【竹河 04】薫、玉鬘より源氏の形見として親しまれる

六条院の御末に、朱雀院《しゆじやくゐん》の宮の御腹に生《む》まれたまへりし君、冷泉院《れぜいゐん》に御子のやうに思しかしつく四位侍従《しゐのじじゆう》、そのころ十四五ばかりにて、いときびはに幼かるべきほどよりは、心おきておとなおとなしく、めやすく、人にまさりたる生ひ先しるくものしたまふを、尚侍《かむ》の君は、婿《むこ》にても見まほしく思したり。この殿は、かの三条宮といと近きほどなれば、さるべきをりをりの遊び所には、君達《きむだち》にひかれて見えたまふ時々あり。心にくき女のおはする所なれば、若き男の心づかひせぬなう、見えしらがひさまよふ中に、容貌《かたち》のよさは、この立ち去らぬ蔵人少将、なつかしく心恥づかしげになまめいたる方は、この四位侍従の御ありさまに似る人ぞなかりける。六条院の御けはひ近うと思ひなすが心ことなるにやあらむ、世の中におのづからもてかしづかれたまへる人なり。若き人々心ことにめであへり。尚侍《かむ》の殿も、「げにこそめやすけれ」などのたまひて、なつかしうもの聞こえたまひなどす。「院の御心ばへを思ひ出できこえて、慰む世なういみじうのみ思ほゆるを、その御形見にも誰《たれ》をかは見たてまつらむ。右大臣《みぎのおとど》はことごとしき御ほどにて、ついでなき対面《たいめん》も難《かた》きを」などのたまひて、はらからのつらに思ひきこえたまへれば、かの君もさるべき所に思ひて参りたまふ。世の常のすきずきしさも見えず、いといたうしづまりたるをぞ、ここかしこの若き人ども、口惜しうさうざうしきことに思ひて、言ひなやましける。

現代語訳

六条院(源氏)のご子孫で、朱雀院の宮(女三の宮)の御腹にお生まれになった君(薫)、冷泉院で御子のようにお思いになられ大切にお育てしいてらっしゃる四位侍従は、そのころ十四五歳くらいで、まことに子供らしく幼くていらっしゃるのが当然である年ごろにしては、お気持ちの持ちようが大人びていて、人柄も好ましく、人よりすぐれたご将来がはっきりとし見えていらっしゃった。それを尚侍の君(玉鬘)は、婿として世話をしたいとお思いになっていらした。この御邸(玉鬘邸)は、あの三条宮ととても近いところにあるので、しかるべき折々の遊び所として、四位侍従(薫)が、尚侍(玉鬘)の子らに連れられて、御邸(玉鬘邸)にお見えになることが時々おありである。奥ゆかしい姫君がいらっしゃる所なので、若い男で気にならない者はなく、これ見よがしにうろうろしている中に、顔立ちの美しさでは、この、御邸(玉鬘邸)に入り浸っていらっしゃる蔵人少将、優しくて、こちらが気後れするほど優美であることにおいては、この四位侍従(薫)の御人柄に似る人とてないのであった。六条院の御気配に近いと思ってみるから、特別な気がのであろうか、世の中に自然とちやほやされていらっしゃる人である。若い女房たちは、ことにこの二人を褒めあっている。尚侍の君(玉鬘)も、「たしかに理想的な御方だわ」などとおっしゃって、親し深くものを申し上げたりなどなさる。(玉鬘)「六条院(源氏)の御心遣いを思い出し申し上げると、(故人となってしまわれた今では)、心が慰められる折もなく、つらいとばかり思われますが、誰を六条院の御形見として拝見すればよいのでしょう。右大臣(夕霧)は重々しいご身分で、何かの機会でもなくてはお目にかかることもなかなかできないので」などおっしゃって、四位侍従(薫)のことを、弟同然に思い申し上げていらっしゃる。そのため侍従の君(薫)も、姉同然の御方の御邸と思ってこちらにおいでになる。君(薫)は、世間並の色めいたところも見えず、実によく落ち着いている。それを、双方の御邸(三条宮と玉鬘邸)の若い女房たちは、残念に、物足りないことに思って、薫に色めいた冗談を言っては困らせているのだった。

語句

朗読・解説:左大臣光永