【御法 16】源氏、出家を思いつつなおも外聞を憚る
すくよかにも思されず、我ながら、ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる紛らはしに、女方《をむながた》にぞおはします。仏の御前《おまへ》に人しげからずもてなして、のどやかに行ひたまふ。千年《ちとせ》をももろともにと思ししかど、限りある別れぞいと口惜しきわざなりける。今は蓮《はちす》の露も他事《ことごと》に紛るまじく、後《のち》の世をと、ひたみちに思し立つことたゆみなし。されど人聞きを憚《はばか》りたまふなん、あぢきなかりける。
御わざの事ども、はかばかしくのたまひおきつる事なかりければ、大将の君なむとりもちて仕うまつりたまひける。今日や、とのみ、わが身も心づかひせられたまふをり多かるを、はかなくてつもりにけるも、夢の心地のみす。中宮なども、思し忘るる時の間《ま》なく、恋ひきこえたまふ。
現代語訳
院(源氏)は、お気持ちがさっぱりともなさらず、われながら、意外とぼんやりしていると実感されることが多いので、それを紛らわすために、女の人々の部屋にいらっしゃる。仏の御前に人をそう多く侍らぬようにはからって、ゆったりと勤行をおさせになる。千年を一緒にお過ごしになりたいとお思いであったが、定まった別れのあることが実に無念なことではある。今は往生して同じ蓮の露となろうという願いが、他のことで紛れないようにして、後生に希望をたくすことも、一筋に怠りなく御心を定めていらっしゃる。それでもご出家なさるにあたって外聞をはばかっておられるのが、情けないことではある。
御仏事の事は、こまごまとお申し付けにもなられなかったので、大将の君(夕霧)がお引き受けしてご奉仕にあたられるのだった。今日が俗世の最後の日かとばかり、院ご自身としても心遣いされる折が多いのだが、無為に日数が重なっていくのも、夢のような感じがする。中宮(明石の中宮)なども、お忘れになる時なく、院(源氏)を恋慕っていらっしゃる。
語句
■女方 女の方々の部屋。男を相手にしているより気が紛れるのだろう。好色な意味合いではなかろう。 ■蓮の露も他事に紛るまじく 極楽往生して紫の上と同じ蓮の葉の上にすわることに専念して。 ■後の世を 後生は今生のような苦しく悲しいことにはするまいと。 ■人聞きを憚り 出家したのは紫の上が死んだ悲しみによってだろうと世間の人が噂するのを気にしている。自意識過剰。気にしすぎである。 ■御わざの事 追善供養のこと。 ■とりもちて 引き受けて。 ■はかなくてつもりにける 無為に日数だけが重なっていく。