【御法 11】源氏、悲しみに暮れる 出家は保留

臥《ふ》しても起きても、涙の干《ひ》る世《よ》なく、霧《き》りふたがりて明かし暮らしたまふ。いにしへより御身のありさま思しつづくるに、「鏡に見ゆる影をはじめて、人には異《こと》なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく仏などのすすめたまひける身を、心強く過ぐして、つひに来《き》し方行く先も例《ためし》あらじとおぼゆる悲しさを見つるかな。今は、この世にうしろめたきこと残らずなりぬ。ひたみちに行ひにおもむきなんに障《さは》りどころあるまじきを、いとかくをさめん方《かた》なき心まどひにては、願はん道にも入りがたくや」とややましきを、「この思ひすこしなのめに、忘れさせたまへ」と、阿弥陀仏《あみだほとけ》を念じたてまつりたまふ。

現代語訳

院(源氏)は臥しても起きても、涙の乾く時がなく、霧のように目がふさがって明かし暮らしていらっしゃる。昔からの御身のありさまをお思いつづけるにつけ、「鏡に映った姿をはじめて、私は人とは異なるものであった身ではあるが、幼い頃から、悲しく無常な世を思い知るべく仏などのおすすめになられた身を、頑固に無視して過ごしてきて、ついに過去未来にも例がないと思われる悲しさを見たことであるよ。今はまっすぐ仏道修行の道に入るのに障害はなかろうが、実にこうおさめようもなく気持ちが混乱していては、願っている道にも入りづらいだろう」と思い悩んでいらっしゃって、「この思いを少しなだめて、忘れさせてください」と、阿弥陀仏を念じ申し上げられる。

語句

■人に異なりける身 才能・財産・信望などが類いまれであること。 ■心強く過ぐして 仏の導きを頑迷に拒んで俗世で過ごしてきたこと。 ■つひに 最後の今になって。 ■願はん道 出家して修行に専念する生活。 ■ややましき 「ややむ」は思い悩む。

朗読・解説:左大臣光永