【螢 08】源氏、花散里のもとに泊まり語らう

原文

大臣はこなたに大殿籠《おほとのごも》りぬ。物語など聞こえたまひて、「兵部卿宮の、人よりはこよなくものしたまふかな。容貌《かたち》などはすぐれねど、用意気色などよしあり、愛敬《あいぎやう》づきたる君なり。忍びて見たまひつや。よしといへど、なほこそあれ」とのたまふ。「御|弟《おとうと》にこそものしたまへど、ねびまさりてぞ見えたまひける。年ごろかくをり過ぐさず渡り睦《むつ》びきこえたまふと聞きはべれど、昔の内裏《うち》わたりにてほの見たてまつりし後、おぼつかなしかし。いとよくこそ容貌《かたち》などねびまさりたまひにけれ。帥親王《そちのみこ》よくものしたまふめれど、けはひ劣りて、大君《おほきみ》けしきにぞものしたまひける」とのたまへば、ふと見知りたまひにけり、と思せど、ほほ笑みて、なほあるを、よしともあしともかけたまはず。人の上を難《なん》つけ、おとしめざまのこと言ふ人をば、いとほしきものにしたまへば、右大将《うだいしやう》などをだに、心にくき人にすめるを、何ばかりかはある、近きよすがにて見むは、飽かぬことにやあらむ、と見たまへど、言《こと》にあらはしてものたまはず。

今はただおほかたの御|睦《むつ》びにて、御|座《まし》なども別々にて大殿籠《おほとのごも》る。などてかく離れそめしぞと、殿は苦しがりたまふ。おほかた、何やかやとも側《そば》みきこえたまはで、年ごろかくをりふしにつけたる御遊びどもを、人づてに見聞きたまひけるに、今日めづらしかりつる事ばかりをぞ、この町のおぼえきらきらしと思したる。

その駒《こま》もすさめぬ草と名にたてる汀《みぎは》のあやめ今日やひきつる

とおほどかに聞こえたまふ。何ばかりのことにもあらねど、あはれと思したり。

にほどりに影をならぶる若駒はいつかあやめにひきわかるべき

あいだちなき御|言《こと》どもなりや。「朝夕の隔てあるやうなれど、かくて見たてまつるは心やすくこそあれ」と、戯《たはぶ》れごとなれど、のどやかにおはする人ざまなれば、静まりて聞こえなしたまふ。床《ゆか》をば譲《ゆづ》りきこえたまひて、御几帳《みきちやう》ひき隔てて大殿籠《おほとのごも》る。け近くなどあらむ筋をば、いと似げなかるべき筋に思ひ離れはてきこえたまへれは、あながちにも聞こえたまはず。

現代語訳

大臣(源氏)はこちら(花散里の御殿)でお休みになった。世間話など申し上げなさって、(源氏)「兵部卿宮の、他の人より格別にすぐれていらっしゃることよ。容貌などはそうすぐれているわけではないが、心配りや立ち居振る舞いには教養がにじんでいて、人に好かれやすい人物だ。そっと御覧になりましたか。良いといってもまあ、まだ物足りなところはありますね」とおっしゃる。(花散里)「宮は殿の御弟君でいらっしゃいますが、殿よりも年上のようにお見受けされました。長年、こうした折を見逃さずこちら(六条院)にお越しになって殿と仲良くしていらっしゃるとお聞きしておりますが、昔、宮中あたりで少し拝見してからは、滅多にお目にかかることもございません。お顔立ちなども年とともにご立派になられましたこと。帥親王《そちのみこ》も美しくていらっしゃるようですが、お人柄は劣って、諸王の程度でいらっしゃいました」とおしゃると、源氏の君は、「一目で見抜いてしまわれた」とお思いになるが、ほほ笑みなさって、その他の人々のことは、良いとも悪いともご評定なさらない。

姫君(花散里)は、他人のことを非難し、悪いように言う人を、気の毒なものとお思いなので、(源氏)「右大将などをさえ世間では奥ゆかしい人としているようだが、どれほどのことがあろう。身内づきあいをしてみれば、物足りないことだろう」とお考えになるが、言葉に出してはおっしゃらない。

お二人は、今はただ通りいっぺんのご夫婦関係で、御寝所なども別々にしてお休みになる。どうしてこんなに距離ができはじめてしまったのかと、殿はお心苦しく思っていらっしゃる。姫君(花散里)は、大体において、何のかのと殿に不平を申し上げたりもなさらず、長年、このような折節につけて行われるさまざまな御遊びを、人づてに知ったり聞いたりしていらしたのだが、今日はめずらしくこちらの御殿で御遊びが行われたことだけを、この町の名誉なこととお思いになっていらっしゃる。

(花散里)その駒も…

(馬も食べないと悪評高いあやめ草のような私を、今日は節句の日だからということでご贔屓にしてくださったのでしょうか)

とおおらかに申し上げなさる。何という歌ではないけれど、しみじみ情味があると、源氏の君はお思いになる。

(源氏)にほどりに…

(夫婦仲のよい鳰鳥に影をならべる若駒である私は、いつ、あやめである貴女から離れるでしょうか)

別け隔てのないお二人の御歌であることよ。(源氏)「貴女とは朝夕いつもご一緒している、というような関係ではありませんが、こうして拝見すると、ほんとうに心休まるのですよ」と冗談言ではあるが、姫君(花散里)は、のんびりしたお人柄でいらっしゃるので、しんみりとお語らいなさる。姫君は寝床を君にお譲り申し上げて、御几帳を隔ててお休みになる。殿のおそば近くに臥すことなどは、ひどく似つかわしくないこととしてすっかり諦め申し上げていらっしゃるので、源氏の君は、無理にも、とは申し上げなさらない。

語句

■こなた 花散里の御殿(東北の町)。源氏が花散里のもとに泊まるのは異例。競射の準備をしてくれたことに対するねぎらい。 ■なほこそあれ やはりそれでも物足りないところはあるの意。身内に対して露骨に批判的な言い方を避けた。 ■昔の内裏わたり 花散里は姉の麗景殿女御が宮中にいた頃、出仕していた(【花散里 01】)。 ■帥親王 源氏の弟。大宰府の長官。ここにのみ名が見える。 ■大君 諸王。親王宣下もなく臣籍降下もしない王。親王方よりも品格が劣る。 ■なほある 今日の競射に参加した他の方々。 ■いとほしきものにしたまへば 「言にあらはしてものたまはず」に続く。花散里は人を非難するようなことは好きでない。兵部卿宮について論じたのは源氏にきかれたためで自分からそういう話を言い出すほうではない。一方、源氏は人を非難するような話は大好きだが、花散里に遠慮して、これ以上はあえて口に出さない。 ■右大将 髭黒右大将。玉鬘の求婚者の一人。「いとまめやかにことごとしきさましたる人の、恋の山には孔子の倒れまねびつべき気色に愁へたる」(【胡蝶 04】)。 ■今はただ 今は源氏がたまに顔を出すていどの関係。床を共にすることはない(【薄雲 06】【初音 03】)。 ■側み 「側む」はそっぽを向くことから、不平めいた態度を取ること。 ■人づてに 六条院における季節行事は主に秋好中宮の町と紫の上の町で行われ、花散里の夏の町は蚊帳の外である。 ■この町 花散里の東北の町=夏の町。 ■おぼえきらきらし 足るを知るのは他の姫君にはない花散里の美徳である。 ■その駒も… 「香をとめてとふ人あるをあやめ草あやしく駒のすさめざりけり」(後拾遺・夏 恵慶)を引く。「あやめ」は花散里。端午の節句の縁でこの語を用いた。「駒」は「馬」の歌語。「荒《すさ》む」は気に入ってもてはやすこと。ここでは馬が食うこと。「ひき」は「引き」(「あやめ」の縁語)と「牽き」(「駒」の縁語)をかける。「駒もすさめぬ」は男に顧みられなくなった女の嘆き。和歌における類型的表現。参考「大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし」(古今・雑上 読人しらず)。 ■にほどりに… 「五月五日駒くらべするところ/若駒とけふに逢ひくるあやめ草生まひおくるるや負くるなるらむ」(頼基集)による。「生ひおくるるに「追ひおくるる」をかける。「にほどり」はカイツブリ。夫婦仲のよいたとえ。「若駒」は源氏、「あやめ」は花散里。「ひき」は「引き」と「牽き」をかけ、前者は「あやめ」の縁語。後者は「若駒」の縁語。 ■あいだちなき 「あいだちなし」は遠慮がない。 ■かくて見たてまつるは… 源氏は暗に、花散里に共寝するよう誘いをかけているが、花散里はおっとりした人柄で、源氏の誘いに気づかない。 ■床 寝所。御帳台。 ■け近くあらむ筋 花散里は、自分は源氏に対して不釣り合いだと思い、諦めている。

朗読・解説:左大臣光永