【夕霧 36】藤典侍、雲居雁と贈答 夕霧の子供たち

いとどしく心よからぬ御気色、あくがれまどひたまふほど、大殿の君は、日ごろ経るままに思し嘆くことしげし。典侍《ないしのすけ》かかる事を聞くに、我を世とともにゆるさぬものにのたまふなるに、かく侮《あなづ》りにくきことも出で来にけるを、と思ひて、文などは時々奉れば、聞こえたり。

数ならば身に知られまし世のうさを人のためにも濡らす袖かな

なまけやけしとは見たまへど、もののあはれなるほどのつれづれに、かれもいとただにはおぼえじ、と思す片心《かたごころ》そつきにける。

人の世のうきをあはれと見しかども身にかへんとは思はざりしを

とのみあるを、思しけるままとあはれに見る。

この、昔、御中絶えのほどには、この内侍《ないし》のみこそ、人知れぬものに思ひとめたまへりしか。事あらためて後《のち》は、いとたまさかに、つれなくなりまさりたまうつつ、さすがに君達《きむだち》はあまたになりにけり。この御腹には、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君とおはす。内侍《ないし》は、大君、三の君、六の君、二郎君、四郎君とぞおはしける。すべて十二人が中に、かたほなるなく、いとをかしげに、とりどりに生《お》ひ出でたまける。内侍腹《ないしばら》の君達《きむだち》しもなん、容貌《かたち》をかしう、心ばせかどありて、みなすぐれたりける。三の君、二郎君は、東《ひむがし》の殿《おとど》にぞとり分きてかしづきたてまつりたまふ。院も見馴れたまうて、いとらうたくしたまふ。この御仲らひのこと言ひやる方《かた》なくとぞ。

現代語訳

いよいよご機嫌の悪い宮(落葉の宮)のご様子に、大将が困惑してうろうろしていらっしゃる間、大殿の君(雲居雁)は、日数が経つにつれて思い嘆くことが多い。藤典侍《とうのないしのすけ》がこうした事を聞いて、「北の方(雲居雁)は私のことを夫の愛人として許せないものとおっしゃっているそうだが、こんな軽く考えられない事が起こったのだから」と思って、手紙などは時々差し上げるので、その中で申しあげる。

(藤典侍)数ならば…

(私が人並の身であれば知っていたでしょう。男女の関係の辛いことを。貴女のためにも涙で袖を濡らすことです)

北の方(雲居雁)は、なんだか変わった手紙だとはお思いになったが、しみじみと物思いが多い退屈な時分であるし、内侍(藤典侍)のことを憎いと思う一方、あの方も実に平気ではいられないのだとお思いになるお気持ちが、めばえた。

(雲居雁)人の世の……

(他人の夫婦仲をお気の毒と思ったことはございますが、わが身にふりかかってくるとは思いもよりませんでした)

とだけあるのを、藤典侍は「お気持ちを、そのままお書きになったのだ」と、おいたわしく見る。

昔、このお二人の御仲が父大臣によって割かれていた時には、この内侍(藤典侍)だけが、人目をしのぶ愛人として君(夕霧)は思いをかけていらっしゃったものだ。お二人がご結婚してからは、君(夕霧)がこの内侍とお会いすることも稀になり、しだいに疎遠になっていかれたが、そうはいってもやはり、御子たちは多くお生まれになった。この北の方(雲居雁)の御腹には、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君がいらっしゃる。内侍(藤典侍)には、大君(長女)、三の君、六の君、二郎君、四郎君がいらっしゃるのだった。すべて十二人の中に、優れていない御子はなく、まことに美しく、とりどりにお生まれになった。内侍腹の御子たちはとくに、容貌が美しく、ご気性に才覚があって、みなすぐれているのだった。三の君と二郎君は、東の殿(花散里の居所)で、他の御子たちとは別に、大切にお世話申し上げていらっしゃる。院(源氏)もお二人を見馴れていらして、とてもよくかわいがっていらっしゃる。このご夫婦関係のことは、これ以上話しようもないとのことである。

語句

■大殿の君 雲居雁。今は父大臣のところにいるので「大殿の君」。 ■典侍 源氏の乳母子、惟光の娘。藤典侍。夕霧の愛人(【少女 24】【藤裏葉 08】【若菜下 11】)。 ■我を世とともにゆるさぬものにのたまふ 雲居雁が藤典侍に反感を抱いていたさま。「世」は男女の関係。 ■かく侮りにくきこと 雲居雁はこれまで競争相手が身分の低い藤典侍だったので問題にもしなかった。しかし皇女である落葉の宮があらわれて事態が一変する。藤典侍が雲居雁に同情するのは、これまで見下されてきた恨みも関係している。 ■数ならば 自分を卑下し、雲居雁の立場に同情する。 ■なまけやけし 「けやけし」は他とちがっている。 ■片心 一方では藤典侍に反感を抱きながら一方では同情もめばえる。 ■人の世の… 「人の世」はよその夫婦関係。今まで見下してきた藤典侍から同情されることは雲居雁にとって屈辱である。以上の贈答は『蜻蛉日記』で作者右大将道綱母が、夫兼家が愛人の女のもとに通っていたとき、正妻の時姫と交わしたやり取りに似ている。 ■御中絶え 夕霧と雲居雁が致仕大臣によって仲を割かれていた時。 ■この内侍のみこそ →【藤裏葉 08】。 ■事あらためて後は 二人が結婚して状況が変わってからは。 ■君達 夕霧と藤典侍との間に生まれた子供たち。 ■東の殿 花散里の居所(【若菜下 11】)。 ■この御仲らひのこと… 夕霧と雲居雁が今後どうなるのか。落葉の宮はどうなるのか。一切語られない。

朗読・解説:左大臣光永