【夕霧 33】夕霧、ついに落葉の宮と契る

【無料配信中】足利義満
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル

かうのみ痴《し》れがましうて、出で入らむもあやしければ、今日はとまりて、心のどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさまし、と宮は思《おぼ》いて、いよいようとき御気色のまさるを、をこがましき御心かなとかつはつらきもののあはれなり。塗籠《ぬりごめ》も、ことにこまかなる物多うもあらで、香《かう》の御|唐櫃《からびつ》、御|厨子《づし》などばかりあるは、こなたかなたにかき寄せて、け近うしつらひてぞおはしける。内は暗き心地すれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来たるに、埋《うづ》もれたる御|衣《ぞ》ひきやり、いとうたて乱れたる御髪《みぐし》かきやりなどして、ほの見たてまつりたまふ。いとあてに女しう、なまめいたるけはひしたまへり。男《をとこ》の御さまは、うるはしだちたまへる時よりも、うちとけてものしたまふは、限りもなう清げなり。故君《こぎみ》のことなるこどなかりしだに、心の限り思ひ上《あが》がり、御|容貌《かたち》まほにおはせずと、事のをりに思へりし気色を思し出づれば、まして、かういみじう衰へにたるありさまを、しばしにても見忍びなんやと思ふもいみじう恥づかし。とざまかうざまに思ひめぐらしつつ、わが御心をこしらへたまふ。ただかたはらいたう、ここもかしこも、人の聞き思さむことの罪|避《さ》らむ方なきに、をりさへいと心憂ければ、慰めがたきなりけり。

御|手水《てうづ》、御|粥《かゆ》など、例の御座《おまし》の方にまゐれり。色|異《こと》なる御しつらひも、いまいましきやうなれば、東面《ひむがしおもて》は屏風《びやうぶ》を立てて、母屋《もや》の際《きは》に香染《かうぞめ》の御|几帳《きちやう》など、ことごとしきやうに見えぬもの、沈《ぢん》の二階《にかい》なんどやうのを立てて、心ばへありてしつらひたり。大和守のしわざなりけり。人々も、あざやかならぬ色の、山吹、掻練《かいねり》、濃き衣《きぬ》、青鈍《あをにび》などを着かへさせ、薄色の裳、青朽葉《あをくちば》などをとかく紛らはして、御|台《だい》はまゐる。女所《をむなどころ》にて、しどけなくよろづのことならひたる宮の内に、ありさま心とどめて、わづかなる下人《しもびと》も言ひととのへ、この人ひとりのみあつかひ行ふ。かくおぼえぬやむごとなき客人《まらうと》のおはすると聞きて、もと勤めざりける家司《けいし》などうちつけに参りて、政所《まどころ》などいふ方にさぶらひて営みけり。

現代語訳

大将(夕霧)は、こうして愚かしく拒まれてばかりいるのに一条宮に出入りし続けることは妙なので、今日は一条宮に泊まって、ゆったりしていらっしゃる。大将がこうまで必死になっていらっしゃることを、呆れたことと宮(落葉の宮)はお思いになって、いよいようんざりするお気持ちがまさるのを、大将は、ばかげた御心であるよと、一方では辛いと思うものの、おいたわしいとお思いになる。塗籠も、べつだん細々した物が多くもなく、香の御唐櫃、御厨子などだけがあるのだが、それらをあちこちに集めて、手近に身のまわりを整えていらっしゃる。部屋内は暗い感じがするが、朝日が差し出でる気配が漏れて来たので、大将は、宮が引き被っているお召し物をひきのけて、たいそうひどく乱れている御髪をかきのけなどして、かすかに宮の御顔を拝見なさる。まことに気品があり女らしく、優美な様子をしていらっしゃる。男(夕霧)のご様子は、威儀を正していらっしゃる時よりも、うちとけていらっしゃる今は、限りもなく美しく見える。故君(柏木)は別段どうというほどでもない御容貌であられたが、それでさえ、心の限りに思い上がって、宮の御容貌がいまいちでいらっしゃると、何かの折ごとに思っていた、その様子をお思い出されるにつけ、今はあの頃よりもずっと、こうしてひどく衰えている容貌を、ほんの短い間でも、我慢できるだろうかと思うにつけても、ひどく恥ずかしい。あれこれ思い巡らしつつ、宮はご自分のお気持ちを静めようとなさる。ただ決まりが悪く、あちらもこちらも、人がどう聞き思うかと考えると、非難されることは避けようがないので、しかも喪中という折のこともひどく気がかりで、御心を慰めようもないのである。

御手水、御粥など、いつも通り御座のところに差し上げる。喪中で色の違う御しつらいも、結婚という華やかな席には縁起が悪くはばかられるので、東面は屏風を立てて、母屋の境に香染の御几帳など、おおげさな感じには見えないものや、沈の香木で作った二階棚などのようなものを立てて、趣向をこらして、しつらえている。大和守のしわざなのであった。女房たちも、あざやかでない色の、山吹襲、掻練襲、濃い紫色の衣、青鈍のなどに着替えさせ、薄い紫色の喪、青朽葉色のなど、あれこれ目立たないように着させて、お食事を差し上げる。これまで女所帯だったので、しまりなく、万事物慣れしている御邸の内に、ありように気を配って、わずかに残っていた下人にも指示を出して適切に動かし、この大和守一人だけで取り仕切る。このような予想もしなかった高貴な客人がいらっしゃると聞いて、これまで勤めを怠っていた職員などが急に参って、政所などという所にお仕えしてお手伝いに当たっているのだった。

語句

■かうのみ痴れがましうて 落葉の宮から拒まれ続けて。 ■かくさへひたぶるなるを 一条宮におしかけたのみならず、泊まりまでする夕霧の態度を。 ■香の御唐櫃 香料を入れておく唐櫃。 ■こなたかなたかき寄せて 塗籠を寝室にするため物を整理した。 ■漏り来るに 戸の隙間からか。もしくは窓があるのか。 ■埋もれたる御衣 落葉の宮が頭にすっぽり被っていた衣を、夕霧がはらいのける。この後、実事が行われた。 ■ほの見たてまつり 実事が行われたことを匂わせる表現。 ■うちとけてものしたまふ 「うちとく」は関係を持ったことをも言う。 ■かういみじう衰へにたるありさま 柏木生前より今はいっそう年を取って衰えている。 ■見忍びなんや 夕霧が我慢して結婚生活を送れるだろうかの意をふくむ。 ■ここもかしこも 朱雀院や致仕の大臣のこと。 ■をりさへいと心憂ければ 今は御息所の喪中である。 ■御粥 固粥。現在のごはん。 ■例の御座 塗籠を出て、いつもの落葉の宮の今で。 ■色異なる 喪中にふさわしい色にしてある。それが新婚の席には縁起でもないと。 ■東面 西廂の北の間の東側か。 ■母屋 西廂と母屋の境。 ■香染 丁子染め。丁子を煎じてその汁で染めたもの。黄色がかった薄紅。 ■沈の二階 沈の香木でつくった二階棚。 ■山吹 山吹襲。表は薄朽葉色、裏は黄色。 ■掻練 掻練襲。表裏ともに紅色。 ■濃き衣 濃い紫の衣。 ■青鈍 青みがかった縹色。尼の衣や喪服に使う。 ■薄色 薄紫色。 ■青朽葉 表は青の縦糸に黄の横糸の織物、裏は青色。 ■とかく紛らわして 喪中なので色は抑えているが、それでも新婚の席にふさわしくふだんと違う華やかさを出している。 ■御台 食事を載せる台から転じて食事そのもの。 ■女所 柏木の死後、一条宮は女所帯だった。 ■しどけなく 「しどけなし」はしまりがない。だらしがない。 ■わづかなる下人 わずかに残っていた下人。 ■この人ひとりのみあつかひ行ふ 大和守が一人で取り仕切る。 ■家司 家政を取り仕切る職。またはその職員。四位・五位の者をいい、六位以下を「下家司(しもげいし)」といった。

朗読・解説:左大臣光永

【無料配信中】足利義満