【幻 18】仏名の日、源氏、人々の前に姿をあらわす

御仏名《おぶつみやう》も今年ばかりにこそは、と思せばにや、常よりもことに錫杖《しやくぢやう》の声々などあはれに思さる。行く末ながきことを請《こ》ひ願ふも、仏の聞きたまはんことかたはらいたし。雪いたう降りて、まめやかに積《つも》りにけり。導師《だうし》のまかづるを御前に召して、盃《さかづき》など常の作法《さほふ》よりも、さし分かせたまひて、ことに禄《ろく》など賜はす。年ごろ久しく参り、朝廷《おほやけ》にも仕うまつりて、御覧じ馴れたる御導師の、頭はやうやう色変りてさぶらふも、あはれに思さる。例の、宮たち上達部《かむだちめ》など、あまた参りたまへり。梅の花のわづかに気色ばみはじめてをかしきを、御遊びなどもありぬべけれど、なほ今年《ことし》までは物の音《ね》もむせびぬべき心地したまへば、時によりたるもの、うち誦《ずん》じなどばかりぞせさせたまふ。

まことや、導師の盃のついでに、

春までの命も知らず雪のうちに色づく梅を今日かざしてん

御返し、

千代《ちよ》の春見るべき花といのりおきてわが身ぞ雪とともにふりぬる

人々多く詠《よ》みおきたれど漏らしつ。

その日ぞ出でゐたまへる。御|容貌《かたち》、昔の御光にもまた多く添ひて、あり難《がた》くめでたく見えたまふを、この旧《ふ》りぬる齢《よはひ》の僧は、あいなう涙もとどめざりけり。

現代語訳

院(源氏)は、御仏名も今年が最後だから、とお思いになるからだろうか、例年よりも格別に錫杖を突いて偈文を唱える声々など、身にしみるものとお思いになる。長寿を請い願うのも、仏がお聞きになられることが決まりが悪い。雪がたいそう降って、本格的に積もるのだった。導師が退出するのを御前に召して、盃などを、通常の作法よりも、特別におすすめになって、ことに禄などお与えになる。長年久しく六条院に参り、朝廷にもお仕え申し上げて、いつも御覧になっている御導師で、頭はだんだん色が変わってきているのも、しみじみと感慨深くお思いになる。例年のように、宮たち、上達部など、多くおいでになっていらした。梅の花がやっと芽吹きはじめて風情があるのを、通常なら管弦の御遊びなどもあるべきだろうが、やはり今年までは楽器の音も涙をさそわれる心地がなさるので、時にあっている曲を、口ずさんだりなさるだけである。

そういえば、導師に盃を賜るついでに、

(源氏)春までの……

(春までの命も知らないので、雪が降っているうちに色づく梅を今日、頭にかざしましょう)

御返し、

(導師)千代の春……

(この梅を、千代の春を見るだろう花と祈りおいて…院のご長寿を祈りおいて、わが身は雪とともに年老いていくのです)

人々が多く歌を詠んだが、書き漏らしてしまった。

まさにその日、院は皆の前にお出になった。御顔立ちは、昔の御光よりもさらに多く加わって、滅多になく素晴らしくお見えになるのを、この年老いた僧は、ただもう涙をとどめることもできなかった。

語句

■御仏名 十二月十三日から三夜の間行う仏事。一年の罪業を懺悔する。本来は清涼殿で行うが貴族宅でも行った。 ■錫杖の声 錫杖で地を突いて唱える讃嘆の声。 ■行く末ながきこと 御仏名の仏事も結局は長寿を願うものなので、出家して俗世への執着を絶ちたい源氏にあっては矛盾している。 ■仏の聞きたまはんこと 仏がお聞きになったら一方で長寿を願い、一方で出家したがっている矛盾に呆れられるだろうの意。 ■まめやかに 本格的に。 ■導師 法会の中心となる僧。 ■さし分かせたまひて 「さし分く」は区別する。 ■頭はやうやう色変わりて 髪を剃っても若い頃のように頭が青々して見えないこと。 ■わづかに やっと。かろうじて。 ■時によりたるもの 朗詠など。 ■春までの… 死が近づいている不安。 ■千代の春 「花」を源氏に擬する。「ふり」は「降り」と「古り」をかける。 ■その日ぞ出でたまゐたまへる 源氏は一年以上引きこもっていて、この日はじめて人々の前に姿をあらわした。 ■御光 光輝くような威光。源氏を特徴づける形容。 ■旧りぬる齢の僧 年をとった僧という意味と、「ふりぬる」の歌を詠んだ僧という意味をかける。 ■

朗読・解説:左大臣光永