【御法 04】紫の上、中宮と対面 ねんごろに語る

夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入りたまひぬべきをりをり多かり。その事と、おどろおどろしからぬ御心地なれど、ただいと弱きさまになりたまへば、むつかしげにところせく悩みたまふこともなし。さぶらふ人々も、いかにおはしまさむとするにかと思ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう悲しき御ありさまと見たてまつる。

かくのみおはすれば、中宮この院にまかでさせたまふ。東《ひむがし》の対《たい》におはしますべければ、こなたに、はた、待ちきこえたまふ。儀式など例に変らねど、この世のありさまを見はてずなりぬるなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり。名対面《なだいめん》を聞きたまふにも、その人かの人など、耳とどめて聞かれたまふ。上達部《かむだちめ》などいと多く仕うまつりたまへり。

久しき御|対面《たいめん》のとだえをめづらしく思して、御物語こまやかに聞こえたまふ。院入りたまひて、「今宵《こよひ》は巣離《すばな》れたる心地して、無徳《むとく》なりや。まかりてやすみはべらん」とて渡りたまひぬ。起きゐたまへるをいとうれしと思したるも、いとはかなきほどの御慰めなり。「方々《かたがた》におはしましては、あなたに渡らせたまはんもかたじけなし。参らむこと、はた、わりなくなりにてはべれば」とて、しばしはこなたにおはすれば、明石の御方も渡りたまひて、心深げに静まりたる御物語ども聞こえかはしたまふ。

上《うへ》は、御心の中《うち》に思しめぐらすこと多かれど、さかしげに、亡からむ後《のち》などのたまひ出づることもなし。ただなべての世の常なきありさまを、おほどかに言少《ことずく》ななるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、言《こと》に出でたらんよりもあはれに、もの心細き御けしきはしるう見えける。宮たちを見たてまつりたまうても、「おのおのの御行く末をゆかしく思ひきこえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心のまじりけるにや」とて涙ぐみたまへる、御顔のにほひ、いみじうをかしげなり。などかうのみ思したらん、と思すに、中宮うち泣きたまひぬ。ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず、もののついでなどにぞ、年ごろ仕うまつり馴れたる人々の、ことなる寄るべなういとほしげなるこの人かの人、「はべらずなりなん後《のち》に、御心とどめて尋ね思ほせ」などばかり聞こえたまひける。御読経《みどきやう》などによりてぞ、例のわが御方に渡りたまふ。

現代語訳

夏になると、上(紫の上)は、例年の暑さでさえ、ひどく消え入ってしまわれそうだったが、そういう折々が今年は多い。特にこれといった症状があって、ひどいご病状というわけではいらっしゃらないが、ただひどく衰弱していらっしゃって、どうしてよいかわからぬほど、ひどく病が重くなられることもない。お仕えする女房たちも、どうなっていかれるのだろうかと想像するにつけ、まず目の前が真っ暗になり、惜しく悲しいご様子と思われる。

こうして上(紫の上)がひたすら病に臥せっていらっしゃると、中宮(明石の中宮)が二条院においでになる。東の対にご滞在あそばすことになったので、上(紫の上)もそちらで、中宮をお迎え申し上げなさる。行啓の儀式などはいつもと変わらないが、上(紫の上)は、この世のありさまを見届けることはできないとばかりお思いになるので、万事につけて物悲しく思っていらっしゃる。お供の公卿たちの名のりをお聞きになるにつけても、あの人その人など、耳を傾けてその御声をお聞きになる。上達部などとても多くお仕え申し上げていらっしゃる。

上(紫の上)は、長い間中宮とご対面されていなかったので、滅多にないこととお思いになって、こまごまとお話申される。院(源氏)が入っていらして、(源氏)「今宵は鳥が巣を離れて近づけないような気がして、まったく私は用無しですね。失礼して休むとしましょう」といってお帰りになられた。院(源氏)は、上(紫の上)が起きていらっしゃるのをとても嬉しくお思いになるが、それも実に頼りない程度の気休めである。(紫の上)「中宮は別の場所(東の対)にいらっしゃるので、あちら(西の対)においでいただくのも恐縮です。私からこちら(東の対)に参りますのも、また、無理になってしまいましたので」といって、しばらくこちら(東の対)にいらっしゃると、明石の御方もおいでになって、ねんごろにひっそりと、さまざまなお話をなさる。

上(紫の上)は御心の中にお思いめぐらすことが多いようだが、いかにも気丈そうに、ご自分が亡くなった後のことなどお話に出されることもない。ただ一般論として、世の中の無常であるさまを、おおらかに、言葉少なくではあるが、浅はかでない様子に言いなされる様子などが、むしろ言葉に出すよりもしみじみと胸を打つ感じで、なんとなく心細いご様子は、はっきとり見えた。宮たちを拝見なさっても、(紫の上)「おのおののご将来をお見届け申し上げたいと存じ上げておりましたのは、こうして結局ははかなく終わったわが身を惜しむ心がどこかにあったからでございましょうか」といって涙ぐまれる、その御顔の華やかさは、たいそう美しげである。「どうして上(紫の上)はこう、亡くなることばかりお考えになるだろう」とお思いになって、中宮はお泣きになった。遺言めいた不吉な言い方にはあえて申されず、何かのついでなどに、長年お仕え申し上げ馴れている女房たちの、これといった身寄りがなく、気の毒なあの人この人に、(紫の上)「私がいなくなりました後に、御心をとどめて、この女房たちのことをお気にかけてくださり、目をかけてやってください」などとだけ申されたのである。それから上(紫の上)は、病気平癒の御読経などのため、いつもご自分のお部屋にお帰りになる。

語句

■その事と… 前も「そこはかとなく悩みわたり、…いとおどろおどろしうはあらねど」(【御法 01】)とあった。 ■むつかしげにところせく どうやっていいかわからないほどに。 ■いかにおはしまさむとするにか 紫の上が今後悪くなっていく一方なのかという不安。 ■中宮 明石の中宮。今上帝の中宮。紫の上に養われた。 ■この院 明石の中宮の里は六条院であるが母同然の紫の上の見舞いのため二条院に里下がりした。 ■東の対 二条院の東の対が明石の中宮の滞在場所に当てられた。 ■こなたに 東の対に。西の対にとする説も。 ■儀式 中宮行啓をお迎えする儀式。 ■名対面 ここでは行啓供奉の公卿が名乗りをすること。 ■巣離れたる心地 鳥が巣を離れて帰ってこれないような気持ち。紫の上と明石の中宮の親密なようすに、分け入る隙がないというのである。 ■無徳 役に立たない。何の効果もない。不体裁なさま。 ■起きゐたまへる 紫の上は明石の中宮と対面するため無理に起きている。 ■方々におはしましては 紫の上が西の対に、明石の中宮が東の対に、それぞれ別の居所にあるさま。 ■わりなくなりにてはべれば 紫の上はもはや東の対に参上するだけの体力が残っていない。 ■明石の御方 明石の御方はいつも中宮のおそばにいるから今回も二条院に付いてきている。 ■思しめぐらすこと 遺言の数々が胸中に去来している。しかし女の身で死を前に冷静にあれこれ指示することははしたないという価値観から、遺言めいた言い方はしない。 ■なべての世の常なきありさま 一般論として世の中の無常であることを。 ■宮たち 明石の中宮腹の皇子・皇女たち。 ■ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず ことさら遺言めいた不吉な言い方はしない。 ■御読経 紫の上の病気平癒のための御読経。

朗読・解説:左大臣光永