【夕霧 10】夕霧、終日手紙を探すが見つからず

誰《たれ》も誰も御|台《だい》まゐりなどして、のどかになりぬる昼つ方、思ひわづらひて、「昨夜《よべ》の御文は何ごとかありし。あやしう見せたまはで。今日もとぶらひきこゆべし。悩ましうて、六条にもえ参るまじければ、文をこそは奉らめ。何ごとかありけむ」とのたまふが、いとさりげなければ、文はをこがましう取りてけりと、すさまじうて、その事をばかけたまはず、「一夜《ひとよ》の深山風《みやまかぜ》に、あやまりたまへる悩ましさななりと、をかしきやうにかこちきこえたまへかし」と聞こえたまふ。「いで、このひが言《こと》な常にのたまひそ。何のをかしきやうかある。世人《よひと》になずらへたまふこそなかなか恥づかしけれ。この女房たちも、かつは、あやしきまめざまをかくのたまふとほほ笑むらむものを」と、戯《たはぶ》れ言《ごと》に言ひなして、「その文よ、いづら」とのたまへど、とみにも引き出でたまはぬほどに、なほ物語など聞こえて、しばし臥したまへるほどに、暮れにけり。

現代語訳

誰も誰もお食事をおすませなどして、静かになった昼ごろ、大将(夕霧)は思いわづらって、(夕霧)「昨夜のお手紙はどんな用事だったのでしょう。奇妙にもお隠しになって。今日も東の御方(花散里)を、お見舞い申し上げねばなりません。気分が悪くて、六条院にもおうかがいできないようですから、せめて手紙を差し上げたいのです。何と書かれていたのですか」とおっしゃるが、そのおっしゃりようが実にさりげなかったので、女君(雲居雁)は、手紙を取り上げるなと愚かなことをしたものだと、いやなお気持ちで、その事を話題にもお出しにならない。(雲居雁)「昨夜の深山風に当たって、ご気分を悪くされたようですと、風情ある感じに申し訳をなさいましたよ」と申し上げなさる。(夕霧)「なんとまあ、そんな憎まれ口をいつまでもおっしゃるものではありませんよ。何の風情があるものですか。世間並の浮気男と私をお並べになるのは、かえって気が引けますよ。こちらの女房たちも、一方では、私が奇妙なまでに堅物であるのに、『こんなことをおっしゃっていた』などと嘲笑っているのでしょうに」と、冗談事として言いつくろって、(夕霧)「その手紙のことです、どこですか」とおっしゃるが、女君はすぐにも取り出しもなさらないうちに、男君は、それでもやはりあれこれお話など申し上げて、しばらく横になっていらっしゃるうちに、日が暮れてしまった。

語句

■御台まゐり 食事を取る。 ■今日もとぶらひきこゆべし 花散里が病なので心配だという昨夜の弁明を引っ張る。 ■その事をばかけたまはず 雲居雁は手紙を取り上げるなどという下品なことをしたことを恥じているので、そのことはもう話題にも出したくない。 ■一夜の深山風に… 「悩ましうて、六条にも…」をうけて言う。 ■あやまりたまへる 夕霧が小野の里を訪問したことへの皮肉。 ■ななり 「なるなり」の音便無表記。 ■何のをかしきやうかある 小野を訪問したのはそんな浮ついた気持ちからではないという弁明。 ■世人になずらへたまふこそ… 色めいたことには人より疎い、堅物の自分を。 ■とみにも引き出でたまはぬ 雲居雁は昨夜の手紙は花散里からのものと信じ込まされている。しかし小野の里訪問については嫉妬しているから、手紙を渡さないことで抵抗をしめす。 ■なほ物語など 夕霧はあれこれ雲居雁の機嫌を取る。

朗読・解説:左大臣光永