【柏木 08】若君の五十日の儀 源氏と女三の宮のやり取り

三月《やよひ》になれば、空のけしきもものうららかにて、この君|五十日《いか》のほどになりたまひて、いと白ううつくしう、ほどよりはおよすけて、物語などしたまふ。大殿《おとど》渡りたまひて、「御心地はさはやかになりたまひにたりや。いでや、いとかひなくもはべるかな。例の御ありさまにてかく見なしたてまつらましかば、いかにうれしうはべらまし。心憂く思し棄てけること」と、涙ぐみて恨みきこえたまふ。日々《ひび》に渡りたまひて、今しも、やむごとなく限りなきさまにもてなしきこえたまふ。

御五十日に餅《もちひ》まゐらせたまはむとて、かたちことなる御さまを、人々、いかになど聞こえやすらへば、院渡らせたまひて、「何か。女にものしたまはばこそ、同じ筋にていまいましくもあらめ」とて、南面《みなみおもて》に小さき御座《おまし》などよそひてまゐらせたまふ。御|乳母《めのと》いと華やかに装束《さうぞ》きて、御前《おまへ》の物、色々を尽くしたる、籠物《こもの》、檜破子《ひわりご》の心ばへどもを、内《うち》にも外《と》にも、本《もと》の心を知らぬことなれば、とり散らし、何心もなきを、いと心苦しうまばゆきわざなりやと思す。

宮も起きゐたまひて、御髪《みぐし》の末のところせう広ごりたるを、いと苦しと思して、額《ひたひ》など撫《な》でつけておはするに、几帳を引きやりてゐたまへば、いと恥づかしうて背《そむ》きたまへる、いとど小さう細りたまひて、御髪は惜しみきこえて長うそぎたりければ、背後《うしろ》はことにけぢめも見えたまはぬほどなり。すぎすぎ見ゆる鈍色《にびいろ》ども、黄がちなる今様色《いまやういろ》など着たまひて、まだありつかぬ御かたはら目、かくてしもうつくしき子どもの心地して、なまめかしうをかしげなり。「いで、あな心憂《こころう》。墨染《みすぞめ》こそ、なほ、いとうたて目もくるる色なりけれ。かやうにても見たてまつることは絶ゆまじきぞかし、と思ひ慰めはべれど、旧《ふ》りがたうわりなき心地する涙の人わろさを、いと、かう、思ひ棄てられたてまつる身の咎《とが》に思ひなすも、さまざまに胸いたう口惜《くちを》しうなん。取り返すものにもがなや」と、うち嘆きたまひて、「今はとて思し離れば、まことに御心と厭《いと》ひ棄てたまひけると、恥づかしう心憂くなむおぼゆべき。なほあはれと思せ」と聞こえたまへば、「かかるさまの人は、もののあはれも知らぬものと聞きしを、ましてもとより知らぬことにて、いかがは聞こゆべからむ」とのたまへば、「かひなのことや。思し知る方もあらむものを」とばかりのたまひさして、若君を見たてまつりたまふ。

御|乳母《めのと》たちは、やむごとなくめやすきかぎりあまたさぶらふ。召し出でて、仕うまつるべき心おきてなどのたまふ。「あはれ、残り少なき世に生《お》ひ出づべき人にこそ」とて、抱《いだ》きとりたまへば、いと心やすくうち笑《ゑ》みて、つぶつぶと肥《こ》えて白ううつくし。大将などの児生《ちごお》ひほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、王気《わうけ》づきて気《け》高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。この君、いとあてなるに添へて愛敬《あいぎやう》づき、まみのかをりて、笑《ゑ》がちなるなどをいとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほいとようおぼえたりかし。ただ今ながら、まなこゐののどかに、恥づかしきさまもやう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。宮は、さしも思しわかず、人、はた、さらに知らぬことなれば、ただ一《ひと》ところの御心の中《うち》にのみぞ、あはれ、はかなかりける人の契りかな、と見たまふに、おほかたの世の定めなさも思しつづけられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は事忌《こといみ》すべき日をとおし拭《のご》ひ隠したまふ。「静かに思ひて嗟《なげ》くに堪へたり」とうち誦《ずん》じたまふ。五十八を十《とを》とり棄てたる御|齢《よはひ》なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝《なんぢ》が爺《ちち》に」とも、諫《いさ》めまほしう思しけむかし。

「この事の心知れる人、女房の中にもあらむかし。知らぬこそ妬《ねた》けれ、をこなりと見るらん」と安からず思せど、「わが御|咎《とが》あることはあへなん、二つ言はんには、女の御ためこそいとほしけれ」など思して、色にも出だしたまはず。いと何心なう物語して笑ひたまへる、まみ口つきのうつくしきも、「心知らざらむ人はいかがあらん。なほ、いとよく似通ひたりけり」と見たまふに、「親たちの、子だにあれかしと泣いたまふらんにもえ見せず、人知れずはかなき形見ばかりをとどめおきて、さばかり思ひあがりおよすけたりし身を、心もて失ひつるよ」とあはれに惜しければ、めざまし、と思ふ心もひき返し、うち泣かれたまひぬ。

人々すべり隠れたるほどに、宮の御もとに寄りたまひて、「この人をばいかが見たまふや。かかる人を棄てて、背きはてたまひぬべき世にやありける。あな心|憂《う》」とおどろかしきこえたまへば、顔うち赤めておはす。

「誰《た》が世にか種はまきしと人問はばいかが岩根の松はこたへん

あはれなり」など忍びて聞こえたまふに、御|答《いら》へもなうて、ひれ臥《ふ》したまへり。ことわりと思せば、強《し》ひても聞こえたまはず。「いかに思すらん、もの深うなどはおはせねど、いかでかはただには」と推《お》しはかりきこえたまふも、いと心苦しうなん。

現代語訳

三月になると、空の様子もなんとなくうららかで、この若君(薫)は、五十日のお祝いをなさる時分におなりで、まことに色白で、かわいらしく、年齢よりは大人びて、なにか物を言ったりなどなさる。大殿(源氏)が、宮(女三の宮)のもとにおいでになられて、(源氏)「ご気分はすっきりなさいましたか。それにしても、ひどくかいなのないことでございますよ。昔どおりのお姿でこうして拝見するのでしたら、どれほどうれしゅうございましたでしょう。情けなくも私をお見捨てになられましたことですよ」と、涙ぐんで恨み言を申し上げなさる。大殿(源氏)は日々、宮(女三の宮)のもとにおいでになられて、ご出家された今でも、この上なく丁重にお世話申される。

御五十日の祝儀に餅をさしあげようとして、宮(女三の宮)がご出家の御身でいらっしゃることを、女房たちが、どういう作法にしたものかと、はからいかねていると、院(源氏)がおいでになられて、(源氏)「なにも問題は
ない。若君がもし女でいらっしゃったら、宮(女三の宮)と同じ筋であるから不吉だ、ということもあろうが」といって、南面に小さな御座などしつらえて、若君に餅をさしあげなさる。御乳母はまことに華やかな装束を着て、御前にお供えしている物、色どりを尽くした、籠物、檜破子の趣向の数々を、御簾の内にも外にも、事の真相を知らないので、とり散らして、遠慮なくふるまっているのを、大殿(源氏)は、ひどく心苦しく、見ていられないとお思いになられる。

宮(女三の宮)も起きておいでになって、御髪の末がいっぱいに広がっているのを、ひどく窮屈にお思いになり、額など撫でつけていらっしゃると、院(源氏)が、几帳を引きのけてお座りになるので、宮はひどく恥ずかしくて御顔をおそらしになったが、ふだんよりいっそう小さくか細くていらっしゃり、御髪は人が惜しいとお思いになって、長く剃っていたので、後ろから見ると、べつだん出家前と違いもお見えにならないほどである。段々に重なって見える鈍色の衣を何枚も重ね着して、黄ばんだ今風の色の衣などをお召しになって、まだ落ち着かない尼姿の御横顔は、こうなるとかえって可愛らしい子供のような感じがして、優美で好感が持てるものである。(源氏)「さあ、ひどく情けないことで。墨染こそは、やはりひどく嫌で、目の前が暗くなる色でございますよ。こうして尼姿になられても、お世話申し上げることが終わるわけではない、と思って慰めてございますが、相変わらず、どうにもやるせない気がして、涙が出ることのみっともなさを、実に、こうして、貴方に見限られ申したわが身の至らなさと思うようにはしておりますが、それでもさまざまに胸が痛く、残念なのです。もう一度昔に戻れたらと思います」とため息をおつきになって、(源氏)「もうこれまでと私をお見限りになられるなら、ほんとうに御心の底から私を嫌ってお捨てになられたのだと、私は恥ずかしく残念に思うにちがいありません。いくら出家をしたといっても、私のことを気にかけてください」と申し上げなさると、(女三の宮)「こんなふうに出家した人は、情けも知らないものと聞いておりましたのに、まして私はもともと情け知らずでございますから、なんと申し上げてよろしいやら」とおっしゃるので、(源氏)「かいのないことをおっしゃいますね。情を交わせた方もあったようですのに」とだけおっしゃりかけて、若君をご覧になられる。

御乳母たちは、身分が高く器量のすぐれた者だけが多くお仕えしている。院(源氏)はその御乳母たちを召し出して、若君にお仕え申し上げるべき心得などをおいい聞かせになられる。(源氏)「ああなんと。わが生の残り少なくなった今から、この子は育っていくことになるのだな」といって、抱きとりなさると、まことに安心して笑って、まるまると肥えて可愛らしい。大将(夕霧)などが赤子として生まれた当時のことを、ほのかにお思い出されるにつけても、それと似てもいらっしゃらない。女御(明石の女御)の御宮たちもまた、父帝(今上帝)の御血筋らしく、皇族めいて気高くはいらっしゃるが、べつだんこれといって美しいというわけでもない。この君(薫)は、たいそう気品があり、それに加えて可愛げがあり、顔立ちが美しく色づいて、よくお笑いになることなどを、院はまことに愛しいお気持ちで御覧になられる。そう思って御覧になられるからであろうか、やはりとてもよく、柏木に面影が似ているのである。もうこんな幼いうちから、物を見る目のようすがおだやかで、こちらが恥ずかしくなるほど見事なさまも人並みはずれていて、においたつような美しい顔立ちである。

宮(女三の宮)は、それほどにはこの御子の素晴らしさはお見分けがつかず、周囲の女房たちはまた、まったく事情を知らないことであるので、ただ院(源氏)お一人の御心の中にだけ、「ああ何ということか、はかなく散ったあの人(柏木)の運命であったことよ」と御覧になるにつけ、いつたいに世の無常であることについてもお思い続けられて、涙がほろほろとこぼれるのを、(源氏)「今日は事忌みすべき日であるのに」と、涙をふいてお隠しになられる。(源氏)「静かに思ひて嗟《なげ》くに堪へたり」とお口ずさみになられる。五十八歳には十歳足らぬ御年でいらっしゃるが、人生も暮れ方になった心地になられて、まことにしみじみと感慨深くお思いになる。「汝が爺《ちち》に」とも、諌めたいとお思いになられたのだろうか。

(源氏)「この事情を知っている人は、女房の中にもあるだろう。この私の胸の内が知られないのが憎らしい。さぞかし私のことを愚か者と思っているだろう」と穏やかならずお思いになっていらっしゃるが、「私に対する非難であれば耐えられもしよう。夫婦の双方について言えば、こういう風聞が立つのは、女の側にとって、より気の毒なことなのだ」などとお思いになられて、そぶりにもお出しにならない。若君が、無邪気に、物など言って、お笑いになる、その目つき、口つきの可愛らしいことにつけても、(源氏)「事情を知っている人はどう思うだろう。やはり、(柏木に)よく似ていることよ」とご覧になられるにつけ、(源氏)「両親が、せめて子でもあればと泣いていらっしゃるのに、お見せすることもできず、柏木は、人知れず、はっきり誰の子と公表することもできないこの子だけを形見として残して、あれほど気位高く、立派であった身を、みずから滅ぼしてしまったのか」としみじみ惜しいとお思いになるので、憎いと思う心も失せて、お泣きになられた。

女房たちがそっと席をはずした時に、院(源氏)は宮(女三の宮)のもとに近寄りなさって、(源氏)「この子をどうご覧になられますか。こんな幼い子を棄てて、すっかり世を背いてしまわねばならなかったのでしょうか。なんと残念なこと」と気づかせるように申し上げなさると、宮は、赤面していらっしゃる。

(源氏)「誰が世にか……

(いったい誰が種をまいたのだろうと人が尋ねたら、岩根の松(薫)はなんと答えるのでしょう)

ああなんということ」など、院が小声で申し上げなさると、宮(女三の宮)は御答えもせず、うつぶしてしまわれた。院(源氏)はそれも無理からぬこととお思いになるので、強いてそれ以上申し上げなさらない。(源氏)「柏木が亡くなったことを、どうお思いになっていらっしゃるのだろう。深くものをお考えになられる御方ではいらっしゃらないが、まさか平気ということはあるまい」とご心中を推し量りなさるにつけても、ひどくせつないことである。

語句

■弥生 晩春のうららかな気候。前段までの柏木の死にまつわる陰鬱な話の流れを、仕切り直す。 ■この君 女三の宮が産んだ若君。後の薫。 ■物語 赤子がなにか物を言ったりすること。 ■渡りたまひて 女三の宮は出家後、源氏の居所とは離れたところにいる。源氏は紫の上とともにいる。 ■いとかひなくも 若君の五十日の祝なのにそのかいがないの意。 ■例の御ありさまにて 出家前の俗人の姿で。 ■日々に渡りたまひて ふつう、出家者に対してこうしたふるまいはしない。 ■今しも 源氏は女三の宮の出家前はむしろ冷淡であった。出家した今になって、かえって女三の宮への執着がわいてきたことは皮肉である。 ■餅まゐらせたまはん 五十日の祝には父などが子に餅を箸で口にふくませる。 ■かたちことなる御さま 母宮の出家姿。母宮が出家しているという異常な事態であるため、型通りの儀式を行うべきか、女房たちは躊躇する。 ■女にものしたまはばこそ もし女子であれば母宮が出家の身であることは同性であるから不吉だが、男子であるのでたとえ母宮が出家の身でもなんの問題もない、という理屈。 ■南面 寝殿の正面。 ■籠物 籠に入れた菓子類。 ■檜破子 檜でつくった箱。食物を入れる。 ■本の心 若宮の父が源氏ではなく柏木であるという真相。 ■いと心苦しうまばゆきわざなりや 源氏はいまだに女三の宮の裏切りが許せない。 ■額など撫でつけて 尼姿では額髪を短く切り揃える。 ■いと恥づかしうて 自分の尼姿を源氏に見られることが。 ■鈍色ども 鈍色の下着を何枚も重ね着している。 ■今様色 流行色。 ■かくてしも 尼姿になって、かえって可愛らしい魅力がました。 ■あな心憂 前の「心憂く思し棄てけること」を繰り返す。 ■かやうにても見たてまつること 出家した後も女三の宮の世話をすること。 ■旧りがたう 相変わらず。 ■人わろさ 自分の女々しさを周囲に気取られることの世間体の悪さ。 ■身の咎 わが身の過失。どちらかというと過失は不倫騒動をおこした女三の宮のほうにあるのだが、源氏がここまで卑下すると女三の宮はかえって自分を恥じることになる。それを見越しての嫌味。 ■取り返すものにもがなや 出家前の昔に戻したいという気持ち。 ■思し離れれば 源氏は女三の宮が出家した今になって執着心がましてきている。女三の宮をくれぐれもと頼んだ朱雀院に対する申し訳なさもあろう。しかし自分自身の内からこみあげる執着もあろう。 ■なほあはれと思せ 出家しても私を気にかけてくださいの意。女々しい執着をさらけ出す。 ■ましてもとより知らぬ 出家した人はただでさえ情けを知らぬと聞いていたのに、まして私はもともと幼稚な性質で情け知らずですからの意。ふだんから女三の宮を幼稚と見ていた源氏への痛烈な皮肉。 ■かひなのことや なんと素っ気ないことだと、がっくりしている。 ■思し知る方もあらむものを 女三の宮が柏木と情を通わせあったことをいう。これも皮肉。 ■残り少なき世に… 「物思ひける時、いときなき子を見てよめる/いまさらになに生ひいづらむ竹の子の憂き節しげきよとは知らずや」(古今・雑下 躬恒)による。晩年になってわが子ならぬわが子が生まれ、これから育っていくことへの感慨。 ■大将などの… 実子である夕霧などには似ていないということから、源氏の血を引かない子であることを暗示。「など」には冷泉院もふくむか。 ■似たまはず 源氏はこの子が柏木の実子であることを確信する。 ■女御の御宮たち 明石の女御腹の宮たち。 ■かをりて 「かをる」は美しく色づく。視覚的な美。 ■思ひなしにや この子が柏木の実子と思って見るからだろうか、の意。 ■おぼえたりかし 「おぼゆ」は似る、おもかげがある。 ■ただ今ながら もうこんな幼い時から。 ■まなこゐ 物を見る目の様子。 ■やう離れて 人並みはずれている様子。 ■かをりをかしき 「かをり」が繰り返し使われていることに注意。後の匂宮巻には、生来香ばしい薫が百歩の外まで香ったとあるが、ここではまだ体の薫については言及されていない。以後、薫と通称する。 ■さしも思しわかず 女三の宮は源氏ほどには若君の素晴らしさを見分けることができない。 ■人 周囲の女房たち。 ■ただ一ところの御心の中にのみぞ 源氏はこの子が実の子でないことを知りながらそれを誰に打ち明けるわけにもいかず、一人心の中でさまざまな感慨にかられる。 ■今日は事忌みすべき 五十日の祝という晴れの席に涙は不吉である。 ■静かに思ひて嗟くに堪へたり 白楽天が五十八歳ではじめて男児をもうけた時の詩による。「五十八翁方ニ後アリ 静カニ思ヒテ喜ブニ堪ヘ 亦嗟《なげ》クニ堪ヘタリ 一珠甚ダ小ニシテ還《また》蚌《はまぐり》ニ慙《は》ヅ 九子多シト雖モ鴉《からす》ヲ羨マズ 秋月晩ク生ズ丹桂ノ実 春風新タニ長ズ紫蘭ノ芽 杯ヲ持チ祝ヒ願フニ他ノ語無シ 慎ンデ頑愚ハ汝ノ爺ニ似ルコト勿レ」(白氏文集巻五十八 自嘲)。 ■五十八を十とり棄てたる 白楽天は五十八歳で男児を得た。今の源氏は白楽天より十歳若い四十八歳。 ■末になりたる 前の「あはれ。残り少なき世に生ひ出づべき人にこそ」に対応。 ■汝が爺に 前に引用した白楽天の詩による。お前は私のような愚か者になるなの意をこめる。 ■この事の心 事の真相。若君が源氏の子ではなく柏木の子であること。 ■知らぬこそ妬けれ 事情を知っている女房が私の心のうちを知らずにただ喜んでいると思ってばかにしているだろうと考えて源氏ははがゆく思う。 ■わが御咎… 若君が源氏の実の子ではない、ということが明るみに出れば、恥をかくのは自分よりも女三の宮のほうである。源氏はそれを気遣って、あえて女三の宮に対して何も言わない。 ■二つ言はんには 夫婦双方についていえば。 ■なほ、いとよく似通ひたりけり 前の「なほいとようおぼえたりかし」を繰り返す。 ■親たちの… 柏木の両親の気持ちを想像する。 ■はかなき形見 薫は柏木の形見だが、その素性を公表できないので「はかなき」形見となる。 ■この人をばいかが見たまふや 母親としてこの子に愛情が湧いてこないかと、問いかける。 ■顔うち赤めて 柏木との密通事件を思い、恥じ入る。 ■誰が世にか… 「梓弓磯辺の小松たが世にか万代かねて種をまきけむ」(古今・雑上 読人しらず)による。「岩根」を「言わね」に掛ける。「松」は薫をさす。薫が出生の秘密を負わされたことをいう。 ■いかに思すらん 女三の宮が柏木が亡くなったことについてどう思っているか源氏は推量する。

朗読・解説:左大臣光永