【竹河 05】夕霧、年賀の挨拶に玉鬘を訪れ、大君のことを懇願
正月《むつき》の朔日《ついたち》ごろ、尚侍《かむ》の君の御はらからの大納言、高砂《たかさご》うたひしよ、藤《とう》中納言、故大殿の太郎、真木柱《まきばしら》のひとつ腹など参りたまへり。右大臣も、御子ども六人ながら引き連れておはしたり。御容貌よりはじめて、飽かぬことなく見ゆる人の御ありさまおぼえなり。君たちも、さまざまいときよげにて、年のほどよりは官位《つかさくらゐ》過ぎつつ、何ごとを思ふらんと見えたるべし。世とともに、蔵人の君は、かしづかれたるさまことなれど、うちしめりて思ふことあり顔なり。 大臣《おとど》は御几帳隔てて、昔に変らず御物語聞こえたまふ。「そのこととなくて、しばしばもえ承《うけたまは》らず。年の数そふままに、内裏に参るより外《ほか》の歩《あり》きなどうひうひしうなりにてはべれば、いにしへの御物語も聞こえまほしきをりをり多く過ぐしはべるをなむ。若き男《をのこ》どもは、さるべき事には召し使はせたまへ。必ずその心ざし御覧ぜられよと戒めはべり」など聞こえたまふ。「今は、かく、世に経《ふ》る数にもあらぬやうになりゆくありさまを思し数まふるになむ、過ぎにし御事も、いとど忘れがたく思ひたまへられける」と申したまひけるついでに、院よりのたまはすることほのめかしきこえたまふ。「はかばかしう後見なき人のまじらひはなかなか見苦しきをと、かたがた思ひたまへなむわづらふ」と申したまへば、「内裏《うち》に仰せらるることあるやうに承りしを、いづ方に思ほし定むべきことにか。院は、げに、御位を去らせたまへるにこそ、さかり過ぎたる心地すれど、世にあり難き御ありさまは旧《ふ》りがたくのみおはしますめるを、よろしう生《お》ひ出づる女子《をむなご》はべらましかばと思ひたまへよりながら、恥づかしげなる御仲にまじらふべきもののはべらでなん、口惜しう思ひたまへらるる。そもそも、女一の宮の女御はゆるしきこえたまふや。さきざきの人、さやうの憚りによりとどこほることもはべりかし」と申したまへば、「女御なん、つれづれにのどかになりにたるありさまも、同じ心に後見て慰めまほしきをなど、かのすすめたまふにつけて、いかがなどだに思ひたまへよるになん」と聞こえたまふ。
これかれ、ここに集まりたまひて、三条宮に参りたまふ。朱雀院《しゆじやくゐん》の古き心ものしたまふ人々、六条院の方ざまのも、方々につけて、なほかの入道の宮をばえ避《よ》きず参りたまふなめり。この殿の左近《さこんの》中将、右中弁、侍従の君なども、やがて大臣《おとど》の御供に出でたまひぬ。引き連れたまへる勢《いきほひ》ことなり。
現代語訳
正月のはじめごろ、尚侍の君(玉鬘)の御兄の大納言(按察使の大納言=紅梅大納言)、これはかつて高砂をうたった人物であるが、それと藤中納言、故大殿(髭黒太政大臣)のご長男で、真木柱と同腹の御子などが尚侍の君(玉鬘)の御邸にお参りになった。
右大臣(夕霧)も、御子たち六人すべて引き連れていらした。右大臣は、御顔立ちから何から、足りない所とてないと見えるお人柄であり、世間の評判である。御子たちも、それぞれ実に美しげで、年齢のわりに官位も高く、何の心配があろうかと見えたことだろう。常日頃、蔵人の君だけは、右大臣(夕霧)に大切にされることは格別であるが、沈み込んで思い悩んでいることがありそうな顔である。
大臣(夕霧)は御几帳を隔てて、昔と変わらず尚侍の君(玉鬘)とお話し申し上げられる。(夕霧)「これといった機会がないので、そうそううお話をうかがうこともできずにおります。年を取るにしたがって、宮中に参ることを別としては、気軽な外出など気が進まなくなってしまいましたから、昔の思い出話も申し上げたい折々をたいていそのまま過ごしております。それが悔やまれます。若い男たち(夕霧の御子ら)は、しかるべき用事にはお召しになってお使いください。必ずそうした誠意を御覧に入れよと、言っております」などと申し上げられる。(玉鬘)「今は、こうして、世間に過ごしている人の数にも入らないようになっていく私のありさまですのに、貴方さま(夕霧)が私を気にかけてくださり人の数に入れてくださるにつけても、亡き殿(源氏)の御ことも、いよいよ忘れがたく思われます」と申し上げられる。そのついでに、院(冷泉院)から仰せになられたこと(大君の入内について)を、それとなく申し上げられる。(玉鬘)「しっかりした後ろ盾のない者が出仕して、女御更衣さま方と交際するのは、かえって見苦しいだろうと、あれこれ考えて迷っております」と申し上げられると、(夕霧)「帝(今上帝)からも姫君がほしいと仰せがあったようにお聞きしておりますが、院(冷泉院)と帝のどちらにお気持ちを決めていらっしゃるのでしょうか。院は、たしかに、御位をお去りになっていらっしゃいますので、盛りはすぎたような気がいたしますが、世に滅多にない御容貌は、衰えようもなくていらっしゃるようです。私も、立派に成長している女子がございましたらと考えてはおりますが、気後れしてしまうほどの後宮での御后方との御交際にまじることのできるほどの娘がございません。それを残念に思っております。そもそも女一の宮の女御(弘徽殿女御)は、この件(大君の入内)をお許し申されましょうか。以前に入内させようとした人たちも、その面の遠慮から、躊躇することがあったようでございますが」と申されると、(玉鬘)「その女御(弘徽殿女御)こそが、所在なく御暇になっているご様子で、院(冷泉院)と同じお気持ちで姫君を世話して心の慰めにしたいなどと、かの女御(弘徽殿女御)から私におすすめになるにつけ、大君を入内させることを、どうだろうか、などとまで思い及んでおりますので」と申し上げられる。
どの御方も、ここ(玉蔓邸)にお集まりになって、それから三条宮にお参りになる。朱雀院と昔からご交誼があった方々や、六条院の関係の人々も、玉蔓邸の女房たちも、それぞれの関係につけて、今なおこの入道の宮(女三の宮)のところを素通りせずにお参りになっていらっしゃるようだ。この殿(故髭黒太政大臣)の御子である左近中将、右中弁、侍従の君なども、そのまま大臣(夕霧)の御供をしてご出発なさった。これらの若者を引き連れていらっしゃる大臣(夕霧)のご威勢はたいへんなものである。
語句
■高砂うたひしよ 大納言は、童殿上した頃、韻塞《いんふたぎ》の負態《まけわざ》の席で高砂を歌った(【賢木 32】)。 ■藤中納言 髭黒太政大臣と前の北の方との長男。真木柱と同腹。 ■六人 男子六人。次男と四男は藤典侍腹。ほかは雲居雁腹。 ■世とともに 常日頃。 ■かしづかれたるさま 前に「兄弟たちよりもひき越しいみじうかしづきたまひ」(【竹河 03】)とあった。 ■うちしめりて 大君への恋情を抱いている。 ■そのこととなくて… 前に玉鬘が「右大臣はことごとしき御ほどにて、ついでなき対面もなきを」と言ったのに対応。 ■年の数 夕霧四十一歳。 ■うひうひしうなりにて 「うひうひし」は気が引ける。恥ずかしい。 ■いにしへの御物語 源氏在世中の思い出話。 ■過ぐしはべるをなむ 下に残念ですの意を補い読む。 ■若き男ども 夕霧の子ら。 ■今は、… 玉鬘は四十八歳。 ■思し数まふるになむ 貴方が今だに私を気にかけて訪問してくださるのも亡き殿の遺徳でしょう。玉鬘は夕霧訪問の目的が、大君を蔵人少将の妻として迎えたいという打診だとわかっていながら空とぼける。玉鬘は大君を臣下でまだ位の低い蔵人少将にやりたくない。 ■院よりのたまはすること 冷泉院から、大君入内の誘い。夕霧からの誘いを断るために持ち出したか。 ■はかばかしう後見なき人の… 玉鬘は大君の冷泉院入内について夕霧に意見を求めているようだが、腹の内はもう入内させることに決めている。 ■げに、御位を去らせたまへるにこそ… 「げに」は、冷泉院が、玉鬘に、「今は、まいて、さだ過ぎすさまじきありさまに」(【竹河 03】)と話したのを、玉鬘が夕霧に伝えたらしい。 ■世にあり難き御ありさま 冷泉院は源氏に生き写し(【藤裏葉 16】)。 ■よろしう生ひ出づる女子 夕霧に娘は六人いる(【夕霧 36】)。長女は東宮に、次女は二の宮に奉っている。六の君は容貌がよい(【匂宮 09】)。 ■恥づかしげなる御仲 宮中の女御・更衣らとの交際。 ■女一の宮の女御 女一の宮の母である女御。弘徽殿女御。玉蔓が大君を冷泉院の後宮に入院させると、玉蔓と弘徽殿女御の姉妹の間で争うことにならぬかと、夕霧は心配する。 ■さきざきの人 以前に冷泉院に参内しようとした人。 ■とどこほること 物語中にはそのようなことは描かれていない。 ■女御なん まさにその女御がと「なん」で強調する。すぐ後の「かの」で主語を繰り返しいっそう強調する。 ■いかがなどだに 玉蔓は大君を冷泉院に参院させることをもう決めている。 ■これかれ 按察使大納言・藤中納言や夕霧の子ら。 ■三条宮 女三の宮の邸。 ■朱雀院の古き心ものしたまふ人々 女三の宮は朱雀院の皇女。 ■六条院の方ざまのも 女三の宮は源氏の正妻。 ■え避きず 三条宮は玉蔓邸の近く(【竹河 04】)。 ■この殿の… 三人とも故髭黒太政大臣の子。巻頭に「男三人、女二人」(【竹河 02】)とあった。