【螢 09】玉鬘、物語に没頭する 源氏、大いに物語を論ずる

長雨《ながあめ》例の年よりもいたくして、晴るる方なくつれづれなれば、御方々絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方は、さやうのことをもよしありてしなしたまひて、姫君の御方に奉りたまふ。西の対には、ましてめづらしくおぼえたまふことの筋なれば、明け暮れ書き読み、営みおはす。つきなからぬ若人あまたあり。さまざまにめづらかなる人の上などを、まことにやいつはりにや、言ひ集めたる中にも、わがありさまのやうなるはなかりけりと見たまふ。住吉の姫君の、さし当りけむをりは、さるものにて、今の世のおぼえもなほ心ことなめるに、主計頭《かぞへのかみ》が、ほとほとしかりけむなどぞ、かの監《げん》がゆゆしさを思しなずらへたまふ。

殿も、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ、御目に離《はな》れねば、「あなむつかし。女こそものうるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらの中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしきさみだれの、髪の乱るるも知らで書きたまふよ」とて、笑ひたまふものから、また、「かかる世の古事《ふるごと》ならでは、げに何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。さてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしくつづけたる、はたはかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るに、かた心つくかし。またいとあるまじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目驚きて、静かにまた聞くたびぞ憎けれど、ふとをかしきふし、あらはなるなどもあるべし。このごろ幼き人の、女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふ者の世にあるべきかな、そらごとをよくし馴れたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど、さしもあらじや」とのたまへば、「げにいつはり馴れたる人や、さまざまにさも酌《く》みはべらむ。ただいとまことの事とこそ思うたまへられけれ」とて、硯《すずり》を押しやりたまへば、「骨《こち》なくも聞こえおとしてけるかな。神代《かみよ》より世にある事を記しおきけるななり。日本紀《にほんぎ》などはただかたそばぞかし。これらにこそ道《みち》々しく詳しきことはあらめ」とて、笑ひたまふ。

「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経《ふ》る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節ぶしを、心に籠《こ》めがたくて、言ひおきはじめたるなり。よきさまに言ふとては、よき事のかぎり選《え》り出でて、人に従はむとては、またあしきさまのめづらしき事をとり集めたる、みなかたがたにつけたるこの世の外《ほか》の事ならずかし。他《ひと》の朝廷《みかど》のさへ作りやうかはる、同じやまとの国の事なれば、昔今《むかしいま》のに変るべし、深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるにそらごとと言ひはてむも、事の心|違《たが》ひてなむありける。

仏《ほとけ》の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法《みのり》も、方便《はうべん》といふことありて、悟りなき者は、ここかしこ違《たが》ふ疑ひをおきつべくなん、方等経《はうどうきやう》の中に多かれど、言ひもてゆけば、一つ旨《むね》にありて、菩提《ぼだい》と煩悩《ぼんなう》との隔たりなむ、この、人のよきあしきばかりの事は変りける。よく言へば、すべて何ごとも空しからずなりぬや」と、物語をいとわざとの事にのたまひなしつ。

「さてかかる古事《ふるごと》の中に、まろがやうに実法《じほふ》なる痴者《しれもの》の物語はありや。いみじくけ遠き、ものの姫君も、御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせん」と、さし寄りて聞こえたまへば、顔をひき入れて、「さらずとも、かくめづらかなる事は、世語《よがたり》にこそはなりはべりぬべかめれ」とのたまへば、「めづらかにやおぼえたまふ。げにこそまたなき心地すれ」とて寄りゐたまへるさま、いとあざれたり。

「思ひあまり昔のあとをたづぬれど親にそむける子ぞたぐひなき

不孝《ふけう》なるは、仏の道にもいみじくこそ言ひたれ」とのたまへど、顔ももたげたまはねば、御髪《みぐし》をかきやりつつ、いみじく恨みたまへば、からうじて、

ふるき跡をたづぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は

と聞こえたまふも、心恥づかしければ、いといたくも乱れたまはず。かくしていかなるべき御ありさまならむ。

現代語訳

長雨が例年よりもひどく続いて、晴れるすべがなく退屈なので、御方々は絵や物語などの戯れ事をして夜を明かし日をお暮らしになる。明石の御方は、そうしたことをも一趣向あるようにお仕立てになって、姫君の御方に差し上げなさる。西の対においては、他の方々にもまして、珍しくお思いになる筋のことなので、明け暮れ書いたり読んだりして、励んでいらっしゃる。こうしたことに堪能な若い女房たちが大勢いる。さまざまに珍しげな人の身の上などを、本当なのか嘘なのかわからないが、言い集めている中にも、姫君(玉鬘)は、自分のような境遇の者は物語の中にもいなかったのだと、御覧になる。住吉の姫君が、いろいろな目にあった当時はもちろんのこと、今の世の評判もやはり格別にすぐれているようだが、主計頭《かぞえのかみ》が、ほとんど危ういところだったことなどは、例の監の忌まわしかったことに思いくらべていらっしゃる。

殿(源氏)も、あちこちにこうした物(絵や物語)が散らばっており、何かと御目につくので、(源氏)「ああうっとうしい。女というものは面倒くさがりもせず、人に騙されるべく生まれついたものですね。こうしたものの中に本当のことはとても少ないでしょうに、一方ではそうだと知りながら、このようないい加減な話にうつつを抜かし、本気になさったりして、暑苦しい五月雨どきに、髪が乱れるのも気にしないでお書き写しになることよ」とお笑いになるものの、また、「このような古い物語でなくては、なるほど、紛らわすことのできない退屈を何によって慰められましょう。それにしても、こうした多くの作り事の中に、なるほどそのようであろうかと情を感じさせ、それらしく書きつづけてあるのは、一方でははかない作り事と知りながら、むやみに心が動き、可愛らしい姫君がもの思いに沈んでいるのを見ると、いくらか心が惹かれるものですよ。また、ひどくありそうもないことだと思いながら、大げさに書きなしてあるのに目が驚いて、夢中になって読んでしまい、後で落ち着いてもう一度聞く時には、こんなことがあるものかと腹が立つけれど、それでもふと、興味を惹かれる一節が、はっきりと書いてあるのなどもあるでしょう。この頃幼い人(明石の姫君)が、女房などに時々読ませているのを立ち聞くと、世の中には話のうまい者がいるのだな、さぞかし嘘をよく言い慣れた口から言い出すのだろう、と思われますが、そうでもないのでしょうか」とおっしゃると、(玉鬘)「仰せのとおり、いつわり言を言いなれた人が、そうやってさまざまに邪推なさるのでしょう。私にはただまったく本当のことと存ぜられますのでございますよ」といって、硯を押しやりなさると、(源氏)「不風流にも物語をけなしてしまったものですね。物語というものは神代から世にある事を記録したものといえますね。日本紀などはほんの片端にすぎません。こうした物語にこそ世の道理にかなった、詳しいことは書いてあるのでしょう」といって、お笑いになる。

(源氏)「その人の身の上といって、ありのままに書き記すことはないとしても、良きにつけ悪しきにつけ、この世に生きている人のありさまの、見るにも見飽きず、聞くにも聞き捨てにできないことを、後の世にも言い伝えさせたいと思う事柄の一つ一つを、心の内に抑えがたくて、言いおいたのが、物語の始まりなのです。人をよいように言う時は、よい事ばかりを選び出して、人の興味を惹こうとしては、また悪しき有様で滅多にない事をとり集めて書く。その良い事も悪い事も、その両方につけて、みなこの世の外のことではないのですよ。外国の朝廷の物語まで考えてみても、書きようは変わるし、同じやまとの国の事であれば、昔と今で書きようが変わるのは当然です。その内容が深い浅いの区別はあるでしょうが、どこまでも作り事と言ってしまうのは、実情と違っているのです。仏が、たいそう立派な心で説きおかれた御法文も、方便ということがあって、悟りのない者は、あちこち矛盾点をみつけて疑いをおこすに違いありませんが、この方便という説は、方等経の中に多いのですが、つきつめて言えば、一つの趣旨に行き着くのであって、菩提と煩悩との隔たりが、この物語中の人物の、善と悪ほども違っているのです。良く言えば、すべて何事もつまらないということはないのですよ」と、物語をあえて立派な事としてご説明になられた。

(源氏)「さてこうした古物語の中に、私のように律義な愚か者の物語はありますか。ひどく冷淡な、物語の中の姫君でも、貴女の御心のようにつれなく、そらとぼけているのは、まるで無いでしょうね。それでは、類のない物語にして、世に伝えさせましょう」と、寄り添って申し上げなさると、姫君は顔を襟にひき入れて、(玉鬘)「そんなことをなさらずとも、こんな滅多に無い事は、世間の語り草になりましょうよ」とおっしゃると、(源氏)「貴女自身、滅多にないとお思いでいらっしゃるのですか。なるほど貴女のようにつれない娘は、滅多にないと思いますよ」といって寄り添っていらっしゃるご様子は、お戯れが過ぎるようすである。

(源氏)「思ひあまり…

(思いあまって昔物語の中に例をたずねてみましたが、親にそむいた子は類のないことです)

不孝は、仏の道にもたいそう戒めて言われていることですよ」とおっしゃるが、姫君は顔もお上げにならないので、君は、姫君の御髪を撫でつつ、ひどく恨しめそうになさると、姫君はようやく、

(玉鬘)ふるき跡を…

(古物語の中に例をたずねてみましたが、なるほどおっしゃるとおり、この世には親が子に対してそんな思いを抱くような例はございませんでした)

と申し上げなさるのも、君は気恥ずかしいので、そうひどく羽目をおはずしにもならない。こんなことで、これからどうなっていくお二人のご関係なのだろうか。

語句

■御方々 六条院の女性たち。 ■姫君 明石の姫君。紫の上のもとで養育されている。 ■ましてめづらしく 玉鬘は田舎育ちなので、これまで絵や物語にほとんど接したことがない。他の人々以上に珍しく感じられるのである。 ■わがありさま 田舎育ちで夜逃げ同然に家を飛び出し、流浪の末に六条院に迎えられ、今、源氏に言い寄られているという境遇。 ■住吉の姫君  『住吉物語』は継子いじめの物語。主人公の姫君は中納言兼左衛門督の宮腹の娘。継母から意地悪をされ、縁談のたびに邪魔され、ついに七十歳余の主計頭に犯されそうになり、住吉にいる故母宮の乳母を訪ねるが、自分に思いを寄せる少将と長谷観音の導きで巡り会い、結婚する。 ■さし当たりけむ 『住吉物語』の女主人公がさまざまな困難に見舞われることをいう。 ■主計頭 『住吉物語』の登場人物。「主計頭」は主計寮の長官。 ■ほとほとしかりけむ 「殆《ほとほと》しは差し迫っているさま。『住吉物語』の女主人公がすんでのところで主計頭に犯されそうになったことをさす。 ■かの監がゆゆしさ 玉鬘が肥前で大夫監に求婚されたこと(【玉鬘 04】)。 ■女こそものうるさがらず… 当時、物語は女のもてあそびものであって男がたしなむものではないとされた。 ■すずろごと いい加減な話。でたらめな話。物語の虚構をいう。 ■さみだれの 「さみだれ」の「みだれ」を序として次の「乱るる」を導く。 ■げに 「髪の乱るるを知らで書きたまふ」を受ける。 ■かた心 心の全体でなく一部が惹かれるの意。 ■またいとあるまじき… 以下「」まで源氏の物語論。主に伝奇的な物語について言う。「雨夜の品定め」における左馬頭の芸能論に通じる(【帚木 05】)。 ■女房などに時々読まする 物語は絵を見せながら人が読み聞かせる場合が多かった。 ■さしもあらじや ここまで源氏の台詞は物語に対する皮肉・揶揄に満ちている。物語びいきの玉鬘としては反論したくなる。 ■げにいつはり馴れたる人 源氏に対する皮肉。源氏の色好みな気性を言うが、より具体的には、源氏が玉鬘を実の子と偽って養育し、その一方で玉鬘に懸想していることをさす。 ■ただいとまことの事と 玉鬘は物語とうものは「まことにやいつはりにや」と思っているが、ここでは源氏に反論するため、あえて語気を強めた。 ■硯を押しやり 物語びいきの玉鬘としては源氏が物語を揶揄したことが不快である。 ■日本紀 六国史(日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本紀・日本文徳天皇実録・日本三代実録)など、官選国史の総称。 ■道々しく 「道々し」は政道に役立つこと。 ■その人の上とて… 以下、壮大な物語論が語られる。源氏の口を借りた筆者自身の持論とみるべきだろう。 ■この世の外の事ならず 現実性がある事だ、の意。 ■他の朝廷のさへ 以下、諸本によって異動が多く、意味が取りづらい。「外国の物語を考えても、言葉や習慣が違うから日本の物語とは書き方が違うし、同じやまとの国でも、昔と今では時代が違うのだから物語の書き方も違っていて当然だ」の意味に一応、とった。 ■ひたぶるにそらごとと言ひはてむも… 虚構の持つ真実性。一つ一つの事柄は事実に反した作り事でも、その奥にある精神においては実社会や実生活に通じるものがあるの意か。 ■方便 仏が衆生を教化するための便宜上の手段。 ■方等経 大乗仏教の教法を説く経典の総称。 ■菩提 悟りの境地に達すること。 ■煩悩 迷いの中にいること。 ■この 今話題になっている物語中の人物の善悪。 ■何ごとも空しからず 悪人や愚か者が出てくる物語にも意義があるの意。 ■実法 誠心誠意、世話を尽くすこと。玉鬘に対する養育を、源氏は自画自賛する。 ■ものの姫君 ここでは物語の中の姫君。「もの」はある特定の意味を持つもの。 ■不孝 仏教では父母・衆生・国王・三宝の恩を四恩とする。 ■御髪をかきやり かなり露骨な愛情表現だが、源氏はこれ以上の行為には及ばず、自制する。 ■ふるき跡を… 「ふるき跡」は源氏の歌の「昔のあと」に対応。「げに」は源氏の歌を受ける。「かかる親の心」は親が子に恋心を抱くこと。

朗読・解説:左大臣光永

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