【初音 03】源氏、花散里を訪ね、こまやかに語らう

原文

夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなく、あてやかに住みなしたまへるけはひ見えわたる。年月にそへて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲らひなり。今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり。いと睦《むつ》ましく、あり難からん妹背《いもせ》の契りばかり聞こえかはしたまふ。御|几帳《きちやう》隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。縹《はなだ》はげににほひ多からぬあはひにて、御髪《みぐし》などもいたくさかり過ぎにけり。「やさしき方にあらねど、葡萄鬘《えびかづら》してぞつくろひたまふべき。我ならざらむ人は見ざめしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意《ほい》あれ。心|軽《かろ》き人の列《つら》にて、我に背きたまひなましかば」など、御|対面《たいめん》のをりをりには、まづわが御心の長さも、人の御心の重きをも、うれしく思ふやうなりと思しけり。こまやかに古年《ふるとし》の御物語など、なつかしく聞こえたまひて、西の対へ渡りたまふ。

現代語訳

夏の御方(花散里)のお住まいをごらんになると、季節はずれであるからだろうか、とても静かに見えて、ことさら風流めかしいしつらいもなく、上品に住みなしていらっしゃるようすがそこらじゅうにうかがえる。年月が経つにつれて、御心の隔てもなく、しみじみとした御関係である。今はことさら近しい愛人としてのお扱いもなさらないのだった。たいそう御仲がよろしく、滅多に無い夫婦の契りというほどの語らいをなさっている。

御几帳を隔てているが、源氏の君がすこし押しやりなさると、女君(花散里)は、そのまま隠れずにお顔合わせになる。縹色のお召し物は案の定ぱっとしない色合いで、御髪などもたいそう盛りをすぎてしまっているのだ。

(源氏)「みっともない、というほどではないが、かもじで髪をおつくろいになられたらよろしいのに。私でもなければ愛想をつかしてしまうようなご様子だが、それをこうして世話するのはうれしく、私が本来やりたいことなのだ。もし貴女が世の軽薄な女たちと同じように
、私から離れていらしたら、どうなっていらしたことか」など、御顔あわせする折々には、何よりもご自身がお気が長くあられることも、女君(花散里)の御心が慎重であることも、うれしく思われ、理想的であるとお思いになっていらっしゃる。こまごまと昨年中のお話など、情をこめて申しあげなさって、西の対においでになる。

語句

■夏の御住まひ 花散里の居所。丑寅の町。 ■時ならぬ 花散里の居所は夏の風情に作ってある(【少女 33】)。今は正月なので季節外れ。 ■あながちに 夫婦として同衾することもなくなったの意。源氏と花散里の淡白な関係がうかがえる。 ■妹背の契 ここでは夜の関係がなく、形式上の夫婦関係のみの意。 ■押しやりたまへば 源氏は花散里の装束を見ようと几帳を脇へ押しやる。 ■さておはす 几帳を押しやられたまま。花散里の従順な人柄が出ている。 ■縹はげに 「浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれど、にほひやかならぬに、いと濃き掻練具して夏の御方に」(【玉鬘 17】)。 ■やさしき方 「やさし」は「痩す」の形容詞化。身も痩せるような思いをこちらがするような。 ■葡萄鬘 髢《かもじ》。髪が足りないときに足すための添え髪・義髪。葡萄(やまぶどう)のつるに形が似ているから。 ■背きたまひなましかば 下に「どうなっていたことか」の意を補って読む。 ■西の対 玉鬘の居所。丑寅の町の西の対(【玉鬘 13】)。

朗読・解説:左大臣光永