【幻 11】夏、蜩・螢につけ悲しみを歌に詠む

いと暑きころ、涼しき方《かた》にてながめたまふに、池の蓮《はちす》の盛りなるを見たまふに、「いかに多かる」などまづ思し出でらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり。蜩《ひぐらし》の声はなやかなるに、御前《おまへ》の撫子《なでしこ》の夕映《ゆふば》えを独《ひと》りのみ見たまふは、げにぞかひなかりける。

つれづれとわが泣きくらす夏の日をかごとがましき虫の声かな

蛍《ほたる》のいと多う飛びかふも、「夕殿《せきでん》に蛍飛んで」と、例の、古言《ふること》もかかる筋にのみ口馴《くちな》れたまへり。

夜《よる》を知るほたるを見てもかなしきは時ぞともなき思ひなりけり

現代語訳

ひどく暑いころ、院(源氏)が涼しい部屋でぼんやり外を眺めていらっしゃると、池の蓮の花が盛りであるのを御覧になって、「いかに多かる」など真っ先にお思い出されるが、気が抜けたようになって、物思いに沈んでいらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。蜩の声がはなやかである中、御庭前の撫子が夕日に映えているのを独りだけで御覧になっていらっしゃるのは、実にかいのないことであった。

(源氏)つれづれと……

(所在ない気持ちで私が一日中泣き暮らしている夏の日を、私にかこつけるように虫の声が鳴き立てるものだ)

螢がとても多く飛び交うにつけても、(源氏)「夕殿《せきでん》に螢飛んで」と、例によって、古い詩の文句も、こうした種類のものだけが、口に出るようになっていらっしゃる。

(源氏)夜を知る……

(夜になり、火をともすべき時になったことを知る螢。それを見るつけても悲しいのは、時を問わずに燃えている、亡き人を偲ぶ私の心の火なのであった)

語句

■いと暑きころ 前のほととぎすは五月の風物。本節は六月となる。 ■涼き方 池に面した部屋だろう。 ■いかに多かる 「悲しさぞまさりにまさる人の身にいかに多かる涙なりけり(なるらむ)」(古今六帖四、伊勢集)。 ■つくづくと 物思いに沈んでいる様子。 ■独りのみ 「われのみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕かげの大和なでしこ」(古今・秋上 素性)によるというが、『河海抄』は上句「我のみぞあはれとはみるひぐらしの」として引く。 ■つれづれと… 私が泣くことにあてつけるように蜩が鳴いているという発想。 ■夕殿に螢飛んで 「長恨歌」の玄宗皇帝が亡き楊貴妃を偲ぶ条。 ■かかる筋 死んだ妻を偲ぶとかそういった内容。 ■夜を知る… 「蒹葭《けんか》水暗ウシテ螢夜ヲ知ル 楊柳風高ウシテ雁秋ヲ送ル」(和漢朗詠集・螢 許渾)による。「思ひ」の「ひ」を「火」にかける。

朗読・解説:左大臣光永