【御法 03】紫の上、死期の近いことを感じ、名残を惜しむ 花散里と贈答

昨日《きのふ》、例ならず起きゐたまへりしなごりにや、いと苦しうて臥《ふ》したまへり。年ごろかかる物のをりごとに、参り集《つど》ひ遊びたまふ人々の御|容貌《かたち》ありさまの、おのがじし才《ざえ》ども、琴笛《ことふえ》の音《ね》をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。まして、夏冬の時につけたる遊び戯《たはぶ》れにも、なまいどましき下《した》の心はおのづから立ちまじりもすらめど、さすがに情《なさけ》をかはしたまふ方々は、誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我|独《ひと》り行《ゆ》く方《へ》知らずなりなむを思しつづくる、いみじうあはれなり。

事はてて、おのがじし帰りたまひなんとするも、遠き別れめきて惜しまる。花散里の御方に、

絶えぬべきみのりながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを

御返り、

結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなきみのりなりとも

やがて、このついでに、不断《ふだん》の読経《どきやう》、懺法《せんぼふ》など、たゆみなく尊き事どもをせさせたまふ。御|修法《ずほふ》は、ことなる験《しるし》も見えでほど経《へ》ぬれば、例の事になりて、うちはへさるべき所どころ寺寺にてぞせさせたまひける。

現代語訳

上(紫の上)は、昨日、珍しく起きていらしたことが響いたのであろうか、今日はひどく苦しくなって横になっていらっしゃる。長年、こうした物の折ごとに、参り集まって管弦の遊びをなさる人々のお顔立ち、お姿、それぞれの才覚、琴や笛の音をも、今日がお見おさめ、お聞きおさめとなるのだろうか、とばかりお思いになられるので、ふだんはそれほど目を引かれない人々の顔も、一人ひとり、しみじみと悲しくお見えになる。まして、夏や冬の季節につけての遊び戯れにも、中途半端に張り合おうとする気持ちは内心では自然と混じってもいたろうが、そうはいってもやはり、情をお交わしになった御方々をご覧になると、誰もが長くとどまってはいられない世の中だろうが、その中でまず自分独りが行方も知らずこの世を離れていくことお思い続けになると、たいそうしみじみと悲しいのである。

法会が終わって、めいめいお帰りになろうとするにつけても、今生の別れめいて惜しまれる。花散里の御方に、

(紫の上)絶えぬべき……

(御法会がこれきりであるように、私の寿命も残り少ないでしょうが、それでも頼みにしてしまうのです。この世で結んだ貴女との御縁を)

御返り、

(花散里)結びおく……

(貴女と結んだ関係は絶えることはございません。この御法会が並一通りのものでやがて終わってしまうように、平凡で残り少ない私の命ではありましても)

法会にひきつづき、この機会に、不断の読経、懺法など、気をゆるめず尊い仏事の数々をおさせになる。ご病気平癒の御修法は、べつだんの成果も見えずに長い時間が経ったので、いつものことになっていて、それを引き続いて、しかるべきあちらこちらの寺寺で、おさせになるのであった。

語句

■昨日 法華経供養の法会を行った日。 ■なまいどましき 「なま」は中途半端な。未熟な。 ■さすがに情をかはしたまふ方々 一方で張り合う気持ちもあるが、敵だとまでは思わない、この世で情を交わした人々。明石の君や花散里。 ■行く方知らず 死ぬこと。 ■事はてて 法華経供養の法会が終わって。夜通しやっていた。 ■絶えぬべき… 「みのり」は「御法(法会)」と「身」をかける。 ■結びおく… 「おほかたの」は平凡な。 ■不断の読経 十七、二十七、三十七日などの一定期間にわたり法華経、最勝王経などを読むこと。 ■懺法 法華経を一心に読みその意味内容を観想すること。 ■御修法 病気平癒の祈祷。 ■うちはへ 「打ち延へ」。引き続き。

朗読・解説:左大臣光永

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