【柏木 12】夕霧、一条宮を訪ね、落葉の宮と歌の贈答

かの一条宮にも、常にとぶらひきこえたまふ。四月《うづき》ばかりの空は、そこはかとなう心地よげに、一《ひと》つ色なる四方《よも》の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづの事につけて静かに心細く暮らしかねたまふに、例の、渡りたまへり。庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子《すなご》薄き物の隠れの方に、蓬《よもぎ》も所えがほなり。前栽《せんざい》に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂《しげ》りあひ、一叢薄《ひとむらすすき》も頼もしげにひろごりて、虫の音《ね》添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。伊予簾《いよす》かけわたして、鈍色《にびいろ》の几帳の更衣《こもろがへ》したる透影《すきかげ》涼しげに見えて、よき童《わらは》のこまやかに鈍《に》ばめる汗衫《かざみ》のつま、頭《かしら》つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし。

今日は、簀子《すのこ》にゐたまへば、褥《しとね》さし出でたり。いと軽《かる》らかなる御座《おまし》なりとて、例の、御息所おどろかしきこゆれど、このごろ悩ましとて寄り臥したまへり。とかく聞こえ紛らはすほど、御前《おまへ》の木立《こだち》ども、思ふことなげなるけしきを見たまふも、いとものあはれなり。柏木《かしはぎ》と楓《かへで》との、ものよりけに若やかなる色して枝さしかはしたるを、「いかなる契りにか、末あへる頼もしさよ」などのたまひて、忍びやかにさし寄りて、

「ことならばならしの枝にならさなむ葉守《はもり》の神のゆるしありきと

御簾《みす》の外《と》の隔てあるほどこそ、恨めしけれ」とて、長押《なげし》に寄りゐたまへり。「なよび姿、はた、いといたうたをやぎけるをや」とこれかれつきしろふ。この御あへしらひ聞こゆる少将の君といふ人して、

「かしは木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか

うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひたまへなりぬる」と聞こゆれば、げにと思すにすこしほほ笑みたまひぬ。

御息所《みやすどころ》ゐざり出でたまふけはひすれば、やをらゐなほりたまひぬ。「うき世の中を思ひたまへ沈む月日のつもるけぢめにや、乱り心地もあやしう、ほれぼれしうて過ぐしはべるを、かくたびたび重ねさせたまふ御とぶらひのいとかたじけなきに思ひたまへ起こしてなん」とて、げになやましげなる御けはひなり。「思ほし嘆くは世のことわりなれど、また、いとさのみはいかが。よろづのことさるべきにこそはべるめれ。さすがに限りある世になむ」と慰めきこえたまふ。この宮こそ、聞きしよりは、心の奥見えたまへ、あはれ、げにいかに人笑はれなることをとり添へて思すらん、と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御ありさまも問ひきこえたまひけり。「容貌《かたち》ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて見る目により人をも思ひ飽《あ》き、また、さるまじきに心をもまどはすべきぞ。さまあしや。ただ心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。

「今は、なほ、昔に思しなずらへて、うとからずもてなさせたまへ」など、わざと懸想《けさう》びてはあらねど、ねむごろに気色ばみて聞こえたまふ。直衣姿《なほしすがた》いとあざやかにて、丈《たけ》だちものものしうそぞろかにぞ見えたまひける。「かの大殿《おとど》は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬《あいぎやう》づきたまへることの並びなきなり。これは男《お》々しうはなやかに、あなきよら、とふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」とうちささめきて、「同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば」など、人々言ふめり。

現代語訳

かの一条宮にも、大将(夕霧)は、しょっちゅうお見舞い申し上げなさる。四月ごろの空は、なんとなく心地よげに、緑一色の四方の梢も美しくずっと遠くまで見えるのだが、物思いに沈んでいらっしゃるこちら宿では、万事につけて静かに、心細く、日を暮らかねていらっしゃるところに、いつものように、大将がおいでになる。

庭もしだいに青みがかってきた若草がそこらじゅうに見えて、あちこちの白砂が薄くなっている物陰のあたりに、蓬も所得顔で生えている。心を入れて手入れしていらした植え込みも、思いのままに茂りあって、一叢の薄も頼もしげに広がって、これに虫の音が加わる秋をご想像なさるにつけ、大将(夕霧)はしみじみ感慨にたえず、涙に袖をぐっしょりと濡らして、お分け入りになる。

伊予簾《いよす》をかけわたして、鈍色の几帳の衣更えをした透影が涼しげに見えて、美しい童のこまやかに鈍色がかった汗袗の端や、頭の形などがかすかに御簾ごしに見えているのが、風情はあるが、やはり目にはっとする色ではある。

今日は、大将(夕霧)は、簀子におすわりになるので、褥(座布団)を差し出した。ひどく粗末なお席であるといって、いつものように、女房たちが、御息所にご応対を促し申し上げるが、御息所は、このところ具合が悪いといって、物によりかかって横になっていらっしゃる。女房たちがあれこれ申し上げて間を持たせている間、お庭先のさまざまな木立が、何の憂いもなさそうに生えてのをご覧になるにつけても、ひどく胸にこみあげるものがある。柏木と楓とが、他の草木よりまことに若々しい色をして枝をさし交わしているのを、(夕霧)「どのような前世からの約束なのでしょうか。梢が一つになっているのは頼もしいことですね」などとおっしゃって、そっと近寄って、

(夕霧)「ことならば…

(同じことなら、連理の枝のように親しくしていただきたいものです。葉を守る神のゆるしがあったのだからということで)

御簾の外に隔てられているのが、恨めしいですよ」といって、長押に寄りかかっていらっしゃる。(女房たち)「あだめいたお姿もまた、とても優雅なものですね」と、あれこれとつっつきあっている。宮(落葉の宮)は、このお相手申し上げている少将の君という人を介して、

(落葉の宮)「かしは木に……

(柏木に葉守の神はいらっしゃらず、夫は亡き人になってしまったのですが、だからといって貴方をお近づけできるような、この宿の梢でしょうか=夫が亡くなったからといって貴方と親しくすべきではない)

あまり突然の御言葉に、貴方の軽薄さがわかってしまいました」と申し上げると、大将はもっともとお思いになって、少し苦笑なさった。

御息所がいざり出ていらっしゃる気配がするので、大将は、そっと威儀を正された。(御息所)「悲しい世の中を思いまして沈みこんでいる月日が重なったせいでしょうか、妙に気分がすぐれず、ぼんやりと日々を過ごしておりますのに、こうしてたびたび重ねてお見舞いいただくことが、とても畏れ多いので、思い切って出てまいりました」といって、いかにもご気分が悪そうなご様子である。(夕霧)「思い嘆きになられることは世のならいですが、また、お嘆いになってばかりなのもいかがなものでしょう。万事はそうなるべき因縁でございます。なんといっても決まりのある世の中でございますから」とお慰め申し上げられる。「まったくこの宮(落葉の宮)は、聞いていたより奥深い心の底がお見えになる。お気の毒なことだ。なるほど、夫を失った悲しみに加えて、世間の笑いものになることをも、どれほど心配していらっしゃるだろう」と並々でなく心配なので、たいそう熱心に、宮(落葉の宮)のご容態も御息所(一条御息所)にお尋ね申し上げなさるのだった。(夕霧)「ご器量はそれほど美しくはいらっしゃらないのだろうが、それでもひどく見苦しくみっともないというほどまででなければ、どうして容姿によって結婚相手に飽き飽きしたり、また、どうにもならないことに心を惑わすべきだろうか。みっともないことではないか。ただ気性だけが、結局のところ、大切であるにちがいないのに」とお思いになる。

(夕霧)「今は、やはり、この私を亡き人と同様にお考えになられて、疎遠になさいますな」など、別段色めいた様子ではないが、熱心に意味深げに申し上げられる。直衣姿がたいそう見事で、背丈もたいそう立派で、すらりとしてお見えになられるのだ。(女房)「かの大殿(柏木)は、万事において優しく細やかで、気品があって人を引き付ける魅力が備わっていらしたことでは、並びないさまだった。こちらの殿(夕霧)は、雄々しく華やかで、なんとご立派なと、ついお見えになる色づくような御容姿が、人並みはずれていらっしゃる」とひそひそ言って、「いっそのこと、このようにしてお通いしてくださるのであったら」などと、女房たちは言っているようだ。

語句

■常に 前の弔問から、何度か夕霧は一条宮に見舞いに訪れているらしい。 ■四月ばかりの空は 前の弔問の時は三月だった。季節感の変化を打ち出す。 ■一つ色なる四方の梢 あたり一面新緑に覆われる。 ■もの思ふ宿 一条宮は喪中であり、新緑のさわやかさとは無縁。 ■例の 前の「常に」と同じく、ここまで何度も夕霧が一条宮を訪問していることをしめす。 ■庭も 「四方の梢」のみならず。 ■砂子 庭にしきつめる白石。 ■つくろひたまひし 生前柏木が庭に手入れを指示したのだろう。 ■心にまかせて 前の「所えがほなり」に対応。 ■一叢薄 「君が植ゑしひとむら薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな」(古今・哀傷 御春有助)。 ■露けくて 秋を想像したことから、秋露を思わせる涙でぐっしょりと袖が濡れる。 ■伊予簾 篠竹で編んだ簡素な簾。 ■更衣したる 四月の衣更で几帳の帷子も夏用に取り替えてあるが、依然として鈍色のままである。 ■なほ目おどろかるる色 やはり服喪中であることに気付かさせるの意。 ■簀子にゐたまへば 夕霧自身の判断で、廂の間には入らず、簀子にとどまった。 ■いと軽らかなる御座なり 夕霧に対してはもっと丁重に対応しなければならないという女房たちの気遣い。 ■ことならば… 柏木と楓がさしかわしているのを連理の枝と見た。「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝(天に在(あ)りては願はくは比翼(ひよく)の鳥となり 地に在(あ)りては願はくは連理(れんり)の枝と為(な)らんと)(長恨歌)。「ならしの枝」は昵懇な関係をいう。「葉守の神」は木の葉を守る神。柏木に宿るとされた。夕霧は言う。柏木の遺言によれば落葉の宮を私に託すということだったと。 ■長押に寄りかかりたまへり 廂の間と簀子との境で一段高くなっているところ。今にも廂の間に入り込もうとする勢い。 ■なよび姿 恋に悩む貴公子の姿。 ■かしは木に… 柏木がこの関係を許すことなどありえないが真意。一説に御息所の歌という。 ■けはひすれば… 奥から御息所が出てくる気配がしたので夕霧は居ずまいを正す。 ■うき世の中を思ひたまへ… 前も「いと心憂かりける身の、…かくかたがたにはかなき世の末のありさまを…」(【柏木 10】)といっていた。 ■思ひたまへ起こして 「思ひ起こす」は勇気を奮い立てる。 ■なん 下に「出てきました」の意を補い読む。 ■げに悩ましげなる 前の「このごろ悩ましとて…」や「乱り心地も…」といったことを、御簾の向こうの気配に感じ取って納得する。 ■さるべき そうなるべき運命に万事が定められているとする。 ■さすがに限りある世 どんな悲しみもいずれは癒えると慰めている。 ■心の奥見えたまへ 直前の歌の贈答が念頭にある。 ■げにいかに人笑われなることを 御息所が「この御身のための人聞きなどは…」(【柏木 10】)と、娘の外聞を気にしていたことによる。 ■容貌ぞ… 柏木の愛情が浅かったことから容姿がよくないと想像する。 ■見る目により… 「見る目」(容姿)よりも「心ばせ」(気性)が大切だとする。 ■思しなずらへて 「思ほしなずらへて」とする本が多い。 ■ねむごろに 懸想心を押し隠して親切さを表に出す。 ■そぞろかに 「そろろかに」とする本も多い。 ■かの大殿 柏木。前は「なほいと若やかになまめき、あいだれてものしたまひし」(【同上】)とあった。 ■同じうは 柏木の死後、一条宮は「人げ少なう心細げ」で、「若き人々は、もの悲しさも少し紛れて見出だしたてまつる」(ともに【同上】)とあった。

朗読・解説:左大臣光永