【幻 01】春、源氏、螢兵部卿宮と唱和

春の光を見たまふにつけても、いとどくれまどひたるやうにのみ、御心ひとつは悲しさの改まるべくもあらぬに、外《と》には例《れい》のやうに人々参りたまひなどすれど、御心地悩ましきさまにもてなしたまひて、御簾《みす》の内にのみおはします。兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》渡りたまへるにぞ、ただうちとけたる方《かた》にて対面《たいめん》したまはんとて、御|消息《せうそこ》聞こえたまふ。

わがやどは花もてはやす人もなしなににか春のたづね来つらん

宮、うち涙ぐみたまひて、

香《か》をとめて来つるかひなくおほかたの花のたよりと言ひやなすべき

紅梅《こうばい》の下《した》に歩《あゆ》み出でたまへる御さまのいとなつかしきにぞ、これより外《ほか》に見はやすべき人なくや、と見たまへる。花はほのかにひらけさしつつ、をかしきほどのにほひなり。御遊びもなく、例に変りたること多かり。

現代語訳

春の光を御覧になるにつけても、ますます目の前が真っ暗になるようにばかり、御自身のお気持ちひとつには悲しさの消えるはずもないのに、外には例年のように人々が参られたりなどするが、ご気分がすぐれない体をよそおって、御簾の内にばかり引きこもっていらっしゃる。兵部卿宮(螢兵部卿宮)がおいでになった時に、初めて内々のくつろいだ部屋で対面なさろうということで、そのご意向を宮に申しあげられる。

(源氏)わがやどは……

(私の宿には花をもてはやす人ももうおりませんのに、どうして春(貴方)はまた訪ねてきたのでしょうか)

宮は、涙ぐまれて、

(螢兵部卿宮)香をとめて……

(私は梅の香(貴方)を求めて参りましたのに、そのかいもなく、貴方はひととおりの花をもてあそぶついでに立ち寄った、ということにしてしまわれるのですね)

宮(螢兵部卿宮)が紅梅の下に歩み出でなさるご様子がとても魅力的なので、この人より他には梅の花を愛でるべき人はないのか、とお見えになる。花はほんの少し開きかかっていて、美しく色づいているのだ。今年は管弦の御遊びもなく、例年と違っていることが多い。

語句

■春の光を見たまふにつけても 舞台は二条院説と六条院説がある。 ■御法の内 前巻に「女方」とあるところだろう(【御法 16】)。 ■兵部卿宮 螢兵部卿宮。源氏の腹違いの弟で、源氏と風流を分かあう人物。 ■うちとけたる方 客人向けの部屋でなく内々のくつろいだ部屋で会おうということ。 ■わがやどは… 「花もてはやす人」は暗に紫の上をさし、その人がいないことを悲しむ。また兵部卿宮をもさす。 ■香をとめて… 「香」は源氏をさす。「おほかたの花のたより」は一通りの花見客というほどの意。自分は貴方に会いたくてきたのに、貴方は私を単なる花見客と見るのですね。つれないことですといったニュアンス。 ■見はやすべき人 この紅梅を十分に鑑賞しうる人。 ■御遊びもなく 例年の正月なら音楽が始まるが、今年は紫の上が亡くなった悲しさでその気も起きない。

朗読・解説:左大臣光永