【藤裏葉 08】夕霧、藤典侍をねぎらう 歌の贈答

近衛府《このゑづかさ》の使は、頭中将なりけり。かの大殿《おほとの》にて、出で立つ所よりぞ人々は参りたまうける。藤典侍《とうないしのすけ》も使なりけり。おぼえことにて、内裏《うち》、春宮《とうぐう》よりはじめたてまつりて、六条院などよりも、御とぶらひどもところせきまで、御心寄せいとめでたし。宰相中将、出立《いでたち》の所にさへとぶらひたまへり。うちとけずあはれをかはしたまふ御仲なれば、かくやむごとなき方に定まりたまひぬるを、ただならずうち思ひけり。

「なにとかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな

あさまし」とあるを、をり過ぐしたまはぬばかりを、いかが思ひけん、いともの騒がしく、車に乗るほどなれど、

「かざしてもかつたどらるる草の名はかつらを折りし人や知るらん

博士ならでは」と聞こえたり。はかなけれど、ねたき答《いら》へと思す。なほこの内侍《ないし》にぞ、思ひ離れず這ひ紛《まぎ》れたまふべき。

現代語訳

近衛府から出されるこの日の勅使は、頭中将(柏木)なのであった。内大臣邸で、出発する所からして、人々が参り集まっていらっしゃった。藤典侍《とうないしのすけ》も勅使なのであった。評判は格別で、帝、東宮をはじめ、六条院(源氏)などからも、お祝いの品々が所狭しと届けられ、ご贔屓はまことにすばらしい。

宰相中将(夕霧)は、典侍が出発する所にまでも人をやっておねぎらいになった。ひそかに情をお交わしになるご関係なので、藤典侍は、宰相がこうしてしかるべき人とのご縁が決まってしまわれたのことを、心穏やかならず思っていた。

(夕霧)「なにとかや……

(何といいましたか、今日頭にかざしているものの名は……それ(葵=逢ふ日)を目の前に見ていながら、思い出せないほどまでに、貴女と逢わない日が続いてしまいましたね)

そうそう、その「葵(あふひ)」という言葉のように、貴女と逢う日を一時期は持ちながら、すっかりご無沙汰になってしまいましたね)

あきれたことです」とあるが、これは宰相は時機をのがさずお手紙をお送りになられただけのことだが、典侍はどう思ったのだろうか、ひどく慌ただしく車に乗ろうとしている時であったが、

(藤典侍)「かざしても……

(ご自分で頭にかざしていながら、しかも忘れていらっしゃる草の名は、桂を折った(進士に及第した)貴方こそご存知でしょうに)

貴方のような博士でなくてはとてもその草の名はわからないでしょう」と申し上げた。何ということもないが、憎らしい返事とお思いになる。きっとご結婚後も、宰相はこの内侍からはお気持ちが離れず、夜毎にお通いになられることだろう。

語句

■近衛府の使 賀茂祭の勅使は近衛府の中・少将から選ばれるのが例であった。 ■かの大殿 内大臣邸。 ■藤典侍 惟光の娘。以前五節の舞姫をつとめた。夕霧の愛人の一人(【少女 24】)。 ■御とぶらひども 祭の勅使に選ばれたことに対する祝の品々。 ■とぶらひたまへり 夕霧が直接内大臣家に行ったのではなく人を遣わした。 ■うちとけず 公然と夫婦関係を持っているのではない。ひそかな愛人関係であることをいう。 ■かくやむごとなき方に定まりたまひぬる 夕霧が内大臣家の姫(雲居雁)と結婚したこと。 ■なにとかや… 「かざし」は髪や冠にかざした花。賀茂祭(葵祭)では葵をかざす。そして葵は「逢ふ日」に通じる。「おぼめく」ははっきり思い出せないこと。「逢ふ日」という言葉を忘れてしまうくらい、貴女と逢わずに長い年月が経ってしまいましたねの歌意。 ■をり過ぐしたまはぬばかりを 典侍が何事か心にわだかまりを持っているその時を逃さずに夕霧が歌をとどけたの意。 ■いともの騒がしく これから祭の勅使として現地に向かうというあわただしい時である。 ■かざしても… 「たどる」は、とまどうこと。「草の名は」「あふひ=逢ふ日」。「かつらを折りし人」は官吏登用試験に合格した人。菅原道真の母(伴氏)の歌に「久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな」(拾遺・雑上)。「桂を折る」の出典は『晋書』郤詵《げきしん》伝。「猶桂林ノ一枝、崑山ノ片玉ノゴトシ」と試験に合格したこと武帝に対して述べる。こんな出世ぐらい取るに足らないの意。 ■博士ならでは 下に「知らじを」などを補って読む。「博士」は物知り。学問に通じた人。 ■はひ紛れたまふ 夕霧が人目を避けて典侍と逢うことをいう。

朗読・解説:左大臣光永