、かうてもたひらかにだにおはしまさば、と念じつつ、御|修法《ずほふ》、また延べて、たゆみなく行はせなど、よろづにせさせたまふ。

現代語訳

後夜の御加持のとき、御物の怪が出てきて、(物の怪)「それごらんなさい。とてもうまいこと取り返したと、一人のことをお思いになっていらしたのが、ひどく憎らしかったので、このあたりにさりげなくやってきて、何日も取り憑いていたのだ。今は帰るとしよう」といって笑う。院(源氏)はひどく呆れて、「それでは、この物の怪が、この宮にも取り憑いて、離れなかったのだろうか」とお思いになるにつけ、宮が気の毒であり、悔しくもお思いになる。宮(女三の宮)はすこし元気を取り戻されたようだが、やはり頼りなさそうにばかりお見えになる。お仕えしている女房たちも、ひどくどうしようもなく思うが、このような状態となっても、せめてお命さえご安泰でいらっしゃれば、と辛さをこらえては、御修法をまた延長して、たゆみなく行わせたり、万事に手をお尽くしになられる。

語句

■後夜の加持 六時(晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)の勤行の一つ。夜中から夜明けまで行う。 ■御物の怪出で来て 物の怪が女三の宮をはなれて、憑坐にとりついて語っているのである。受戒の効果か。 ■いとかしここう取り返しつ 源氏が物の怪から紫の上を取り返した一件をいう。ここから六条御息所の死霊とわかる。 ■うち笑ふ 「栄花物語に、小一条院女御(顕光公女)の物気にて、御堂(道長)御女ひさしくわづらひ給て、ついで御ぐしおろさせ給ふ、その時邪気人につきて、いまこそうれしけれとて手をうちてわらひくるふよしみえたり。此事か」(河海抄)。 ■いとほしう 源氏は一面では女三の宮の出家を望んでもいた。しかしそれが物の怪の導きとわかると戦慄をおぼえる。 ■かうても 前の朱雀院の台詞に「かくても、たひらかにて」とあったのと類似。

朗読・解説:左大臣光永